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アカルイほうへ。

「なんだS、生きてたのね。あのさー仕事を頼みたいんだけど、編集部に来れる?」。

 電話の向こうで、なつかしい声がした。 月刊誌の休刊から半年、週刊誌に異動になった編集者のFちゃんからの電話だった。

 その日は、珍しく酒が抜けていた。きれいな秋晴れだったのを憶えている。
 
 さっそく出かけようと、ひさびさに鏡を見た。ひどい顔だった。

 9ヵ月ものアル中生活。肌はボロボロで、あごのあたりに吹き出物ができていた。体重計に乗らなくても、万年床から立ち上がると体が頼りないほど軽かった。

 電話はずっと居留守を使っていた。ポケベルもオフにしていた。なのにその日に限って、思いついたように電話をとってみる気になったのはどうしてなのか。いまだに不思議でならない。

 何日かぶりにシャワーを浴び、薄化粧をして、編集部に向かった。といっても、向かいのマンションに住んでいるのだから、横断歩道を渡るだけだった。

 その日のうちに、毎週半ページ(600字程度)のコラムを書くことが決まった。担当は、電話をかけてきたFちゃんではなく、初めてみる編集者だった。

 原稿料は一本、1万5000円。月にすれば、6万円の収入だ。父が死んで店を閉めたS家の収入は、遺族年金が月に8万円と煙草の自販機の売り上げのみ。

 父親は生命保険のたぐいを一切かけていなかったので、借金こそなかったものの、残された現金の額は知れていた。

 翌月からマンションを引き払い、実家に戻った。月刊誌の休刊で、マンションの家賃も苦しかったし、妹からも、ノイローゼ状態の母とふたりきりで暮らすのが嫌だと泣きつかれていた。

 母は、父の死後も痩せ続け、被害妄想がひどくなり、外に出るのがコワイと言い続けていた。医者にかかることを勧めたけれど、古い人間の母は、精神や心の病を他人に知られるのを極端に嫌がった。

 実家に戻った日、妹には、開口一番こう言った。

 悪いけど、うちはお父さんが死んだと同時にお母さんも死んだと思ってちょうだい。

 お母さんとやっていくためには、お母さんよりも大人になって。あたしよりも5歳も若いあんたにこんなことを言うのは酷だけど。

 妹は泣きながら噛みついてきた。お姉ちゃんはいいわよ、自分で稼げるから。またお金が貯まったら、この家を出ていくんでしょ。

 浪人中のあたしは、頭のおかしい母親のもとから独立することもできないんだから。このままじゃ大学受験なんて絶対無理。母親より、こっちのほうが頭がおかしくなりそうよっ!

 それでも、あたしが同居を始めてから、多少は母親との間のショックアブソーバになったのか、少しずつ受験勉強を再開した。

 あたしも週刊誌のほかに、別の出版社から仕事が頼まれるようになっていた。

 アカルイほうへ。 あの電話を取った日、とっさに思った。 あたしはワンルームの一室で飲んだくれて、自分で自分を汚し、もう元には戻れないと思っていた。

 だけど、自分が一生懸命な時を過ごした編集部は、何も変わっていなかったのだ。そこに何食わぬ顔で戻っていけばいい。

 昨日、Fちゃんが、病院にひょろりと見舞いにきてくれた。やはり言いそびれてしまった。過労とうつ病で入院中というテイタラクではあるけれど、いま、あたしがこうしてあるのは、Fちゃんのおかげだってこと。
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カエルのロビン

Author:カエルのロビン
フリーランスの記者&編集者。星野源と加瀬亮が好きといえばオシャレだと思っている。何歳からアラフィフか母親と協議中。数年分の旅行記と食べ歩き日記を順次アップしていきますので、よろしくお願いいたします。
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