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伊波洋一さんの本を実家に持っていった時、父が
「オッちょうどいいとこに来た。著作者に訊こう」と。
なん?と変なことを訊かれても困るなあ、思いながら質問を待つ。
突如母が「フロフて何?」と。
私も何?と聞き返す。
ようと見たら「議会と自治体」がテーブルの上に。
しかも私のところが開いてあった。
なるほど、と納得はしたけれど
それからが大変HPは?ブログは?と。
一応説明はしたけれど理解したかどうかは?????
父、「もうオレたちの頭じゃついていかんばい」と。
付け加えて、「福津でこの文章を読んでしもうたとはオレたちが最初やろね~」と。
そりゃ最初やろ。福津市で「議会と自治体」講読しよう人って少ないもんね~
私は1週間前に掲載誌が送られてきたき、すぐ眺め、なおしたと。
それから1週間して日曜版といっしょに届いたのを読んだとよ。
読んだ、っていっても詳しくは読まんよ、下書きの時に何回も読んだきね

 



足が上がらん!!


只今看板設置中
「トラックに上がって!」と言われたけれど
「タイヤに足かけて」と言われたけれど
参議院選挙の時はタイヤに足かけひょいと上がっていたのに

わくをはずして痛いのをがまんしてやっと
設置完了!!
ここだけね

 




診療所に到着
おっ壁の写真が変わっとう、と見ればうちばちゃん姉妹が。
いやあ、あちこちでがんばっとうね~
ちょっとは見習わないかんばい

 



これもゆるキャラ?


毎日毎日選管へ。

 



看板


看板がすぐ立てられるように準備のため事務所へ。
肝心の電動ドリルが全く動く気配なし。
充電かな、とバッテリーを充電器にのせる。
一度、看板をひとみ事務所や実家に運ぶ。
ドリルに再度挑戦。まだ、うんともすうともいわず、また充電器へ。
60分と、家族の説明入りばって、待つ間に眠ってしまいそう。ばってここじゃ寝られんばい。戸田事務所やし、明日(う~んもう今日か)は、東福間駅に立たないかんきね~

ドリルが復活せんやったらどげしょうか。準備しとくって事務局長に言ってしまったもんね~

 



「載る」っていったって、記事中じゃないよ。
「議会と自治体」誌の宣伝の中よ。
11年間、一生懸命やってはきたけれど、ふか~い井戸の底で
一人でもがいていただけやもんね~
FAXニュースで紹介されるようなことは、しとらんもんね。

で、紹介よ、その部分だけ、ね。



『議会と自治体』 11月号 24日発売 活用と普及にご協力ください

民主党政権下の地方政治の特徴と課題
  ●2中総を力にいっせい地方選挙へ―――― 金子邦彦

[特集]いっせい地方選挙での勝利・前進をめざして①

茨城県・山中たい子/北海道・花岡ユリ子+真下紀子/千葉県・加藤英雄/長野県・もうり栄子/
広島県・皆川けいし/福岡県・まじま省三/横浜市・大貫のり夫/京都市・山中 渡/東京都江東区・斉藤信行

[特集]地方議員活動とHP・ブログの可能性 

HP・ブログは名刺と同じ、地方議員はいっそうの活用を―― 西村 哲
山形市・佐藤あき子/神戸市・山本じゅんじ/群馬・太田市 水野正巳/広島・庄原市 藤木くにあき/
西東京市・保谷清子/福岡・福津市 松尾ひとみ/京都市・蔵田共子 ○ネット用 ひとくちメモ○

民主党「教員の質と数」政策と地方政治――――― 藤森 毅
教育の無償化・少人数学級の意義と教育条件――― 三輪定宣
口蹄疫被害からの地域再生(宮崎県) ――――――― ばば洋光
政府の「地域包括ケア」構想は何をもたらすか ――― 林 泰則



戸田さんが畑に4種類のサツマイモを
昨日、オススメのアンノウイモを一個土産に。
早速ふかす。切ったときの色がカボチャ色。「ほら」と家族にも。
煮えても色はやっぱりカボチャ色。
味もカボチャみたい、と家族が。そして二人で「やっぱあホクホクがいいばい」と。
冷えたらどうかな、と今朝のご飯代わりに。
味にさしたる変化なし
やっぱあ娘が掘ってきたほうが、オ・イ・シ・イ

