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ブログに書いているつもりでしたが、検索してもありませんので載せることに。

福岡市で行われたシンポジウムでは、老人クラブの会長さんは
わかっておられて、発言をしておられました。
「しんぶん赤旗」号外には、そこまでは載っていないので、議会報告として、
配りました。そのスキャンです。
四苦八苦しながらワードで。切り張り無し!


世帯では同じ収入なのに6倍も

 高齢者夫婦 (75歳以上)収入250万円

 夫125万円 妻125万円の場合
 後期高齢者医療保険料は、2人で3万400円

 夫250万円 妻収入ゼロの場合
 夫14万500円 妻5万900円(均等割)
 2人で19万1400円
 
同じ収入でも、夫婦の収入差が大きいほど合計保険料に差がでます。
収入はゼロでも、世帯主の収入で、軽減率が違うからです。
働き盛りの方が世帯主だと、高くなる可能性大です。
こういう時は、世帯分離をされた方がいいのではないでしょうか。
所得税の扶養家族になっておられる方は、世帯分離をしても
所得税の扶養家族には変化はありません。
 

 政治・経済



私が行ったわけじゃないとばって、家族要望に応えて日記に

 まず、福岡県社会保障推進協議会のFAXニュースを。
アドレス等は消しました。連絡したい人は言ってね


 あとは、家族が撮った写真と私が撮ったテレビ画面ね

家族のカメラで    家族のカメラで2


あちこちのテレビ局を見ました    5月27と28 009

5月27と28 012    5月27と28 013

夕方のNHKよ    「ブログに載せて」と家族が

20時45分のNHKよ


テレビ画面を見ると、来月13日は抗議集会もあるみたいやし、
不服審査請求もまだまだいいよ。郵送でも市役所でもね。
委任状があれば、代理でもいいよ。

まさに、後期高齢者医療制度に「異議あり」やね。

 政治・経済



 市役所にいったら、ほたるまつりのお知らせが

 みちこさんちの近くも、いっぱいよ、というのを聞いとったき、
 そろそろやね~と思いよったと。
 1回も行ったことがないとよ。
 津屋崎少年少女合唱団のコンサートもあるみたいやき
 行ってみたいばって、車が多かろうね~
 バイクは怖いしね~



ほたるまつりに来てください

  ほたるの里
     次の通り開催します。

期日: 5月31日(土)~6月1日(日)
     場所: ほたるの里(本木)

 内容:
(1)31日16時30分から抽選会
    (15時30分から整理券配布)、
    17時から猿まわし、マジックショー、
    津屋崎少年少女合唱団のコンサートなど

 (2)1日16時から猿まわし、バナナの叩き売り、
    マジックショーなど

  
問い合わせ: ほたるの里 TEL:0940-42-8875 
               なまずの郷 TEL:0940-42-8800

 政治・経済



感無量やね~と、私も言いたいばい

 初めて清川さんの話を聞いて、「こりゃ大変ばい!」と一般質問で。
 現市長、当時町長からは、けんもほろろの答弁を。
 そん時、一人ひとりにゆうていくしかないばい、と思うたとよ。
 職員の人や、子ども劇場のお母さんたちが、がんばりよんしゃったっちゃね。
 福津市青少年育成市民の会総会に清川さんが来んしゃあなんて。
 おじいちゃんもおばあちゃんも、おなかの大きなお母さんも、
 み~んなに聞いてほしいね~

6月22日(日)午後2時20分からです。
ぜひ!


新会長さん

 元あゆみ保育園のお母さんよ。
 いろいろおこりようみたいやけど、元気にがんばっとんしゃったばい。
 「子ども白書に志免や福津が載っているので、負けられない、と
  会員を増やして参加しました!」と。
いつものことながら花がいろいろ・芍薬新会長あいさつ


まさに壁新聞

5月21~23 015    奥は西日本新聞かな

先生へとへと・どうかせなね~


子ども白書2007・福津が載っている文章・清川輝基さん

子ども白書2007子どもとメディア

「福津」が    清川輝基/


志免は、九州初の子どもの権利条例・志免町、と吉岡直子先生が

九州初子どもの権利条例


PCの前に座る時間が少なく、やっと小沢さんの写真を

 せっかく送ってもろたきね。公開しなくっちゃ。
後援会新会長あいさつ

この日は、福岡県日本共産党後援会総会でした。
では、みたび会長になりんしゃった小沢さんのあいさつ(途切れ途切れ)

3期目。かついでもらう立場からかつぐ立場。まだ素人。
おっかなびっくり、、みなさんからのご協力、、
76歳、政府の方は早く死んでくれ、と。まだまだ、、
来るべき総選挙で大いにがんばります。
私が後継者を作りきっていない、、
かつては、赤嶺さんと私。それが二大政党制が完成した、と、、、
議席を失っている。田村さんをあげて2議席、、体の続く限り、、
それで終る(訳ではない?)、、、
これから四半世紀の内に民主連合政府、と、、
四半世紀というと25年でしょう。100まで生きるのもいいけれど
もっと前に作りたい。


小沢さんとは、よくあちこちの選挙で。
出番を待つ間も、歩きの運動を。体調管理しっかりしとんしゃあよ。
私は、見習わないかんとばって

 


3月31日から供用開始よ。期待したと

 汚水がバ~ッと流れるとが見られると。
 そしたら、テープカットよ。管理棟の入り口で、ね。
 それだけを楽しみに参加したのに
 ばって、デジカメ持って行ったき、ちょっとだけ報告しとこっと。

開式前

 なんとか外交ではないけれど       座席表がありました
名刺交換?     座席表に異議あり!と言いたいね~


 国土交通省からも              始まる前
椅子にも名前が     うちの委員長さんは、早いばい


 市長あいさつ                 深々と頭を
市長あいさつ     途中と最後に深々と

 市長「ようやくここまでこぎつけた感無量。、、、お礼を申しあげます。
     地元、、、深く感謝を、、、
     海抜12メートル無謀な、、わたなべ先生の提言により、くすだ先
     生、、,これからは、海岸に造ることがベターではないを、、、」

 メモするつもりはなかったとばって、あんまり感激しとんしゃあもんやき
 思わず袋にひとみメモよ。途切れ途切れで、あんまりわからんや。
 頭をふかぶかと下げんしゃったとよ。途中と最後にね。
 よっぽどうれしかったっちゃろうね。

 議長あいさつ
議長です


 今日は、本人で~す。 小中学校の卒業入学には、必ず電報が。
テトリスで有名になった人    うちの近所の人です

 国会議員「多少相談にあずかった者としましては、、、大変だったろうなあ、
       と。矢野町長の時から、、池浦市長、町長選、1番大きな公約
       だったように思います。(このあと、同級生や後輩の名を)
       みなさんのご努力によってここまで、、、、 
       この他にも区画整理事業にも挑戦、、、、
       池浦市長は、福津市の近代化の2大プロジェクト、、、
       まだまだ課題、、住みやすい魅力のあるまちに、、、

 県会議員「まずはここまできましたことを、、当時、最終処分場と、、、
       大きな政治課題でした。当時の的場町長が、、、、」

 このあと、自分のつながりの地権者の名前を。
 事実はわからんばって、いろいろおもしろく聞けたばい。      
 
 テープカット。写真撮影の時間もあって、なかなか終らんやったや。
これを切ると    まだです

まだです2    カット!

