琉球新報の中継か、かえるネットで
ホントは沖縄に飛んで行きたい気分やけど、福津で街宣、というのも
とか大事よね、と考えていたら、友人からメールあり。
琉球新報で生中継だって。
このことブログに、とパソコン開くと日本共産党のHPにはちゃ~んと
「米軍基地はどこにもいらない
普天間基地の撤去を」 の、のぼりを
せっかく購入できたので街宣を、と思ってはいるのだけれど
迷うね~中継を見るべきか、街宣に行くべきか
ま、とりあえず、10時からの会議にでかけます
今、午後4時です
動画のライブではなく、twitterの字だけの同時中継でした。
私が探しきらなかったのかも
やっと事務所に着き、パソコンを開いたのだけれど、絵も欲しい
今、声を聞いています
コミュニスタ紅星さんからのTBで知りました。
このあと、絵も見ます
今、普天間高校生が話しています。
今、午後4時40分です
先ほど終わりました。
大会事務局長さんの報告・ひとみメモ
まだ、届いていない人含め、会場に9万人。
八重山大会に700人。
宮古(この字?)3000人。
合計 9万3700人。
会場での募金額 500万5千5円
明日、東京へ代表団100名が。
全国会議員に、沖縄タイムスと琉球新報の明日付けを持って
いくんだって。
そりゃ持っていって見せらな沖縄のことはわからんもんね~
ホントは沖縄に飛んで行きたい気分やけど、福津で街宣、というのも
とか大事よね、と考えていたら、友人からメールあり。
琉球新報で生中継だって。
このことブログに、とパソコン開くと日本共産党のHPにはちゃ~んと
「米軍基地はどこにもいらない
普天間基地の撤去を」 の、のぼりを
せっかく購入できたので街宣を、と思ってはいるのだけれど
迷うね~中継を見るべきか、街宣に行くべきか
ま、とりあえず、10時からの会議にでかけます
今、午後4時です
動画のライブではなく、twitterの字だけの同時中継でした。
私が探しきらなかったのかも
やっと事務所に着き、パソコンを開いたのだけれど、絵も欲しい
今、声を聞いています
コミュニスタ紅星さんからのTBで知りました。
このあと、絵も見ます
今、普天間高校生が話しています。
今、午後4時40分です
先ほど終わりました。
大会事務局長さんの報告・ひとみメモ
まだ、届いていない人含め、会場に9万人。
八重山大会に700人。
宮古(この字?)3000人。
合計 9万3700人。
会場での募金額 500万5千5円
明日、東京へ代表団100名が。
全国会議員に、沖縄タイムスと琉球新報の明日付けを持って
いくんだって。
そりゃ持っていって見せらな沖縄のことはわからんもんね~
見とらんはずよ、ここ4日ほど大忙し
とりあえず、コピー
古い政治 大本から変えよう
政党状況は様変わり 志位委員長訴え
横浜で演説会
------------------------------
横浜市の横浜文化体育館で16日、日本共産党の志位和夫委員長を迎えて演説会が開かれました。「民主党は自民党よりはましかと思ったけど、普天間基地問題でも結局変わらなかった」と嘆く戸塚区の18歳の大学生は「知り合いに誘われて共産党の演説会に初めて来ました」。真冬のような冷たい風雨の中、参加者らはコートに身を包んで演説会場に足を運びました。
事前に、党県・市委員会は幅広い団体に参加を呼びかけました。「自民党議員が顧問の団体ですが、共産党の話を聞きたい人もいるでしょう。がんばって」(中小業者団体の会長)など、あたたかい反応がありました。
いっせい地方選の県議・市議予定候補の紹介に続いて、はたの君枝参院神奈川選挙区予定候補が「候補者が乱立する激戦の選挙区から、みなさんの力で何としても国会に送り出してください」と訴えました。田村智子参院比例候補は「長年立ち向かってきた自民党政治が壊れ始めた今、新しい政治の実現へがんばりぬきたい」と語りました。
志位氏が、参院選は「チャンスの選挙だ」と述べ、比例区5議席の絶対確保とともに「神奈川から、はたの候補を国会に行かせてください」と呼びかけると、大きな拍手が起きました。
日本の政党状況が1年前と様変わりしていると述べた志位氏は、総選挙後の8カ月間をユーモアを交えて振り返り、会場をわかせました。
民主党政権はどうか。「期待が裏切られたというのが、多くの国民の気持ちではないでしょうか」。こう問いかけた志位氏は、国民が「ここを変えてほしい」と願った肝心要の問題で、民主党政権が公約と期待に背いてきたことを解明しました。
自民党はどうか。痛烈な退場の審判を受けながら反省もなく、政治をより悪くする「破壊的野党」の立場から新政権を攻撃しています。漫画家のやくみつる氏が自民党機関紙に寄稿した一文に編集部がつけた表題が「自民党はすでに死んでいる」だったと志位氏が紹介すると、会場は爆笑に包まれました。
志位氏は「第三極」の動きにも言及しました。「公明党が『第三極の担い手になる』といいますが、自民党政治の担い手だったことを忘れてしまったのでしょうか。『新党』も名ばかりで、中身は古い自民党政治です。こういう流れからは新しい日本は生まれません」
志位氏は「私たちがめざすのは『第三極』ではありません」と強調。米国いいなり・財界中心の古い政治の枠組みから抜け出すための国民多数派をつくるという「『第一の極』をめざすのが日本共産党です。激動のいま、がんばれば民主的政権をつくる道が開けます。その一歩を刻む参院選にしましょう」と呼びかけました。会場は、どよめきと大きな拍手でわきあがりました。
続いて志位氏は、「ルールある経済社会」を築く展望と、米国いいなりをただす展望を熱く語りました。
志位氏の演説を初めて聞いた横浜市港南区の女性(58)は「派遣や高い医療費などいろんな問題で、世の中が暗い感じだと思っていましたが、志位さんの話を聞いて展望が開けた。企業の内部留保を労働者の賃金などに回せば経済が上向くということが分かりました」と話しました。
とりあえず、コピー
古い政治 大本から変えよう
政党状況は様変わり 志位委員長訴え
横浜で演説会
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横浜市の横浜文化体育館で16日、日本共産党の志位和夫委員長を迎えて演説会が開かれました。「民主党は自民党よりはましかと思ったけど、普天間基地問題でも結局変わらなかった」と嘆く戸塚区の18歳の大学生は「知り合いに誘われて共産党の演説会に初めて来ました」。真冬のような冷たい風雨の中、参加者らはコートに身を包んで演説会場に足を運びました。
事前に、党県・市委員会は幅広い団体に参加を呼びかけました。「自民党議員が顧問の団体ですが、共産党の話を聞きたい人もいるでしょう。がんばって」(中小業者団体の会長)など、あたたかい反応がありました。
いっせい地方選の県議・市議予定候補の紹介に続いて、はたの君枝参院神奈川選挙区予定候補が「候補者が乱立する激戦の選挙区から、みなさんの力で何としても国会に送り出してください」と訴えました。田村智子参院比例候補は「長年立ち向かってきた自民党政治が壊れ始めた今、新しい政治の実現へがんばりぬきたい」と語りました。
志位氏が、参院選は「チャンスの選挙だ」と述べ、比例区5議席の絶対確保とともに「神奈川から、はたの候補を国会に行かせてください」と呼びかけると、大きな拍手が起きました。
日本の政党状況が1年前と様変わりしていると述べた志位氏は、総選挙後の8カ月間をユーモアを交えて振り返り、会場をわかせました。
民主党政権はどうか。「期待が裏切られたというのが、多くの国民の気持ちではないでしょうか」。こう問いかけた志位氏は、国民が「ここを変えてほしい」と願った肝心要の問題で、民主党政権が公約と期待に背いてきたことを解明しました。
自民党はどうか。痛烈な退場の審判を受けながら反省もなく、政治をより悪くする「破壊的野党」の立場から新政権を攻撃しています。漫画家のやくみつる氏が自民党機関紙に寄稿した一文に編集部がつけた表題が「自民党はすでに死んでいる」だったと志位氏が紹介すると、会場は爆笑に包まれました。
志位氏は「第三極」の動きにも言及しました。「公明党が『第三極の担い手になる』といいますが、自民党政治の担い手だったことを忘れてしまったのでしょうか。『新党』も名ばかりで、中身は古い自民党政治です。こういう流れからは新しい日本は生まれません」
志位氏は「私たちがめざすのは『第三極』ではありません」と強調。米国いいなり・財界中心の古い政治の枠組みから抜け出すための国民多数派をつくるという「『第一の極』をめざすのが日本共産党です。激動のいま、がんばれば民主的政権をつくる道が開けます。その一歩を刻む参院選にしましょう」と呼びかけました。会場は、どよめきと大きな拍手でわきあがりました。
続いて志位氏は、「ルールある経済社会」を築く展望と、米国いいなりをただす展望を熱く語りました。
志位氏の演説を初めて聞いた横浜市港南区の女性(58)は「派遣や高い医療費などいろんな問題で、世の中が暗い感じだと思っていましたが、志位さんの話を聞いて展望が開けた。企業の内部留保を労働者の賃金などに回せば経済が上向くということが分かりました」と話しました。
つながり9条のコンサートだから
もちろん9条のことを歌った歌も。でも私はこの歌が一番気持ちにぴったり
題も歌詞も覚えていないけど
帰れ帰れアメリカへ帰れ
この国に核はいらない
帰れ帰れアメリカへ帰れ
この国に安保はいらない
帰れ帰れアメリカへ帰れ
この国に憲法9条
という内容があったと
なんか以前に聞いたことがあるような気もするけど
もちろん前からあった歌よ。
原子力潜水艦が寄港した時にみんなで歌ったって言いよんしゃったきね
今の私の気持ちにぴったりだし、何よりいっしょに大きな声で歌えたのがよかったね~
さ、帰ってがんばらなくっちゃ
明日は、2歳の第1日め、やきね
