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 ホタルのこと
  みちこさんは、家に着くなり娘さんにホタルのことを。
  外に出てホタルを見た娘さんも言ったそうです。
  「こんなのは今まで見たことがない。どうしてやろうかね」
  みちこさんが言っていました。「今年はホタルが多いいそうよ」
  ホタルにも、果物のように、当たり年、というのがあるのかしら。

 あゆみ保育園のお父さん・お母さんに出会う(26日から行っていますが)
  久しぶりの元職場には若い看護師さんがいっぱい。
  今日は三人の元保護者に出会う。そのうちの一人、ゆみちゃんのお母さんとは少しおしゃべりをした。息子の俊と同い年。結婚したそうだ。うちのこどもたちは、いつになることやら。してほしいような気もするし、してほしくないような気もするし。
  (ゆみちゃんのお母さん、夜勤明けなのに、つきあってくれて、ありがとう。体に気をつけてね)

 議会直前です
  一般質問の〆切が明日の午前中だというのに、夕べは、日記を開いてチェックしただけで、ダウン。
  家族は、私がパソコンに夢中でくたびれている、と、思っているのよねー。今は、ほどほどにしているのにね。
  あまりにもいろいろがありすぎて、孫悟空にでもなりたい気分。
  フッと、髪の毛を吹いてみたいわね。

  毎晩チェックはするつもりです。
  お便り・一般質問へのご意見、お待ちしています。
 
  介護保険の減免    30人学級
  運動場(校庭)の改善   保育所のこと をとりあげます。

 私の姪っ子たちへ
  ばあちゃんが入院したバイ。検査をして原因をはっきりするって、
  若い先生と話し合って決めたとよ。
  そんときは、お願いします、って言いよったばあちゃんが、今日は、「心配なってきた。このまま帰ろうか」って言うとよ。
  家に帰っても、夜中に心臓が止まっとっちゃないやろか、と、いっつも心配させられるほうもたまりません。じいちゃんばあちゃんそろって長生きしてほしいと思うとうとよ。  
  (脈がものすごくはよなったり、おそーくなったり。その原因を)                              

ちょっとした出来事 日記



 朝、ヤエ子さんは、また、眠りの中。
 しばらく待ってみる。ずいぶん待ったのち、やっと茶ゼリーが終わった。朝食はこれまで、と、顔もきれいに、はみがきも。
 いざ、帰ろうとすると、目をパッチリ開けて、私をみる。
 「ご飯、食べる?」うなずくヤエ子さん。
 結局全部食べてしまい、10時半を過ぎてしまった。
 それから自分の用事を済ませ、昼ごはんも食べて、今度は、母の病院へ。
 「まっとったちゃが」と、そして「あんたの顔をこげー見たいと思ったことはないばい」と言う。そう言いながら、「明日の先生の説明は、お父さんも一緒のほうが ようなかね。手術、とかいうたとき、お父さんがおったほうがよかろうも」とも言う。
 看護師さんは、「娘さん(ムスメサン、だって。こんな言われ方久しぶり)だけでいいですよ」と。
 私、「お父さんは、きついきいいよ。誰も82歳に、保証人になれ、とか言わんよ」と、母に。言いながら気がついた。もう、82なんやねーと。

 家に帰り、母からの頼まれ物を探す。
 それを持ったまま、今度はヤエ子さんのところへ。
 めずらしー、ご飯食べおわっとった。

日々のつれづれ 日記



 なぜ“自民党新憲法草案”なのか。
 改正や改悪(とは、絶対に言わない、とは思うが)案と、なぜ言わないのか。
 小森さんの話は、なるほどなるほど、と、今までもやもやしていたものが、すっきりした。ひとつひとつ知っていることが、線になって結びついていく。

 街頭宣伝のとき、未来に希望が持てる日本共産党の綱領をわかりやすく、と心掛ける。
 でも、心掛ける、というだけであって、わかりやすくなっているわけではない。小森さんの話を聞くと、「ああ、そうか。ああいうふうに話せばいいのか。そういう歴史の中で今があるのか。やっぱ、勉強せなだめやなー」と、思った。
 それと、ものの見方、というか考え方、ボーっとニュースをみるのではなく、その裏に隠された物をきちんと見る、それが必要だし、大事やなーと思った。

 日本国憲法第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。・・略
 私も不断の努力を心掛けよう、今日から。

 みちこさんを送っていった。
 「ホタルやが。あっ、ほら、そこそこ」と、十数年ぶりの乱舞(よりは、ちょっぴり少なめ)に、私は、思わず声をあげた。
 久しぶりのホタルは、こどもの時に見たものより、数倍大きく見えた。いっつも通っている農道なのに、今年は、なして、こげー多いっちゃろうか。不思議でたまらん。

 今日は、小学校の運動会。地域と共同で、ということで、今年は、わがまちづくりのメンバーも一緒になって取り組んだ。もちろん私も。
 まだ、種目は、三つだが、こどもからお年寄りまで参加。
 知らない人どうしが少し近づき、知り合いがより親しくなった。 