 



とにかく跡継ぎが決まったから早急にと、最初の決起集会。
昨日の打ち合わせでは、ひとみちゃんの出番なし。
ま、それでも会場借りたりお金払ったりは私やき他の人より早く会場へ。

受付に座り、なあも仕事がないのもちょっとさみしいね~と
急に統一選対の長が来て、「受付は誰かに代わって」と。
打ち合わせが始まると「福津市政と市議選はひとみさんに」と。

あわてたね~
そりゃ、まわるときの挨拶とか、街宣原稿を本格的に考えなね、と
決算委員会が終わったき思うちゃおったとよ。
ばって、なあも考えとらん時にイキナリやもんね。
街宣ならイキナリでもいいばって、福津市政よ。
ひとみちゃんの11年半を、また支離滅裂に言うたろうも。
帰ったら恐怖やね、何といわれるか

デジカメ行方不明で携帯で戸田さんを。
ものすごずれがあるね。顔があっち向いとった

あっち向きになってしまった



6時から会議2つ。
今、食べておかないと真夜中の晩餐?よ
またまた太るもんね~
ホッケは4尾入りよ。残りあと1つ
主食は娘の収穫物。
あまりの小ささにいっぱいふかしたけれど食べたのは一本。
芋の前に豚足1つ。
水曜日のマルシェの売り出しで家族が。
ひとみちゃんのが残してあるとよ。食べなね~主婦業廃止の身としては

 日記




夕べ座り込んだとたんにゴロッと今、決算にのってはきたけれど、体勢維持できなくて立ち上がる
戸田事務所にテーブルを移動したき、ひとみ事務所は座り机よ
こりゃ他の物置テーブル片付けてお勉強机にしなくっちゃ
手伝い求

 



北と南が意外に合う


買い物に行く暇なし、というほどでもないけれど、単にさばけない、というだけ。
冷凍庫のホッケを解凍して沖縄のシークヮーサーをかけて食べる。意外にこれがおいしい
ちょっと遅めの朝ご飯、ふかし芋に一点添えて
いただきま~す(^o^)

 日記



街宣時にチラッと言ったのは下記の反対討論のことだけれど

あんまり頭にきたので久々に打ちまくったとよ。
なが~い原稿が、必死で打ったのに、消えてしまった
あんまり頭にきたので、ブログも湯気となって消えたのか
書く気力も無い
真島さんの応援、母親大会、昨日からの朝立ち、睡眠時間が欲しい

私が賛成意見を言ったあとに、この反対意見よ。
この後に、もう一度言いたかった

請願第3号について反対の意見を申し上げます。
 今回の請願の採択におたりましては、願意が妥当であるか。
 2番目に実現性の可能性があるか。3番目に市町村の権限、
 議会の権限事項に属するか等が判断の基準でございます。

 2番目に、実現の可能性については、その緊急性や重要性及び財政事情
 から見て、近い将来、実現の可能性があるかでございます。
 民主党政権の財政事情から、無理と考えます。借金総額が約904兆円、
 税収37兆円に対して44兆円の国債発行依存。税収以上の借金で、願意、
 請願達成は無理でございます。

 社会保障は、高齢化でどんどん増加していく傾向にありまして、
 さらに子ども手当、それから農業政策、高校授業料無料化、
 高速道路無料化などを考えますと、財源確保が無理でございまして、
 非常に難しいということでございます。
 財政確保は英知を働かせれば可能と言っておりますが、政権与党になり、
 財政確保ができずに税収以上の国債発行がその証でございます。
 したがいまして、福津市議会は実現可能のない請願に採択し、意見書
提出については、議会議員として真意を問われ、妥当でないと考えます。
 したがいまして、この請願、採択に反対といたします。

あとは、またの機会に




戸田さんがしゃべったあと、福津市議会のことをちょっとだけ。後期高齢者医療制度撤廃に反対した人のことをね。そしたら、「他の議員のことは言わないで。新人だから」と。ま、それもそうね。あとでゆっくりブログにでも書~こを。写真は自分ちがあるマンションの前でしゃべっている戸田さんよ

