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TOP > 2009年07月
HYPER-CUBE 2009.07.29
つまるところ、「信じて進むのか信じずに立ち止まるのか」という話です。例えば、あなたの目の前を歩いている女性、あなたとすれ違った女性、あるいはあなたの前でレジに並んでいる女性、もしくは電車であなたの隣に座った女性、これらの女性がみな一様に「パンツをはいていない」と言われたらあなたはどう思いますか?
「そんなバカな」と一笑に付す人が大半かもしれません。
しかしながら、本人を除いて誰一人として「はいている」と証明出来る人などいないというのも事実なのです。
街中を歩いていてすれ違った女性がパンツをはいていない可能性は決してゼロではないのです。
要は信じるか信じないかの違いです。
さて、ここから先はそういったことが信じられる人にのみ開かれた世界です。
この巫女さんは絶対処女だ!
幻想郷はある!
フィギュアはもはや三次元だ!
あ、今ルイズが俺の方見た!
こう思える人。
「空島も黄金郷も誰一人として“無い”と証明出来たやつはいねえ!バカげた理屈だと人は笑うがいいじゃねえか!それでこそロマンだ!」と大声で言える人のみここから先を読み進めて下さい。
『四次元萌えの可能性に関して~導入編~』
まずは次の証明式を見て頂きたい。
三次元=現実
二次元=希望
三次元-二次元=一次元
変換すると↓
現実-希望=一次元
つまり
一次元=絶望
この式は
三次元(現実)-一次元(絶望)=二次元(希望)
一次元(絶望)+二次元(希望)=三次元(現実)
が成立することから正しいと証明される。
以上の公式はだいぶ昔にどっかの掲示板で見たものでありますが、俺はこれをさらに発展させ、以下の様な事を思考しました。
仮に上記の式が正しいとするならば
三次元(現実)+一次元(絶望)=四次元(地獄)
となるわけか・・・
いやまて、この場合はプラスされる一次元はむしろ「期待」になるのではないか。
であれば
三次元(現実=希望+絶望)+一次元(期待)=希望+絶望+期待
が成立するわけだ。
なるほど、つまり四次元とは希望だけでなく絶望というリアリティさえも含んだ未知の可能性というわけだ――
と、そのようなことを考えたんですが、しかし、その直後、一つの誤りに気付きました。
当初俺は「一次元」という単位を“変数”とみていました。
つまり、二次元に加えられる一次元は絶望であるのに対し、三次元に加えられる一次元はまた違った意味を持つものだと解釈したのです。
これは、元来考えられている多次元理論を基に考察した結果ですが、どうやらこれは間違いだったみたいなのです。
事はもっと単純でした。
そもそも「一次元」というものを一つの単位と見做した場合、上記のように一次元(絶望)が一次元(期待)へと変換されるのはやはりおかしい。
あくまで一次元の持つ意味は一つに限られなければならないのです。
という事を踏まえた上で考察すると、一つ重要なことに気付きました。
とんだ盲点です。
なぜ最初に気付かなかったのかと自分を責め苛みたいです。
早い話、最初の式を基にすると
一次元(絶望)+一次元(絶望)=二次元(希望)
という式が成り立つのです。
この発見はまさに目から龍神の鱗でした。
これにより(絶望)が二つ合わさると(希望)へと変換されるということが証明されました。
もしかしたら、皆さんは今「絶望が二倍なのに希望なの?」と思っているかもしれません。
俺も最初はそう思いました。
しかし、これは何ら不思議なことではないのです。
例えば
「怒りを通り越して笑ってしまう(巨人の補強的な意味で)」
「疲れもピークを過ぎとハイになってくる(徹夜連チャン的な意味で)」
「痛みも一定以上になると快感になる(ドM的な意味で)」
「不幸が重なるのはむしろ運がいい(ネタ的な意味で)」
このように、絶望も重なると希望へと発展させることができるのです。
俺はこれを「ランナーズハイ理論」と名付けました。
まあそれはさておき、四次元について考えてみると
三次元(現実)+一次元(絶望)=四次元
であると同時に
二次元(希望)+二次元(希望)=四次元
でもあるのです。
さてここで重要なのは(絶望)×2が(希望)へと変わったように(希望)×2も何らかの変化を伴うのではないか?ということです。
何かこう、「希望」という我々にとって最も気高い概念をも凌駕する、とんでもない概念が生まれるのではないかと、そう思えてしまうのです。
ではそれは一体何か。
残念ながらそこまでの答えはまだ出ていません。
それはこれから長い時間をかけて研究していかなければならない難問なのです。
と、ここで最初の話に戻ります。
そう、「信じるか否か」ということです。
この現世に於いて「四次元」という概念が存在し得るか否かについてあなたはその存在を信じますか?という話です。
ちなみにですが、相対性理論とか、数学の難しい公式を使えば“計算”することは可能です。飽くまで机上の理論ですが。
ですが私が言いたいのはそういう事ではなくて、目で見て、触れられる形で存在し得るか否かということなのです。
これは未だかつて観測された例が無いので否定的に取る人が大半でしょう。
しかし、だからと言ってそこに秘められた可能性を無下にしてしまってよいのでしょうか?