今日の出来事 日記



宮地岳線の存続を

 案内状をいただき、宮地岳線の存続を求める会の集まりに参加。
 
 宮地岳線といえば思い出す。
 父が福岡の労金に勤務するようになり、隣にお嫁さんにきたTさんの世話で、岡垣村から福間の南町に越してきた。
 父は、毎日、宮地岳線で通った。私は、時々ついていき、父の仕事が終わるまで、同僚の息子さんに連れられて、朝日会館で映画を観たり、岩田屋の屋上で遊んだりした。
 時には、万町にあったの事務所まで、忘れ物を届けたこともあった。往復で25円の切符。2枚ではなく、点線から半分もぎられていた記憶がある。

 友人は、西郷川に架かっている鉄橋の上から川に飛び込んだ。
 今から思えば、男の子たちの勇気の試しあいだったのだろうか。
 朝礼で注意されても、また飛び込む。
 私は飛び込む勇気がなかったので、浮き輪を着けて,ジワーッと足から川に入った。河口付近になると,ズズーッと足を捕られた。大水で川底がえぐられたところにはまったのである。生きた心地がしなかった、というのは、こういうことをいうのだろう。
 浮き輪があったから助かったのだ。父母にはとても言えなかった。
 そのあと、同じところで、こどもが溺れ死んだ。

 いろいろな思い出がある宮地岳線。地球環境のためにも、浜の人たちのためにも、そして、いつかゆっくり旅をしたい、と願う私のためにも
残さなければ、と、思う。
 
 政府の規制緩和で、届けるだけで廃止できるようになった公共交通機関。儲からないから、と廃止するのは公共交通機関の役目を果たしていないのではないか。「官から民へ」と、公を投げ捨ててしまう小泉首相のもとでは、これがあたりまえのことか。
 少し前のニュースでは、新規では58年ぶりという富山の市電のことが報道されていたというのに。

 いい加減に、もう、変えないと、とんでもないことになりそう。
 この地球も、私たちの暮らしも。


西郷川  私がおぼれて浮き輪に助けられた河口


西郷川02  友人が飛び降りた鉄橋



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 メディアの講座のこと。
 かっこよくきれいに写っている イ・ヨンエさんのこと。
             (28日付の日曜版
 母がちょっと早めに入院したこと。
   久しぶりの元職場・国立福岡東病院(今長ーい名前に)
 ヤエ子さんが、久しぶりに、私に甘えたこと。
   「行ってきます。夕方寄るきね」というと
   「はよ、こなばい」と、泣きそうな声。
    バカ!と言われるよりは、はるかに気持ちがいいが、
    ちょっぴり後ろ髪を引かれる思い。
 母のねまきを買うついでに、ヤエ子さんのかわいいねまきを
    みつけ、買ったこと。
 母のアッシーで、父もふらふらになったこと。

 今日から数日間、ピンチヒッターで日刊紙を配ります。
 今日は、一個目の目覚ましを止め、二個目の携帯で目が覚めました。
 だから、もう寝ます。


 初対面の人と今の政治のことで話が合った。
 どこかで、父の解説付き綱領をみられたらしく、「82歳なのに、すごいですねー」と、言われた。娘としては自分のことのようにうれしくもあるが、「私はあげー書ききらんネー」と、今までの勉強不足を反省!(ホントウ?)
 「あれを読んで、日曜版ぐらいは、とらなねーと、思っていました」
と、言われる。そのあとすぐに、「でも共産党というのがねー」と。
 私はすかさず、「これを読んでみてください」と今日の日刊紙の『潮流』のところを。タイミングよく読んでいて、あらためて納得し、日曜版の読者の方にも届くようにした。
 「日曜版を読みましょう」と返事をいただいたときは、パソコン練習の疲れも吹っ飛んだ。

2006年5月25日の日刊紙の『潮流』より
  テレビの国会中継をみていたら、なつかしい言葉がでてきました。
 「結い」(ゆい)です。▼調べてみると、二十三年前に読んだ話でした。赤旗編集局長もつとめた韮澤忠雄さんが、小冊子『反共宣伝と共産党への疑問に答える』に、高知県香北町(いま香美市)で交わされた対話を紹介しています。                      ▼党の地区委員が、町の長老に、日本共産党後援会への入会をすすめました。長老は断ります。「日本共産党の五字が気にくわん」と。
 地区委員「でも、おじさんは日本人でしょう。日本はいいでしょう」。長老「うん、日本はいいが・・・」
▼やっぱり「共産の二字がいかん」。地区委員「じゃ、・・・結い(農繁期に農作業を助け合うなどの共同体のしきたり)をどう思いますか?共産とは、かんたんにいえば結いのことです」。長老「そうか、それなら分かった」
▼テレビ中継された教育基本法「改正」案をめぐる討論で、小坂文科相が“結いはどこへ”と嘆きました。「個人の価値」を尊ぶ教育基本法のせいで共同の精神がなくなった、といいたいようです。しかし、農産物の輸入自由化などで共同体をこわしてきたのは、文科相らの党でしょう。
▼質問した自民議員も、基本法には個人と人類の間がぬけている、といいます。「国」や「公共」のことです。しかし、「平和的な国家及び社会の形成者として」の「国民の育成」をめざす基本法のどこが、「国」を軽んじているでしょう。「平和的な国家の形成者」。わが日本共産党も、その一員と自覚しています。
   