もちろん9条のことを歌った歌も。でも私はこの歌が一番気持ちにぴったり
題も歌詞も覚えていないけど
帰れ帰れアメリカへ帰れ
この国に核はいらない
帰れ帰れアメリカへ帰れ
この国に安保はいらない
帰れ帰れアメリカへ帰れ
この国に憲法9条
という内容があったと
なんか以前に聞いたことがあるような気もするけど
もちろん前からあった歌よ。
原子力潜水艦が寄港した時にみんなで歌ったって言いよんしゃったきね
今の私の気持ちにぴったりだし、何よりいっしょに大きな声で歌えたのがよかったね~
さ、帰ってがんばらなくっちゃ
明日は、2歳の第1日め、やきね
ホントは、とりあえず、生きている証拠、としたかったのだけれど
あまり過激になってもね~
それだけくたびれたっていうことよ。
骨折以来、あげ~乗り継ぎしたのは初めて
誰かが、7時間列車に乗っていた、と言っていたけれど
乗っとくとはいいばって横になりたかったね~
別な密約のことも書きたかったけどなあ
あまり過激になってもね~
それだけくたびれたっていうことよ。
骨折以来、あげ~乗り継ぎしたのは初めて
誰かが、7時間列車に乗っていた、と言っていたけれど
乗っとくとはいいばって横になりたかったね~
別な密約のことも書きたかったけどなあ
今日は、お花見。久しぶりに梅酒など
と、頭の中では
朝、窓を開けると水たまり
これじゃ、竹林の藪に入れんばい、と。
滑って骨折でもしたら大変。
盆も正月も入院したき、あとはゴールデンウィークやね、と
上妻じゃ、時々その話が出るとよ。
大きな声じゃ言われんばって、上妻に入院するとき、
部屋の入り口で、退院する人とバッタリ。
それが同級生のSちゃんよ。
そして、今、また入院しとうと
この前、リハビリの時、バッタリよ
で、Sちゃんと入れ替わりに入院、とかなったら困るき用心用心。
雨も降りようし、お昼ご飯の時間になって行ったとよ。
出し物があるちゃ知らんやったばい
広い会場の隅にシートを。
話に花が咲き、出し物で大笑いあり、拍手喝采あり
とにかくすごい、みんな芸達者
これはやばいと、「草原情歌」の歌詞を思い出し
上妻の領収書のウラに
まさか、こげ~芸達者な人たちばっかし、ちゃ知らんもんやき
「東京ー北京」のCDがないか探したとよ。みんなで歌おう、と、ね。
で、無かったき、あきらめたと。
何かせなおられんげな雰囲気よ
最初は、「春の小川」を歌おうかな、と。
漢詩(中国語・日本語あり)を朗々と唄いんしゃあのはもちろん、
ドイツ語・フランス語の歌まで。しかも、こま回し・剣玉もよ
「草原情歌」の歌詞を書き出したばって、2番を思い出さんし、
題そのものも思い出さんやったと。
突然歌いだそう!と心を決める!
話に花が咲くもんやき、番がきそうで、なかなか。
そろそろかな、と思ったら突然の雨。
片付け出したら、剣玉がみつかり、またひとしきり。
で、本格的に降り出したのでお開き。
帰りのバイクで歌いよったら、2番の歌詞も題も思い出したとよ
スッキリしたばい
♥ More..Open
と、頭の中では
朝、窓を開けると水たまり
これじゃ、竹林の藪に入れんばい、と。
滑って骨折でもしたら大変。
盆も正月も入院したき、あとはゴールデンウィークやね、と
上妻じゃ、時々その話が出るとよ。
大きな声じゃ言われんばって、上妻に入院するとき、
部屋の入り口で、退院する人とバッタリ。
それが同級生のSちゃんよ。
そして、今、また入院しとうと
この前、リハビリの時、バッタリよ
で、Sちゃんと入れ替わりに入院、とかなったら困るき用心用心。
雨も降りようし、お昼ご飯の時間になって行ったとよ。
出し物があるちゃ知らんやったばい
広い会場の隅にシートを。
話に花が咲き、出し物で大笑いあり、拍手喝采あり
とにかくすごい、みんな芸達者
これはやばいと、「草原情歌」の歌詞を思い出し
上妻の領収書のウラに
まさか、こげ~芸達者な人たちばっかし、ちゃ知らんもんやき
「東京ー北京」のCDがないか探したとよ。みんなで歌おう、と、ね。
で、無かったき、あきらめたと。
何かせなおられんげな雰囲気よ
最初は、「春の小川」を歌おうかな、と。
漢詩(中国語・日本語あり)を朗々と唄いんしゃあのはもちろん、
ドイツ語・フランス語の歌まで。しかも、こま回し・剣玉もよ
「草原情歌」の歌詞を書き出したばって、2番を思い出さんし、
題そのものも思い出さんやったと。
突然歌いだそう!と心を決める!
話に花が咲くもんやき、番がきそうで、なかなか。
そろそろかな、と思ったら突然の雨。
片付け出したら、剣玉がみつかり、またひとしきり。
で、本格的に降り出したのでお開き。
帰りのバイクで歌いよったら、2番の歌詞も題も思い出したとよ
スッキリしたばい
♥ More..Open
密約のこと、保険証のこと、いっぱいあるけれど
今日は、コレ
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃◆Q&A 共産党という名前に込められた思いは?
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
〈問い〉 日本共産党は創立いらい同じ党名です。この「共産党」
という名前にはどんな思いが込められているのでしょうか。(京都・一読者)
〈答え〉 「日本共産党」の名前には、1922年の党創立以来、一貫した歴史を歩んできたという誇りが込められています。何よりも、“国民の苦しみあるところに共産党あり”と、戦前も戦後も、国民の諸階層の苦難を自分の苦難として、いっしょにその苦難を打開するために国民運動をくりひろげてきた歴史についての誇りです。
また、「民主主義」「侵略戦争反対」を主張するだけで逮捕・投獄され命まで奪われた戦前の暗黒の時代から、平和と民主主義の旗をかかげて不屈に運動してきた歴史です。今日も、日本国憲法の前文を含む全条項を守り、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざしています。
さらには、アメリカ、ソ連など、どんな大国からの抑圧と干渉も許さず、毅然(きぜん)として日本国民の利益を守り、日本の社会進歩の事業の自主性を貫いてきた自主独立の歴史への誇りがあります。党の長い歴史のなかでは、不十分さ、誤りも生まれましたが、ほおかむりして過ごすのでなく、自分をふりかえって分析し教訓を明らかにする精神で歩んでもきました。こうして、正義と真実を愛する党の歴史が、この党名に込められているのです。
「日本共産党」という名前にはまた、現実の資本主義社会のもとでのさまざまな災厄を“しかたがない”とあきらめるのではなく、よりよい社会を築くために力をつくしているのだという思いが込められています。“歴史の進歩は、資本主義で終わり”と見るのではなく、資本主義をのりこえる未来社会の展望をもって歩んでいるという誇りが込められています。「共産」とは、フランス語のコンミューン(語り合う、共同社会)の訳語です。「コミュニティー」と同じ語源です。私たちはこの党名に、人間による人間の搾取も、抑圧も戦争もない、本当に平等で自由な人間関係で結ばれる共同の社会をつくろうというロマンを込めているのです。(丸)
〔2010・4・7(水)「しんぶん赤旗」掲載〕
今日は、コレ
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃◆Q&A 共産党という名前に込められた思いは?
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
〈問い〉 日本共産党は創立いらい同じ党名です。この「共産党」
という名前にはどんな思いが込められているのでしょうか。(京都・一読者)
〈答え〉 「日本共産党」の名前には、1922年の党創立以来、一貫した歴史を歩んできたという誇りが込められています。何よりも、“国民の苦しみあるところに共産党あり”と、戦前も戦後も、国民の諸階層の苦難を自分の苦難として、いっしょにその苦難を打開するために国民運動をくりひろげてきた歴史についての誇りです。
また、「民主主義」「侵略戦争反対」を主張するだけで逮捕・投獄され命まで奪われた戦前の暗黒の時代から、平和と民主主義の旗をかかげて不屈に運動してきた歴史です。今日も、日本国憲法の前文を含む全条項を守り、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざしています。
さらには、アメリカ、ソ連など、どんな大国からの抑圧と干渉も許さず、毅然(きぜん)として日本国民の利益を守り、日本の社会進歩の事業の自主性を貫いてきた自主独立の歴史への誇りがあります。党の長い歴史のなかでは、不十分さ、誤りも生まれましたが、ほおかむりして過ごすのでなく、自分をふりかえって分析し教訓を明らかにする精神で歩んでもきました。こうして、正義と真実を愛する党の歴史が、この党名に込められているのです。
「日本共産党」という名前にはまた、現実の資本主義社会のもとでのさまざまな災厄を“しかたがない”とあきらめるのではなく、よりよい社会を築くために力をつくしているのだという思いが込められています。“歴史の進歩は、資本主義で終わり”と見るのではなく、資本主義をのりこえる未来社会の展望をもって歩んでいるという誇りが込められています。「共産」とは、フランス語のコンミューン(語り合う、共同社会)の訳語です。「コミュニティー」と同じ語源です。私たちはこの党名に、人間による人間の搾取も、抑圧も戦争もない、本当に平等で自由な人間関係で結ばれる共同の社会をつくろうというロマンを込めているのです。(丸)
〔2010・4・7(水)「しんぶん赤旗」掲載〕
季報ふくめ、昨日は書類三つを提出
そのうちの一つが戦没者遺族への弔慰金。
もう何ヶ月も前に書類をもらい、書き方までおそわり、
あとは清書して提出するだけ、と。
ところが3月議会は始まるし、書類はどこへやら?
