従姉妹の死。
- 2022/11/15
- 17:51
半年前、従姉妹が亡くなった。享年50歳。若い頃にやったくも膜下出血の後遺症が原因だった。
大学生になる一人息子がいる。彼は今、父親と二人暮らし。従姉妹は、くも膜下出血のせいで、子供帰りをしてしまい、知能が少し弱い。
それでも、ユーモアのある子で、福島のいわき市にある「アンモナイトセンター」に従姉妹と息子とあたしで行ったら、「アンモナイトって、いろんな形があるでしょ。人形焼きを作れば売れるのに」なんて言う。
温泉に行った時には、あたしがなかなか上がって来ないので、草履が盗まれて、帰ってこれないのではと、草履を持って迎えに来てくれた。
「母が亡くなりました」。息子からの突然の電話だった。父親と自分とあたしだけで葬式を挙げようとしていたのに、あたしは、いつもの体調不良で行けなかった。
従姉妹の実家は、不幸の連続だった。まず、従姉妹の弟がスキー帰りの車の事故のため、25歳の若さで亡くなった。
続いて、息子を溺愛していた母親(あたしの叔母)が妻子ある郵便局員と心中した。新潟から船に乗り、佐渡島に着いたときには、通帳と判子だけが残されていた。
今度は、従姉妹の父親(あたしの叔父)。民謡大会で何度も優勝するほどの美声の持ち主で、お弟子さんをたくさん抱えていた。
ある町に行った時には、歓迎のため、叔父の歌声のテープが大音響で鳴り響いていたという。
叔父は、若い頃から無茶をする人で、不摂生が元で人工透析を一生しなければならなくなった。
その叔父も、おととしのお正月に亡くなった。病院には10年も入院していた。痴呆が少し混じり、意思疎通ができないまま、あの世の人になった。
葬式の時には、棺に従姉妹のダンナと息子が夜なべして作った折り鶴が花の代わりに入れられた。
従姉妹は金遣いが荒かった。お金を使い込まないように、生前後見人が必要だったので、叔父の親友二人がなってくれた。
従姉妹は、子供返りをしていたので、夜中に遊び歩き、お金がなくなると、ダンナに電話をかけ、持ってきてもらっていた。「また、金か」がダンナの口癖だったという。
従姉妹は、母親の愛情を知らない。法政大学の学生だった母親は、実家を出たいがために叔父と結婚した。
母が見た光景は、赤ちゃんだった従姉妹がギャーギャー泣いていたのに、母親は隣の部屋で涼しい顔をして、お習字をしていたという。
ずんぐりむっくりの父親に似た従姉妹。弟は、美人だった母親に似た。愛情を注がなかったのは、そのあたりに原因があるのだろう。
若い頃は、少しぐれていた従姉妹だけど、大人になると生来の明るさを取り戻し、ひねくれてもいい家庭環境だったのに、母親を許していた。
「あの人は演じることに疲れたのよ」と母親の体裁の良さを亡くなってから落ち着いて回想していた。
従姉妹とダンナは年が離れている。老いた父親と二人暮らしの息子。父親が亡くなったら、ひとりぼっちになってしまう。
子供の頃からやさしく、頭のいい子だった。子供返りをした母親の面倒をよく見て、「今度の運動会には、いつもの大きなおにぎりを作ってね」なんて言ってた。
親の愛情を知らない従姉妹が親である喜びを与えていた。「だって、はやと(仮名)の母親だもん」が彼女の口癖だった。自慢の息子。
ウルトラマンが大好きで、池袋のサンシャインで毎年やるウルトラマンショーに従姉妹と一緒に通っていた。
「あの悪役は一見悪そうに見えるけど、実は心の優しい奴で、ウンタラカンタラ」「あの主人公は、見た目ほど優しくないんだ。ウンタラカンタラ」。
小さな男の子なのに、物語の裏に流れるメッセージを詳しく読み取っていた。
母に彼を我が家恒例の「餃子会」に呼びたいと言ったら、今は呼ばない方がいいと言っていた。猜疑心の強い父親から手なずけようとしていると思われてはいけないからが答えだった。
母が骨折したときには、「僕が手伝いに行きますから」と言ってくれた彼。ひとりぼっちになったら、あたしを頼っておいで。
福島県いわき市にある「アンモナイトセンター」に行ったとき、発掘した化石を二人でセンチを図ったり、クリーニングしたりしていたら、「いいお母さんですね」と言われた。子供がいたら、こんな気分なのかなと思った。
その頃、従姉妹は少し離れた場所で煙草をふかしていた。邪魔をしてはいけないと思ったのだろう。
体調がままならないあたし。血のつながった親の代わりにはなれないけれど、お姉ちゃんと呼ばれる関係でありたい。
はやとがまだ子供だった時、レゴを組み立て、スカイツリーを作ってくれた。「オレは、心のやさしい奴にしか、あげないんだ」と言って、親戚のいる場で手渡してくれた。