 今日は、県下いろいろな自治体の話を聞いた。
もちろん、の議員から。
 福岡市議の倉ちゃん(こどもたちの子ども劇場の先輩でよく知っているので、倉ちゃんしかいいようがない)からは、オリンピック反対署名のこと。
 県議の高瀬さんからは、今までできなかった市町村独自での常勤講師の雇用が、できるようになったこと(4月1日からできたのに、国の怠慢でやっと県におりてきた)、学力テスト、ダム、農業問題・・・・。

 書きたいこといっぱいあるけど今日はここまで。


   倉ちゃん  会議で発言する倉ちゃん


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 昨日の朝、婦長さんから、「お話がありますので、夕方みえたときに声をかけていただけないでしょうか」と、言われていたのに、忘れて遅く行った。
 今日は早めに行き、食事を先にやりだした。ここ3日、私が行ったときは、ヤエ子さんは眠りっぱなしだったので、「オッ、お母さん、起きとーやないね」と、食べさせ始めると、人並みの時間で食べ終わった。
 
 私が立つより早く、婦長さんがスッと横にこられた。手に持たれている書類に 
 『療養病床の再編成にともなう病棟の移動等についてのお知らせ』という字がみえる。
 『来たか!』と思った。

 介護保険制度の改悪で、療養型の病床をなくし、在宅か老人保健施設・有料老人ホームなどに振り分けてしまう、というものである。
 病院からもらった資料を見れば、

 医療保険適用    を  医療保険適用  15万床
   25万床        
 介護保険適用       老人保健施設  23万床 
   13万床         有料老人ホーム
                 ケアハウス
                 在宅等

 に、6年後までには、してしまう、というものだ。
 在宅でみなさい。施設を利用するなら高いお金がいる有料老人ホームにしなさい、というわけだ。
 ある家族が、すぐ転院しなければいけないのかと勘違いし、他の施設をたずねて、月に25万円もかかる、と言われ、自殺しかない、と、病院に相談されたそうだ。
 何とかしなければ、政治を変えなければ、と、怒りが。


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 朝、7時から8時まで、JR福間駅前で、『教育基本法の改悪を
やめさせよう』のビラを配る。
 高校生が何人も受け取ってくれたり、ご苦労さんの声に励まされる。
 いつものなじみの、作業車からの大きな声でのあいさつに、ウーン、
やっぱり、朝立ちは気持ちがいいなあ、と一人で納得。
 
 車がいっぱい!
 
 それにしても、送ってくる車が増えているのにビックリ!
 東側からの通路を造っていれば、こんなには混まなかったのに。
 「自由通路だけでも早く造る」とか言っていたのに、駅東の区画整理
が、中止から再開になると、それにあわせて、駅舎や自由通路の建設、
となった。
 
 田んぼをつぶしての区画整理、これには言いたいことがいっぱい。
 今までにもいろいろ言ってきた。言ってきたことは後日書くことに
するが、今日の赤旗には、日本の穀物自給率が28%になっていること、
日本が金に飽かして食料を買いあされば、アジアの人たちが困ること
などの記事があった。
 
 そういえば、区画整理事業の認可は、国連が決めた『国際コメ年』の年やった。
 飢餓人口8億、これを減らそうと計画したが、何年経っても減らない。で、国連は、『国際コメ年』を決めた。
 コメは栄養学的にみても、麦などより優れている、というので、コメ
をつくろう、となったと思う。が、日本政府は、コメの減反は続けるし、
この年、福間の駅東の水田を埋め立てる区画整理事業を許可した。

 県の宣伝カーで、福津を回った後、引継ぎの宗像市まで案内。
 事務所の前の大きな田んぼが、広い駐車場になっていた。
 自分の一部がそぎ落とされるような気持ちになる。
 
 小泉さんがいつか国会で言っていたなあ。
 「・・日本は、車などを輸出せないかんでしょうが・・」
 そのために農産物を輸入するのか、百姓が守ってきた、狭い耕地・
山間地、田畑、壊してまでも。
 人間、車では生きてはいけないが、コメだと生きていけるよねー。
 どこかおかしい人が多いいよね、政治の世界の人は。
 オット、政治の世界の人だけではなかったな。



小森陽一講演会

5月28日(日)福津市で小森陽一さんの講演会があります 詳細はコチラ

 教育基本法改悪が国会に提出された。
 「国を愛する態度」などを押し付け、国策に従う人づくりの教育へ、全面的につくりかえようとしている。
 ほとんどの自治体が政府の方針に従い、戦時体制にいつでも入れるように条例を作った。
 定率減税の廃止・さまざまな控除の廃止・介護保険や医療の改悪、そして消費税の増税。
 戦費調達は着々とすすめられている。
 アメリカと約束した3兆円は見通しがついた。
 あとは、憲法9条をなくして、自衛隊がアメリカと一緒に人殺しができるようにすること。