 日記



戸田進一さん、やっと職場に区切りがつけられそう。
来週から朝立ちよ

「コレを配ったら」と地区委員長が
尖閣諸島問題 日本の領有は
 歴史的にも国際法上も正当

 日本政府は堂々とその大義を主張すべき

紙もネットも写真がきれいやね~



末っ子、と言えばかわいいが来月30歳
先日から何度か電話あり。私は会議中か就寝中。
昨夜、やっとつながったかと思うと、突然「生年月日?」と。
母親は一人しかおらんっちゃき覚えとき~よ、と今になって「言えばよかったなあ」と。
次々に訊かれ、収入まで。
どうも保証人に私がなるみたい。
アパートを借りるそうだ。
「お父さんに頼めばいいとい」と言えば、「年金だけやろが」と。
言われれば年金とほんの少しのアルバイト代。
でも私もあとちょっとよ、保証人になれるのは。

議員になって何人かの保証人に
火事でアパートを焼けだされた一人暮らしの人。
家主さんからは、高齢者の一人暮らしには貸さない、と言われ(ひとみちゃんと同じ歳よ)、「私が責任を持ちますから」とやっと
数年前も一人暮らし・生活保護で出る範囲のアパートを探し歩いた。
その知人も亡くなり、最後の水道代の領収書が送られてきたのとほぼ同時に末っ子からの電話よ。

それにしても家賃が安くて保証人がいらないアパートはないものかね~保証人になるとはいいとよ。家を探すのがね~
この辺には安いアパートが無いとよ

 日記




事務所前のスーパーがなくなってからは、隣のクリーニング屋さんで野菜を買う。
夏は茄子を週に数回。毎日毎日焼き茄子よ
タイマーをセットすればコンロの火は勝手に消える。新型のコンロに感謝
でも今茄子は無く、数日前に里芋を三袋。やっと今日、おでんに
あまりの小粒に皮むきに時間がかかり、金曜日配達された生協のこんにゃくと芋だけ
ふかし芋をかじりながらガスの調子をみる。たぎりだせば後はタイマーにおまかせ。
芋をのどにつまらせながらコンロの前に陣取っている。
タイマーセットしたき、動こうかな。今から津丸の人のお通夜よ。
きちんとごあいさつしなくては。
でも知った人が亡くなるのはいややね~
♥ More..Open

 日記



「きょうの潮流」を今、ネットで。
議員になる前に、こういうこどもたちがいたなあ、と。
新婦人の会員さんたちも気をつけてはいたけれど、最後は施設へ。
今、お金さえあればなんでも買える時代。なのに買えない。
しかも、この時代に食べる物にさえ事欠く。
何とかしなければ、と目はますます冴える。

きょうの潮流

 昨年1月、赤旗編集局に年配の男性読者から電話がありました。「この記事は本当のことなのですか」▼都内の小学4年の男児が、通りすがりの人に食べ物をねだっていた、という記事でした。連載「子どもと『貧困』」第1回。男児の母親は、障害を抱えています。祖母が亡くなると、男児は食事を学校の給食に頼りました▼給食のない夏休み。プール登校の男児に、教職員がおにぎりやカップメンを持たせる。「お母さんに持って帰っていい?」と聞く男児。しかし、プールも休みのお盆の間、彼にはねだるしかなかった…▼担当記者が、読者の問い合わせに「私が取材しました」と答えると、先方はしばし絶句し、涙声でいいました。「こんなことが今の日本で起きているとは。なんとかしなくては…」。いらい1年あまり続いた「子どもと『貧困』」が、1冊に編まれました▼『「誰かボクに、食べものちょうだい」』(新日本出版社)。連載中、どれほど多くの人が「なんとかしなくては」と思ったことでしょう。弁護士の宇都宮健児さんも、「貧困の連鎖を断ち切る上で貴重な書」と推しています▼宇都宮さんが会長の日本弁護士連合会は、先の人権擁護大会で決議しました。「貧困の連鎖を断ち切り、すべての子どもの生きる権利、成長し発達する権利の実現を求める」と。「本来保障されるべき教育・支援を奪われ…、親の貧困が子どもの貧困に繋(つな)がる」(決議)連鎖。断ち切る力は、「なんとかしなくては」と思う人々のつながりから。


