(4)憧れのフランク・ロイド・ライトの学び舎
- 2020/09/22
- 01:07
自由学園明日館のパンフレット。
パンフレットより。1934年(昭和9年)、生徒数の増加により、自由学園は、西武池袋線 ひばりヶ丘駅に移転した。
その後、創立者の羽仁夫妻が自由学園と日本の教育の明日を託して命名した「明日館」(みょうにちかん)は、卒業生の活動拠点として使われてきた。
幸いにも、関東大震災や太平洋戦争の被害を免れ、戦後は「自由学園生活学校」の校舎として、使われることになる。
「自由学園生活学校」とは、「よき生活者としての教養と技術を身につけること」を目的として、1948年に開校した1年制(後に2年制)の学校で、1973年までに1200人余の卒業生を世に送り出した。
「自由学園生活学校」は、当初は婦人之友社の通信教育を意図とした実験校として、雑誌『婦人之友』誌上で生徒募集が行われた。
生徒は全国各地から集まり、その大分部が目白周辺のいくつかの寮に暮らした。
教師陣は、自由学園女子部の卒業生、『婦人之友』愛読者組織の「全国の友の会」から、洋裁、料理、工芸、家事家計など、その道の達人が教育にあたった。
食堂。ライト自身がデザインしたという照明は、当時からのものだ。
食堂の三方に配された小食堂は、当初はバルコニーだったが、生徒の増加によって、ライトの弟子の遠藤新(えんどう・あらた)の手によって改築された。
中央断面図の模型。保存修理工事前のもの。縮尺25分の1。
内部は、数段ずつ異なる高さの床を作ることにより、連続性のある空間の広がりを感じさせる。
入学式の行われた、1921教室へ続く廊下。自由学園明日館で多用された、大谷石がここでも使われている。
1921教室の名の由来は、1921年(大正10年)4月15日に開校したからだ。
自由学園関連略年表。
1934年(昭和9年) キャンパスが東久留米市(西武池袋線 ひばりヶ丘駅)に移転
1938年(昭和13年) 北京生活学校が設立
1955年(昭和30年) 創立者・羽仁吉一 逝去
1957年(昭和32年) 創立者・羽仁もと子 逝去
大教室 タリアセン。「タリアセン」とは、フランク・ロイド・ライトが設計し、弟子たちとともに建設した建築群を指す。
大教室 としま。オリジナルの床材を使っている。
「2017年度 畑のこよみと教科の結びつき」。
二十日大根、あさがお、インゲン、サツマイモ、サトイモ、ヘチマ、イネ、オクラ、ジャガイモ、カブ、キンカン、大根、ターツァイ(小松菜)が一年を通して、育てられる。
二十日大根を見て、詩を書いたり、カブを見て、「おおきなかぶ」の劇を行ったりとユニークな教育が行われる。
「つくって、学んで、食べて、うれしい!〜頭と体と心をつなぐ、初等科の“畑の教室”〜」。
11月中旬に行われる収穫感謝祭では、賛美歌を歌って、どのように育てたかの報告を聞き合う。
お昼には、父母に育てた野菜をたっぷり使った、芋の子汁を作ってもらい、生徒や先生、父母で一緒に食べる。
5年生は、育てたお米で父母と一緒に餅つきをし、みんなに振る舞う。
自然豊かな四季折々の初等科の生活は、知識と経験をひとつに結び、子供たちを「頭と体と心をつなぐ」深い学びへと導く。
遠藤によって、設計された講堂には、大きな舞台がある。土日には、結婚式会場になる。
講堂の一番後ろのベンチ。窓から差し込む、緑がまぶしい。
ミュージアムショップで購入した、蚊帳が素材の服。蚊を避ける、あの蚊帳で服が作られている。
20%オフで、3040円也。サラサラとして、着心地がいい。
蚊帳の服のしおり。
「奈良の地場産業である蚊帳素材で日常着を作りました。気軽に着られて、素肌に心地よく、ジャブジャブ洗えて、すぐ乾く。使うほどにふんわり柔らかく変化する、そんな普段着です」。
卒業生がデザインした、コーティング加工の花模様のペンケース。1760円也。