 私は、息子や娘に人殺しをしてほしくない。
 人殺しになってほしくない。
 人殺しをさせるために、生んだのではない。
 
 9条は何が何でも守りたい。みんなが、憲法で保証された、健康で文化的な生活ができるよう力を合わせたい。

 小森講演会、ご一緒にききませんか。
 9条の会の講演会で一度ききましたが、はっきりしていて、わかりやすく、ぜひ多くの方に、と、思っています。
 また、小森さんは、教育基本法の専門家でもあります。
 ぜひ、ご一緒にききましょう。


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 9条の会を応援する有志のブログ:「九条の会」メールマガジン第3号
 Keep9~9条守ろう!ブロガーズ・リンク


 毎日睡眠時間が少なく、昨日不覚にも、ちょっとのつもりが2時間も
寝てしまったので、今日こそは早く寝ようと、朝早起きして日記を
書いたのに、やっぱり書かな寝られんごとなってしまった。

 委員会のまとめに
    ―公共駐車場(有料化を含む)に加えて―
    ―駐輪場については、・・・・有料化も含めた維持管理体制―
 有料化 ということばがでてきたので意見を言った。

 「駐車場はすでに有料でしょうが。駐輪場については、今無料を、
何で議会が、『有料化も含めた維持管理体制の強化を』という必要が
あるのですか。市民の立場に立っていうべきではないですか」と。

 委員長は、「議長に出すだけだから」と言い、ある議員は、「個人的
にはいい」と言った。
 このことに関しては他に意見は出ず、押し切られた形、というより、
無視された、と言ったほうが正しいかもしれない。
 
 私の言いいようことは、おかしいことやろか。
 執行部が、「どうしても有料化でないとやれません。議会の議決を」
といってきたときに検討すればいいことであって、議会のほうから、
市民から選ばれた議員のほうから、「有料化を」とは、絶対に言い出す
ことではない、と思う。

 委員会では、駅東土地区画整理事業区域内の用途地域指定について、
説明を受けた。
 今日から、6ブロックに分けて、住民説明会をするという。
 いよいよ田んぼがなくなる。自然がなくなる。
 竹尾緑地に、都市再生機構がつくったビオトープ、とやらも映像で
みせてもらった。
 自然環境を守る、というのとは違うッちゃがねー、と、思った。

 この件に関しては言いたいことが山ほどあるが、娘が「カッカしとう
時は、あくる日に書いたほうがいいよ」というので、もう寝る。



 医療改悪、委員会強行採決。
 共謀罪。教育基本法改悪。憲法改悪。
 これから改悪が、そしてあらたな悪法が決められようとしている。
 これまでにもどれだけ国民いじめの悪法を強行採決されたことか。
 一人でも多くの人に「しんぶん赤旗」を、と、それも一日も早く、と、あらためて思う。

 先日、父は、日本共産党の綱領に自分なりの解説を加えて、マンションに配った。そのあと、「しんぶん赤旗」をお読みくださいませんか、という手紙を配った。それに私も短い文章を書いた。
 今日の日記には、その私の文章と、父の遺言めいた文章を書くことにした。


 私の人生と「しんぶん赤旗」
               日本共産党福津市議  松尾ひとみ
 こども時代は、クイズに夢中になりました。
 23歳で無認可保育所の責任者となってしまった私は、お母さんたちへ少しでも良いアドバイスをと、必死で「赤旗」から探しました。
 それが五人の子育てにも役立ち、中学校からの呼び出しには、教育の特集記事を読み直して走ったこともありました。
 議員の仕事をしている今、「しんぶん赤旗」は、いよいよ手放せないものになっています。
 介護保険ひとつとっても、実施前から問題点を執行部に示し、減免制度などを要求してきました。「国が・・」と責任逃れする執行部に、日本共産党の追及による最新の政府答弁・先進事例などを紹介し、、迫りました。
 今では、介護保険料などが高齢者にとって大変な負担であることを、市長も認めざるをえないところまできています。

 あとは、どうやって運動を広げるかだと思います。一人ひとりの力を合わせれば政治は変えることができます。この確信を、私だけでなく多くの人に、「しんぶん赤旗」によって広げたい、そう決意しています。
 読めば世の中の仕組みがわかり、日本や世界の胸躍るニュースで元気がでる「しんぶん赤旗」、ぜひお読みになりませんか。