こっちが先やったや「カット!」    副市長閉会あいさつ(閉式の辞)

 写真は無いけれど。課長さんが事業経過報告。
事業経過報告


 貰ったもの紹介
パンフ  表                    裏
浄化センター入り口    平面図他


開きました・パンフ
     中面左中面右


危うく忘れるところでした・記念品?
  これも税金かと思うと、何とか式に出席するのはいやでしたが、
 通水を見たいばっかしに参加。
 チョー豪華!ではなかったので、少しは安心したとばって、いくらやろか
 どこからこうたっちゃろうか
 いるとかね~記念品
 議員には要らんね。バザーに出そうか、どうしょうか
ボールペン&シャーペン


四川大地震の募金を

今日の懇話会での学習会で言われました。
   「募金はしないのですか?」と


 中央でも集めているし日中からもTBで、被災者救援チャリティコンサート
 の案内をいただきました。

   6月13日(金)19時~
        早良市民センター
  です
 
 私は、行けませんが(ホントは、聞きた~い!)、ぜひ
 あちこちで、支援の輪が広がるといいですね~
先着500名だって


 本当は、街頭で訴えなければいけないのでしょうが、後期高齢者医療制度
 と、消費税増税問題、6月議会で頭はイッパイです


「誰かおらんとか」

 あまりに茂った蕗を見て家族が言いました。
 数年前、あれだけ引っこ抜いとったといね~
 もうちょっと暇ならね~(寝る時間はあるばって)

 今日、いつものおしゃべりで、行く先が決まりました。
 相手の了解は得ていませんが、「むいて食べて!」と、
 明日持っていくつもりです。鎌で刈ってね。

ついでに紹介

 切り倒そう(オーバーな)と思っている花を紹介します。
 1996年と思うとばって、沖縄に行った時、生垣にこれが。
 さんさんと照るなかで青と白の初めて見る花に感激したとよ。

 数年後、生協でこうたと。
 花が咲くようになったら、強烈な匂いが。
 マスク女には たまらん臭いよ。
 それで、1回は剪定ばさみで丸坊主よ。
 足で油断しとう間におおきゅうなって、このありさまよ。

 沖縄を思い出す花ばって、ボチボチ切ろうかね。
 疲労骨折に注意しながら。

足の踏み場がありません    車庫は日陰にはなりますが。臭いが

拡大    車庫の横から

も一つついでに、市役所のサクランボと、ずっと前の市役所洗面所
見た目はおいしそうやけどね~    好きなのよね、ジャーマンアイリス
    


日曜、仁比さんが、2区、て

 頭の中には、福岡が4つの時がこびりついとっちゃろうね。
 2区、と聞いただけじゃ、福岡市、とか思わんやったや。
 今日の日刊紙に、チラシが。
 今まで、チラシも何もこんかったはずやね。
 福岡中央・南地区委員会主催やもんね。うちは、宗像・粕屋地区よ。

 かえるネットニュースでメールが来た時も半信半疑よ。
 チラシをスキャンしようと思ったけど。どこ探しても無いと。
 事務所に持ってきたと思うとばって。
 仕方がないき、おっきな字で打っとこ

 この前、日本共産党のHPで、小池さんの演説を聞いたとよ。
 テレビと違ってやさしく話しよんしゃったや。あの声でね。

 テレビで初めて声を聞いた時、誰やろか、とテレビを見たもんね。
 それ以来、声のファンよ。ま、声だけじゃないばってね

 天神に行った人は聞きに行ってね。小池さんの声を。

5月25日(日)午後2時~
   天神 エルガーラホール

       (地図は、26日に削除しました)
      地下3~5階の駐車スペース(305台収容)を御利用下さい。(有料)
      地下4・5階の北側エレベーターで7・8階に直行できます。
       
      と、書いちゃあばって地下鉄かバスで行こうね。
      西鉄大牟田線でもいいばい。
      もちろん私やったら、国鉄から地下鉄、そして徒歩よ。


朝目覚めて、「無い!」下書きのまま眠ってしまいました。
 今から家に帰ります。蕗を刈らなくては。
 今日は、福間浄化センターの通水式・高校還暦同窓会の反省会・街宣など。

26日追記
 神興東小の運動会を見学したら、くたびれて行ききらんやったばい。
 残念やったね~



前日、デジカメだけを持ってウロウロ。で、この日は忘れたと

 あの手提げに入っとうちゃわかっとったとばって、家族の車に便乗やき、
 ちょっと事務所に寄ってちゃ言いきらんやったと。
 そういう時に限って、撮りたいとがいっぱいよ。
 一応携帯では撮ったとばって、知った人が撮りよんしゃったき「送って」と。


ひとみメモは何枚もあるとばって

 その日のうちにまとめとかんやったき、何を書いとうか
 寝ぼけた字やないよ。
 この辺は、ちゃんと目~覚ましとったきね。
 途切れ途切れの文やき、つながらんとよ。
 せっかくの仁比さんの国会報告やき、ちょっとだけね。
仁比さん

仁比さん、よそでばっかし会うね~

 最初に、雨の県民集会での薬害肝炎被害者の山口美智子さんの言葉を。
 「すべての被害者が救済されない限り、、全面救済を勝ち取るまで
 代表を辞めません!」
 そして、5月25日の小池晃さんが来んしゃあとき、山口さんも、と。
  (このへん、あやしいね~日にちはおうとっちゃろうか?)

 与野党逆転、複雑。(判断してね)
 民主党、夏の参院選で、自民党を変えたい、という付託を受けながら
 審議拒否。(このあといろいろと、ね)
 国会での論戦の力と外の国民のみなさんとの運動で、、、

 後期高齢者医療制度、自民党議員のうろたえぶり、傍で見ていても、、、、
 地元で言われるげな(もちろん自民党の議員さんよ)。
 「後期高齢者とはなんだ!長寿をみんなで支えるというのが、、
 おれたちも、そんなで、がんばってきた」

 この制度で、自民党の議員が地元で説明できんことがあるげな。
 一つは、国保の減免が通用せんごとなったこと
 (自治体独自策が通用せんと。県単位やきね)
 もう一つは、社会保険の家族が払わないかんごとなったこと
 しかもよ、500万円以下の収入には、保険料がかからん、と思っとったげな。

 75歳以上を切り離して、保険として成り立つはずがない!と、仁比さん。
 自民党は、昨年の選挙では農村から見放され、
 今度は高齢者や医師会からも

 そして、九州でずっとがんばってこられたお義父さんのことに触れ、
 「どうせお年よりは死ぬでしょう」(という)これは、中止・撤回しかない。
 ところが自民党は説明不足ですませようとしている。
 骨格を変えずに、一部の見直しで。

 構造改革論。小泉さん。
 高齢化、増えるのはあたりまえなのに、2200億円減らす、、
 自民党の中からも限界だ。
 ○そうは言っても、若い者たちに負担はさせられない、そこにつけこんで
  世代間の公平を図るといってすすめられてきた。
  そういう中で、若者たちがどんな目にあっているかを伝えるべきだ、と。
  人を食い物にする思想、大企業財界が大もうけすればよい。
  軸足を家計に、、、。
 ○そんなこと言ったって財源がないじゃないか、、、
  次の世代に(借金?)残すぐらいなら私たちは死んでもいいと、、、
  
 小泉さんが「国民の皆さんが、、悲鳴がおこるまで、『給付を増やして
 くれ』と言うまで歳出削減をやるんだ」と。
 
 (小泉劇場?)振り付けは、財界とアメリカ。
 国会は、道路財源、世論に押されて。
 これを逆手にとって、秋の税制改革。
 これには消費税。民主党も取り込んで、、、
 一般財源化、というのは、ほとんど、、、、
 だから消費税を、とますます大きく、、、

 二大政党政治を許さない、、、
 道路で病院をつなぐというけれど病院が無いではないか
 59兆円、大型道路、正面から立ち向かう
 マッサージチェアもいいんですけど

 このあと、ムダな関門海峡へのもう1本の橋の事をいろいろと。
 ダンボールに6箱の調査資料。
 活断層があるから、「ここは、またいで橋げたを」
 足りないお金は、関門トンネルの値上げで。
 そして、「こんなリアルな夢はない」と、仁比さん。
 このときの国会追求は、9分やったげな。
 もうちょっと増やすごとがんばらないかんばい。
 九州沖縄から2人になったら、質問時間も増えるかしら?
 (このあと、もう少し話がありましたが、打つのを止めます)

