- hitomi_matsuo
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実家まで帰り着きました(^-^) http://t.co/CH3WoVg5hD
09-29 17:54 -
送電線は、どこに?基山(^-^) http://t.co/5a69SHibof
09-29 16:46 -
好きだけど、ながめるだけのクジラさん。今夜のおかずにナスを買う(^-^)デザートは黒糖しょうがにミカンよ。 http://t.co/ukONQlCeAS
09-29 15:22 あったら便利だけど初めて見たトイレの吊り輪(^-^)東彼杵、道の駅近く。 http://t.co/f8AgEJxmjW
09-29 14:58高校の時、修学旅行で、学校近くの駅から専用列車で東京へ。(福岡県東郷駅)@yomi_shinkansen
09-29 13:43軍艦島を右手に(^-^)
09-29 10:43海水浴場もお墓も撮りそこなった。携帯じゃダメか。
09-29 10:07灯台から帰ってきた人が教えてくれました。日本八大灯台の一つ(歴史がある)、原爆で曲がった、と。説明文があったのなら、下りればよかった。 http://t.co/SRfaDeaAni
09-29 10:00灯台(^-^) http://t.co/wAGeDSUYGC
09-29 09:47橋を渡っています(^-^) http://t.co/WLw5VrXSWD
09-29 09:35
- hitomi_matsuo
眠い!鍵開けたまま寝るのってイヤ!
09-28 22:08あがり始めました(^o^) http://t.co/LGghHCks7R
09-28 20:36花火があがるというので待っています(^o^) http://t.co/aJk5CD0t9W
09-28 20:27夕食中に二回もトイレ。よく出ます、と言えば、「飲めば出るからね〜」とトイレでいっしょになった、あゆみ保育園のおばあちゃん。ま、確かにお茶はコップ一杯(一合)は空けたけど(*´д`*)(^o^)
09-28 20:03カラオケタイム(^-^)カラオケで「あの子」を歌いました。声が出ず、2・3番は読むだけ(^o^) http://t.co/eVsFTUiqS8
09-28 19:41長崎の夜景(^-^)夕食中。 http://t.co/T5rmFGnOXC
09-28 19:06RT @kikko_no_blog: わずか2年弱で47カ国も外遊するってのも異常だけど、47カ国も外遊したのにお隣りの韓国と中国には行ってないってことこそが異常だな。まるで駄々っ子が嫌いなピーマンとシイタケをお皿の脇に避けてから好きなものだけ食べてるみたいに見える。
09-28 17:03RT @akahataseiji: 政労使会議再開 賃下げ狙う財界http://t.co/QvguPs2DjB〈甘利担当相も「賃金のピークが定年のほうに寄ってきている」と賃金制度の見直しを主張。消費税大増税とアベノミクスのもとで物価が上昇するなか、賃金が上がらないのは賃金…
09-28 17:01ホテルの部屋に入りました(^-^) http://t.co/uCqxoipTdX
09-28 16:15物産館中止(^-^)電停・思案橋でUターン。カステラ食べたい!の声あがり、文明堂へ(^o^)
09-28 15:28
- hitomi_matsuo
叔母から貰ったけど、種だけとって、調理は三日後(^-^) http://t.co/eUVfeT0YBM
09-27 22:05[第1回も]2014 とくほう・特報/日本の侵略戦争/■第1回■ 東方会議から「満州事変」へ/「在留邦人保護」を口実に http://t.co/JD2LXhC7fV http://t.co/i7YAzaS7IB
09-27 17:18[探し物していて「とくほう特報」を発見。スキャンは2枚に、デジカメじゃ字が見えん。今度からこれを参考にしよ] 日本の侵略戦争/■第2回■ 中国全面侵略への拡大/「一撃で中国屈服」の思惑で http://t.co/X6yM6CSkFA http://t.co/9bHIevLZgb
09-27 17:14スゴイネ!ポコポコ噴き出しよう!目覚ましにかき氷。テレビつけたらニャース。御嶽山が噴火。ネットで知っちゃあいたけど、画面が大きいだけ、迫ってくるばい!