これも、卒業生がデザインした(?)、ミネラルウォーターのペットボトル。100円也。
ジンジャーアーモンド。540円也。砂糖がけされたアーモンドにジンジャーの味がする。
『自由学園の「お食後」〜98年を超えて、生徒たちが受け継ぐ伝統のお菓子』(誠文堂新光社・刊)。
「お食後」とは、デザートのこと。卒業生たちが、企画、編集、スタイリング、写真、ライティングした本だ。編集者が見てもよく出来ている。
おいしそうなデザートが洋菓子編、和菓子編に分かれて、たくさん載っている。
たとえば、表紙にもなっている煮リンゴ。
紅玉を見つけたら、ぜひ作ってほしいお食後の一つだそうだ。皮を一緒に煮ることで、きれいなピンク色になる。
ぶどうゼリー。自由学園では、手作りのジュースで作るという。
「アガー」というゼラチンの仲間があることを初めて知った。海藻からできたゼリーの素で、ゼラチンや寒天に比べ、透明度が高く、独特のぷるるんとした弾力の食感になる。
アガーを使って、でこぽん、真穴みかん、ラ・フランスの缶詰のゼリーを作った。
寒天で固める水ようかんのように口の中では溶けなくて、温度に溶けるゼリーのようにぷるるんとしている。二つの性質を持った、おもしろいゼリーの素だ。
ショソン。リンゴがおいしい季節に作りたい、フランスの菓子パン。
サックリとしたパイ生地の中に、しっとりとしたリンゴのコンポートが入っている。オーブンが使える、涼しくなった秋に作りたいものだ。
あん巻き。自由学園では、大きな銅板で一枚、一枚、皮を焼き、あんをくるりと包む。
雪衣(ゆきごろも)。サツマイモがおいしい季節に作りたい和菓子。単に「大学芋」と呼ばないところが、自由学園らしい。
希望満充(きぼうまんじゅう)。お食後の代表といえば、これだそうだ。
1935年(昭和10年)、当時の高等科2年生が誕生日会で、一つ10人分の大きなまんじゅうを作ったのが始まり。「希望満充」と手書きした旗を立てて、完成。
お邪魔しました。また遊びに来ます。
最終回が、なかなかまとめられなくて、ゴメンにゃん(笑)。
パンフレットより。1934年(昭和9年)、生徒数の増加により、自由学園は、西武池袋線 ひばりヶ丘駅に移転した。
その後、創立者の羽仁夫妻が自由学園と日本の教育の明日を託して命名した「明日館」(みょうにちかん)は、卒業生の活動拠点として使われてきた。
幸いにも、関東大震災や太平洋戦争の被害を免れ、戦後は「自由学園生活学校」の校舎として、使われることになる。
「自由学園生活学校」とは、「よき生活者としての教養と技術を身につけること」を目的として、1948年に開校した1年制(後に2年制)の学校で、1973年までに1200人余の卒業生を世に送り出した。
「自由学園生活学校」は、当初は婦人之友社の通信教育を意図とした実験校として、雑誌『婦人之友』誌上で生徒募集が行われた。
生徒は全国各地から集まり、その大分部が目白周辺のいくつかの寮に暮らした。
教師陣は、自由学園女子部の卒業生、『婦人之友』愛読者組織の「全国の友の会」から、洋裁、料理、工芸、家事家計など、その道の達人が教育にあたった。
食堂。ライト自身がデザインしたという照明は、当時からのものだ。
食堂の三方に配された小食堂は、当初はバルコニーだったが、生徒の増加によって、ライトの弟子の遠藤新(えんどう・あらた)の手によって改築された。
中央断面図の模型。保存修理工事前のもの。縮尺25分の1。
内部は、数段ずつ異なる高さの床を作ることにより、連続性のある空間の広がりを感じさせる。
入学式の行われた、1921教室へ続く廊下。自由学園明日館で多用された、大谷石がここでも使われている。
1921教室の名の由来は、1921年(大正10年)4月15日に開校したからだ。
自由学園関連略年表。
1934年(昭和9年) キャンパスが東久留米市(西武池袋線 ひばりヶ丘駅)に移転
1938年(昭和13年) 北京生活学校が設立