 眠くなってきました。小沢さんは明日。


サマカレから追加よ

「お母さんにやっとって」

 と、言われた、と家族から渡されました。
 お知らせの追加です。
 見るだけでも楽しそう
   
ロック音頭八木節ですよ~


 話は変わりますが、もうず~っと前、サマカレに参加しました。
 ものすご~く楽しかったです。
 体はついていきませんでしたが、終了証は、野林さんといっしょに
 保母さん現役のころの話です。
 見学だけでも行きたいけどだめやろね~
 それにしても、保育センターが手伝いをして、という形から、
 実行委員会がきちんとできた形になっているのをみると
 サマカレも成長したなあ、と


あちこちの団体でニュースがFAXで流れようと思うばって

 うちにもあるとよ。
 赤嶺さん田村さんを必ず国会へ、という副題みたいなのが。
 今日の記事は、佐賀の農業シンポのことが載っとうとよ。
 朝、明子さんのブログで読んどったき、ニュースは数行やけど
 頭の中にいろいろ浮かんできたとよ。
 佐賀市議の山下明子さんのブログで見てね。
 日本共産党の「農業再生プラン」はどこでも好評みたいやね。
 福津でも、どうかせないかんばい。
 自給率24パーセントじゃあね~


郷づくりで、「後期高齢者医療制度」について知るための学習会を

 講師でいい人は?とかいろいろ出て、消費税も話題に。
 もちろん、年金という言葉もね。
 テレビであんだけ言やあ、だいたいの人は、消費税増税はあたりまえ、と
 思うのが普通よね。
 ま、そこまで話がいったわけじゃないけど、しゃべりたくてウズウズよ。
 言わんやった分、日記に書こうっと。

消費税をなくす会の出番よ

 この前から、テレビで、大学の先生が、「消費税の検討を」とか言いようき
 イライラしとったとよ。
 とりあえず、パンフレットの紹介をしとこうね。
年金・社会保障のため消費税増税!?

相次ぐ負担増物価の値上がり そこへまた消費税も?    社会保障のためと言うけれど導入20年どんどん悪く

どこに消えた消費税?お金の流れが逆さまです    年金の国庫負担引き上げ 定率減税廃止分を充てるはずだったのでは!?

基礎年金を税方式に 「消費税ならとりっぱぐれがない」なんて    名前を変えて社会保障税 世界に例がありません

社会保障の財源 命をけずる消費税でいいでしょうか    逆立ち税制なぜ? 思いやる相手が間違っています

消費税を増税しなくても財源はあります    軍事費世界トップクラスの5兆円・10年間で59兆円の道路建設!?

税のあり方を決めるのは私たち主権者!    読者のおうちで・5月上旬

買って読んでね

 なくす会の新しいパンフレット完成。  
   社会保障と消費税を草の根問答で解明。読みやすく出来ています。
   1冊~9冊まで1冊100円
   10冊以上は1冊80円(送料別)
   申し込みは消費税をなくす全国の会まで

           
                 


「逃がさんで待っとったよ」

 時々土砂降りの雨の中の診療所受診から帰ると、
 朝、収穫したサクランボにきれいな小さな虫が動いている。
 私「虫がおるやない!」
 家族「そうよ。逃がさんでおいてやっとったとよ」
 早速デジカメで。
 ブログに公開するだんになって、どれをしたらいいのか
 私からみると、どれもかわいくて捨てがたいと。
 虫は、元のサクランボの木に捨てたけどね。
   見えるかな?    ちょっと拡大

   これも青虫っていうのかしら    またまた拡大  
小さいながらも角?が
 


ジェームス三木さんの文を読むとますます見たくなったばい。

 歴史物は好きやき観ろう、と思いよったと。
 絶対、他の予定は入れられんばい。

ちょっと紹介しとこうかね。青年劇場直接いってもいいよ。
 

梶山季之×ジェームス三木×青年劇場が贈る話題作!

国家とは何か   ジェームス三木

 日清、日露戦争に勝った日本は、朝鮮を保護する名目で支配下に置き、併合して日本の領土にした。朝鮮人はみな日本人にされた。

 太平洋戦争に勝ったアメリカは、日本を保護する名目で支配下に置き、極東の防波堤として米軍基地を各地につくった。

 さすがに日米併合はできなかったが、もっと巧妙な手段で、日本人はアメリカ人にされつつあるのだ。

 行儀のよかった日本人が、歩きながらホットドッグを食っている。千年以上もタテ書きであった日本語が、公文書もメールも、ヨコ書きに一変した。街を歩けば喫茶店もバーも企業名も車の車種もみな英語である。幼児のころから英語教育に熱中し、国語力の衰退は目を覆わんばかりだ。

 湾岸戦争の戦費百億ドル負担、イラクへの派兵、米軍基地の移転費負担、軍隊を持たないはずの日本が、日米合同軍事演習をやっている。それを合法化するために改憲をもくろむ。失敗つづきの衛星打ち上げも、軍事目的であることが明らかになった。すべてはアメリカの世界戦略の片棒担ぎである。

 更にいえば裁判の陪審員制度、意図不明の道州制と、アメリカのいいなりで、首相になりたい政治家は、アメリカ詣でをしてゴマをする。日本人は無邪気なのか鈍感なのか。寄らば大樹の陰と思っているのか。

 ご覧に入れる芝居のテーマは『国家とは何か』である。思い切り想像力をふくらませて戴きたい。


家族3人の内、娘が疲れた理由 18日のこと

 「城南市民センターに行きます」と、だけしか聞かんやったと。
 私たちより早く出て、遅く帰ってきたとよ。
 「なんやったと?」と、たずねると、「ハイ!」とチラシを。
 そして、「一日中袋詰めよ袋詰め。くたびれた~」
      「誰か来る人おらんやろか」と。
 「宣伝だけしとくばって、期待せんどってね」、と言って、
 「見よう人は、東京・大阪・高知とか何人かずつよ」と言うと、
 「東京やらは、受付が始まったら、数分でイッパイになるげなよ」と。
 「そんなら、九州に来ればいいたい」と、私(お金がかかるね~)。
 「何人かはおんしゃあよ。九州はマイナーやきね~」と。
2008年 つながりあそび・うた    申し込み方法


     第1日目第2日目


佐賀の赤旗まつりに

 娘「10月26日に、佐賀にきんしゃあき、行くばい」
  (ピカリン・ユズリン・まっちゃんのうち、誰が来るのか忘れたや)
 私「あ、そうたい。福岡でも赤旗まつりがあるっちゃが。
 市田さんがきんしゃあばい」
 娘「エッ、市田さん。ワッ、行きたいね~何時から?」
 ここで、貰ったばかりの、とりあえずのチラシを。
 娘「11時からやない。佐賀まで1時間半はかかるき、間に合わんばい」
 「どっちに行こうかね~」と、いつまでも悩む娘でした。

10月26日市田さんが福岡県に


サマーカレッジ 8月16日17日
第17回福岡県 赤旗まつり 10月26日

  予定表に書きこんどってね

予定と言えば。娘からメールあり

 7月3日(木)に青年劇場族譜」という創氏改名をテーマにした
 お芝居がありまーす。ぜひ観にきてください。19時からももちパレスです。
 チケットは私に、言うてきてください。まわりにもぜひ宣伝してください

 早速予定表に入れました。



 


