水の音、無形の雫

アニメやゲームのレビュー、日常の様々な事象に関する考察など。C86・3日目東P21a

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簡易的ゲームレビュー『トトリのアトリエ』   2010.06.27



そういえばこのブログは「アニメやゲームのレビュー」を目的に作成されていたような気がするなぁ、などと思い出したまさにその時、俺の手元には最新のゲーム作品「トトリのアトリエ」が鎮座していたのでした。


01.jpg

02.jpg



まだ二年目までしか進めてませんが、とあえず初見レビュー的な感じでメモ程度に感想など書き綴っておきたいと思います。
購入を検討されている方は参考にしてみて下さい。




○グラフィック

岸田メルさんがデザインしたパンツやブラジャーやおっぱいが驚異的とも言える再現率で映像化されており、それだけで十二分に買う価値はあると言えるでしょう。
どこかのおしっこ我慢アニメとは大違い。

前作では、立ち絵はともかく、フィールド画面や戦闘に入った時にどうしてもパンツの描写が荒くなってしまっていましたが、今作では原画とゲーム画がよりシームレスに繋がっています。

パンツRPGといえば、最近ではアルトネリコ3が話題になりましたが、こちらも負けず劣らず、いや、むしろパンツのグラフィックに関しては一歩も二歩もリードしています。
このパンツをより鮮明な画質で見るためにテレビの買い換えを検討してもよいとすら思ってしまいます。





○ストーリー

まだ途中なのであれですが、一応メインのシナリオは主人公の非実在青少年がお母さんの形見のパンツを探しに行くというものです。

が、基本的にアトリエシリーズには「ストーリー」というものはほとんどありません。
自分の判断で自由に各地を巡り、アイテムを調達し、その過程でパンツを探すのです。

もしもあなたがファイナルファンタジーやドラゴンクエストやテイルズシリーズのような「小説的な物語」を必要としているならあまりお薦めは出来ないでしょう。


ただし、この作品は、シリーズ通して言えることですが、本シナリオと連動する形で主人公の女の子の成長(性徴)が描かれていますので、そういった意味では「物語」も一応は存在します。

つまり、主人公の女の子が、いかにして大人パンツをはくに至るのか、母親に追いつき立派な大人の女性になるのか、といったところに主題が置かれています。

壮大な絵巻物ではなく、ごく身近な、それこそ今流行りの「日常系」と呼んでも差し支えないであろうレベルでの、例えば近所に住んでる女の子が最近妙に色気が出てきたなぁ、若干胸も膨らんできたなぁ的な成長(性徴)を喜べる人には十分楽しめるでしょう。





○システム

初めてこのシリーズをプレイする人は解説書とチュートリアルだけでは絶対に理解出来ませんが、以前からのアトリエユーザーであれば特に問題はないでしょう。

前作、ロリロロナのアトリエのシステムをさらに洗練させてあります。
また、前作よりもパンツが見え易く改良されており、基本的にパンチラし放題な点が、もしかしたら物足りなく思う人もいるかもしれません。
今まで同様最終的には賢者のパンツを練成することが目標になるのでしょうか。

何にせよ、「この子たちは一体誰の“金”を練りあげるつもりなんだろう」と疑問符を浮かべてしまうほどのパンチラシステムは一見の価値ありではないでしょうか。





○戦闘

アトリエシリーズはタイトルによって戦闘のシステムも難易度もパンツもマチマチで当たり外れが大きかったのですが、今回は非常によく出来ていると言えます。

特定の技を使うと盛大なパンチラが見られ、また、乳揺れの質感や腋の露出も申し分ありません。

ただ、それゆえに、パンツの攻撃力がインフレを起こしてしまい、若干ゲームバランスが崩れている感が拭えないので、手応えのあるパンチラを求める人には少し物足りなく感じることでしょう。


※コントローラを振ってもなぜか女の子がパージしないという致命的なバグがありますので、早急な修正パッチの配布が求められます。





○キャラクター

前作同様に岸田メルさんによるキャラデザですが、幼女からビッチまで多彩なキャラがおり、思わず全員一列に並べて順番にパンツを覗きたくなってしまいます。
男も含めて。

個人的な趣向で言えばトトリのお姉ちゃんなんかは足細くて巨乳でミニスカで最高ですし、メル姐さんなんかは黒パンツ見えまくりビッチで最高ですが、やはりなんと言ってもロロナ(22)の圧倒的な存在感は群を抜いているでしょう。