まあ、お金に絡む書類は絶対に捨てないひとみちゃんやき
その辺は安心やけど
いつも大事に持ってまわりよったと、車に乗せて、ね。
で、あるとき思い出したとよ。「後ろたい!」と。
助手席はアンプが乗っとうき、人はお断り!
4人までは乗れる貨物車に、いつもは後ろに女性3人。
2月は会議や何やで、男性がその中に一人。
後ろに3人じゃきつかろうと気を利かしたのが間違いの元。
助手席の荷物をぜ~んぶ後ろへ。
後ろはガラガラよ、車検でね。
車検時に降ろした荷物がまた行方不明だけど。
降ろしたら忘れると。で、弔慰金の書類は車の後ろに、ポ~ンと。
いっつも思うと。「選挙目当てよね~」と
一応、戦後何10年と厚労省では。
選挙の時、与党が決めるとよ。
ヤエ子さんが倒れてからは、私がヤエ子さんの代わりに書類を。
戦没者の妻の時は細く長く、やったけど今回は細く短く、よ。
年間3万でも4万でももらえるものなら手続きしとかんと、
軍事費にまわすよりは、と思うとばって、これも借金なのよね~
国債でくるとよ。
手続きが面倒なのよね~
面倒、というより、わからんとこばっかり
だいたい戦没者のいろいろがわからんやろ
戦没者の子である夫との関係や他の遺族がどうなっているか
ここが肝心なとこやけど、一番でちょっぴりお金も
昔は大家族で戸籍が。戦没者は長男ばって、じ~ちゃんちの一員。
戦没者・父と子である夫にたどりつくまでが大変
数枚にわたる戸籍が2部。
ペーパー1枚のヤエ子さん・夫の母の除籍なんとか。
そして最後に夫の戸籍
書くときがまた神経使うと
戦没者と請求者の名前が一字違いなのよ
しかも遺族をずら~っと。生まれた日死んだ日・死亡に丸の欄も。
危うく、戦没者に夫の名前を書きそうになるし
ずら~っとの子は死んだ人のほうが多いいき思わず丸を唯一の
生存者にもつけそうになるし
気をつけて書いたばい間違えんように
子の死亡のところでひょっと上段を
戦没者が死亡したときに生計を共にしていた家族よ。
もしかしたら、と死亡年月日を
すると父親が亡くなる前に子どもの方が
もう一人の子どもは判読できなくて書いとらんやった。
あの毛筆の戸籍の死亡年月日を市の職員さんと必死に
判読に努力したのは何だったのか
ひとみちゃん、いつもの早とちり、失敗の巻き、やね
3男の妻
結婚した時、当時は黄色い表紙の住民手帳みたいなものが。
食管法の関係だったのかな、と
ヤエ子さんたちと同居やったき、世帯主欄はもちろんヤエ子さん。
私は、3男の妻よ。それを見たときはびっくりしたね~
一人息子、とばっかり
お姉さんがおんしゃあとは知っとったばってね
半年前に手続きした人がまだやき、1ねんくらい待ってください、と。
22年4月から、と書いちゃあき、4月から貰える、と思うよね。
そのうちの一つが戦没者遺族への弔慰金。
もう何ヶ月も前に書類をもらい、書き方までおそわり、
あとは清書して提出するだけ、と。
ところが3月議会は始まるし、書類はどこへやら?
まあ、お金に絡む書類は絶対に捨てないひとみちゃんやき
その辺は安心やけど
いつも大事に持ってまわりよったと、車に乗せて、ね。
で、あるとき思い出したとよ。「後ろたい!」と。
助手席はアンプが乗っとうき、人はお断り!
4人までは乗れる貨物車に、いつもは後ろに女性3人。
2月は会議や何やで、男性がその中に一人。
後ろに3人じゃきつかろうと気を利かしたのが間違いの元。
助手席の荷物をぜ~んぶ後ろへ。
後ろはガラガラよ、車検でね。
車検時に降ろした荷物がまた行方不明だけど。
降ろしたら忘れると。で、弔慰金の書類は車の後ろに、ポ~ンと。
いっつも思うと。「選挙目当てよね~」と
一応、戦後何10年と厚労省では。
選挙の時、与党が決めるとよ。
ヤエ子さんが倒れてからは、私がヤエ子さんの代わりに書類を。
戦没者の妻の時は細く長く、やったけど今回は細く短く、よ。
年間3万でも4万でももらえるものなら手続きしとかんと、
軍事費にまわすよりは、と思うとばって、これも借金なのよね~
国債でくるとよ。
手続きが面倒なのよね~
面倒、というより、わからんとこばっかり
だいたい戦没者のいろいろがわからんやろ
戦没者の子である夫との関係や他の遺族がどうなっているか
ここが肝心なとこやけど、一番でちょっぴりお金も
昔は大家族で戸籍が。戦没者は長男ばって、じ~ちゃんちの一員。
戦没者・父と子である夫にたどりつくまでが大変
数枚にわたる戸籍が2部。
ペーパー1枚のヤエ子さん・夫の母の除籍なんとか。
そして最後に夫の戸籍
書くときがまた神経使うと
戦没者と請求者の名前が一字違いなのよ
しかも遺族をずら~っと。生まれた日死んだ日・死亡に丸の欄も。
危うく、戦没者に夫の名前を書きそうになるし
ずら~っとの子は死んだ人のほうが多いいき思わず丸を唯一の
生存者にもつけそうになるし
気をつけて書いたばい間違えんように
子の死亡のところでひょっと上段を
戦没者が死亡したときに生計を共にしていた家族よ。
もしかしたら、と死亡年月日を
すると父親が亡くなる前に子どもの方が
もう一人の子どもは判読できなくて書いとらんやった。
あの毛筆の戸籍の死亡年月日を市の職員さんと必死に
判読に努力したのは何だったのか
ひとみちゃん、いつもの早とちり、失敗の巻き、やね
3男の妻
結婚した時、当時は黄色い表紙の住民手帳みたいなものが。
食管法の関係だったのかな、と
ヤエ子さんたちと同居やったき、世帯主欄はもちろんヤエ子さん。
私は、3男の妻よ。それを見たときはびっくりしたね~
一人息子、とばっかり
お姉さんがおんしゃあとは知っとったばってね
半年前に手続きした人がまだやき、1ねんくらい待ってください、と。
22年4月から、と書いちゃあき、4月から貰える、と思うよね。
季報(県委員会への議会報告よ)に手をつけていたら
事務所入り口カギを閉め、こもる。
すると、突然の携帯。まあ、電話ちゃ突然やけど
「見ましたよ。元気もらいました」といつものちょっと早口の声。
「大阪で見ました。福津の様子がよくわかります」と、そのあとに。
つい最近、転勤の家族について行ったKさんからの電話。
「大阪でも見れると!じゃ、えいちゃんにも電話しよう!」と
共通の友人の名前を。
「もしもし、どなたでしょうか」と何度も低い声で
古賀から山陰地方に親の介護で引っ越ししたとよ。
母親大会の実行委員会では、お世話になりっぱなし。
私の声が小さいわけではないと思うとばって携帯からやき
聞こえにくかったのかね~何度か「どなたですか?」と
やっとひとみちゃんというのがわかり、私が「今、い~い?」と。
すると小さな低い声で「今、お葬式」と。
ビックリした私は「お母さん?」と。「そう」と返事が。
急に亡くなられたみたいで、福岡で知ったのは私が1番だそうな。
どうしようもなく、少しだけ話をして電話を切ったとばって
みんなに言うべきか言わざるべきか
事務所入り口カギを閉め、こもる。
すると、突然の携帯。まあ、電話ちゃ突然やけど
「見ましたよ。元気もらいました」といつものちょっと早口の声。
「大阪で見ました。福津の様子がよくわかります」と、そのあとに。
つい最近、転勤の家族について行ったKさんからの電話。
「大阪でも見れると!じゃ、えいちゃんにも電話しよう!」と
共通の友人の名前を。
「もしもし、どなたでしょうか」と何度も低い声で
古賀から山陰地方に親の介護で引っ越ししたとよ。
母親大会の実行委員会では、お世話になりっぱなし。
私の声が小さいわけではないと思うとばって携帯からやき
聞こえにくかったのかね~何度か「どなたですか?」と
やっとひとみちゃんというのがわかり、私が「今、い~い?」と。
すると小さな低い声で「今、お葬式」と。
ビックリした私は「お母さん?」と。「そう」と返事が。
急に亡くなられたみたいで、福岡で知ったのは私が1番だそうな。
どうしようもなく、少しだけ話をして電話を切ったとばって
みんなに言うべきか言わざるべきか
「ニーハオ玄海」の代筆で
お誘い『春爛漫の宮地嶽で“花見”してみませんか』が目に
で、私も春爛漫を満喫しています、というのを書こうかな、と
ホントはあまりにも時間が無くて、写真で
昨日は県庁に
ロビーにはいつも県内の花が・これも県庁に来るお楽しみの一つ
県委員会には3月議会の報告をせないかんしね~
政務調査費の報告、まだ時間がある、と思っていたら、広報の視察が
来週いっぱい、ではなく、今日にでも作成しとかないと、やばい
大久保さんには10日間ぐらい先よ、と昨日言ったばっかりなのに
確かに昨日の時点では10日先が提出日やったばって
福津におらんじゃ提出できんばい
お誘い『春爛漫の宮地嶽で“花見”してみませんか』が目に
で、私も春爛漫を満喫しています、というのを書こうかな、と
ホントはあまりにも時間が無くて、写真で
昨日は県庁に
ロビーにはいつも県内の花が・これも県庁に来るお楽しみの一つ
県委員会には3月議会の報告をせないかんしね~
政務調査費の報告、まだ時間がある、と思っていたら、広報の視察が
来週いっぱい、ではなく、今日にでも作成しとかないと、やばい
大久保さんには10日間ぐらい先よ、と昨日言ったばっかりなのに
確かに昨日の時点では10日先が提出日やったばって
福津におらんじゃ提出できんばい
昨日、5かのことです。ほとんど書き終えたら、また消えて・・
で、あらたに。4行だけは、なぜか残っていましたが。
階下からの家族の声で布団から仕方なく
なかなか眠れず(疲れすぎても眠れない、というのを発見!)