疲れよっちゃろうかね~生まれて初めてひとみメモが足元に

 この1週間ほど朝の運動よ。
 昨日の会議で、メモしようとしたら無いと。
 見たら足元に。それも何枚も。いつのまにか眠っとったっちゃね~

 初めての経験やったね~ひとみメモを落とすなんて
 それもよ、1番前よ。足が自由になるき、このごろ前に陣取ると。
 壇上から見た人は、おかしかったろうね~
 で、昨日は、疲れた原因は違うとばって、家族全員「くたびれた~」と
 夜は全員集合よ。3人やけどね。
 いつもは、私が事務所でメールの点検やらしようき、おらんとよ。
 「篤姫」までは覚えとうとばって
 
 サンデープロジェクトの志位さんを録画してもろとうき見ろう!と
 はりきっとったっといね~
 仕方がないき、日刊紙で1面だけ読んで会議に。
 結局、詳しいのは会議でみんなで読んだけどね。


表紙は、ちひろさんだけど

 中のカットは、せいこちゃん。
 綾さんの文章の中に司平さんも出てくるし、命についての考えも
 「そうよそうよ」とうなづきながら涙ぐみながら、今、読んでいる途中です。
 昨日は、毎日新聞に、「紙ふうせん」自伝に込めた「可能性」、と
 紹介されている。そして、岩元 綾さんが本を持っている写真もね。

 こりゃ、はよ、みんなに紹介せなね、と、朝、せいこちゃんちまで。
 前の2冊は、かよさんに売って、もう1冊は、こばやんにプレゼントよ。
 なかなか衆議院解散にならんき、ちょっと心の息抜きを、とね。

挿絵は田中せいこさん    すきゃん001306


表紙は、ちひろさんの絵


 本は、スキャンしにくいと、買ってきちんと見てね
試しに、かもがわ出版へ。表紙をちょっと拝借しました。
岩元家の他の本もありました


バラライカ 応援団 ニュース 2008.5月が届きました。

 30周年の9月23日は行きたいね~
 9月議会は何日までかしら
応援団ニュース


赤旗に赤旗の宣伝ってちょっとおかしいごとあるばって、友だちに
「読んでほしいなあ」と、持って行く時は便利よ。
「赤旗」の魅力を語るとき、1日分でいいきね。


ちょっとだけコピーするばって、あとはクリックして自分で見てね。


編集局発 こんにちは 「しんぶん赤旗」です
        真実がわかる 明日が見える


問題点早くから報道

後期高齢者医療制度を追及

 「ほら、これ全部『赤旗』の切り抜きだよ」。東京西部保健生活協同組合理事(77)は、後期高齢者医療制度に関する記事の切り抜きが詰まった、分厚い資料を持ち歩き、学習会などで活用しています。

 「他のメディアが伝えていなかった時期から報道していた。『赤旗』を見なければ制度の本質が分からなかったから、勉強になったよ。国民の目線に立ち、たたかいの武器となる価値ある新聞だ」と語ります。

 本紙は、社会保障費を削る小泉「改革」路線と対決し、同制度の導入に反対。国会審議中はもちろん、制度の導入を決めた二〇〇六年の改悪法の成立後も、問題点や医療費削減という政府の狙いを明らかにする記事を精力的に連打し、制度の実施中止・撤廃に向けた世論と運動の先べんをつけてきました。

 四月一日の制度実施後、国民の怒りはさらに広がり、与党から「凍結」の声があがるまでに追い込んでいます。

 日本共産党は五月八日に、撤廃の一点での国民的な共同をよびかけるアピールを発表し、各地で宣伝・署名、医師会や老人会など幅広い団体・個人との対話を広げています。本紙は引き続き、廃止を勝ち取る共同を大きく広げ、励ますために全力をあげます。
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「赤旗」購読しようかしよらんじゃ、目に映る日本共産党の姿が違うとよ

 2週間前に、友人がばったり会った恩師に日曜版を増やしたと。
 配るとは、私よ。配達に行ったら、
 「このごろ共産党は元気が無いね~」と。
 そりゃうちのまわりじゃ元気が無いばって、少ない国会議員が
 がんばって、派遣の問題やら、いろいろ変わり始めたとよ。
 ばって、テレビじゃなかなか目に触れるとこまではせんし、
 よっぽど気をつけとかな、不破さんや志位さんが明日サンデープロジェクトに、
 なあんてわからんよね~
 ま、日刊紙は1面に書いちゃあばって。

 「いっしょにやりましょう」ってゆうて、その日の日刊紙も置いてきたとよ。

 赤旗の宣伝は、これから毎週土曜日に載るってやき、楽しみやね~


急きょアナに

 昨日今日と、若木台で「後期高齢者医療制度説明・学習会」の案内と訴えを。
 ひとみカーを回してね。
 昨日は、車を貸しただけ。私は、バイクで懇話会の会議へ。
 今日も貸すだけかな、と思っていたら、ピンチヒッターのアナウンサーに。

 いつもと雰囲気違うばい。わざわざ出てきて、じっと聞く人も。
 スーパーの前では、訴えが終ると、「どこであるとな?」とおじさんが。
 「ふくとぴあで2時からです」と、昔からの知り合いみたいに気安く
 話したばって、ぜ~んぜん知らん人よ。
 こげなことは、初めてばい。
 じゃんじゃか宣伝したら、ふくとぴあいっぱいになるかな。

 みなさんの怒りがビンビン伝わってくる感じやね。

この怒りを県庁まで持っていこうかね。
5月28日午後2時集合ですよ~

委任状があれば代理でもOK!


いっつも狙っとうとばって

 クリームスイカは、福間の名産よ。
 この時期、あちこちのハウスの中にはスイカが。
 みちこさんちの近所にもあるとよ。
 去年撮った時は、ボケボケよ。
 窓が閉まっとうときもあるしね~
 1週間に1度しか通らんき、シャッターチャンスがね~
 ところが今日、窓が開いとうとよ。
 雨が降ったき、乾かしとんしゃあとかね~
敷きビニールの内側には水滴が    隣の川にはクレソン?花盛り

たまには、その日のうちに公開しようかね

 このごろは、撮るだけ。なかなか絵日記にならんとよ。
 3月の卒業式から、桜、入学式、春の花、5月の花、溜まりゃ、削除よ
 で、今日は、目薬点してがんばろっと。

 今日は、スムーズに日曜版を配り終えました。
 いつもは、合間合間に配るとばってね。配りながら

 まず最初は、先週見つけたジャガイモの花。紫は久しぶり
紫は久しぶり!    5月16日 005

畑の一畝ですが

 いつも「大きいなあ」とながめています。
 人が散歩中。「大きさが比べられる」。カメラを用意している間にアララ
上だけ
下だけ(手光)

 その近くのレンゲ畑・もう終わりそうです。あちこち鋤きこんでいて、田植えへ。
5月16日 007    盛りは過ぎました

 実家(津丸)の野いちごと穂先筍
まだ小さく数は少ないのですが甘かったです    車の中・1本むいたところで・パチリ

 最後に、我が家の庭のニラ
 先日刈り取って弁当へ(言い方、ちょっとオーバーですが、鎌で刈ったと)。
 もうこんなに伸びました。
駐車場の隅・30センチカケ30センチ?