11日になってしまった。昨日10日は告別式に参加。

同年の市の職員が病気で、8日に亡くなったのだ。
同年が何人か集まり、しんみりとなる。
同年が亡くなるというのは、ほんとうにさみしい。

出棺後、「お世話になりました」とあいさつをしたけれど
「まだ、12月議会があろうが」と言われてしまった。
「12月議会は、30分間演説をしようか」と冗談っぽく言ったけれど
合併や何やが無かったら、もう少し長生きできたかもね~と思うと
合併がなぜ行われたか、政府がどれほど自治体に合併をせまってきたか
市長に一言言いたいね~と。二言三言、それ以上かも。

しゃべれるだけいいか、命があるとやき。
足が悪いぐらいいいか、しゃべって文句が言えるもんね。

親族挨拶のなかに、「2010年10月10日は忘れられない日に・・・」と。
なんか、私も忘れられない日になってしまった。
議員を辞めるあいさつが、永久の別れのようにしめっぽく・・・

それにしても弔辞がありきたりでなく、しかも心がこもっていて
棺の上には本人が育てた花。
式場入った所には、ご夫婦での山登り時の写真などが。ホッとした。

告別式終わって、花を。事務所に。デジカメまたまた行方不明。携帯で



友人、というより先輩、かな。
こうすけさんが中国からブログの原稿をメールで私宛に。
そして私が日中のブログに。

いやあ、前回のメール時に、「文字化けしていませんか?」とあり、
私は、「文字化けしていますよ~」と返事をしたばっかりやったと

ところが、また今日来たメールもよ。
日本語はいいとばって、中国語に数字がいっぱいと記号が。

で、頼まれていたブログへの公開時に、「こんなになっています」と
みんなに紹介しようと下書きにコピー。
ひょっと下のプレビュー部分を見ると  
思わず何回も見比べたばい

なんのこたあない、絵文字といっしょで、下書きでは数字ばって
公開された記事は、きちんと字になっとうとよ。

知らんこととはいえ、先輩に対して「文字化けしていますよ~」と
よ~言えたね~穴があったら入りたい、の心境やね


膝の半月板がブチッと切れて痛み止め服用。
4週間で胃に激痛。
痛み止めを止めて胃薬に。
胃の痛みは時々弱いのがくる程度。でも足が
家に帰り着くと事務所まで来る元気が足には無い。
家で横になる。風呂で温める元気も無し。

昨日、戸田進一さんの選対会議で係りが決まりました。
ひとみちゃんが選対責任者よ。
そりゃ、私の代わりに出てもらうっちゃき私がなるべき、と
ばって、そげな仕事は今まで一回もしたことがないとよ
「今まで、そういう仕事はしたことがないでしょ?」と指摘され
「ハイ!補欠選挙でアレヨアレヨというまに候補者になり、今に」と
答えたと。その通りやもんね~

会議が終わって不動産屋へ行き手続きを。
候補者と責任者じゃ不安やき、会計担当とうちばちゃんも。
交渉はうちばちゃんが。
さすが、何回も事務局長を務めたことがあるだけに
あとは、家主さんが貸してくれるかどうかだけやね

それにしても何もわからない同士の選挙よ。
大丈夫かね、と
戸田さんとは大学が同期の宗像市議・末吉さんが「手助けするよ」
と、言ってはくれたけど。がんばるしかないか
♥ More..Open


またまた幻の原稿となるか
あるとこから頼まれたと。
管理人さんからは「4年間の集大成を期待しています」って言われるし
せっかく書いたき、ブログで公開し~よを


議会報告、ブログでカバー

委員会室前で事務局の人から


2006年5月8日
「日記、今日から始めます」
  

      〔パソコン練習のために〕
福津市は、五年前二つの町が合併して誕生。福間二人と津屋崎一人で
三人の議員団になりました。
パソコンを扱えないのは私だけ。二人の議員から「覚えなさい」と議員団の
パソコンを私の事務所に置かれたのが今から四年前です。

触ったことも無いパソコンです。不安でした。すると、次女が「ホーム
ページ(HP)を作ってやるきブログを書いたら?打つ練習になるよ。」と。
HPからは日記や私の紹介、法律相談にいけるようにしてもらいました。
たどたどしく打ち始め、長文を打ったと思ったら、あっというまに
消えてしまったことも。
しかし、今ではブログ会社の質も上がり、消えることはありません。
私がキーボードを打つ早さも次女から「年のわりには早いね」と
言われるほどになりました。