そこにはもしかしたら三次元はおろか二次元すら及ばない「萌え」が隠れているかもしれないのです。
それを見ずに人生を終えますか?
画面の中の美少女より可愛い、現実の女性よりリアルな感触の「何か」が四次元世界には住んでいるかもしれません。
そこに触れずに一生を終えて後悔しませんか?
最後にもう一度問います。
信じて進むのか信じずに立ち止まるのか
あなたはどうしますか?
以上。
ありがとうございました。
正直これ以上考えるのがメンドウなのでどなたか引き継いで頂けませんか?
突発的にアニメレビュー 2009.07.18
某所で書き散らかした文書の転載ですが。
とりあえず何かしら更新しようという意思を示すための緊急措置です。
『新作アニメ第一話レビュー』
○NEEDLESS
前期から継続中のPandoraHeartsをもの凄い勢いで追従する本格的厨アニメ。
設定・シナリオ・演出すべてにおいて厨臭さを醸し出している正統派厨作品ですが、しかし、他の数多の厨アニメとの明確な差異を挙げるとするならば、この作品は“厨二病患者向けではない”という点でしょう。
ウンザリするほどくどい世界観や必殺技の解説、設定やシナリオに反して異様にディフォルメされたキャラデザ、御都合主義にもほどがある展開、必殺技の名前を文字で表記、などなど、挙げ始めたら枚挙に暇がないほどの厨要素は、しかし決して新しいものではなく、むしろ超古典的な、ジャンプ(もしくはそれに準ずる少年漫画)アニメによく見られる、正確には過去によく見られた、まさしく“少年漫画的”な表現なんですね。
(あるいは“特撮ヒーロー的”とも言えるでしょうが、そっち方面はよく知らないので割愛します)
いずれにせよ、この作品は子どもの頃に晩ご飯を食べながら見ていたジャンプアニメのフォーマットで創られているのです。
しかし、です。
一見子ども向けアニメと見せかけるその一方で、深夜帯というおよそ子ども向けにはそぐわない時間に放映し、EDでは一体どこの誰に向けているのか意味不明な有害電波を垂れ流すなど、しっかりと大きなお友達の手を握りしめてもいるのがこの作品の大きな特徴となっています。
果たしてその狙いは一体どこにあるのか。
重度の中二病を自認する俺ですらドン引きするほどの厨っぷりを、深夜に大きいお友達に向けて放映する意味。
つまり、この作品は
中 二 病 養 成 ア ニ メ
これです。
過去、我々が中二病を発病する大きな感染源となっていたのは紛れもなくジャンプアニメでした。
この作品はそういったジャンプアニメの要素を踏襲しつつ、適度なエロを織り交ぜることで“正常なキモオタ”を釣り上げ、これまで中二病に感染してこなった人々に邪気眼を植え付けるために創られたものだったんですよ!
中二病がNEEDLESSを見るのではなく、“NEEDLESSを見た者が中二病になる”という、恐ろしい作品なのです。
逃げて!
みんな早く安全な場所まで逃げて!
でないとあなたも明日から片頭痛の度に何かしらの能力に目覚めたかと疑ってしまったり、雨が降ってる時には一応公園の土管の中を覗いてみようと思ってしまったり、疲れてる時の目の違和感を直死の魔眼だと勘違いしてしまうようになりますよ!