 今日のうちに、と書いたのに、写真がなかなかブログ上に出てこず、
 待っている間に眠ってしまいました。
 結局、朝の運動の時間を削って、とりあえず仕上げ。
 今から出かけます


父の遺言④の4

  ハ ソ連共産党、中国共産党(毛沢東派)とのたたかい


 ソ連共産党とのたたかいの発端は、原水爆禁止問題でした。ソ連はアメリカ・イギリスと部分的核実験停止条約をむすび、これが核兵器全面禁止への道と。(いま、この道がいまなお二万数千発の核弾頭保有への道だったことが証明されている)世界の共産党にもおしつけてきました。これに反対する日本共産党内に「ソ連派」を旗上げさせました。
 中国共産党の毛沢東は、日本共産党が、中国流の「反ソ」や「人民戦争」路線に組しないと 〝アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本反動派、日本共産党〟 を四つの敵とし、日本共産党の大がかりな分裂工作をはじめました。
 ソ連、中国共産党とのたたかいは、日本国内のソ連派・中国派とのたたかいというだけでなく、ソ連・中国が共産党にあるまじき行動にでるたびに、それがいかに間違っているかについての理論的なたたかい、そして日本共産党の立場についての日本国内での宣伝が必要でした。大きなエネルギーがいりました。
 ソ連共産党とのたたかいは、実質、ソ連共産党解散まで続きました。中国共産党とは、一九九八年、中国共産党が全面的に非をみとめて正常化しました。
 当時の世界の二大共産党、それも政権党とのたたかいは日本共産党の自主独立路線の正しさをあらわすとともに、いま世界で、日本共産党へよせられる信頼のよりどころともなっています。また、このたたかいで、日本共産党は理論面で大きな前進をとげることができました。

  ニ 日本国内での反動勢力(アメリカ帝国主義と大企業・財界の
    支配維持派)とのたたかい


 国内での政治的転機は一九七〇年代におきました。日本共産党は党員で三十万、「赤旗」読者で二百万を突破し、一九七二年の総選挙では五六三万票・三九名の当選者、野党第二党となりました。(自民二七一、社会一一八、公明二十九、民社十九、沖縄人民党一、その他十四)日本共産党の本格的な政治舞台への進出は、社会・公明・民社などの中間政党の左へのゆれをおこしました。どの政党も 〝連合政府〟 をとなえはじめました。公明党ですら安保即時廃止をいいだしました。
 これにおどろいた反動派からの本腰いれた戦略的な反共活動が開始されます。
職場の共産党員への徹底した攻撃、労働者の企業意識や労資協調主義の育成強化、ソ連・中国を引合いにだしての「自由社会を守れ!」のキャンペーン、マスコミも動員されました。(一九七三年から七六年十月までに雑誌がとりあげた日本共産党批判・中傷記事は五百数十件、二億数千万部)
 きわめつけは、一九八五年にはじまる「宮本人殺し」中傷でした。戦前というより本格的中国侵略戦争真っ最中の一九三三年、治安維持法下で逮捕・投獄された宮本顕治さんを中傷・誹謗し日本共産党のイメージダウンを図る大作戦行動でした。そのデタラメさ、エゲツなさに国民的反撃がおこり、自民党政府の法務大臣すら、国会で、「この問題は法的に決着ずみ」といわざるを得ないほどでした。

 反共土壌がつちかわれるなかで、政治の舞台での共産党排除がつぎつぎとねられ、実行されてゆきました。一九八〇年、公明党と社会党の間で、日本共産党排除、安保条約・自衛隊容認の連合政権構想が合意されます。これから、国政の場でのオール与党化がすすみました。反共のオール与党政治でも自民党政治はもちこたえきれませんでした。自民党は分裂します。一九九三年・細川内閣、九四年には村山内閣となります。(細川内閣のもとで、自民党多年の宿願であった小選挙区制が実施されます)自民党は政権党に復帰したものの、もう一党単独で内閣はつくりきりません。それも「自民党をぶっこわす」と叫んで総理大臣にならねばならぬほどの危うさです。ここから、財界総応援の「二大政党制」です。
 日本共産党は、この三十年間、ソ連・中国の共産党とたたかい、日本の反共攻撃とたたかい、「国民の切実な利益と安全に奉仕する」活動にとりくんできました。しかし、三十万の党員では、綱領実現への大前進というわけにはゆきませんでした。選挙でも一進一退をくりかえしました。
 そして、21 世紀をむかえました。

             戦前と戦後の日本――体験的に・・・・・終わり


日記に書いた翌日に

 実家の帰りです。耕運機が見えました。
 あわてて田んぼの近くに。
 お日様が沈まない内に、と。
 田植えが出来そうなのと、田んぼがきれいになったのとで、ホッ
 遅くまでお疲れ様でした。ありがとうございます。

お疲れ様です    この前は左側は、まだやったのに
   

去年は土手から水が。いつもはここから逆流よ・川幅がね~    30日までには終らせたいとね


久しぶり、ホントに久しぶりに

 お弁当を作りました。県の議員団会議が県庁議会棟であります。
 県庁の職員食堂まで動きたくないとよ。で、お弁当を。

 穂先筍(と、言ったらかっこいいやろ?伸び過ぎ筍の上だけ)の煮付け。
 我が家の庭のニラの卵とじ。生協のウインナ。南瓜の煮付け。麦ご飯。

 家にも一人分。実家用に、南瓜をプラスチック容器に。
 色着けとデザートを兼ね、庭のサクランボを。

 夕方帰宅すると、南瓜は、生の丸ままの一個に変わっていました。
 最近は、足の調子がだいぶよくなったので、PCの前にいることが少ないと。
 早く目が覚めるとよ。それで、チラシ配りのあとにお弁当を。
 で、ついでに母の分を。給食の先生はうるさいとよ、栄養に。
 八百屋さんから持ってきてはもらうとばって、自分では煮きらんと。
 今回は、たまたま2人とも南瓜を買っていた、というわけやけど
 いつもは、「煮てきて」と、言われて持って帰るとよ。

写真では撮れるけどね~    生の南瓜になりました

 庭のサクランボですが、あゆみ保育園勤務時代は、花が咲くと園に。
 切らないようになって10年を超えました。この間に大きくなったとやろね。
 庭からは、一つも採れません。軽トラの荷台に乗って、やっとデザート分を。


タクシーか傘か

 吉塚駅から県庁までは、急げば歩いて10分かかりません。
 「今日から歩くぞ」と、固く心に。
 足の手術以来、タクシーやったと。

 勇気がいったとよ~ず~っと。
 タクシーを黒塗りの乗用車が停まる玄関まで乗りつけるとは。
 しかも、基本料金のまんまやき、なおさらよ。
 玄関番の人、タクシーの運転手さん、「すみませんすみません」と、心の中で。
 それやきうれしかったとよ、歩くとが。

 ところが、駅に降りたら雨よ
 迷ったね~「傘」か「タクシー」か、とね。
 で、結局は、初心貫徹(こんな時に使っていいのかしら)。
 タクシー代より、傘代のほうが数十円安かったばって、久しぶりの歩きは
 きつかった~
 朝のチラシ配りは、軽々と足が動くといね~
 (ここだけの話やけど、チラシ配りは、ちょっとしか歩かんと。
 集合住宅やき、腰を曲げたり伸ばしたりが主よ。)

東公園の中に県庁があります。    帰りに撮りました

 「頼みたいことがある」というので、会議が終って実家へ。
 玄関開けてビックリ
 わ~っとピンクのカスミソウよ。これまた、久しぶりやったね~
 「誰が持ってきんしゃったかわからん。隣の分といっしょに、
 根元は、チリシで包んじゃった」と、母。

カスミソウの贈り主はだ~れ?