 死亡記事
                       吉田鹿雄
 私は82才。二月生まれですから今年いっぱいは 82才の人生を歩むことになります。(命があれば、の話ですが)
 日本共産党にはいって六〇年目です。「しんぶん赤旗」とのつきあいもかなり永くなってきました。「赤旗」の読み方もいろいろ変わりました。
 若い頃は、毎日(週刊・三日刊の時もありましたが)ザーッと目をとおすと数か月分ためこんで、世界情勢・国内政治情勢・労働運動などなど、部門別に整理して頭に叩き込んだりしたこともありました。
 今は、「赤旗」は、後ろから読みます。
 そこには日本共産党員の死亡記事があります。
 「赤旗」は、党員が死んだとき、遺族の了承を得て死亡記事をのせます。―こんな政党と新聞はない、とあるジャーナリストが感動の手記を「赤旗」に寄せたこともありますが―私は、その記事を一つ一つよみます。

―80才で1950年入党、その頃の日本と党の活動が思い出され、その人の青年時代からが追想されます。
―80才で2000年入党、というような人もいます。70才すぎて日本共産党
に入党、この人は、どんな人生を歩んで共産党にたどりついたのだろうか、などなど考えます。

 ともすれば毎日、その日その日に追われ、自分自身のことのみに追われる、そういうなかで、人びとの人生を考える時間つくってくれる、死亡記事 です。(原文は縦書きです。漢数字を一部算用数字にしました)


 署名用紙を抱えて東京へ。

ふたたび戦争と暗黒政治を許さないために治安維持法犠牲者に
 国家賠償法の制定を求める請願

 請願項目
1 国は、治安維持法が人道に反する悪法であったことを認めること
2 国は、治安維持法犠牲者に謝罪し、賠償を行うこと


      請願の趣旨

戦前の天皇制政治のもとで主権在民をとなえ、侵略戦争に反対したために、治安維持法で弾圧を受け、多くの国民が犠牲になりました。
 治安維持法が制定された1925年から1945年に廃止されるまでの20年間に、逮捕者数十万人、送検された人75,681人、虐殺された人80人以上、拷問・虐待などでの獄死1,617人、実刑5,162人にのぼっています。
 戦後、日本がポツダム宣言を受諾したことにより、治安維持法は人道に反する悪法として廃止されましたが、この法律によって処罰された人々に対して、政府は、謝罪も賠償もしていません。
 日本弁護士連合会・人権擁護大会(1993年10月)は、「治安維持法犠牲者は日本の軍国主義に抵抗し、戦争に反対したものとして・・・その行為は高く評価されなければならない」と指摘、国の謝罪と補償を求めています。
 私たちは「ふたたび戦争と暗黒政治を許さぬ」ために、国が治安維持法犠牲者に謝罪、賠償することを要請します。


 韓国では、治安維持法による逮捕・投獄者に、民族独立運動に貢献した愛国者として大統領が表彰、懲役1年以上の犠牲者に年金を支給。
本人が8.15以前に死亡した場合は、子供、孫に年金を支給。

 アメリカは、第二次世界大戦中強制収用した日系市民約6万人に、一人2万ドルを支払い、謝罪。
                (諸外国の戦後賠償の例より)



 空港・地下鉄出口・議員会館の物々しい警備に、まだ体験したことがない緊張感が体を走る。
 議員会館前の歩道では、現代版治安維持法といわれる『共謀罪』法案に反対して座り込みをしている人たちもいた。
 
 国会中であり、議員に直接手渡す、ということはできなかったが、受け持ちの衆議院第二議員会館、九州沖縄選出のすべての議員の部屋を訪問した。

 初めての参加、すべての議員をまわるもの、と。やっと2階まで終わりホットするまもなく、もれていた6階の一人に。
 いっしょに参加した人の「今年のごと、みんなのところに行ったとは、初めてばい。今までは、知った議員さんのところに行って、お願いしよったと。それが毎年、減らんで増えればよかねー、て考えよったとよ」のことばに、エーッと思いながらも、一人も残さなかったことで疲れもどこかへ。                  34人訪問、内1人留守。

 



さみしくなります。

じいちゃんの物言いによく似たHさんが亡くなった。
 昨夜が通夜で今日が告別式。
 まじめな顔から、おもしろいことばがでるHさん。
 Hさんの息子さん夫婦に用事があっておうちに行くのだが
本人にはなかなか会えずHさんと話すときのほうが多かった。
 
 通夜の席で、初めてHさんの若いときのことを知った。
 支那事変(日中戦争)で4年間兵隊に。
 帰ってきてからは、役場の兵事係を。
 自分は生きて帰ってきたけれど、仕事とはいえ、村の人たちに、召集令状を配るというのは、許せないことだったみたいだ。
 終戦になると、すぐ役場を辞めたという。
 息子さんが話のわかる年齢になってから、話されたという。
 あのとき、戦死していれば、5人の子供ではなく、お前一人やったろうね、という言葉も添えて。

 字も上手、歌もよむ。さまざまな役職に歩こう会。
 旅行には必ず二人で。 
 私が行けば「野菜もっていかんね」と、ご夫婦で。
 Hさんのことが気にかかったのだろう。おばちゃんは一足早く、あっというまに亡くなった。49日が過ぎたばかりである。

 出棺時のあいさつは、Hさんの遺言でお孫さんがされた。
 「90歳、大往生万歳!」と、万歳三唱。
 さすがHさんらしい、と感心したり、涙が出たり。
 もっと話を聞いておけばよかった、と少し悔いが残る。
 