午前3時過ぎにやっと布団の中へ。
7時過ぎやね~と思ったまでは覚えていたのだけれど、
それから30分ほど
で、階下からの声で飛び起きた、というわけ。
「電話がかかってくるぞ!」
早朝から夫の叔父より「よくまとまっとう」の電話があったそうな。
私は、編集者さんより「今週か来週」というメールをいただいていた
ので、5日、ときいていたのが、「今週か来週」というのは、5日は
無理かな、ところっと忘れていた。
電話は、その後1本も無し。
午前中の新婦人支部委員会で「載ってたね」
午後、大分に引っ越した友人よりよりメールで「情景が浮かびます」と。
夜は管理人さんより「写真もお母さんが?」と。
父・母は何も言わず。
私のほうから「松尾ひとみという字が載っとうよ」と。
何も言わなくてもいいのだけれど、見ていない、ということは
それだけ、おとろえた、ということかな、とちょっと心配。
大幅に、微妙に
題はごろっと変わっていたけれど、文章は最初が微妙に
どう違うかわかるかな?
行数が多すぎる原稿を渡して「削ってください」とお願いしたので
減るのはわかっていたけれど、題が、気恥ずかしくなるほど、とは
考えもつかんやったね~
ま、宿場跡近くの西郷川の支流にもホタルは乱舞しとうけどね。
どこがどう違ったかわかるかな
で、あらたに。4行だけは、なぜか残っていましたが。
階下からの家族の声で布団から仕方なく
なかなか眠れず(疲れすぎても眠れない、というのを発見!)
午前3時過ぎにやっと布団の中へ。
7時過ぎやね~と思ったまでは覚えていたのだけれど、
それから30分ほど
で、階下からの声で飛び起きた、というわけ。
「電話がかかってくるぞ!」
早朝から夫の叔父より「よくまとまっとう」の電話があったそうな。
私は、編集者さんより「今週か来週」というメールをいただいていた
ので、5日、ときいていたのが、「今週か来週」というのは、5日は
無理かな、ところっと忘れていた。
電話は、その後1本も無し。
午前中の新婦人支部委員会で「載ってたね」
午後、大分に引っ越した友人よりよりメールで「情景が浮かびます」と。
夜は管理人さんより「写真もお母さんが?」と。
父・母は何も言わず。
私のほうから「松尾ひとみという字が載っとうよ」と。
何も言わなくてもいいのだけれど、見ていない、ということは
それだけ、おとろえた、ということかな、とちょっと心配。
大幅に、微妙に
題はごろっと変わっていたけれど、文章は最初が微妙に
どう違うかわかるかな?
行数が多すぎる原稿を渡して「削ってください」とお願いしたので
減るのはわかっていたけれど、題が、気恥ずかしくなるほど、とは
考えもつかんやったね~
ま、宿場跡近くの西郷川の支流にもホタルは乱舞しとうけどね。
どこがどう違ったかわかるかな
読んで意見を、と言われたメールは届いていず、いつものニュースが
そりゃもう、核密約やら基地反対のことやズラ~ッとまとめて。
ばってもう眠たいき、政党助成金のことだけ、ね。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
政党助成金 民主173億円 自民104億円/2010年分の配分額決定
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
総務省は4月1日、政党助成法に基づく2010年分の政党助成金の各政党への配分額を決定しました。助成金の総額は、前年と同じく319億4100万円。民主党への配分額は、昨年夏の衆院選での議席増を受け、前年比26.6%増。一方、自民党は前年比25.8%減となりました。
日本共産党は、政党助成金は思想・信条の自由を侵す制度だとして一貫して反対し、受け取りを拒否しています。
各党への配分額は次の通り。(金額は100万円未満切り捨て)
民主党 172億9700万円
自民党 103億7500万円
公明党 23億8900万円
社民党 8億6400万円
国民新党 3億9700万円
みんなの党 3億6100万円
新党日本 1億3500万円
改革クラブ 1億2000万円
-------------------------
総額 319億4100万円
お金がないき消費税増税、とかいう前に
これを無くしたらどうね。
そりゃもう、核密約やら基地反対のことやズラ~ッとまとめて。
ばってもう眠たいき、政党助成金のことだけ、ね。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
政党助成金 民主173億円 自民104億円/2010年分の配分額決定
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
総務省は4月1日、政党助成法に基づく2010年分の政党助成金の各政党への配分額を決定しました。助成金の総額は、前年と同じく319億4100万円。民主党への配分額は、昨年夏の衆院選での議席増を受け、前年比26.6%増。一方、自民党は前年比25.8%減となりました。
日本共産党は、政党助成金は思想・信条の自由を侵す制度だとして一貫して反対し、受け取りを拒否しています。
各党への配分額は次の通り。(金額は100万円未満切り捨て)
民主党 172億9700万円
自民党 103億7500万円
公明党 23億8900万円
社民党 8億6400万円
国民新党 3億9700万円
みんなの党 3億6100万円
新党日本 1億3500万円
改革クラブ 1億2000万円
-------------------------
総額 319億4100万円
お金がないき消費税増税、とかいう前に
これを無くしたらどうね。
若いお母さんに説明したばかりなのに、広報でも
福津市の広報から
歩道と自転車道の拡張は必要だったのでしょうか
Q 定年退職して三か月が過ぎます。
今までは仕事一途で地域のことに関心を持つ時間がありませんでしたが、
ようやく時間ができるようになりました。そして、自分が住んでいる福津が
さらに好きになりました。
ただ、どうしても納得できないことが一つあります。
それは、旧三号線の太郎丸交差点から、東側に向けての歩道と自転車道
の拡張です。人命保護の観点からすると当然かもしれませんが、
車道を犠牲にしてまであのように広い道が必要だったのか
疑問です。本当に市場調査は行われたのでしょうか。
A 近年、自転車は、環境負荷の低い交通手段と見直され、健康志向の
高まりを背景に、その利用ニーズが高まっています。
その一方で、交通事故全数の減少傾向に比べ、自転車事故は増加傾向に
あり、特に歩行者と自転車事故が急増しています。
自転車・歩行者の安全を向上するためには、現在の利用環境の
問題点を明らかにし、自転車・歩行者が安全に安心して通行で
きる環境に見直していく必要があります。
このような状況を踏まえ、平成二十年一月に、国土交通省と警察庁は
合同で、今後の自転車通行環境整備の模範となるモデル地区を全国で
九十八か所指定しました。
そのうち、福岡県の担当モデル地区として本路線「県道福間宗像玄海線
(太郎丸交差点~手光交差点)」が指定され、自転車通行環境整備を
県事業で実施することになりました。事業実施に当たり、自転車通行
環境整備についてのワークショップに市民のかたがたや各方面の
かたがたに公募の上、参加いただき、実際にモデル地区内を自転車
または徒歩で散策して、問題点・改善点などを洗い出すなどの活動を
計四回実施しています。
その結果を踏まえ、現在の歩道改良に至っています。
問い合わせ 市建設課(津屋崎庁舎)
お母さんからは
「あれってなんでできたんですか。元々自転車も人も通れたのに!」
そこで私が説明。市の回答に近いような内容でね。そして、
「あそこにお金使うより、他のところに使ってほしいですね」と
言われてしまったけれど、モデル地区があるのなら、本格実施地区と
いうのがでてくるのかしら
福津市の広報から
歩道と自転車道の拡張は必要だったのでしょうか
Q 定年退職して三か月が過ぎます。
今までは仕事一途で地域のことに関心を持つ時間がありませんでしたが、
ようやく時間ができるようになりました。そして、自分が住んでいる福津が
さらに好きになりました。
ただ、どうしても納得できないことが一つあります。
それは、旧三号線の太郎丸交差点から、東側に向けての歩道と自転車道
の拡張です。人命保護の観点からすると当然かもしれませんが、
車道を犠牲にしてまであのように広い道が必要だったのか
疑問です。本当に市場調査は行われたのでしょうか。
A 近年、自転車は、環境負荷の低い交通手段と見直され、健康志向の
高まりを背景に、その利用ニーズが高まっています。
その一方で、交通事故全数の減少傾向に比べ、自転車事故は増加傾向に
あり、特に歩行者と自転車事故が急増しています。
自転車・歩行者の安全を向上するためには、現在の利用環境の
問題点を明らかにし、自転車・歩行者が安全に安心して通行で
きる環境に見直していく必要があります。
このような状況を踏まえ、平成二十年一月に、国土交通省と警察庁は
合同で、今後の自転車通行環境整備の模範となるモデル地区を全国で
九十八か所指定しました。