父の遺言④の3

3、敗戦――私の戦後の出発と岩下俊作さん

 一九四五年九月、私は、長崎針尾島から復員しました。降りたった八幡駅前は一面の焼野が原でした。幸い、わが家のある大蔵方面は残っていました。
これからどうするか、もちろん職場には出勤しはじめましたが、とにかく、日本が負ける、という想像だにしなかった出来ごとにぶつかったのです。これからどんな人生になるか、どんな人生を歩んだらよいか、迷いました。
 養成工時代の機械の先生に八田秀吉という人がいます。映画「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」の作者、岩下俊作さんです。残暑きびしい日、小倉に岩下先生をたずねました。岩下先生から「これから何をするにせよ、共産党宣言くらい読んでおくことが大事だ。弁証法も勉強しておかないと」とおしえられました。これが、戦後の私の人生を方向づけました。
 アカハタを読み、科学的社会主義関係の本に接するようになります。しかし、十二人弟妹の長男です。入党するにはためらいがありました。日本共産党に入党したのは、一九四六年十一月です。しかし、翌四七年には、党専従の道に入りました。


4、戦後のたたかい

日米安保体制はアメリカの全面占領下に生みだされた

 入党して一番にぶつかったのが、二・一ストの禁止です。それまで、ポツダム宣言にもとづく占領軍として日本の民主化につとめていたGHQが、アメリカ帝国主義の本性を本格的に顕す出発でした。

 ※GHQが、こうなる予兆は天皇問題にありました。
   天皇は大日本帝国憲法によっても国の元首であり、
   軍の最高責任者「大元帥」でした。
   戦争の節目節目の方針は、天皇も出席した御前会議で
   きめられていました。そして、戦争の目的は現人神のもとの
   八紘一宇です。天皇は、二〇世紀の戦争違法化の流れにさからった
   A級戦犯的存在だったのです。(当時、私にはそういう認識はなかった
   のですが、それでも天皇は責任をとってやめるもの、と思っていました。
   やめて何をさせるか、何もしきらないだろうから皇大神宮の神主でも
   させるか、など考えていました) それは、連合国大半の意志でした。
   アメリカの与論調査でも天皇については、処刑三三パーセント、裁判で
   決定十七パーセント、追放九パーセントで、七割が天皇戦犯説でした。
   (天皇は、世界にたいしては A級戦犯でも 日本国民からみると
   超A級戦犯ではないか、と私は思っています。なぜなら、
   近衛文麿上奏〈一九四五年二月、近衛文麿が〝もう敗戦必至だから、
   ここで降伏しましょう〟 と提案した〉 を「もう一度戦果を挙げてから」
   と天皇が蹴ったからです。この時、戦争をやめておけば、
   東京大空襲をはじめ全国的空襲も、沖縄戦もヒロシマ・ナガサキも
   なく、百万近い日本人の命が救われたのですから)
   その天皇を、マッカーサーは、〝百万の軍隊に匹敵する〟 といって
   戦犯からはずし、人間宣言をさせ、アメリカの占領に協力させました。

 それ以降、GHQは、直接に、あるいは日本政府に命令して、労働運動、民主主義運動を弾圧してきました。日本共産党の活動も常に監視下でした。私たちが党会議(地区の大会)をひらいている会場のまわりを、カービン銃を肩にMPがぶらぶらする、といったこともありました。この頃、私は二回逮捕されましたが、二回とも占領軍命令違反で、一回は直接の軍事裁判でした。(一回はデモ禁止令違反、一回は「アカハタ」発行停止関係)
 日本共産党は、大会で、行動綱領のトップに「ポツダム宣言の厳正実施」「人民による経済復興と日本の完全な独立」をかかげました。しかし、直接にアメリカを名指して批判できません。アメリカを指すときは、国際独占資本とよんでいました。
 中国革命がすすむと、アメリカは、いよいよ日本をアジアの反共基地にする態度をつよめてきました。のちにわかったことですが、一九四七年、アメリカ軍首脳は、どうしたら日本に軍隊をもたせることができるか、をねっていました。一九四八年一月、アメリカのロイヤル陸軍長官は、日本を極東における 〝反共の防壁〟 にする、と演説しました。一九四八年十二月、A級戦犯の刑も決り、七人が処刑されると岸信介(のち総理大臣、安倍前首相の祖父)をはじめとするA級戦犯を釈放し、政・財界をはじめ、軍人、特高警察まで、公職追放をつぎつぎに解除しました。
 一方で下山事件、松川事件などがおき(真犯人はアメリカといわれながら犯人はつかまっていない)一大反共キャンペーンのなかで、大量の労働者の首切り、労組への弾圧が強行されました。一九五〇年、マッカーサーは、全国で集会・デモを禁止しておいて、共産党幹部の追放と「アカハタ」発行停止を命じました。職場から共産党員と活動家の追放を命令しました。(レッド・パージ)
 こうして、日本中が戒厳令さながらという状況をつくり、アメリカの意見にしたがう国が中心になって、サンフランシスコ講和会議が結ばれ、即、アメリカ一カ国の永久占領手続ともいうべき日米安保条約が押しつけられたのです。
 いまにつづく日本の戦後政治の源流は、こうしてアメリカの全面占領下につくられました。

② 安保。三池の闘争と党綱領の確定

 一九五〇年から五年間、ソ連、中国の共産党にひっかきまわされて分裂状態にあった党は、日本のことは日本の党での立場(自主独立路線)を確立しながら、党の団結をとりもどし、一九五八年に第七回党大会を開き、新しい党綱領の討議をはじめました。新しい綱領は、六〇年の安保、三池のたたかいを経験し、一九六一年、第八回大会で決定されました。
 綱領は「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本独占資本である。わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられて事実上の従属国となっている」と日本を分析、「アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配に反対する新しい民主主義革命」これを国民共同の力─統一戦線で国会の多数を得る道でなしとげる、としていました。この 〝アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配に反対する民主主義革命〟 の路線は、発達した資本主義の国の革命は社会主義革命だ、と固執する日本国内の左派(社会党など)からも、世界の共産党からも反対されました。(日本国内の社会主義革命論者は、日本におけるアメリカ帝国主義の支配から目をそらす、つまり、日本の社会進歩と発展の前進のため避けることのできぬ相手から逃げるものでした)
 しかし、あれから約半世紀、政治勢力としてはゼロに近かった日本共産党が、真の日本改革を提案しうる唯一の政党として日本の国政上に存在し、世界の共産党の中で光彩を放っていることは、61 年綱領路線の正しさにあります。

    ※ 日・米安全保障条約

   日本の近・現代史上最大の屈辱は、日米安保条約と、それが
  半世紀もつづいていることです。
  60年の安保改訂では、それまであった、アメリカ軍は日本国内の内乱
及び騒じょうを鎮圧するためにも出動するとあったのをはずしましたが、
日米共同作戦や軍備増強、経済協力など、より全面的に協力させる
従属体制強化の条約にしました。
安保条約の各項目を、わかりやすく紹介します。

  第二条(日本は)経済協力しなければならぬ。
  第三条(日本は)軍備を増強せねばならぬ。
  第四条(この条約の適用範囲は)極東にも。
  第五条(日本は)日本にいるアメリカ軍と共同作戦をとらねばならぬ。
  第六条(日本は)アメリカが要求するなら日本中どこでも基地として
      提供せねばならぬ。(全土基地方式)
  第十条 この条約は、十年たって、どっちかの国がやめようといったら
      一年でやめることができる。

③ 綱領決定後のたたかい

  イ、日本共産党の存在意義

 私が福間の住民になったのは一九五七年(昭和三十二年)です。安保闘争がはじまりました。私は、教祖、全逓[ぜんてい]、名糖労組、全日自労などによびかけて(社会党はありませんでした) 九大の得本先生を講師に安保学習会をしました。町の公民館いっぱいの盛況でした。綱領確定後の一九六三年に、福間町ではじめての日本共産党町会議員になりました。日本共産党は綱領討議の段階から「二本足の党活動」といって、大衆闘争と党勢拡大を固く結びつけて活動するスタイルを強調していました。町会議員の活動もそうでした。ともかく家に電話をひき、24 時間、かけこみ訴えに応じる態勢をとりました。町会議員の活動として、われながら思い出にのこることは、「あんた百姓議員か」といわれた程、農業問題をとりあげたことです。安保条約第二条の「経済協力」をアメリカが農業部門でおしつけはじめた時期で「構造改善」事業がはじまっていました。そのためか、保守的な農村出身の議員さんと仲がよく、「吉田君、今度はこの問題をとりあげてくれんな」と要求をもちこまれることもありました。もちろん日本共産党全体としては、それこそ多面的にいろんな問題にとりくみました。大会決定 〝わが党の存在意義そのものは、なによりもその時期、時期の国民のもっとも切実な利益と安全に奉仕するということ〟 の実践です。
 しかし、日本共産党の立党の精神は、「つねに、日本国民の当面する現実の苦難の軽減と国民の生命と安全の擁護、新しい合理的な日本の建設、世界平和の擁護という課題のために献身するということ」です。この目的達成からみれば、あまりに党は小さすぎました。