 Hさんからもらった 明日葉 。私が何にも手入れしないので、増えはしないが、無くなりもしない。今年もちゃんと芽がでるだろうか。

 Hさん、ひとみさん、と親しくこの地域は呼び合う。同じ苗字の家が多いので、名前でないと誰が誰やらわからないからである。
 結婚して津丸に来た。38年が過ぎた。
 「ひとみさん」と、やさしく呼びかけてくれた人たちが亡くなるのは寂しい。ふっと気がつけば、いつのまにか「ひとみおばちゃん」と呼ばれることのほうが多くなっていた。これもまた寂しい。

 



疲れた! 昨日の続き

博多に行ったことを書くだけで何日かかるっちゃろうか。
 ウーンッ、早く上達したい。

 総会が終わり、地下鉄でまた天神へ。
 今度は、まえもって確かめていた岩田屋新館5階へまっすぐ。
 ずっと前に来たときよりグッとシャレたコーナーになっていました。
 靴下、あるにはありましたが、あのフワフワッとした、ほっぺにキュッと押しつけたくなるようなのは、ありませんでした。
 
 それにしても高いっちゃネー。
 靴下一足1400円もするなんて。  

 今度は三越へ。ボサーッと歩き、エスカレーターを乗り継ぐ。
 何気なく、まさに何気なく横を見ると、ガラス越しに靴下がいっぱい。下に着くとすぐ上りに。
 こげーたくさんあるったい、と感心しながら見てまわった。
 こーんなにたくさんあって、それもみーんな高い(私の靴下の10倍以上)。
 岩田屋で高い値段を見ているので、デパートってこんなものか、と、あきらめに近い納得をする。
 まったく同じ、というのが無かったので、似たようなのを2足買った。
 
 それから、三越の介護コーナーへ。
 ところがコーナーは無く、下着がそれぞれ婦人用男性用のところにある、というのがわかった。靴下が目的であるから、それ以上動かなかった。というより動けなかった。もう、きつかった。
 上妻整形外科で、「今日中は、はがさないでくださいね」と言われた注射の痕(あと)に貼ってあったものがいつのまにか落ち、それの代わりにと、カットバンを求めてウロウロしたのもこたえていたのだろう。

 バスセンターへ行く途中、傘が無いのに気がついた。
 父と二人で叔父の見舞いに行ったときに買った450円の傘である。
 元は取り返したとは思うが、ヒトミ、と少しだけ大きな字で書いている。誰もささないだろう。
 傘を求めて、今まで行ったところに「ピンクの傘、忘れていませんでしたでしょうか」とたずねて回った。
 どこにも無い。まーだ落し物のところには来てないよねー、と思ったが、たずねたずねて遺失物係へ。

 すごい! あったっちゃが。さすが、と、感心。
 「どこで」など聞かれ、自分の物かどうか確かめさせられた。(もちろん確かな証拠があるので堂々と、三越でピンクの傘を開いた)
 住所・氏名を記入し、傘は無事手元に。

 議員になってすぐの自治会館(福岡市)に新品のピンクの傘を忘れたときは、いろいろ調べてもらったのにでてこなかった。
 それ以来、できるだけ名前を書くようにしている。
 その、名前が書かれている傘も無くなったことがある。
 朝、駅で宣伝をしているとき、自動車学校の生徒がたくさんいて、バス2台が出て行くと、傘がない。
 同じような(どれも似たりよったりやもんねー・コンビニの傘)のが残っとったけど持って帰るわけにはいかんもんねー。
 でも、今、思い出してもおかしくなるけど、広げた人はビックリしたやろねー。
 一字が10センチ以上やもんねー。 ヒ・ト・ミ が。

 それやこれやで、日記をちょっとだけ打つと、腰が、となって横に。
 そして朝のヒンヤリで目が覚めた、というわけである。

 だらだらでなく、もうちょっとピシッと書けるようにならんといかんねー。

 それでも今日は、うれしかったー。日記を見た人が返信をくれたし、四女からは、「『かもめ食堂』みたばい。片桐はいり、いーねー。『食品の裏側』も読んだよ」とメールがあったり。
                     もう寝ろっと。


失敗失敗、昨日の続き

 寒っ、と目が覚めた。
 腰でものばそうか、で朝まで寝てしまったちゃが、どげしょうか。
 パソコンをのぞくと区切りがいい。しょうがない、ここで終わろう。

 朝の4時、携帯の目覚ましより早く起きてしまい、それから新聞配りに。
 小学校のときの日記風でいくと、
   お月様がまん丸です。
   とってもおいしそうな、玉子の黄身みたい。
   新聞配りが 終わりました。
   家のほうに向かって車は走っていました。
   「あっ、お月様が今度はアメ玉みたいに赤くなってる!」
   何秒かして気がつきました。山のすぐ上にあるのは太陽だと。
 
 月は東に、日は西に、というのがありますが、まさにその逆。
 クイズに、このときの、月の形は?というのがありましたが、逆ではありますが、理屈ではなく、自分の目で確かめることができました。