そのうち、福岡県の担当モデル地区として本路線「県道福間宗像玄海線
(太郎丸交差点~手光交差点)」が指定され、自転車通行環境整備を
県事業で実施することになりました。事業実施に当たり、自転車通行
環境整備についてのワークショップに市民のかたがたや各方面の
かたがたに公募の上、参加いただき、実際にモデル地区内を自転車
または徒歩で散策して、問題点・改善点などを洗い出すなどの活動を
計四回実施しています。
その結果を踏まえ、現在の歩道改良に至っています。
問い合わせ 市建設課(津屋崎庁舎)
お母さんからは
「あれってなんでできたんですか。元々自転車も人も通れたのに!」
そこで私が説明。市の回答に近いような内容でね。そして、
「あそこにお金使うより、他のところに使ってほしいですね」と
言われてしまったけれど、モデル地区があるのなら、本格実施地区と
いうのがでてくるのかしら
コメントいただくのはうれしいけれど
「消費税25パーセント」というのはね~
で、公開せず。
私のブログか日刊紙を読んでもらえると、日本共産党が
なぜ、消費税増税に反対するか、わかるのにね~
ま、消費税でもうかる人たちもおんしゃあき、その人からのコメントかな。
「消費税25パーセント」というのはね~
で、公開せず。
私のブログか日刊紙を読んでもらえると、日本共産党が
なぜ、消費税増税に反対するか、わかるのにね~
ま、消費税でもうかる人たちもおんしゃあき、その人からのコメントかな。
日刊紙を購読していない友人のためにコピーを
政府、「討論記録」を密約と認める
もはや欺瞞は通用しない
「日米核密約」答弁書 志位委員長が会見
--------------------------------------------
日本共産党の志位和夫委員長は31日、国会内で記者会見し、核密約問題で政府の姿勢をただした質問主意書(17日提出)に対して閣議決定された答弁書を明らかにし、「政府がこれ以上、『日米核密約』に関する欺瞞(ぎまん)を続けることは許されない」として核密約の廃棄を強く求めました。(見解全文、答弁書全文)
------------------------------------------
(写真)記者会見する志位和夫委員長=31日、国会内
政府はこの間、核兵器搭載の米艦船の寄港を事前協議の対象としないとした「討論記録」について「日本側は一時的立ち寄り・寄港に関するものと思っていなかった」(岡田克也外相、3月10日衆院外務委員会)などとして、密約と認めてきませんでした。しかし、今回の答弁書では、「討論記録」について、「不公表とすることとして両政府の間で作成された合意文書である」と明記しています。
この点について、志位氏は、「『討論記録』を日米間の密約であることを政府が認めたものにほかならない」と強調しました。
しかも、答弁書は、「討論記録」を日米両国政府間の「共通の理解を記録」したものとしています。
志位氏は、「『共通の理解』とは何かが根本問題として問われてくる」と指摘。不破哲三前議長が公表した二つの米公文書は「核兵器を搭載した軍艦の寄港は事前協議の対象としないというアメリカ側の理解こそ『共通の理解』であったことを疑問の余地なく明らかにするものとなっている」とのべ、「討論記録」を核持ち込みの密約と認めない政府の主張はもはや成り立たないと主張しました。
また、1994年以後日本に核兵器搭載能力を維持した原潜が寄港している可能性を認めるかとの質問について、答弁書は、「現時点において、政府としては、核兵器を搭載する米国の艦船の我が国への寄港はないと判断している」と回答しました。
志位氏は、94年の米「核態勢の見直し」(NPR)で「潜水艦に核巡航ミサイルを配備する能力を維持する」という政策変更を行った事実を改めて指摘。答弁書が91年の米核政策をくりかえすだけで、94年のNPRをいっさい無視していることをあげ、「核搭載能力を維持した米原潜が寄港することを否定する根拠を何一つ示せなかった」とのべました。
志位氏は、「『核兵器のない世界』にいかにすすむかが国際政治の最大の焦点となっているなか、被爆国日本がイニシアチブを発揮するには名実ともに『非核の日本』にならなければならない」とのべ、核密約廃棄の重要性を力説しました。
政府、「討論記録」を密約と認める
もはや欺瞞は通用しない
「日米核密約」答弁書 志位委員長が会見
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日本共産党の志位和夫委員長は31日、国会内で記者会見し、核密約問題で政府の姿勢をただした質問主意書(17日提出)に対して閣議決定された答弁書を明らかにし、「政府がこれ以上、『日米核密約』に関する欺瞞(ぎまん)を続けることは許されない」として核密約の廃棄を強く求めました。(見解全文、答弁書全文)
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(写真)記者会見する志位和夫委員長=31日、国会内
政府はこの間、核兵器搭載の米艦船の寄港を事前協議の対象としないとした「討論記録」について「日本側は一時的立ち寄り・寄港に関するものと思っていなかった」(岡田克也外相、3月10日衆院外務委員会)などとして、密約と認めてきませんでした。しかし、今回の答弁書では、「討論記録」について、「不公表とすることとして両政府の間で作成された合意文書である」と明記しています。
この点について、志位氏は、「『討論記録』を日米間の密約であることを政府が認めたものにほかならない」と強調しました。
しかも、答弁書は、「討論記録」を日米両国政府間の「共通の理解を記録」したものとしています。
志位氏は、「『共通の理解』とは何かが根本問題として問われてくる」と指摘。不破哲三前議長が公表した二つの米公文書は「核兵器を搭載した軍艦の寄港は事前協議の対象としないというアメリカ側の理解こそ『共通の理解』であったことを疑問の余地なく明らかにするものとなっている」とのべ、「討論記録」を核持ち込みの密約と認めない政府の主張はもはや成り立たないと主張しました。
また、1994年以後日本に核兵器搭載能力を維持した原潜が寄港している可能性を認めるかとの質問について、答弁書は、「現時点において、政府としては、核兵器を搭載する米国の艦船の我が国への寄港はないと判断している」と回答しました。
志位氏は、94年の米「核態勢の見直し」(NPR)で「潜水艦に核巡航ミサイルを配備する能力を維持する」という政策変更を行った事実を改めて指摘。答弁書が91年の米核政策をくりかえすだけで、94年のNPRをいっさい無視していることをあげ、「核搭載能力を維持した米原潜が寄港することを否定する根拠を何一つ示せなかった」とのべました。
志位氏は、「『核兵器のない世界』にいかにすすむかが国際政治の最大の焦点となっているなか、被爆国日本がイニシアチブを発揮するには名実ともに『非核の日本』にならなければならない」とのべ、核密約廃棄の重要性を力説しました。
不破さんの記事を載せるか否か長いもんね~
私のブログでしか日刊紙を見れない友人のために
強調文核密約はこうして結ばれた
五八~六〇年日米交渉の内容をしめす新たなアメリカ外交文書について
日本共産党元衆院議員 不破 哲三
-------------------------------------
日本共産党の不破哲三前議長が、30日の記者会見で示した見解と米側極秘電報は次のとおりです。
---------------------------------
(写真)2000年の党首討論で密約文書を示す不破哲三前議長=同年4月
日本共産党は、二〇〇〇年の早い時期に、アメリカの国立公文書館での調査で、一九六〇年一月の安保条約調印のさいに結ばれた米国政府の一連の秘密解禁文書を入手し、不破が、三月~四月の党首討論で、その資料をもとに、「核密約」の真相の徹底調査を政府に求めた。討論は、三月八日(小渕恵三首相と)、二十二日(同前)、二十九日(同前)、四月十九日(小渕首相急死のため、後継の森喜朗首相と)おこなった。そこで、不破は、六〇年一月六日、日米両国政府代表のあいだで頭文字署名とともに取り交わされた文書「討論記録」が核密約であり、日米安保条約の不可分の一部をなしていることを、アメリカ側の公文書で立証するとともに、それ以後、この密約にもとづいて、アメリカが核兵器を積んだ艦船を事前協議なしに日本に入港させ、核積載艦の母港を日本におくことまでやってきたことを、これもアメリカ側の公文書で示した。
しかし、この時の政府の対応は、「アメリカ側が機密開示したという文書に日本政府は関知しない。密約など存在しないから、外務省の保管文書を調査する必要もない」との紋切り型答弁に終始するだけのものだった。しかし、その主張の根拠としては、過去に何人もの首相がその趣旨で答弁してきた、ということ以外には、なんの事実も示すことをしなかった。
それからほぼ十年たち、新たに成立した鳩山政権は、発足早々、核密約の徹底調査の意思を表明した。私たちは、その調査に協力する立場で、入手していた核密約関係のアメリカの主要な外交文書を鳩山内閣に提供し、調査結果を期待して待った。しかし、政府が委嘱した「有識者委員会」が三月九日に発表した「報告書」は、私たちの期待を裏切るものだった。