09-27 16:32つもりを、つもち、と。今さら削除したくない。いろいろありすぎて、慌てたのね(^_^;)
09-27 16:18RT @akibacsi: 日韓交流おまつり2014(9・27〜28、日比谷公園)開会式に招かれ、与野党代表、日韓・韓日議連、駐日韓国大使、日本政府代表らと出席。「かけがえのない隣人」「心がひとつになる二日間」「祭りがつなぐ心と心」が合言葉。盛り上がりました。 http://t…
09-27 16:15RT @asahi_photo: 【速報】御岳山が噴火 岐阜・長野県境 火砕流も 長野県の木曽消防署によると、けが人が多数出ている(2014/09/27 13:46)http://t.co/3Tk3z4t1o2 (関) http://t.co/ybfF4AEiJp
09-27 16:14RT @nao_haga: 大変なことですが、あらためて火山噴火予知ができないことがわかった。御嶽山は、近くに原発がなかったからよかったが、川内原発のように霧島火山帯の中にあるところであったらどうなることかと想像すると恐ろしくなる。 http://t.co/RAgtVAYEbd
09-27 16:13RT @shosho_1955: 御嶽山、穴だらけだ(asahi) http://t.co/MP9V9HhdIu
09-27 16:11RT @MCANjp: 薩摩川内市内に入りました。Wi-Fiもキャッチしましたので、そろそろ中継開始します。電波状況により、中断することも有りますのでご了承下さいこちらから → http://t.co/wkYbye8mK2 #反原連中央放送 #反原連川内原発現地視…
09-27 16:11
ツイッターで、しんぶん赤旗記事、日本の中国侵略の歴史を。
ぜひ、これもいっしょに読んでほしいと、再再掲。
大津留さんの品川さんの記事を読んで、やっぱり、打つしかない!と。
私・ひとみは、「消費税をなくす会」に入っています。
「蟻の兵隊」の上映をブログで紹介していましたら、「消費税をなくす
全国の会」の事務局の方から、メールをいただきました。
メール抜粋
「蟻の兵隊」の上映もされることを松尾さんのホームページで。
実は、映画にでてくる宮崎舜市参謀は、消費税をなくす全国の会
常任世話人の増本さんの義父です。
蟻の兵隊の完成を知って、11月にお亡くなりになりました。
増本さんの奥さんが、「『蟻の兵隊』を見てくださるみなさまへ」と
いうメッセージをなくす会にもよせてくださいました。
ぜひ、松尾さんにも読んでいただけたらと思い、郵送させて、、。
「蟻の兵隊」を見て下さるみなさまへ
’06.7.22
増 本 敏 子
父(宮崎舜市)と山西残留兵士との関わりについて
映画「蟻の兵隊」のチラシを同封させて頂きます。
この映画の中で、病院のベッドに寝たきりの父のところへ、主演の
奥村さんが挨拶に来られる場面があります。初対面の奥村さんに
「宮崎参謀!!初年兵の奥村でございます」と語りかけられ、ほとんど
植物状態の父が涙を流し大声で泣いたのです。
映画では説明が省略されていますので、何故なのかわかりにくく
試写を見た人たちから質問を受けました。
そこで娘の私から一言説明を加えさせて頂きます。(一言ではすまぬ
長い話なのですが・・・・・)
父は昭和20年8月15日、37才のとき支那派遣軍作戦主任参謀
として南京で敗戦を迎えました。そしてひきつづき2年余り現地で敗戦
処理の仕事に携わったのです。中国に残っている兵士や民間人を一刻も
早く安全に帰国させることが主な任務でした。
比較的順調に仕事が進む中で(中国人は寛容であったようです)、
山西省だけ帰国がすすまず、旧軍兵士や民間人が閻錫山の軍隊に
とりこまれていることが判明し、父はプロペラ機の機長と2人で山西省
に乗りこんだのでした。閻錫山(えんしゃくざん)という人はその地方
の王様のような存在で、蒋介石、毛沢東と並ぶ力を持っており、八路軍
が力を伸ばす中で日本旧軍を配下にして中国内戦を有利に運ぼうとして
いました。「協力するか、死刑か」と迫られて旧軍の幹部の人達は、