 ヤエ子さんのところにいくと、他の人にも目がいく。
 このまえから目をつけていた靴下がある。
 やわらかそうで、足首も締め付けないで、しかもみためは自然素材。
 思わずほっぺにくっつけてその感触を確かめたくなる。

 ヤエ子さんにもはかせたい!と、家で口にも出してみた。
 「そげー言うなら介護の店に買いに行けばいいったい」と、夫。
 「その行く暇がなかなかないったい」と、心の中で返事する私。

 今日は朝から雨。これじゃあ街頭宣伝もしろしかろうし、と、あきらめて? 福岡市のほうの用事をすることにした。
 もともと自治体問題研究所の総会と講演の予定があり、聞きたいテーマだったので手帳には書いていた。
 ところが次々用事は増えるし、パソコンはせないかんし、で博多には行かんつもりやった。
 「岩田屋やら大きいところは、介護の専門があろうも」という夫の一言で、心が決まった。
 先日から相談を受けていたお宅にも伺い、上妻外科にも行き、バスで天神へ。
 
 総会が始まる前に靴下を、と早速岩田屋へ。
 岩田屋本館に入ると「北海道・かぼちゃのロールケーキ」という文字が、私を7階催し場へと案内する。
 7階に着いたらギョッとした。
 ロールケーキは20分待ち。人はいっぱいで、歩きもされん。
 チラチラ見ながら昼の弁当を物色した。
 たかーい、こりゃ買われんばい、と、やっと人ごみを抜け、地下の食品売り場へ。一桁違いの弁当を買って、地下鉄で藤崎へ。


ヤエ子さんと   
   夫の母(ヤエ子さん)の食事時間、
   行けるときは顔を出し、
   食べ物を口に入れるのを手伝う。

   ぐっすり眠っているときは、持っていった新聞を読む。
   日曜版を開き、パッと最終ページを見ると


   ひと インタビュー
       映画「かもめ食堂」がヒット
           女優  片桐はいりさん 

が目に飛び込んできた。
 エーっこの人しっとうや、とつい最後まで読んでしまった。

 所は、フィンランド、人々の何気ないやり取り、港町の風景、日常が描かれる。
 「フィンランドの人々の、のんびり感が新鮮でした」
 撮影現場でも、8時間労働がきっちり守られ、
 「フィンランドにフリーターという人種は存在しないよ」と言う現地スタッフ。うーん、いいなー。
 
 この映画も、現地スタッフとの交流をつづった、片桐はいりさんの本『わたしのマトカ』も
私の お気に入り に登録された。

 芸能・テレビ欄を開くと

     「グッドナイト&グッドラック」公開に寄せて
       ”赤狩り”告発する力作
        送りだすハリウッド

 が、目にとびこんできた。これ、まえから観たかったっちゃがねー、と思った。文を読んで映画を観たつもり、とは、ならんねー、やっぱり。いつか観たいねー。
 ヤエ子さんが起きんき、あきらめて病院をあとにした。           
 昼食時、日刊紙を広げた。
     ”赤狩り”と対決したキャスターの勇気  と、またまた大きな字。

 日刊紙の一面は、大きく

教基法改悪 今国会強行は言語道断

  と、あるのに、なぜか今日は映画の解説が目に飛んでくる。
 しょうがない。今は お気に入り に入れとって、ビデオが出たころ
お気に入り をクリックすることにしようかね。

 お気に入りは、たまるばっかりやねー。 


少々疲れました。方言丸出しでしゃべり、方言で考える私が、公開するからと、日記に書くときは、日本共産党・政党カーのアナウンサーに頭を切り替えていましたので。翻訳?して書くというのは疲れるものです。これからは、よっぽどのことが無い限り、頭の切り替えはせんどこっと。


 子どもの育ちとメディア・山田真理子講演会に参加。

 すべての哺乳動物は、母乳を一気飲み。身を守るすべが無い。
哺乳動物は、ぱっと飲んでさっさと身を隠さなければならない。
 ところが、人間の赤ちゃんは 休み休み飲む。
 霊長類を研究している先生が、結婚し、わが子を見て、違いに気づき研究を始めた。
 世界中の学者にも協力してもらい、休み休み飲むのは人間だけ、というのを突き止めた。人種にも、住んでいるところにも関係なく、人の子は、みーんな休み休みなのである。
 飲みやめてお母さんと目をあわせる、やさしいお母さんの目を見る・声を聞く・やさしいしぐさに触れる、そこで安心し、気持ちも落ち着く。人と人のかかわりかたを学んでいく。人間として成長していくのである。
 ところが、おっぱいをあげながらテレビを見ているお母さんが8割!
 これでは、赤ちゃんとのコミュニケーションが育つはずがない。