不破が十年前に、これが「核密約」だとして政府と国会に提起した文書「討論記録」が存在すること、その文面もそのとき明らかにしたとおりの内容であったことは、有識者委員会の調査でも、確認された。しかし、驚くべきことに、「報告書」は、そこまで事実を確認しながら、この文書の二節C項を、核積載艦船の、事前協議なしの日本寄港を認めたものと読むのは、アメリカ側の一方的解釈であって、「交渉当時、その解釈を日本側に明らかにした形跡はない」としている。そして、そのことを理由に、「討論記録」は核密約ではない、と断定した。
有識者委員会のこの「報告」を受けて、政府は、六〇年安保条約の締結当時、「核密約」は存在しなかった、という立場に立ち、核密約の廃棄など、核問題でのこれまでの日米関係を変えるような行動はいっさいとらない旨、言明している。「非核三原則」を日本全土に適用し、名実ともに「非核日本」の実現を願うものにとっては、ことはきわめて重大である。
私たちは、不破が十年前に国会と政府に提出したアメリカ側の公文書だけでも、「討論記録」が核密約であることの立証は十分だと確信している。しかし、有識者委員会の「報告書」は、密約否定論の根拠を、もっぱら日米の交渉過程に求めている。われわれは、このことに対応して一九五八~六〇年の日米交渉の経過と内容を明らかにするために、当時、アメリカでの核密約調査の中心をにない、その後もひきつづき調査を重ねてきた新原昭治氏と協力して、入手しているアメリカ側の機密解禁文書の全体について、その角度からの精査をあらためておこなった。そして、核密約「討論記録」の作成の経過と、これについてアメリカ側が、どのように日本政府に説明していたか、この文書が中間的な記録なのか、合意文書なのか、など、問題の中心点を明らかにする二つの重要文書を発見した。
この文書は、以下に見るように、アメリカ代表が、公式の席上、核兵器を積載した軍艦の日本への事前協議なしに日本に寄港することを、条約上の権利として最初から主張していたことを明らかにする点でも、日本政府が、「条約」、「交換公文」、「討論記録」の全体およびその解釈を、一体のものとして受け入れたことを示す点でも、「有識者委員会報告書」の所見をくつがえす内容をもったものである。
第一の文書―日米交渉第一日(五八年十月四日)の会談状況を知らせるマッカーサー大使の電報
第一の文書は、一九五八年十月四日、日米安保交渉が開始された第一日に、アメリカ政府代表(マッカーサー大使)が、日本政府代表(岸信介首相、藤山愛一郎外相)に何を説明したかを示すマッカーサー大使自身の一通の電報である。電報のあて先は、フィリピン駐在の米国ボーレン大使、日付は十月二十二日である。アメリカは、当時、フィリピンにスビック湾軍港やクラーク空軍基地などをおいており、フィリピン政府とのあいだで基地・防衛関係の交渉をおこなっている最中で、核兵器の持ち込みについての事前協議の問題が、そこでも米比交渉の焦点の一つとなっていた。同じ東アジアで、共通のテーマでの外交問題に取り組むものとして、外交官同士が密接な情報交換をしていたのである。
(イ)電報はまず、十月四日の交渉第一回の協議で、マッカーサー大使が、日本側に、米側の「一括提案(包括的パッケージ)」を提示した、ことを知らせている。この「一括提案」とは、「条約草案、〔事前〕協議の定式(フォーミュラ)、その〔協議〕定式についてのわれわれの解釈の説明」を含むものだった。この三つは、交渉が終結したときには、日米安保条約、事前協議についての「岸・ハーター交換公文」、「討論記録」として具体化されたものである。アメリカ側が、この三つを、一体をなす新安保条約の核心部分だとみなしていたことが、強くうかがわれる。
(ロ)続いて電報は、〔事前〕協議の定式についての説明は、国務省・国防総省共同の交渉訓令に従っておこなわれた、と述べる。
その訓令は、「米軍とその装備の日本への配置」にかかわる事前協議についての訓令で、中身は(A)(B)の二項があり、(A)では、事前協議の対象となるのは「核兵器」だけであること、(B)では、「核兵器を積載している米軍艦の日本の領海と港湾への立ち入りの問題は従来通り続けられ、〔事前〕協議の定式の対象にならない」ことが指示されていた。ここでは、米軍艦の立ち入りの問題について、「核兵器を積載している米軍艦」と、核兵器積載の問題が明記されていることが注目される。
交渉の第一日に、核兵器を積んだ軍艦の寄港には事前協議を適用しない、という米側の立場が、誤解の余地のないあからさまな表現で、日本側に説明されたことは、間違いない。訓令では、「われわれの定式」の説明は「適切な時点」でやって「合意」を追求せよとして、時期の判断はマッカーサー大使に任されていたが、大使は、冒頭に米側の考えを説明した方が「合意」の形成に役立つと考えたのであろう。
(ハ)マッカーサー大使は、この説明のあと、この問題での「合意とその解釈」を、「どうしたら最もよく記録に残せるか」について、岸と藤山の意見を聞いたとし、自分の見通しとして、〔事前〕協議の定式そのものは交換公文などの形で公表されるだろうが、解釈についての合意の方はおそらく秘密になるだろう、としている。この問題は、交渉のその後の経過のなかで、マッカーサー大使の見通しのとおり、「交換公文」(岸・ハーター)と秘密取り決め(「討論記録」)という形に具体化されてゆくことになる。
(ニ)電報のそのあとの部分も重要である。交渉の第一日に、アメリカ側が見解を一括して述べたのだから、日本側が日本政府としての見解を述べるのが、当然の筋道であり、マッカーサー大使もそのことを期待していたようである。ところが、報告電報は、この日の会議では、外務省の実務関係者から質問があっただけで、日本側代表である「岸と藤山」の口からは「中身のある応答」はいっさい聞かれなかった、と述べている。
こうして、日米交渉の第一日は、結局、アメリカの「一括提案」をベースにして、それをどういう形式で文書化するか、という技術的な問題を軸にすすんでゆくことが予想される展開で終わった。
有識者委員会の「報告書」は、交渉が始まる前に、日本側が、事前協議についての独自案を用意していたことを明らかにしている。
「合衆国は、日本国政府の事前の同意なくして、核兵器を日本国内に持ち込まない。これは、日本国内に配備される合衆国軍隊のみならず、臨時に日本国内に入る船舶及び航空機にも適用があるものとする」(「米軍の配備及び使用に関する日本側書簡案」一九五八年七月二日、八月十三日)。
「報告書」はそのあと、「この書簡は米国側には提示されなかったようだが」と簡単に記しているが、ここに日本政府の真意があったのだったら、交渉以前にこの書簡を送る適切な機会がなかったとしても、交渉第一日は、当然、その主張を展開すべきであった。しかし、日本側代表は、そのことをしなかった。そして、有識者委員会がいくら探してみても、日米交渉の過程で、日本側が、用意した「書簡」の立場をアメリカ側に説明した「形跡」は見つからなかったようである。
結局、五八年十月に始まった日米交渉の過程で、アメリカ側は、核積載の艦船の寄港は事前協議の対象外だとするという自分たちの「解釈」を最初の日から説明したが、日本側は、核積載の艦船は事前協議の対象だとする自分たちの立場を、アメリカ側に一度も主張しなかったのである。有識者委員会の「報告書」のように、「討論記録」を取り交わしたものの、その文面の日米双方の「解釈」は、最初から最後まで違っていたなどとする根拠は、この交渉過程のどこにあった、というのだろうか。
第二の文書―合意成立(五九年六月二十日)当時の交渉経過を伝えるマッカーサー大使の報告電報
第二の文書は、翌年六月二十日、日米安保条約の核心部分についての交渉が完了し、日米両政府間に「完全な合意」が成立したことをハーター国務長官に報告したマッカーサー大使の報告電報である。
この電報では、最終段階での交渉の模様がよく分かる。
電報はまず、前々日の六月十八日に、藤山外相にアメリカ側の「包括提案」を渡し、この提案は、全体が「単一のパッケージ」をなしていて、答えはその全体についてイエスかノーかいうべきで、個別の回答は困る、と伝えておいたと述べている。このことは、交渉のこの段階においても、アメリカ側が、条約、交換公文、討論記録の全体を一体のものとして扱い、最終的な案文をつくって、その全体をのむかのまないかという、いわば最後通牒(つうちょう)的な言い方で日本側に受諾を求めたことを、示している。
翌十九日夜、マッカーサー大使は藤山外相と連絡をとって、「包括提案」にたいする岸首相の反応を聞いた。岸首相の反応は、「パッケージの内容のすべてのポイントを受け入れた」というものだったが、訂正を求める点が一つあった。それは、公表される「交換公文」から、「その時点における全般的な状況にてらして」という一句を削ってほしい、というものだった。
この一句はこの交渉で削られたために、どこに入っていたものかは確定できないが、「交換公文」は、全体が一つの文章として成り立っているから、おそらく、これこれの事項は「事前協議の主題となる」というさいの、条件・背景を説明する一句として入っていたものと、推測される。