すっかり閻錫山の配下になってしまい、兵士たちに残留命令を出して
いたのです。
こういう中で父は命がけで閻錫山に面会し、戦勝国アメリカや国民党
蒋介石の力を背にして交渉し、日本人を解放して帰国させる約束を
とりつけたのでした。事実、この後数萬人の兵士と民間人が無事帰国
できたのです。父は全員帰国できたものと思い込み、悲惨な戦争の中で
唯一自慢にできる快挙を成し遂げたと満足していたのです。
ところが事実は違っていました。5%ほどの精鋭部隊が山奥に
かくされ、閻錫山の軍隊に組み込まれ、4年間も戦わされたのでした。
戦死した人、今も行方不明の人、昭和24年毛沢東の勝利により捕虜
となって何年間も刑に服した人、この映画の「蟻と兵隊」が存在したの
です。
敗戦を予見した閻錫山は台湾に逃げ、協力者だった日本旧軍の幹部を
早々と帰国させました。そして、この人たちが帰国後参議院の聴聞会で
「日本旧軍は、兵士たちに帰国せよとの命令を出している。一部の将校
と兵士が自分たちの意思で残留し、中国内戦に身を投じたのだ。彼等は
逃亡兵である」と証言したのです。
そして日本政府は山西省残留兵士を逃亡兵と決めつけ、一切の援助
(恩給支給など)をしないことを決めたのです。
現在も政府はこの姿勢を変えていません。
福島県の部隊の生き残りの相楽圭二さんは、山西残留兵士の会を
作り、政府に陳情を重ねました。その姿を当時福島中央テレビが追って
いました。相楽さんは、旧軍の復員局の資料の中から、父の生々しい
証言を見つけ、父をたずねて来られました。
敗戦から30年もたって、ようやく父はうかつにも自分が事実を
知らなかったことを知ったのです。
「全員を帰国させたつもりがそうではなかった」
父は自分の努力が中途半端だったことを恥じ、まんまとだまされた
ことに立腹し、全員を帰国させるために自分が作成した「残留解除・
帰国命令」が逆に「帰国できたのに、しなかった者が悪いのだ」という
形で利用されていることを知り、怒りにふるえていました。
現地の兵士達に選択の自由などないことは、軍に身を置いた父には
明らかなのでした。
こうして父は残留兵士の方々に協力し、厚生省にもかけ合ったりして
いましたが、全国各地の残留兵士の声を一つに集めるだけでも時間が
かかり、ようやくまとまるのは平成に入ってからで、すでに敗戦後40
年以上が過ぎていました。
福島中央テレビが父のところに取材に来られたのは平成3年頃です。
その後相楽さんが亡くなられ、父も平成8年に脳梗塞で倒れ、残留兵
の方々との交流もとだえておりました。今回、わずかの生存者の方々が
提起された「恩給不支給処分取消」を求める訴訟も敗訴し、話を聞き
つけた池谷監督が奥村さんを主人公に残留兵士の無念を映画に残そうと
がんばって下さいました。
奥村さんが父に会いたいと言われているので、映画の1シーンに
させてほしい旨申し出がありましたとき、私は
「父の今の姿は誰にも見せたくないので、お見舞いも親族以外お断り
しています」と答えました。
でも「何故 父はこんな姿で死にきれずベッドに身を横たえているの
だろう」と苦しい思いでいた私は、「もしかしたら、山西残留兵士の
ことが心残りで、何らかのお役に立つために命をながらえているのかも
しれない」と考え、協力させて頂くことに決めたのです。
父が本当に奥村さんを理解できて泣いたとは思いませんが、何か
叫んでいることは事実でしょう。
父の病院の院長先生は、「まだ科学では解明できないこともたくさん
ありますから、もしかすると理解できたのかもしれませんね」と言って
下さいました。
(長いお手紙ですので、改行させていただきました。色字も)
以上でお手紙は終わりですが、ぜひ、多くの方に事実を知っていただき
たいと思います。お名前は分っているのですが、全国の会の方に聞いて
公表OKだったら、それからお名前を紹介したいと思います。
これを打つ前に、もしかしたら、どなたかが紹介してあるかな、と
検索してみました。わかりませんでした。が、宮崎さんのお名前が
「タカマサのきまぐれ時評」というのにでてきました。よろしければ、
そちらも参考にしてください。