 テレビ・ビデオ・ゲームが、幼児期にどんな影響を及ぼすのか、思春期にどのように表れてくるのか、笑いあり!の講演なのに背筋がゾッとしてきた。
 
 まだ保母だったころ、20年以上も前だが、『テレビに子守をさせないで』という本があった。保育園では、テレビが子どもたちの発達に影響を及ぼす、というのはわかっていたのだが、今は、それが科学的に解明されたのである。
 
 わかった以上、知らせていかなければならない。
 そう思って議会でもとりあげたことがあるが、実際に話を聞いていない人にわかってもらう難しさを実感しただけだった。
 同じころ、私と同じ思いの、それ以上かもしれない人たちの手で、ふくとぴあなどに、注意を促す記事が貼られるようになった。
 小児科の壁にもあった。うれしかった。

 わが子の授乳は、母親(私)が よその子にミルクを飲ませるので、たびたびほったらかしにされた。自分の職場では、どうしてもわが子は後回しになる。ベッドに寝たまま、タオルなどで哺乳瓶を斜めにしての授乳である。ゲップだけは出すが、目と目を合わせるなどというのは、まれにしかとれない。これではかわいそう!と、わが子は町立保育所にお願いした。

 今日の話をすべての人に知ってもらいたい。
 まもなく発行予定の『抱っこしてもいいの?』が待ち遠しい。
 かなえられるなら、もう一度最初から子育てをしてみたい。

山田真理子さんは、現在、九州大谷短期大学幼児教育学科の教授です。


コーヒーには牛乳

 おっ、私と同じだ。

 5月10日付、九州・沖縄のページ 水曜随想・添加物なしの時代へ

 衆院比例候補 田村貴昭さんの朝一番のコーヒーの飲み方、ミルクを入れるのが私の好み。ホテルで牛乳があれば残しておいて使う。というくだりである。小容器に入ったコーヒーフレッシュでは物足りなさを感じて牛乳を、というわけである。
 私は、コーヒーを好んで飲む、という習慣は無い、が、食後に飲むと新陳代謝が盛んになっていい、というので、バイキング形式のホテルでは、普段飲まない牛乳を飲み、少しでも痩せようとコーヒーまで飲む。
 そのコーヒーの飲み方が同じなのである。それで、おっ、と声が出、一人で笑ってしまった。
 コーヒーに関しては好みに大きな違いがあるみたいだが、そのほかの記事は、うん・うん、そうよ、と心の中で大きくうなずきながら一気に読んでしまった。
 コーヒーフレッシュは、サラダ油と水を乳化剤で混合し、カラメル色素でクリーム色に仕上げる、というのをこの記事で知った。
 そして、記事中の『食品の裏側』(安部司・著)を読みたくなった。 読まなければいけないな、とも思う。
 
 田村さんの言葉、ウソとごまかしが蔓延(まんえん)する社会-「食」も政治も本物が求められる、の、本物を見極めるためにも。

田村さんと  田村さんと一緒に


朝の続きです。

 書きたいこと、言いたいこと、それはたくさんありますが、大きくまとめると、この地球で、みんなが人としてあたりまえに暮らしていける、ずうーっと。と、いうことです。
 地球環境、暮らし、平和、こどもたち、介護、などなど数え上げれば限がありませんが、言いたいことを言って、皆さんに知ってもらって、また皆さんから教えてもらって、一日も早く、みーんながあたりまえの暮らしができるように、がんばりたい、そう決意しています。


日記、昨日の続き

 書くのがいやになった私が、悪戦苦闘しながらパソコンのキーを打つ、日記を他人に公開する、というのは、おかしなことかもしれません。
 
 今、私は、書かずにはおれない、黙ってはおれない、声を大きくして言いたいのです。
 なぜ、というのを、昨日の日記で書きたかったのですが、なんせ初めてのことで、あっちこっちいじくりまわしての文章作りです。
 大変な労力!と、焦りのなかで、やっとあそこまで作り、寝た、というしだいです。
 なぜ書きたいのか、というのを打ちたいのですが、とりあえずはここまで。文章が無くならないうちにやめます。
(標準語と思ってしゃべっていたら、東京の人から、違います、と言われたことがありました。公開して通じるかどうか心配です)


 インターネットデビューです。
 ホームページ上に日記を書くのももちろん初めてです。
   日記をつけるのは 小学校以来かな?

 日記といえば、小学校のときの、夏休みの絵日記、いやでしたねー。
 絵は下手だし、書きたくなるような家族の行事もなかったし、で、毎年8月の終わりにちょこちょこっと書いていた記憶があります。
 
 ところが、そのいやな日記を、5年6年は毎日書かされたのです。
 しかもよくできた文は、みんなの前で読み上げられるのです。
 もうこうなると日記ではなく、ただの作文になってしまいました。
 みんなが聴くとなると、本音はかけません。気持ちを書くのではなく、花が美しい、とか 昆虫のことだとか、見たものの感想を主に書くようになりました。
 
 クラス全員の日記を見て、感想を一言書いて、という先生の労力は大変なものだったと思います、が、いやいや書かされて(いやなら書かなければいいのに、宿題をしない勇気がない私でした)、書くのが苦痛になってしまった、というのが、日記の思い出です。




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