そして、重要なことは、条約、交換公文、討論記録の全体を「包括提案」として示された岸首相が、「全体はイエスだが、一点だけ修正してほしい」と求めたことは、その一点をのぞけば、文章の細部まで点検した上で、三つの文書の全体に合意する、という公式の回答をおこなった、という重い意味をもつ、という点である。
マッカーサー大使は、即日、岸首相の要望を国務省に伝え、二十日朝、国務省から同意という回答をえて、それを藤山外相に伝えた。
このことを、報告電報は、「私は藤山に、われわれは上記の文言の削除に同意する、と伝えた。これによって、条約、〔事前〕協議の定式(フォーミュラ)および討論記録についての合意は完了した」と記したあと、その他二つの交渉問題もあわせて、これまでに達成された合意を、次のように整理している。
「上記に照らして、いまやわれわれは岸と藤山とのあいだで以下に関して完全な合意に達した。(A)新しい相互協力・安全保障条約、(B)公表用の〔事前〕協議の定式を含む交換公文、(C)その定式を説明する討論記録、(D)〔日米〕合同委員会の諸決定の有効性の継続などに関する交換公文、(E)ラスク・岡崎公式議事録の有効性継続に関する交換公文」。
この報告電報が示すように、新安保条約と「岸・ハーター交換公文」と「討論記録」は、最後まで一括した条約文書(単一のパッケージ)として、日本政府とアメリカ政府とのあいだで交渉され、双方が字句のすみずみまで吟味し「解釈」も一致させた上で合意しあい、最後に、一括した条約文書として「完全な合意」を確認したものである。前の二つの文書と「討論記録」のあいだにあるのは、条約の公表部分と「条約の秘密部分」(国務省が使っている言葉)との区別だけである。有識者委員会がやっているように、交換公文までは、両政府が合意した条約文書だが、「討論記録」は、日米政府の解釈がちがったままでつくられたという議論は、両国政府の代表が署名しあったという文書の形式からも、その成立にいたる交渉経過からも、まったく成り立ちうるものではない。
なお、密約交渉は実際にはここで完了とはならず、このあと、アメリカ側から、朝鮮有事のさいの米軍の行動についての新しい提起があったため、十二月まで継続され、六〇年一月六日の藤山・マッカーサーの会合では、朝鮮有事の密約がつけくわえられて、「討論記録」(マッカーサーのこの書簡での整理の〔C〕)、地位協定に関する合意覚書(書簡で整理の〔D〕)、「安全保障協議委員会第一回会合のための覚書」(追加して合意された朝鮮有事への対応の合意)の三つが、秘密協定として頭文字署名し、取り交わされることになった。
私たちは、以上に説明したこの二つの文書(マッカーサー書簡)をも新たな材料として、日本政府が、核密約とそれにもとづく日米関係の実態を正面からとらえ、密約にもとづく日本の核持ち込みに終止符を打つために、核密約の廃棄など、必要な措置・方策をとることを、強く要望するものである。
色気が無いき、桜など。今日の風雨で散ったろうね~
♥ More..Open
私のブログでしか日刊紙を見れない友人のために
強調文核密約はこうして結ばれた
五八~六〇年日米交渉の内容をしめす新たなアメリカ外交文書について
日本共産党元衆院議員 不破 哲三
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日本共産党の不破哲三前議長が、30日の記者会見で示した見解と米側極秘電報は次のとおりです。
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(写真)2000年の党首討論で密約文書を示す不破哲三前議長=同年4月
日本共産党は、二〇〇〇年の早い時期に、アメリカの国立公文書館での調査で、一九六〇年一月の安保条約調印のさいに結ばれた米国政府の一連の秘密解禁文書を入手し、不破が、三月~四月の党首討論で、その資料をもとに、「核密約」の真相の徹底調査を政府に求めた。討論は、三月八日(小渕恵三首相と)、二十二日(同前)、二十九日(同前)、四月十九日(小渕首相急死のため、後継の森喜朗首相と)おこなった。そこで、不破は、六〇年一月六日、日米両国政府代表のあいだで頭文字署名とともに取り交わされた文書「討論記録」が核密約であり、日米安保条約の不可分の一部をなしていることを、アメリカ側の公文書で立証するとともに、それ以後、この密約にもとづいて、アメリカが核兵器を積んだ艦船を事前協議なしに日本に入港させ、核積載艦の母港を日本におくことまでやってきたことを、これもアメリカ側の公文書で示した。
しかし、この時の政府の対応は、「アメリカ側が機密開示したという文書に日本政府は関知しない。密約など存在しないから、外務省の保管文書を調査する必要もない」との紋切り型答弁に終始するだけのものだった。しかし、その主張の根拠としては、過去に何人もの首相がその趣旨で答弁してきた、ということ以外には、なんの事実も示すことをしなかった。
それからほぼ十年たち、新たに成立した鳩山政権は、発足早々、核密約の徹底調査の意思を表明した。私たちは、その調査に協力する立場で、入手していた核密約関係のアメリカの主要な外交文書を鳩山内閣に提供し、調査結果を期待して待った。しかし、政府が委嘱した「有識者委員会」が三月九日に発表した「報告書」は、私たちの期待を裏切るものだった。
不破が十年前に、これが「核密約」だとして政府と国会に提起した文書「討論記録」が存在すること、その文面もそのとき明らかにしたとおりの内容であったことは、有識者委員会の調査でも、確認された。しかし、驚くべきことに、「報告書」は、そこまで事実を確認しながら、この文書の二節C項を、核積載艦船の、事前協議なしの日本寄港を認めたものと読むのは、アメリカ側の一方的解釈であって、「交渉当時、その解釈を日本側に明らかにした形跡はない」としている。そして、そのことを理由に、「討論記録」は核密約ではない、と断定した。
有識者委員会のこの「報告」を受けて、政府は、六〇年安保条約の締結当時、「核密約」は存在しなかった、という立場に立ち、核密約の廃棄など、核問題でのこれまでの日米関係を変えるような行動はいっさいとらない旨、言明している。「非核三原則」を日本全土に適用し、名実ともに「非核日本」の実現を願うものにとっては、ことはきわめて重大である。
私たちは、不破が十年前に国会と政府に提出したアメリカ側の公文書だけでも、「討論記録」が核密約であることの立証は十分だと確信している。しかし、有識者委員会の「報告書」は、密約否定論の根拠を、もっぱら日米の交渉過程に求めている。われわれは、このことに対応して一九五八~六〇年の日米交渉の経過と内容を明らかにするために、当時、アメリカでの核密約調査の中心をにない、その後もひきつづき調査を重ねてきた新原昭治氏と協力して、入手しているアメリカ側の機密解禁文書の全体について、その角度からの精査をあらためておこなった。そして、核密約「討論記録」の作成の経過と、これについてアメリカ側が、どのように日本政府に説明していたか、この文書が中間的な記録なのか、合意文書なのか、など、問題の中心点を明らかにする二つの重要文書を発見した。
この文書は、以下に見るように、アメリカ代表が、公式の席上、核兵器を積載した軍艦の日本への事前協議なしに日本に寄港することを、条約上の権利として最初から主張していたことを明らかにする点でも、日本政府が、「条約」、「交換公文」、「討論記録」の全体およびその解釈を、一体のものとして受け入れたことを示す点でも、「有識者委員会報告書」の所見をくつがえす内容をもったものである。
第一の文書―日米交渉第一日(五八年十月四日)の会談状況を知らせるマッカーサー大使の電報
第一の文書は、一九五八年十月四日、日米安保交渉が開始された第一日に、アメリカ政府代表(マッカーサー大使)が、日本政府代表(岸信介首相、藤山愛一郎外相)に何を説明したかを示すマッカーサー大使自身の一通の電報である。電報のあて先は、フィリピン駐在の米国ボーレン大使、日付は十月二十二日である。アメリカは、当時、フィリピンにスビック湾軍港やクラーク空軍基地などをおいており、フィリピン政府とのあいだで基地・防衛関係の交渉をおこなっている最中で、核兵器の持ち込みについての事前協議の問題が、そこでも米比交渉の焦点の一つとなっていた。同じ東アジアで、共通のテーマでの外交問題に取り組むものとして、外交官同士が密接な情報交換をしていたのである。
(イ)電報はまず、十月四日の交渉第一回の協議で、マッカーサー大使が、日本側に、米側の「一括提案(包括的パッケージ)」を提示した、ことを知らせている。この「一括提案」とは、「条約草案、〔事前〕協議の定式(フォーミュラ)、その〔協議〕定式についてのわれわれの解釈の説明」を含むものだった。この三つは、交渉が終結したときには、日米安保条約、事前協議についての「岸・ハーター交換公文」、「討論記録」として具体化されたものである。アメリカ側が、この三つを、一体をなす新安保条約の核心部分だとみなしていたことが、強くうかがわれる。