前作をプレイしていれば感動も一潮、「あぁ、大きくなったなぁ。色んな意味で」などと感慨に耽っては、22歳という“オッケーな年齢”に思わず胸が熱くなってしまいもしますよね。





と、いったあたりで。
トトリのアトリエ簡易レビューでした。

ではっ。

時代を反映し続けたFINAL FANTASYと時代に取り残された憐れな男の哀しい物語   2010.02.17


さて今さらではありますが昨年末に発売され大いに話題を呼んだ“FINAL FANTASY XIII”に関するお話です。



FF13.jpg



シナリオだけでなくダンジョンまでもがほぼ全て一本道で構成されていたり、バトルシステムが実質的なタイムアタック制だったり、“街”や“店”というRPGにありがちなギミックをことごとく排除したりと、もはやRPGというジャンルに限らず、そもそも“ゲーム”とは一体何なのかと根本から問いかけられているような余りにもラディカルな作品構造は、発売当初から多くのゲーマーの間で議論の的となりました。

この作品のプレイレビューは大きく二つに分かれます。


・評価する新ユーザー

曰く「戦闘が斬新で面白い」「ストーリーが良い」「CGが綺麗」etc...


・批判する旧ユーザー

曰く「戦闘が斬新すぎてクソ」「ストーリーがスイーツすぎて糞」「CGの作成にかまけすぎてて全体的に糞」etc...



ここで言う“新ユーザー”とは大まかに言ってPS世代、つまりFF7以降のゲーマーであり、“旧ユーザー”は主にFC、SFC世代を指します。
お互いがお互いに軽蔑の念を込めて“ゆとり”“懐古厨”などと言ったりもします。
(もちろん、評価する旧ユーザーもいれば批判する新ユーザーも少なからずいるのは事実ですが)



さて、本項ではこうした批評に一つ一つ突っ込むようなことはしませんし、ましてや自分自身のこの作品に対する評価を述べるようなこともしません。
今からここで語られるのは端的に言えば「FINAL FANTASYとは何なのか」という問題提起についてです。


例えば、このFF13に対するコメントの一つに

「こんなのFFじゃない!」

というものがあります。

これは主に旧ユーザーから発せられる発言で、“7”以降のナンバリングタイトルでよく耳にするステレオタイプな批評ロジックの一つでありますが、では、そもそも“FF”とは一体何ものなのでしょうか。


まずはそうですね、もう少し噛み砕いて「FFらしさ」とは何か、というところに着目してみましょう。

多くの人が思い浮かべるであろうFF独自の要素として“アクティブタイムバトル”というものが挙げられるでしょう。

90年代初頭、コマンド選択によるターン制が主流だったRPGにおいて、リアルタイムな戦闘の流れを再現したこのシステムは一躍FFの代名詞になりました。
初出は“4”だったと記憶していますが、以降の作品では基本的にこの“ATB”が採用されています。

これは確かにFFの特色かもしれません。


続いて、“成長システム”をFFの特色として挙げる人もいるでしょう。

“3”や“5”における“ジョブ”や“7”における“マテリア”など、これまでFFシリーズでは毎回独自の成長システムを生み出してきました。
ここで重要なのは“アビリティ”という概念です。
つまり、キャラクター自身の“レベル”とは別の概念で“職業が成長する”という手法です。

これも極めてFF的と言えるでしょう。



他にも色々言われることはありますが、まずはこの二つが多くの人に指摘されるところですかね。


こうしたゲーム性に関する特色というのは確かに頷けるものはありますが、実は“13”においてもATBは導入されていますし、独自性が強すぎる成長システムもしっかり考案されているんですよね。

今さら「ストーリーが…」「自由度が…」などといった、もはやFFだけでなくRPG全般に対して言えるような要素を持ち出す人はいないでしょうし、ではそうなると何を以って「FFらしさ」と言えばよいのでしょうか。