党勢拡大の活動

 「入党してから党勢拡大と選挙ばっかりやった」と60 年代に入党した党員がボヤいていたことがあります。本当はそうではないんですが、それくらい綱領をきめてからは、党勢拡大にとりくみました。綱領で、アメリカ帝国主義の支配と日本独占資本の支配に反対する政府をつくるときめても、衆議院で三名、ではどうにもなりません(この時、自民党二九六名、社会党一四五名、民社党十七名)。綱領をきめた第十一回党大会で、「党勢拡大と思想教育活動の総合二ヵ年計画」をたてて活動することをきめました。六〇年代、どのくらいのスピードで拡大したか、数字をしめします。

       党員    「赤旗」読者
  一九六一年 七万人   十数万人
     (一九六三年 衆議選─得票一六四万、当選五人)
  一九七〇年 三〇万人  二〇〇万人
     (一九七二年 衆議選─得票五六三万、当選三九人)

 当時の党の活動をリアルに知っていただくため、のちに私が党支部のニュースに連載した「赤旗と私」の一部抜粋を紹介します。


「町会議員は『赤旗』をふやす道具」

 福間で「赤旗」読者が飛躍的にふえたのは、一九六三年(昭和三八年)
私が町会議員に当選してからです。九変も福間に移ってきていました。
党中央は「地方選挙の成果のうえにたって人民とともにさらに前進しよう」と
6月・7月を、日曜版を60 万部にする「日曜版拡大月間」ときめました。
38 才の私は、はりきっていました。まずは役場からと、町長・助役と上から
順々にすすめていきます。「わしゃ田代文久と東筑で一緒やった」、そういって
町長が読者になりました。Yさんの協力もあって職員の三分の一は読者に
なったのではなかったでしょうか。町会議員も半分以上が読者になりました。
大和町の商店街も軒なみ訪問しました。
その成果だけではないでしょうが 〝大和町では、なぜ反共意識が低いか〟
九大から調査に入ったこともあります。当時、私は、〝町会議員とは、
「赤旗」をふやす道具〟 と自認していました。


「プレハブにて」

 私は、町会議員になる前の年に二度目の常任活動にはいっていました。
当時は一区全部が福岡地区で、地区と支部の間の組織は、いろいろと
かわりました。3号線関係の党組織が、五ブロック?として福岡地区の
先進部隊の役割をはたした時代もありました。「電波」「高千穂」「九変」
「宗像教員」など経営支部は、大戦力でした。「拡大月間」ともなると
毎晩十一時頃 私の家のプレハブにぞくぞくと集まります。
点検会議です。私は模造紙一枚に支部ごとの今日の目標をかき、カベに
はりつけて待っています。今日は何部ふえたか、教訓は─、報告が
すんだら明日の目標です。「なんでそれだけか」「それで『月間』目標が
達成できるか」、いわゆる〝つめ〟 がはじまります。せっぱつまって
支部長が決意をこめた目標をだしてしまうのが一時すぎ、ということも。
そして私も町会議員です。人を 〝つめる〟 ばかりではすみません。
自分の目標をどう達成するか、必死です。夜が白みはじめるのを待って、
上西郷や神興の農家にでかけ、ふやしたこともありました。



 綱領第二章 現在の日本社会の特質

(四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。

 第一は、日本が、独立国としての地位を失い、アメリカへの事実上の従属国の立場になったことである。

 敗戦後の日本は、反ファッショ連合国を代表するという名目で、アメリカ軍の占領下におかれた。アメリカは、その占領支配をやがて自分の単独支配に変え、さらに一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約と日米安保条約では、沖縄の占領支配を継続するとともに、日本本土においても、占領下に各地につくった米軍基地の主要部分を存続させ、アメリカの世界戦略の半永久的な前線基地という役割を日本に押しつけた。日米安保条約は、一九六〇年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪・強化したものであった。

 第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。

 この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。

 第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つとなった。

 日本は、これらの条件のもとで、世界の独占資本主義国の一つとして、大きな経済的発展をとげた。しかし、経済的な高成長にもかかわらず、アメリカにたいする従属的な同盟という対米関係の基本は変わらなかった。

 (五)わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。

 わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、半世紀を経ていまだに全国に配備され続けている。なかでも、敗戦直後に日本本土から切り離されて米軍の占領下におかれ、サンフランシスコ平和条約でも占領支配の継続が規定された沖縄は、アジア最大の軍事基地とされている。沖縄県民を先頭にした国民的なたたかいのなかで、一九七二年、施政権返還がかちとられたが、米軍基地の実態は基本的に変わらず、沖縄県民は、米軍基地のただなかでの生活を余儀なくされている。アメリカ軍は、わが国の領空、領海をほしいままに踏みにじっており、広島、長崎、ビキニと、国民が三たび核兵器の犠牲とされた日本に、国民に隠して核兵器持ち込みの「核密約」さえ押しつけている。

 日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている。

 アメリカは、日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している。日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている。

 日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態にある。アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。

 (六)日本独占資本主義は、戦後の情勢のもとで、対米従属的な国家独占資本主義として発展し、国民総生産では、早い時期にすべてのヨーロッパ諸国を抜き、アメリカに次ぐ地位に到達するまでになった。その中心をなす少数の大企業は、大きな富をその手に集中して、巨大化と多国籍企業化の道を進むとともに、日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた。国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている。

 大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、過労死さえもたらす長時間・過密労働や著しく差別的な不安定雇用に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用保障でも、ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない。

 女性差別の面でも、国際条約に反するおくれた実態が、社会生活の各分野に残って、国際的な批判を受けている。公権力による人権の侵害をはじめ、さまざまな分野での国民の基本的人権の抑圧も、重大な状態を残している。

 日本の工業や商業に大きな比重を占め、日本経済に不可欠の役割を担う中小企業は、大企業との取り引き関係でも、金融面、税制面、行政面でも、不公正な差別と抑圧を押しつけられ、不断の経営悪化に苦しんでいる。農業は、自立的な発展に必要な保障を与えられないまま、「貿易自由化」の嵐にさらされ、食料自給率が発達した資本主義国で最低の水準に落ち込み、農業復興の前途を見いだしえない状況が続いている。

 国民全体の生命と健康にかかわる環境問題でも、大企業を中心とする利潤第一の生産と開発の政策は、自然と生活環境の破壊を全国的な規模で引き起こしている。

 日本政府は、大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた。日本の財政支出の大きな部分が大型公共事業など大企業中心の支出と軍事費とに向けられ、社会保障への公的支出が発達した資本主義国のなかで最低水準にとどまるという「逆立ち」財政は、その典型的な現われである。

 その根底には、反動政治家や特権官僚と一部大企業との腐敗した癒着・結合がある。絶えることのない汚職・買収・腐敗の連鎖は、日本独占資本主義と反動政治の腐朽の底深さを表わしている。