うれしかった。ありがとね。お葬式に行けなくて、本当にごめんなさい。
大学生になる一人息子がいる。彼は今、父親と二人暮らし。従姉妹は、くも膜下出血のせいで、子供帰りをしてしまい、知能が少し弱い。
それでも、ユーモアのある子で、福島のいわき市にある「アンモナイトセンター」に従姉妹と息子とあたしで行ったら、「アンモナイトって、いろんな形があるでしょ。人形焼きを作れば売れるのに」なんて言う。
温泉に行った時には、あたしがなかなか上がって来ないので、草履が盗まれて、帰ってこれないのではと、草履を持って迎えに来てくれた。
「母が亡くなりました」。息子からの突然の電話だった。父親と自分とあたしだけで葬式を挙げようとしていたのに、あたしは、いつもの体調不良で行けなかった。
従姉妹の実家は、不幸の連続だった。まず、従姉妹の弟がスキー帰りの車の事故のため、25歳の若さで亡くなった。
続いて、息子を溺愛していた母親(あたしの叔母)が妻子ある郵便局員と心中した。新潟から船に乗り、佐渡島に着いたときには、通帳と判子だけが残されていた。
今度は、従姉妹の父親(あたしの叔父)。民謡大会で何度も優勝するほどの美声の持ち主で、お弟子さんをたくさん抱えていた。
ある町に行った時には、歓迎のため、叔父の歌声のテープが大音響で鳴り響いていたという。
叔父は、若い頃から無茶をする人で、不摂生が元で人工透析を一生しなければならなくなった。
その叔父も、おととしのお正月に亡くなった。病院には10年も入院していた。痴呆が少し混じり、意思疎通ができないまま、あの世の人になった。
葬式の時には、棺に従姉妹のダンナと息子が夜なべして作った折り鶴が花の代わりに入れられた。
従姉妹は金遣いが荒かった。お金を使い込まないように、生前後見人が必要だったので、叔父の親友二人がなってくれた。
従姉妹は、子供返りをしていたので、夜中に遊び歩き、お金がなくなると、ダンナに電話をかけ、持ってきてもらっていた。「また、金か」がダンナの口癖だったという。
従姉妹は、母親の愛情を知らない。法政大学の学生だった母親は、実家を出たいがために叔父と結婚した。
母が見た光景は、赤ちゃんだった従姉妹がギャーギャー泣いていたのに、母親は隣の部屋で涼しい顔をして、お習字をしていたという。
ずんぐりむっくりの父親に似た従姉妹。弟は、美人だった母親に似た。愛情を注がなかったのは、そのあたりに原因があるのだろう。
若い頃は、少しぐれていた従姉妹だけど、大人になると生来の明るさを取り戻し、ひねくれてもいい家庭環境だったのに、母親を許していた。
「あの人は演じることに疲れたのよ」と母親の体裁の良さを亡くなってから落ち着いて回想していた。
従姉妹とダンナは年が離れている。老いた父親と二人暮らしの息子。父親が亡くなったら、ひとりぼっちになってしまう。
子供の頃からやさしく、頭のいい子だった。子供返りをした母親の面倒をよく見て、「今度の運動会には、いつもの大きなおにぎりを作ってね」なんて言ってた。
親の愛情を知らない従姉妹が親である喜びを与えていた。「だって、はやと(仮名)の母親だもん」が彼女の口癖だった。自慢の息子。
ウルトラマンが大好きで、池袋のサンシャインで毎年やるウルトラマンショーに従姉妹と一緒に通っていた。
「あの悪役は一見悪そうに見えるけど、実は心の優しい奴で、ウンタラカンタラ」「あの主人公は、見た目ほど優しくないんだ。ウンタラカンタラ」。
小さな男の子なのに、物語の裏に流れるメッセージを詳しく読み取っていた。
母に彼を我が家恒例の「餃子会」に呼びたいと言ったら、今は呼ばない方がいいと言っていた。猜疑心の強い父親から手なずけようとしていると思われてはいけないからが答えだった。
母が骨折したときには、「僕が手伝いに行きますから」と言ってくれた彼。ひとりぼっちになったら、あたしを頼っておいで。
福島県いわき市にある「アンモナイトセンター」に行ったとき、発掘した化石を二人でセンチを図ったり、クリーニングしたりしていたら、「いいお母さんですね」と言われた。子供がいたら、こんな気分なのかなと思った。
その頃、従姉妹は少し離れた場所で煙草をふかしていた。邪魔をしてはいけないと思ったのだろう。
体調がままならないあたし。血のつながった親の代わりにはなれないけれど、お姉ちゃんと呼ばれる関係でありたい。
はやとがまだ子供だった時、レゴを組み立て、スカイツリーを作ってくれた。「オレは、心のやさしい奴にしか、あげないんだ」と言って、親戚のいる場で手渡してくれた。
うれしかった。ありがとね。お葬式に行けなくて、本当にごめんなさい。