1955年(昭和30年) 創立者・羽仁吉一 逝去
1957年(昭和32年) 創立者・羽仁もと子 逝去
大教室 タリアセン。「タリアセン」とは、フランク・ロイド・ライトが設計し、弟子たちとともに建設した建築群を指す。
大教室 としま。オリジナルの床材を使っている。
「2017年度 畑のこよみと教科の結びつき」。
二十日大根、あさがお、インゲン、サツマイモ、サトイモ、ヘチマ、イネ、オクラ、ジャガイモ、カブ、キンカン、大根、ターツァイ(小松菜)が一年を通して、育てられる。
二十日大根を見て、詩を書いたり、カブを見て、「おおきなかぶ」の劇を行ったりとユニークな教育が行われる。
「つくって、学んで、食べて、うれしい!〜頭と体と心をつなぐ、初等科の“畑の教室”〜」。
11月中旬に行われる収穫感謝祭では、賛美歌を歌って、どのように育てたかの報告を聞き合う。
お昼には、父母に育てた野菜をたっぷり使った、芋の子汁を作ってもらい、生徒や先生、父母で一緒に食べる。
5年生は、育てたお米で父母と一緒に餅つきをし、みんなに振る舞う。
自然豊かな四季折々の初等科の生活は、知識と経験をひとつに結び、子供たちを「頭と体と心をつなぐ」深い学びへと導く。
遠藤によって、設計された講堂には、大きな舞台がある。土日には、結婚式会場になる。
講堂の一番後ろのベンチ。窓から差し込む、緑がまぶしい。
ミュージアムショップで購入した、蚊帳が素材の服。蚊を避ける、あの蚊帳で服が作られている。
20%オフで、3040円也。サラサラとして、着心地がいい。
蚊帳の服のしおり。
「奈良の地場産業である蚊帳素材で日常着を作りました。気軽に着られて、素肌に心地よく、ジャブジャブ洗えて、すぐ乾く。使うほどにふんわり柔らかく変化する、そんな普段着です」。
卒業生がデザインした、コーティング加工の花模様のペンケース。1760円也。
これも、卒業生がデザインした(?)、ミネラルウォーターのペットボトル。100円也。
ジンジャーアーモンド。540円也。砂糖がけされたアーモンドにジンジャーの味がする。
『自由学園の「お食後」〜98年を超えて、生徒たちが受け継ぐ伝統のお菓子』(誠文堂新光社・刊)。
「お食後」とは、デザートのこと。卒業生たちが、企画、編集、スタイリング、写真、ライティングした本だ。編集者が見てもよく出来ている。
おいしそうなデザートが洋菓子編、和菓子編に分かれて、たくさん載っている。
たとえば、表紙にもなっている煮リンゴ。
紅玉を見つけたら、ぜひ作ってほしいお食後の一つだそうだ。皮を一緒に煮ることで、きれいなピンク色になる。
ぶどうゼリー。自由学園では、手作りのジュースで作るという。
「アガー」というゼラチンの仲間があることを初めて知った。海藻からできたゼリーの素で、ゼラチンや寒天に比べ、透明度が高く、独特のぷるるんとした弾力の食感になる。
アガーを使って、でこぽん、真穴みかん、ラ・フランスの缶詰のゼリーを作った。
寒天で固める水ようかんのように口の中では溶けなくて、温度に溶けるゼリーのようにぷるるんとしている。二つの性質を持った、おもしろいゼリーの素だ。
ショソン。リンゴがおいしい季節に作りたい、フランスの菓子パン。
サックリとしたパイ生地の中に、しっとりとしたリンゴのコンポートが入っている。オーブンが使える、涼しくなった秋に作りたいものだ。
あん巻き。自由学園では、大きな銅板で一枚、一枚、皮を焼き、あんをくるりと包む。
雪衣(ゆきごろも)。サツマイモがおいしい季節に作りたい和菓子。単に「大学芋」と呼ばないところが、自由学園らしい。
希望満充(きぼうまんじゅう)。お食後の代表といえば、これだそうだ。
1935年(昭和10年)、当時の高等科2年生が誕生日会で、一つ10人分の大きなまんじゅうを作ったのが始まり。「希望満充」と手書きした旗を立てて、完成。
お邪魔しました。また遊びに来ます。
最終回が、なかなかまとめられなくて、ゴメンにゃん(笑)。