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(3)憧れのフランク・ロイド・ライトの学び舎

IMG_4346 (1) 自由学園明日館の象徴・幾何学模様の窓を2階から見下ろしたところ。

IMG_4382 (1) 1階から見たところ。外からだけでなく、内部から見ても、陽光が差し込み、美しい。

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IMG_4426 (1) デザインの異なる、いろいろな窓。細部にまで、こだわる。

IMG_4348 (1)「自由学園明日館ができるまで〜おさつ畑からはじまった夢〜」。

 自由学園は、1921年(大正10年)に誕生するが、それより前は何があったのだろう。羽仁夫妻は、1603年(明治36年)から『婦人之友』の前身の『家庭之友』という雑誌を世に送り出した。

 1613年(大正2年)、婦人之友社の事務所と自宅を建てるために、おさつ(さつまいも)と大根が植わった畑の広がる、1826坪もの土地を借りた。

 そのうち、40坪を自宅、それに付随して、事務所を作った。

 自宅と事務所だけに、これだけの土地を借りたのは、一見不自然に見えるが、羽仁もと子は、当時をこう振り返る。

「一家の回りには、運動場が欲しい。空き地も欲しい。それは、私たちの“ある夢”を実現させるために必要なのだ」。

 夢とは、もちろん、学校を建てること。壮大な夢は、もう始まっていたのだ。

IMG_4278 2 自由学園明日館は、昭和40年代頃になると、老朽化が進み、取り壊しの可能性もあった。

 卒業生、建築家をはじめ、多くの関係者の保存への思いが実り、この地における保存が決定した。

 前述したが、建物の中に一歩入ると、床の高さを少しずつずらした部屋を連続させた空間構成など、「プレーリースタイル(草原様式)」という、ライト第一期黄金期の作風をよく表している。

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IMG_4414 (1) 意匠を凝らした扉。上は自由学園明日館の入口の写真。

IMG_4410 (1) 大谷石を使った階段。日本における、ライト建築の特徴だ。自由学園では、旧帝国ホテルの建築時の端材が使われている。

IMG_4305 (1)「中心に“食堂”のある学校〜生活即教育 自由学園の“食の学び”」。

 奥のステンドグラスは、現在のものと異なる。生徒数が増え、増築しなければならなくなり、ライトの弟子の遠藤新(えんどう・あらた)が、ライトの作風を真似て、テラスを小食堂に作り替えたのだ。

IMG_4363 (1) 遠藤が新たに作った、現在のステンドグラス。

IMG_5579 (1) 自由学園明日館の校内案内図。

IMG_4295 (1) 西武池袋線 ひばりヶ丘駅 徒歩15分の現在の「自由学園 東久留米キャンパス」。遠藤による歴史的建造物が点在している。

 ひばりヶ丘駅に移転してからは、10万平方メートルもの自然豊かなキャンパスの中で、生徒たちが土を耕し、種を蒔いて、作物を作ることが始まった。

 男子部(初等科・高等科)では、1年生の勉強は、教室で自分が使う机と椅子を作ることから始まる。

 入学して、一年間は全員が寮に入り、自立と協力、思いやりと責任を学ぶ自治生活を送る。
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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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