○CANAAN
今期最強。
東のエデンを見て「ああ、もう向こう数年はこれを越える作品は出てこないな」と思っていたらわずか1クールであっさり飛び越えていきました。
Aパート終了時点でBD全巻購入決定。
先述の“NEEDLESS”が初心者向けの中二病養成アニメならば、このCANAANという作品は上級者向けの厨アニメと言えるでしょう。
「最強の邪気眼使い・奈須きのこ×ド変態脚本家・岡田麿里」という強烈なカップリングから生み出される破壊力たるや、もはや並みの邪気眼では誰も抵抗など出来ません。
気合いの入った作画による動きまくりで迫力満点のアクションや、武内崇の原画を厨実に再現したキャラデザ(いや、べつに武内崇のファンというわけでもありませんが)、至るところに伏線張りまくりの隙のない演出、アドレナリン煽られまくりのBGM、それら全てがパズルのピースのようにガッチリはまり込み極上のエンターテインメントへと昇華され・・・
というような安っぽい賛美の言葉ならいくらでも出てきますが、そんな、俺のようなゆとり脳の言葉でどれだけ語らったところでその魅力など伝えきれようはずがありませんから、まずは一番の魅力であろうカナン様の絶妙な加減の御胸、及び美しいにもほどがある健康的な御腋を鑑賞することにいたしましょう。
これに魅かれない男は男ではない。
もしくはただの変態。
あるいは、この作品に登場する女性陣がすべからくドSである点を挙げてみるのも一興でしょう。
ストレート直球ドS・カナン様
天然無自覚ドS・マリア様
上から目線腹黒ドS・夏目様
立場逆転真性ドS・リャン様
圧倒的戦闘力ドS・アルファルド様
これだけのドS美女たちに囲まれて窒息寸前の深夜三時。
眠れない夜になります。
個人的にはそうですね、オーソドックスにリャン様に踏まれるか、あるいはマリア様に無自覚に傷つくことを言われる、というのが良いと思います。
とまあそんな感じで、空の境界やFateといった奈須きのこ作品が好きな人、あるいはカウボーイビバップやR.O.Dのようなオサレアクションが好きな人なんかは見てみればよいのではないでしょうか。
○GA 芸術科アートデザインクラス
まんがタイムきらら原作の四コマ漫画で美術ネタという、一体何番煎じなのかと思わず指折り数えてしまいそうな作品。
特に面白くもないし今これをやる意味も見る必要性も不明、というのが率直な感想。
というかこの手の四コマ原作百合アニメはちょっと飽きた、というのが実際のところかもしれません。
が、しかし、一つだけ見所を挙げるとするならば、この作品が「四コマ漫画のアニメ化」という作業の一つの解になっているであろう点でしょう。
早い。
とにかく早い。
むしろ“速い”と言うべきでしょうか。
タイムアタックだかチキンレースだかよくわかりませんが、もしかして本当に四カットだけで作ってるんじゃないかと疑ってしまうほどのスピード感。
ネタの消費速度が異常。
四コマ漫画のコマ割りを切り抜いてパラパラ捲ったらこんな感じになるんじゃないかと、そんな感じです。
そういう意味で、設定や原作の形態を指して何かと“ひだまりスケッチ”や“スケッチブック”なんかと比べられるこの作品は、実際にはその速度や構成において“らき☆すた”と並べて語られるべき作品なのでしょう。
事実、シリーズ構成として“らき☆すた”の構成と同じ待田堂子女史の名前がクレジットされているわけですし。
とはいえ、やはり内容自体はありふれた百合美術アニメでしかないので、ひだまりスケッチとどっちのテイストが好みかでどっちかだけ見たらよいと思いました。
○プリンセスラバー!
今期最大のダークホース。
作画の無駄遣いアニメ。
スタッフは間違いなく“真性”の人たちばかり。
コーヒー片手に視聴を推奨。
原作のエロゲは未プレイですが、まさかそんな、こんなありがちすぎて逆にレアな設定・展開など今時あるはずない!
これはきっとホワイトアルバムみたいな90年代の骨董品に違いない!
2008年発売だと・・・?
ええっと、一体どこからツッコミを入れていけばよろしかったでしょうか?
今日び吉本新喜劇でもやりませんよこんなネタ。
ツッコミ所満載どころか
も は や ツ ッ コ ミ 所 し か な い
“ツッコミ所”というのが“二重の意味”になっているあたりもエロゲ原作ならではでしょう。
制作者の趣味丸出しの禍々しいキャラデザもさることながら、無駄以外のなにものでもない作画に加え、これまた無駄に豪華な脇役のキャスト、いや、そんなことよりもやはり問題はそのヤケクソ気味のパンツ描写でしょうか。
『そもそもパンツ見せなきゃ恥ずかしくないもん!』
こんな開き直りの声が聞こえてくるようです。
あるいは、ヤマカンを嘲笑うかのようなOPでの“社交ダンス”を取り上げてみてもいいかもしれません。
踊れ愚か者ども!