いや、違いますね。
そもそも「こんなのFFじゃない!」という批評自体が間違っていたのですよ。

断言します。
このFF13は何よりもFFらしく、FF的な作品であると。


そして、ここでようやく「FINAL FANTASYとは何なのか」という問題に切り込んで行くことになります。



過去、ファミリーコンピュータの時代からFFがFFであるためにずっと継承し続けているものはこの“13”でも確かに存在しています。

本項の表題でもある“時代の反映”です。


これこそがFFがFFである所以です。
つまり、FFのナンバリングタイトルは、過去から現在に至るまで常に時代を反映したものになっているのでありす。


例えば、当時全盛を極めたトレンディードラマよろしくラブロマンスをふんだんに盛り込んだ“4”

エヴァブームに引っ張られる形で所謂“オタク”を強烈に意識した“7”

映画“タイタニック”以外の何ものでもないギャルゲー展開で我々を大いに笑わせてくれた“8”

俗に“スイーツ(笑)”と呼ばれる類の失笑もののシナリオで唖然とさせられた“10”及び“10-2”



こうした、時代毎のムーブメントを的確に取り入れ、時代の映し鏡たり得るというコンセプトは過去から現在までずっと健在で、それは“13”においても変わっていないわけです。


ではここで、現代の“時代性”とはどのようなものか考えてみましょう。

一言で言って“コミュニケイション不全”です。

家庭や教育現場におけるコミュニケイション不全については読者諸兄も一度はニュースなどで耳にしたことがあるでしょう。
「先生の言うことを聞かない子どもたち」というのもそうですし、昨今流行りの「モンスターペアレンツ」というものもある種のコミュニケイション不全ですよね。

また、実害の無いレベルではあっても、オンライン文化の発達によって直接的なコミュニケイションが不足しがちになった(必要なくなった)というのは多くの人が実感していることでしょう。

俺が中学生ぐらいの時なんかは、まだ携帯も普及しておらず家電が主流だったので、好きな子に電話かけるのも一大イベントだったものですが、最近の子はみんなメールなんですよね。
(我々の世代はそういうとこで相手の親御さんに対する礼儀なりを学んだものですが…)

と、思い出話はさて置き。


FFに限らず、昔のゲームにはクリエイターとユーザーの間に「問題の提起→自分なりの解答」という、ある種のコミュニケイションが確かに成立していました。

「こんなステージを用意してやったぜ!」

「俺はこうやって攻略してやったぜ!」

というような、抽象的な言葉になりますが“情熱”とか“魂”とか、そういうものが確かに存在していたんですね。

プレイヤーはクリエイターからの“思い”を確かに感じ取り、“攻略”という行為を通じて返信していた。

それこそがゲームにおける“自由度”であり、そこにかける少々歪んだ愛情表現として“縛りプレイ”なるものが生み出されました。


ところが今現在、俗に懐古厨と呼ばれる人たちの言う“最近のゲーム”ではどうか。

ほとんどの作品では、一方的にプログラムに沿った行動をさせられるだけで、クリエイターとプレイヤーの間のコミュニケイションが無くなってきているのです。
コメント欄のないブログを無理矢理読ませられている感じです。

“一本道”と揶揄されるゲームの正体がこれです。


もちろん、今でも自由度(=コミュニケイション)の高い作品は数多く存在しますし、全部が全部一本道などとは言いません。

しかしながら、着実にコミュニケイション不全な作品が幅を利かせてきているのもまた事実です。
そして、そうしたコミュニケイション不全の最先端がこの“FF13”なわけですね。

ほとんどコントローラーを触ることなく一方的に押し付けられるストーリー、ひたすら事務的に前に進むだけの単調なダンジョン、特に何も考える必要のない成長システム。
極めつけはやはり“街”という“コミュニケイションの場”の廃止でしょうか。

あらゆる要素においてただ押し付けられるままに進めなければいけないこの作品は、確かに時代を反映していると言えるでしょう。

何者かに追われるままに敷かれたレールの上をただ真っ直ぐ走り抜ける主人公たちの姿に、独り終電で塾から帰る小学生の姿を重ねずにはいられませんでした。



こうした、時代に対する批評性を以って、俺は全力でこう叫びたい。


この作品は何よりもFFじみている、と。



そして、旧来のユーザー、いわゆる“懐古厨”と呼ばれる人間には、そうしたコミュニケイションの不足が、割と寂しかったり、またつまらなかったりするものであります故に、俺はそっとディスクを取り出し中古ゲームショップに足を向けたのでした。