ホームページのお披露目

インターネットがどういうものか知らずに始めましたので、ブログを
紹介するのに、HP「こんにちは ひとみです」への検索の仕方、そこから
「日記」をクリックするまでを細かく読者ニュースに書いたものでした。
今は口頭で、「ひとみちゃん」で検索して、と。
ニュースにはアドレスを入れています。字が小さくても、HPがあることが
わかれば検索でたどり着けます。(今は、「ひとみちゃん」だと芸能関係に。
で、「松尾ひとみ」で、と言っています。)

議会報告をブログで

春に練習を始めたと思ったら、夏には膝の手術で入院し、退院したと
思ったら、内科に十日ほど緊急入院。さあ、本気でやるぞ、と決意は
したものの、市議選直前です。なかなかブログは書けません。
告示を三日後に控えた朝、残った「名前入りビラ」を配ろうと起きたのは
よかったけれど、自宅の二階から一気に落ち、骨折。

選挙が終わり二ヶ月入院しました。この間、臨時議会などもあり、
その報告や日刊紙の記事・感想などを、携帯からメールで次女へ。
それを次女がブログで公開していました。退院してもすぐには動けず、
ブログでの議会報告が続きました。また、HPには予定表を載せています
が、そこで法律相談を知り、こられた人もいます。

ブログタイトル「ひとみちゃんにもちょっと言わせて」

せっかくの議会報告です。ぜひ、見てほしい、と、少しだけ勇気を出して
「ブログを見てください。ひとみちゃんで検索を」と自己紹介には付け加えました。
田んぼにも大きく看板を出しました。それを見て、「自分でひとみちゃんとはなんですか。幼児みたいじゃないですか。」とお叱りを受けたこともありました。でも、昔から知っている人は「ひとみちゃん」なのです。

県別ですが、ブログもHPもどれくらいの人が見ているか、というアクセス数が出ます。福岡県からは、一日に十名もいません。
福津市の人に見てほしいな、と思うのですが、県で一日数名です。誰も見ていないだろうなあ、とガッカリの日々でしたが、体が動かない分、言いたいことは溜まる一方で、毎晩ポチポチと打っていました。

「ひとみちゃん、見ていますよ」

娘の同級生のお母さんが「息子が千葉で見ていますよ、ひとみちゃん」と。
それを聞いた時、涙が出るほどうれしかったものです。
市は、行財政改革や集中改革プランで、保育所民営化や学校給食調理を
民間業者に委託することを決め、説明会をしました。
その時、会場のお母さんや調理師さんから「見ていますよ」と声をかけられ、
福津の人も見ている、と、またまたうれしくなりました。

市民のみなさんから

ブログは見てもらうだけではありません。書き込み(コメント)ができます。
市内の方からコメントをいただいた時は、それはそれは感激しました。
相談のコメントの時もあります。コメントをいただいて以来、
時々ではありますが、メールで議会傍聴のお願いをするようにもなりました。

お友だちができました 

 長い入院生活時は、携帯で他の人のブログを訪問し、少しでも「ひとみちゃん」を知ってもらえれば、とコメントを残してきました。
 長文を打ったのに一瞬で消えてしまったことをブログに書けば、「ワードに打ってコピーすればいいですよ。議会報告作成の時、役に立ちますよ」と大変ありがたいコメントをいただいたことも。
 地域の人から多種多様な要求があり、そのことを日記に書けば、専門的なコメントもいただき、まだ顔も知らない友人に直接メールで相談をすることもありました。

議会活動に役立っています

 議会報告だけではなく、ブログを見て「あの議会は」と、検索することもありますし、自分のブログだけではなく、視察に行く前に視察先の党の議員のHPを見て参考にしています。
 HPの中には一般質問も載っていますが、「こういう質問の仕方もあるのか!」と勉強になることが多く、これからは大いにネット上で交流できれば、と思っています。

政治は変えられる!
 「しんぶん赤旗」が頼り!