 日本経済にたいするアメリカの介入は、これまでもしばしば日本政府の経済政策に誤った方向づけを与え、日本経済の危機と矛盾の大きな要因となってきた。「グローバル化(地球規模化)」の名のもとに、アメリカ式の経営モデルや経済モデルを外から強引に持ち込もうとする企ては、日本経済の前途にとって、いちだんと有害で危険なものとなっている。

 これらすべてによって、日本経済はとくに基盤の弱いものとなっており、二一世紀の世界資本主義の激動する情勢のもとで、日本独占資本主義の前途には、とりわけ激しい矛盾と危機が予想される。

 日本独占資本主義と日本政府は、アメリカの目したの同盟者としての役割を、軍事、外交、経済のあらゆる面で積極的、能動的に果たしつつ、アメリカの世界戦略に日本をより深く結びつける形で、自分自身の海外での活動を拡大しようとしている。

 軍事面でも、日本政府は、アメリカの戦争計画の一翼を担いながら、自衛隊の海外派兵の範囲と水準を一歩一歩拡大し、海外派兵を既成事実化するとともに、それをテコに有事立法や集団的自衛権行使への踏み込み、憲法改悪など、軍国主義復活の動きを推進する方向に立っている。軍国主義復活をめざす政策と行動は、アメリカの先制攻撃戦略と結びついて展開され、アジア諸国民との対立を引き起こしており、アメリカの前線基地の役割とあわせて、日本を、アジアにおける軍事的緊張の危険な震源地の一つとしている。

 対米従属と大企業・財界の横暴な支配を最大の特質とするこの体制は、日本国民の根本的な利益とのあいだに解決できない多くの矛盾をもっている。その矛盾は、二一世紀を迎えて、ますます重大で深刻なものとなりつつある。


 日米安保条約廃棄の緊急重大性については、二〇〇六年の第24 回大会決議が、より具体的に分析していますので、巻末に別紙として添付しました。

                                つづく


父の遺言④の2

2、戦前・戦中のくらし

 私の家は農家でした。水田を約一町(一ヘクタール)工作していました。半分が小作地でした。小作地は、収穫があろうがなかろうが面積に応じて年貢を納めなければなりません。気候不順・病害虫に出合うと収穫の大半を納めなければならぬ、ということにもなります。現金収入を得るために、母は春になると山野にわらびやつわを採りに行き、芦屋や遠賀川まで売りにでかけました。家を出るのが朝の三時、小学生の私がリヤカーの後押しについていきます。父は、田んぼ仕事のかたわら、炭を焼いたり、竹の切り出しをしたり、少しばかりの傾斜地を開墾して枇杷[びわ]を植えたりして、田んぼ以外の現金収入をはかりました。
 農家なのに、秋の取入れの前になると食べる米がなくなりました。麦の方が多いご飯、里芋がいっぱい入ったおじや、それでも足りなくて、米や麦を借りなければなりませんでした。私の家では子供が多かったから特別に苦しかったということかもしれませんが、日本全国の小作百姓は、どこでも同じだったのでしょう。東北方面で娘の身売りをしたのもこの頃ですし、新聞などで欠食児童という言葉をよく見ました。貧しさは農村だけではなく、都会でもそうでした。雑誌「家の光」で、労働者の簡易宿泊所では、一日に一本、一銭で「バット」を買って三つに切って吸っている、という記事を読んだことがあります。失業者があふれ、「大学は出たけれど」という言葉がはやっていた記憶があります。

    ※ 脇坂栄さんのこと

   もうなくなりましたが、脇坂栄さんという人がいました。
   福岡の西、早良郡壱岐村の人です。
   さきに紹介した西田信春さんたちの弾圧の時に逮捕されました。
   法廷で裁判官が、脇坂さんに「声が大きい」と注意したら、
   「世界中にとどく声がほしいんだ」と怒鳴りかえして、ほかの人より
   二年刑が長くなった、という逸話の持主です。
   その脇坂さんを招いて福間で学習会をしたことがあります。
   脇坂さんは、壱岐村はもちろん近隣の小作百姓を結集して
   地主と「小作料をまけろ」のたたかいをして、〝永代三割〟 を
   勝ちとった、と淡淡と話しました。
   非合法状態にありながら、果敢に活動した若い共産党員の姿を想像
   しながら、当時のわが家の生活と父の苦労を重ねあわせて、
   すごい共産党の姿に感無量になったことがあります。

 父は、とうとう百姓をあきらめて家屋敷を売り払い、八幡に出、戸畑牧山の旭ガラスの下請工場の職工になりました。それより前、私は、八幡製鉄に入社、工場内を走る汽車の釜焚になっていました。ところが、世の中は貧乏人には間が悪くできているもので、八幡にでてきてから戦局は一段とすすみ、いよいよ太平洋戦争へと八紘一宇が本格化しました。米はもちろん味噌、醤油、塩、さらにマッチまでが配給制になり、生活のスローガンも「ぜいたくは敵だ」から「ほしがりません勝までは」となりました。足りないのは物資だけでなく、人間もそうです。徴用令が出され、商売人も学生も軍需工場の労働者に動員され、朝鮮人が労働者として連行されてきました。私の職場にも若い朝鮮人労働者がつれてこられましたが、その一人、朴という青年は、妻子があるのに田んぼから直接トラックに乗せられて港につれていかれた、と語っていました。私は、くる日もくる日も残業、残業で一ヶ月に「五十日」以上も働くこともあり、家の主収入源でした。それでも夜の食事は、どんぶりに茹でた馬鈴薯が三個、という生活でした。兵隊にいく時の心残りは、あとのわが家の生活はどうなるだろう、だけでした。

   ※ 八紘一宇─神武天皇の神話にもとづいてつくられた造語。
            全世界を天皇の威光のもとに一つにしようという意。
            侵略のスローガン。


前日の雨がウソのよう

 気持ちよく晴れました。
 建物の中はヒンヤリするので、みんな外で待ちました。

外で日向ぼっこ    いろいろ忘れ物あり


 酒・米・鯛・塩・海のもの・山のもの・里のものをそなえます。
 果物は、夏みかんだけしか用意していませんでした。
 果物だけで三方をいっぱいにせないかんやったと。
 夏みかん2個じゃ、さみしくて、次女に「リンゴかバナナこうてきて」と電話よ。
 ギリギリバナナが届いた時は、ホッとしたね~
  
 野菜は、畑から収穫したままを供えようとばって、なかなか無いとよ。
 店やふれあいをまわったばって、葉っぱつきの野菜って売りよらんね~
 息子の同級生のとこに行って、「大根か人参なあい?」と。
 大根を畑から1本もらいました。
 今度会ったら、お礼を言わなくてはね。

 家に帰り着くと、塩がバッグの中に残っていました。
 まさか、お返しを入れているバッグの中に塩が入っていようとはね~
 塩・米・鯛は、私の当番やなかったと。点検しとかないかんやったばい。


父が自分の祖母の実家の名前を見つけました

 生きているうちに、いろいろ聞いとかなね。
 来てやっとんしゃあヤエ子さんの姪や甥の関係は、覚えたもんね。 

父が見つけました


隣は宗像大社です

 おっきな木もあって落ち着きます。
 10月の1~3日は、お祭りです。
 こどもの時は、学校が半ドンでした。
 バスで宗像大社まで遊びに行ったものです。

隣は宗像大社     若い時のヤエ子さんとお姉さん


懇話会主催の後期高齢者医療制度説明会チラシ

 「説明会」って、市の説明?
 この怒りは、どげしたらいいと?
 「説明会」では、みんなの気持ちに合わず、チラシが手直しされました。
 会場は、300名入ります。ぜひ、おいでください。

手直しされました


HPの予定表の「説明会」も書き直ししてもらわないかんばい。
管理人さん、お願いしま~す




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