もしも「ものすごい人数でプリラバの社交ダンス踊ってみた」というようなオフ会が開かれる際には一声かけていただきたく思います。
○かなめも
内容が無いよう(><)
○ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
待ちに待った劇場版第二弾。
パチンコから入った新参DQNや、再放送やDVDでの焼き直しなどで入門した人もいるでしょう。
そして、リアルタイムで直撃した残念なお友達カテゴリに属する俺たちは、あの時確かに時代の変革に直面していました。
あれから15年、あの時シンジ君たちと同じ中学生だった人はもう子供がいてもおかしくない、それだけの時間が流れました。
15年前のテレビ放映当時、日本はまさにセカンドインパクトの如きバブルの崩壊によって大不況に陥っていました。
エヴァの世界はずっと真夏日という設定でしたが、実際の日本は戦後最大級の氷河期でした。
そんな中、閉塞した日本を、あまつさえ世界までも食らい尽くすエヴァの姿に、我々は確かに遥か未来目指すための羽根を見たのです。
そして今、再び“氷河期”となった日本に、世界に、果たして『破』は何を見せてくれるのでしょうか。
あの時我々に見せてくれた破滅という名の希望は、再び閉塞したこの世界を救うきっかけとなってくれるのか。
というようなことは特に考えもせずに気楽に見に行きました。
同窓会です。
思い出補正で美化された懐かしい面々との同窓会。
「パターン青!使徒です!」と言わせるためだけに子安が呼ばれるあたり改めて凄い作品だなぁと思いました。
以下ネタバレ反転
まあなんでしょう、俺がエヴァの中で一番好きな、というかそこがエヴァの全てだったとさえ思っている“ユニゾン”のエピソードが全カットだったのが本当に解せないという点や、宮村優子がオバチャン声になってた点、あるいは綾波がデレすぎてウザイ、初号機はもっと盛大にゼルエルを食い散らかすべきだった、いやそこはトウジが乗れよ、ビーストモード(笑)、などといった不満点はあれど、全体的にはなかなかにエヴァっぽくて良かったと思います。
それよりもむしろ語るべきは俺のマヤちゃんについてでしょう。
例えば街中で「俺、綾波派」「ああ、俺はアスカ派だ」ぐらいなら単なるキモオタ同士の痛い会話として処理されるでしょうが、そこで「俺は伊吹派だ」とか言ったら一体どこの自民党員だと疑われてしまうぐらいに俺は昔からマヤちゃんが好きなんですが、この『破』おいてもそれはそれは素晴らしい活躍ぶりでした。
今回も期待に違わず盛大にぶちまけていました。
そうですね、この伊吹マヤというキャラ。
TV版、劇場版通じて一番印象に残っているのが
嘔 吐 し て る 姿
という前代未聞の変態なんですね。
百合要員と見せかけたゲロ要員。
この不遇すぎる扱いには全力で声援を送るとともに、
ところで、このエヴァという作品、昔はシンジ君がどうしようもないほどのヘタレなんだとばかり思っていましたが、改めて見てみると、シンジ君がヘタレとかいう以前に
ど う み て も 大 人 が 理 不 尽
これに尽きると思います。
実際問題として、どんな勇敢な若者でもいきなり仲良くもない親に呼ばれて
「動くかどうか分からないけどたぶん大丈夫だからロボットに乗ってモンスターと戦え。やり方はたぶん乗ればなんとなく分かるはず。ああ、ちなみにお前が負けたら人類滅亡だから」
とか言われたらたぶん誰でも「え、ちょっと待って、何で俺?」ってなりますよね。
で、乗ったら乗ったで今度は「嫌々乗るぐらいなら辞めろよ」とか「いや、乗るなら乗るでちゃんと責任取れよ」などと理不尽なものの言われ方をすると。
そりゃ正常な精神の持ち主でも自殺したくなりますってな話ですよ。
挙句、母親のクローンなどという“設定”を知らない段階で自分の父親が同級生の女子と談笑してる姿なんか見せつけられた日にはシンジ君じゃなくても部屋の隅で膝抱えたくなりますよね。
まあそんな感じで、俺はこれから真希波様の奴隷として生きていくハメになるかもしれませんというあたりで筆を置こうと思います。
あいがとうございました。