今のこの厳しい生活を変えるには日本共産党をもっともっと知ってほしい、
と、「しんぶん赤旗」の記事を紹介することも度々です。
ネット上の記事の表をコピーして保存し、自分が言いたいことを書くとき
参考にします。そして、これをビラにし、「しんぶん赤旗」を
勧めるときに持っていきます。
他のHPを知るなかで、日刊紙の「水曜随想」などは、個人のHPに
載っていることを知り、コピーしてブログに載せています。
ネット上に無い記事を紹介したい時は、記事をスキャンして写真として載せていましたが、今は有料のデータベースを利用し、コピーしてブログに(数日かかりますが)。

親類や友人への回覧板


遠方にいる親類や友人に「家族新聞」の代わりに、と両親や許可を得た友人たちを載せています。私のちょっとした楽しみです。

携帯電話から投稿 

パソコンは事務所です。
 どうしても言いたい、議会の報告もしたい、と思っても、事務所まで行かなければなりません。
「家にもパソコンが欲しいなあ」とつぶやくと、次女が「携帯から投稿できるよ」と教えてくれ、すぐ投稿できるようにしてくれました。(今年の秋分の日に初投稿)

パソコンの使い方を勉強したい 

今は、ワードもブログもやっと打つ程度ですが、エクセルも名簿ソフトもパーソナル編集長も使いこなし、福津市の財政などをわかりやすくニュースにして配りたい、と思っています。議員の任期は来年1月23日までです。学習時間が増えるのがいまから楽しみです。

  2010年9月26日
        松尾ひとみ

もうすぐ議員生活ともおさらばよ。
誰に遠慮することなく言いたいことを言えるようになるとよ。
タイトルを「ひとみちゃんの言いたい放題」に変えようかしら
な~んちゃって、冗談冗談。
気の弱いひとみちゃんが、言いたい放題なんて、とてもとても。


ツイッター始めました

遅まきながら(?)ツイッターを始めました。
始めろうと思っています、というのが正確かな
だって言いたいことはいっぱい
テレビを観ても
ラジオを聴いても
街を歩いていていても、ネ
宣言しとったらすぐ始めないけんきね。
ま、今は予習中よ

管理人さんの姉、つまり、ひとみちゃんの長女が買ってきた
現代洋子さんの「三鷹の中心でなう!をつぶやく」
  まんが家が体験して
    ここがスゴイぜ ツイッター

を読んでる最中よ

現代洋子さんの本


買った本人は「チンプンカンプンやった」と。
  大きな声じゃ言えんけど、私もね。
私が「ツイッター始めようかな」とつぶやいたら「じゃ、コレ!」と。
「貰ってい~い?」ときくと、「いいよ」と。


まずは、ブログの更新を知らせるだけ
そのうち携帯で「つぶやく」日が来るかも

http://twitter.com/hitomi_matsuo


日本政府って中国にもしっかりと言いきらんし、アメリカには尚やしね~
今日も尖閣諸島の話が。こげな証拠もあるっちゃき、しっかと言わなね~


きょうの潮流

 26日付に、尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎について書きました。
 きょうは、後日談をひとつ

▼尖閣でアホウドリの羽根の加工やかつお節づくりを始めた辰四郎氏は、
 1918年に亡くなります。息子の古賀善次氏が事業をついで、
 あくる19年。中国の福建省の漁船が、嵐にあって尖閣諸島の沖合で
 難破、漂流します。発見し、助けたのが善次氏たちでした
▼彼は、難破船と乗組員31人を石垣島へ連れてゆきます。
 石垣島民も、彼らを手厚くもてなします。やがて船が直り、彼らは無事に
 中国へ帰ってゆきました。翌20年、善次氏や石垣の人たちに、
 中国政府の感謝状がおくられてきます
▼そこには、中華民国の駐長崎領事の署名がありました。漁船が遭難した
 場所を、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内…」と記していました。
 善次氏はのちに、当時は中国も尖閣諸島を日本領土と認めていた、と
 いい残しています
▼1920年という時期にも注目したい。中国では当時、激しい反日運動が
 起きていました。第1次大戦後、日本が中国に“山東半島をよこせ”と
 求めたからです。1919年5月4日の学生デモをきっかけに、
 日本商品の不買運動が全国に広がります
▼21年に訪中した作家の芥川龍之介は、女学生たちが不便にたえながら
 文房具も日用品も日本製を一切拒む姿に、驚き感動しています。
 そんな折の、東シナ海を舞台にした日中庶民の交流。
 当然のように、尖閣を日本領とみなした中国。
 いま振り返っていい、歴史の一こまでしょう。






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