(ロ)続いて電報は、〔事前〕協議の定式についての説明は、国務省・国防総省共同の交渉訓令に従っておこなわれた、と述べる。
その訓令は、「米軍とその装備の日本への配置」にかかわる事前協議についての訓令で、中身は(A)(B)の二項があり、(A)では、事前協議の対象となるのは「核兵器」だけであること、(B)では、「核兵器を積載している米軍艦の日本の領海と港湾への立ち入りの問題は従来通り続けられ、〔事前〕協議の定式の対象にならない」ことが指示されていた。ここでは、米軍艦の立ち入りの問題について、「核兵器を積載している米軍艦」と、核兵器積載の問題が明記されていることが注目される。
交渉の第一日に、核兵器を積んだ軍艦の寄港には事前協議を適用しない、という米側の立場が、誤解の余地のないあからさまな表現で、日本側に説明されたことは、間違いない。訓令では、「われわれの定式」の説明は「適切な時点」でやって「合意」を追求せよとして、時期の判断はマッカーサー大使に任されていたが、大使は、冒頭に米側の考えを説明した方が「合意」の形成に役立つと考えたのであろう。
(ハ)マッカーサー大使は、この説明のあと、この問題での「合意とその解釈」を、「どうしたら最もよく記録に残せるか」について、岸と藤山の意見を聞いたとし、自分の見通しとして、〔事前〕協議の定式そのものは交換公文などの形で公表されるだろうが、解釈についての合意の方はおそらく秘密になるだろう、としている。この問題は、交渉のその後の経過のなかで、マッカーサー大使の見通しのとおり、「交換公文」(岸・ハーター)と秘密取り決め(「討論記録」)という形に具体化されてゆくことになる。
(ニ)電報のそのあとの部分も重要である。交渉の第一日に、アメリカ側が見解を一括して述べたのだから、日本側が日本政府としての見解を述べるのが、当然の筋道であり、マッカーサー大使もそのことを期待していたようである。ところが、報告電報は、この日の会議では、外務省の実務関係者から質問があっただけで、日本側代表である「岸と藤山」の口からは「中身のある応答」はいっさい聞かれなかった、と述べている。
こうして、日米交渉の第一日は、結局、アメリカの「一括提案」をベースにして、それをどういう形式で文書化するか、という技術的な問題を軸にすすんでゆくことが予想される展開で終わった。
有識者委員会の「報告書」は、交渉が始まる前に、日本側が、事前協議についての独自案を用意していたことを明らかにしている。
「合衆国は、日本国政府の事前の同意なくして、核兵器を日本国内に持ち込まない。これは、日本国内に配備される合衆国軍隊のみならず、臨時に日本国内に入る船舶及び航空機にも適用があるものとする」(「米軍の配備及び使用に関する日本側書簡案」一九五八年七月二日、八月十三日)。
「報告書」はそのあと、「この書簡は米国側には提示されなかったようだが」と簡単に記しているが、ここに日本政府の真意があったのだったら、交渉以前にこの書簡を送る適切な機会がなかったとしても、交渉第一日は、当然、その主張を展開すべきであった。しかし、日本側代表は、そのことをしなかった。そして、有識者委員会がいくら探してみても、日米交渉の過程で、日本側が、用意した「書簡」の立場をアメリカ側に説明した「形跡」は見つからなかったようである。
結局、五八年十月に始まった日米交渉の過程で、アメリカ側は、核積載の艦船の寄港は事前協議の対象外だとするという自分たちの「解釈」を最初の日から説明したが、日本側は、核積載の艦船は事前協議の対象だとする自分たちの立場を、アメリカ側に一度も主張しなかったのである。有識者委員会の「報告書」のように、「討論記録」を取り交わしたものの、その文面の日米双方の「解釈」は、最初から最後まで違っていたなどとする根拠は、この交渉過程のどこにあった、というのだろうか。
第二の文書―合意成立(五九年六月二十日)当時の交渉経過を伝えるマッカーサー大使の報告電報
第二の文書は、翌年六月二十日、日米安保条約の核心部分についての交渉が完了し、日米両政府間に「完全な合意」が成立したことをハーター国務長官に報告したマッカーサー大使の報告電報である。
この電報では、最終段階での交渉の模様がよく分かる。
電報はまず、前々日の六月十八日に、藤山外相にアメリカ側の「包括提案」を渡し、この提案は、全体が「単一のパッケージ」をなしていて、答えはその全体についてイエスかノーかいうべきで、個別の回答は困る、と伝えておいたと述べている。このことは、交渉のこの段階においても、アメリカ側が、条約、交換公文、討論記録の全体を一体のものとして扱い、最終的な案文をつくって、その全体をのむかのまないかという、いわば最後通牒(つうちょう)的な言い方で日本側に受諾を求めたことを、示している。
翌十九日夜、マッカーサー大使は藤山外相と連絡をとって、「包括提案」にたいする岸首相の反応を聞いた。岸首相の反応は、「パッケージの内容のすべてのポイントを受け入れた」というものだったが、訂正を求める点が一つあった。それは、公表される「交換公文」から、「その時点における全般的な状況にてらして」という一句を削ってほしい、というものだった。
この一句はこの交渉で削られたために、どこに入っていたものかは確定できないが、「交換公文」は、全体が一つの文章として成り立っているから、おそらく、これこれの事項は「事前協議の主題となる」というさいの、条件・背景を説明する一句として入っていたものと、推測される。
そして、重要なことは、条約、交換公文、討論記録の全体を「包括提案」として示された岸首相が、「全体はイエスだが、一点だけ修正してほしい」と求めたことは、その一点をのぞけば、文章の細部まで点検した上で、三つの文書の全体に合意する、という公式の回答をおこなった、という重い意味をもつ、という点である。
マッカーサー大使は、即日、岸首相の要望を国務省に伝え、二十日朝、国務省から同意という回答をえて、それを藤山外相に伝えた。
このことを、報告電報は、「私は藤山に、われわれは上記の文言の削除に同意する、と伝えた。これによって、条約、〔事前〕協議の定式(フォーミュラ)および討論記録についての合意は完了した」と記したあと、その他二つの交渉問題もあわせて、これまでに達成された合意を、次のように整理している。
「上記に照らして、いまやわれわれは岸と藤山とのあいだで以下に関して完全な合意に達した。(A)新しい相互協力・安全保障条約、(B)公表用の〔事前〕協議の定式を含む交換公文、(C)その定式を説明する討論記録、(D)〔日米〕合同委員会の諸決定の有効性の継続などに関する交換公文、(E)ラスク・岡崎公式議事録の有効性継続に関する交換公文」。
この報告電報が示すように、新安保条約と「岸・ハーター交換公文」と「討論記録」は、最後まで一括した条約文書(単一のパッケージ)として、日本政府とアメリカ政府とのあいだで交渉され、双方が字句のすみずみまで吟味し「解釈」も一致させた上で合意しあい、最後に、一括した条約文書として「完全な合意」を確認したものである。前の二つの文書と「討論記録」のあいだにあるのは、条約の公表部分と「条約の秘密部分」(国務省が使っている言葉)との区別だけである。有識者委員会がやっているように、交換公文までは、両政府が合意した条約文書だが、「討論記録」は、日米政府の解釈がちがったままでつくられたという議論は、両国政府の代表が署名しあったという文書の形式からも、その成立にいたる交渉経過からも、まったく成り立ちうるものではない。
なお、密約交渉は実際にはここで完了とはならず、このあと、アメリカ側から、朝鮮有事のさいの米軍の行動についての新しい提起があったため、十二月まで継続され、六〇年一月六日の藤山・マッカーサーの会合では、朝鮮有事の密約がつけくわえられて、「討論記録」(マッカーサーのこの書簡での整理の〔C〕)、地位協定に関する合意覚書(書簡で整理の〔D〕)、「安全保障協議委員会第一回会合のための覚書」(追加して合意された朝鮮有事への対応の合意)の三つが、秘密協定として頭文字署名し、取り交わされることになった。
私たちは、以上に説明したこの二つの文書(マッカーサー書簡)をも新たな材料として、日本政府が、核密約とそれにもとづく日米関係の実態を正面からとらえ、密約にもとづく日本の核持ち込みに終止符を打つために、核密約の廃棄など、必要な措置・方策をとることを、強く要望するものである。
色気が無いき、桜など。今日の風雨で散ったろうね~
♥ More..Open
県の消費税をなくす会から連絡あり
こりゃ行かないかんばい、と携帯にも予約は入れたけど
議会広報の打ち込みが全然終わらん
行かれんかもしれんき、誰か行ってもらえんやろか
4・1怒りの全国いっせい宣伝行動
午後5時~6時 博多駅博多口前
この21年間にとられた消費税 224兆円
法人税減収 208兆円
軍事費は、増額分だけで 20兆円げな。
これじゃ、福祉は悪くなるはずよね~
高齢者自然増で増えるはずの福祉予算をバッサバッサよ
4月からはこうなります
福岡県は後期高齢者医療保険料が平均で、年間3550円
(だったかな?)上がります。
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