2500円。




どこの会社の製作かもよく分からないエクシズフォルスなるゲーム(2009/11月発売・PSP)と同じ値段でした。





時計じかけのクリスタル   2009.05.23

本日のお題。



『FF5の真実』



ファイナルファンタジー5の話です。
未だ知られざる真実を皆様にお教えしましょう。



FF5





シリーズ最高傑作の呼び声高い“5”の「すっぴん」についてですが。

「すっぴん」とはつまり何のジョブにも就いていないということであり、即ち「無職」ということになります。
最初はみんな「すっぴん=無職」状態で旅を始めて、クリスタルが砕ける度に新しく「ジョブ=仕事」に就くことになります。


そこで少し考えてみて下さい。
彼らの当初の旅の目的はなんでしょう?
そうです、クリスタルが“砕けるのを防ぐ”ための旅です。
つまり、彼らは自らの就労の機会を潰すために旅をするのです。

要するに彼らは働きたくないのです。


ゴブリンにレイプされかけていたビッチを助けた時も、記憶喪失のクソジジイの介護を申し出た時も、海賊のアジトでシージャックしようとした時も、トゥールの村の初心者の館でMプレイに目覚めた時も、彼らはずっと働いたら負けかなと思っていたのです。


このような思考を持った人を私たちは知っています。


そうです、ニートです。

FF5の主人公達はNEETだったのです。


しかし、彼らの自由気ままなニートライフも程無く終焉を迎えます。
風の神殿のクリスタルが砕け散り、彼らは「ジョブ=仕事」を手に入れてしまいます。
つまり、仕送りを貰っていた親の急死により就職活動を余儀なくさるという状況に陥るのです。


最初に彼らが職安から紹介される仕事は斬る、殴る、回復する、害を与える、などの単調な労働ばかりです。
それはそうですよね?彼らはずっとニートで、働くことを知らなかったのですから、いきなり高度な戦術を必要とするような仕事に就かせてもらえるはずがありません。
それでも彼らは嫌々ながらそれぞれの職に就き、自立を果たそうと頑張ります。



しかしながら、彼らには一つ大きな問題がありました。
それはプレッシャーに対する耐性の低さです。
ずっと親のスネを齧り、家から出ずに生活していたため、“責任”や“義務”という言葉に滅法弱く、少しでもプレッシャーを与えられるとすぐに投げやりになってしまいます。
そんな彼らですから、当然のように「俺は今のように何の責任もない下っ端のままでいいや」という思考に陥ります。
それだけでなく「出世したって責任が重くなるだけだし遊ぶ時間も少なくなるしいいことねぇや。だったら現状維持を最優先に行動しよう」と思うようになります。

そのため、彼らは必死になって他のクリスタルが砕けるのを防ごうとします。



ところが、彼らの奮闘も虚しく次々にクリスタルは砕け散り、その度に彼らはより責任の重い役職に就くことになります。

しかしどうでしょう、最初は責任の重さや与えられる仕事の難易度に辟易していた彼らですが、だんだん熱心に仕事に取り組むようになります。
最初に就いた職業では出来ないようなスキルをたくさん身に付け、様々な角度から物事に取り組むことが出来るようになると、捻くれたヒキコモリ思考しか持ち合わせていなかった彼らが働くことの喜びを感じるようになってくるのです。
そしてついには世界中を飛び回る立派なビジネスマンへと成長するのです。



そして最初の「すっぴん」へと話は戻ります。
この「すっぴん」というのは、他のジョブを全てマスターすると「すっぴんマスター」という究極のジョブへと進化します。

つまり、あらゆる仕事で成果を残し、富と名声を得た者だけが辿りつける幻の職業「隠居生活」です。
その証拠にほら、ステータス画面を見て下さい。
すっぴんマスターが出てくる頃にはギルの数値がとんでもないことになっているでしょう?
「投げる」で使うためだけにグレートソードを買い漁れるぐらいの預金が貯まっているはずです。



要約します。
つまるところファイナルファンタジー5とは、ニートの青年達が汗水流して働くことの喜びを知り、大富豪へとのし上がっていくサクセスストーリーなのです。


これがFF5の真の物語です。
ありがとうございました。




思えば、スクエニ(旧スクウェア)という会社はいつも我々に人生で大切なことを教えてくれていました。
毎日働きもせずにだらしねぇ生活を送っているニート諸君も、ぜひ一度FF5をプレイし、人生とは何か、働くとはどういうことか、そういったことを考えてみてはいかがでしょうか。

おわり。
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