そもそもの発端は
@ITに掲載された「IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ」という記事だろうか。それによるとIT業界は
とのこと。こういうIT業界関連の記事を見ていつも思うのは、「ここでいうIT業界にWEB専門のデザイン事務所や、システムは外注しているweb制作会社は含まれるのか?」ということだ。
たとえば上記記事は「IPAフォーラム2007」の話なのだけれど、学生と話をしたというIT業界の重鎮はNTTデータの人やら、TISの人やら、こちらの感覚で言うと「システム屋さん」の人たちだ。
そもそも、web業界はIT業界の一部なのか?重複関係なのか包含関係なのか。iTが「インフォーメションテクノロジー」なら、WEB業界はIT業界の一部だろうけど、実際は「重複するものの別の業界」という気がする。あと、WEB業界でもIT業界でもない人からすれば、両方はどういう関係で捉えられているんだろうか。たぶん「そんなの考えたこともない」ってのが正解だろうけど。
でまあ、IT業界やweb業界のシステム屋さんを「7K」と思っている人だって、web業界のデザイナーやライター、サイト運営者(事業主企業)、営業なんかは「7k」と思ってないのかも。ディレクターについては、そもそも認知されていなさそう。
他にも「IT業界」についての話では、システムやプログラミング関連の担当者以外を念頭にしているのかいないのかがはっきりしない場合は多い。
まあ、デザイナーやライターやディレクターや営業はIT以外の業種でも存在するしね。「IT業界」にわざわざフォーカスした話題で念頭に置かなくてもいいといえばいい。
にしても、だ。まかり間違って3Kだか7Kだかが一般的なイメージになって「WEB専門のデザイン事務所や、システムは外注しているweb制作会社」とか「web業界のデザイナーやライター、サイト運営者(事業主企業)、営業」までもがネガティブなイメージを持たれると困る。というわけで、上に挙がっていた7Kについて、webディレクターという立場からコメントしてみる。
「きつい、厳しい、帰れない」
「きつくもなく、厳しくもなく、帰れる」という仕事はそうそうない。あ、帰れはするか。にしても、そんな楽な仕事はない。「他の業種と比べてヒドい」という話だとしたら…。まあ、なくはない。でも、「波が大きい」という感じだ(会社によっても違うけれど)。きついときは大変にきついが、楽なときは「出社休業」みたいな時期もある。そうでないとスタッフのモチベーションやら発想力やらが枯渇するし、新しい刺激も吸収してもらえなくなるから困るのだ。ま、嫌々やるには向かない業界かもしれない。
「規則が厳しい」
どうだろう?これはかなり会社しだいだろうなあ。実感としては他の業界よりゆるいと思うんだが。
「休暇がとれない」
休暇が取れないときもある、くらいだ。学校の先生で部活の顧問やるよりマシ。「休出が常態化」「有給休暇が申請できない空気」というなら、それは職場のマネジメントに問題がある。
「化粧がのらない」
男なのでよく解らないが、「化粧ののりがいい」業界なんてあるのか?「化粧ののりがよくないと駄目」な業界はあるんだろうけど。これはジョークのつもりで入ってるんだろうな…。これってイメージというより、来場者の一人が言った感想だろう。
「結婚できない」
そんなことはない。仕事と結婚できる、できないはあまり関係ない。影響するのは収入の多寡くらいなもんだろう。あと休みや生活サイクルが合うかどうかが微妙に影響するくらいか。
web制作界隈でも、上の世代の人は他業界に比べて特に既婚者が少ない印象はない。若い世代の既婚率は低いけど、これは業界というより若い世代の社会人全般にあてはまる傾向だろう。
ただ、1日中社内のPCの前に座っている感じなので「仕事上での出会い」は少ないと思う。これも社内勤務メインの人なら業界によらず共通してることか。これも冗談で入っているんだと信じたい。
まあ“k”の内訳が実際にどうかというより、事実にかかわらずネガティブなイメージを持たれているというのが問題なのだろうし、上記記事でもそこが主眼だろう。
なんでそんなことになるかというと…「IT業界=システム屋さん」というイメージが業界外の人にあって、一般に流布しているそのイメージがネガティブなんじゃないか。いや、そもそも本当に不人気業界なのか知らないが。
「IT業界(やweb業界)にはシステム開発以外にもいろいろな職種がある」ということをもっと一般の人には認知してもらうと共に、システム関連の人にはネガティブなイメージを払拭すべく啓蒙に励んでいただきたい。
なんだか新聞社説みたいな結びになったな。微妙な他人事感とかも含めて。
ちなみに、webディレクターはあえて3kを挙げるなら昔ながらの「きつい、汚い、危険」だ。「きつい」は先に書いたからいいとして、
「汚い」
現場とクライアントの間で汚れ役を引き受けざる得ないときがあるので
「危険」
クライアントと現場の板挟みで、心身の調子を崩す危険性が高いから
@ITに掲載された「IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ」という記事だろうか。それによるとIT業界は
「きつい、帰れない、給料が安いの3K」に加えて、「規則が厳しい、休暇がとれない、化粧がのらない、結婚できない」の“7K”というイメージだ。
とのこと。こういうIT業界関連の記事を見ていつも思うのは、「ここでいうIT業界にWEB専門のデザイン事務所や、システムは外注しているweb制作会社は含まれるのか?」ということだ。
たとえば上記記事は「IPAフォーラム2007」の話なのだけれど、学生と話をしたというIT業界の重鎮はNTTデータの人やら、TISの人やら、こちらの感覚で言うと「システム屋さん」の人たちだ。
そもそも、web業界はIT業界の一部なのか?重複関係なのか包含関係なのか。iTが「インフォーメションテクノロジー」なら、WEB業界はIT業界の一部だろうけど、実際は「重複するものの別の業界」という気がする。あと、WEB業界でもIT業界でもない人からすれば、両方はどういう関係で捉えられているんだろうか。たぶん「そんなの考えたこともない」ってのが正解だろうけど。
でまあ、IT業界やweb業界のシステム屋さんを「7K」と思っている人だって、web業界のデザイナーやライター、サイト運営者(事業主企業)、営業なんかは「7k」と思ってないのかも。ディレクターについては、そもそも認知されていなさそう。
他にも「IT業界」についての話では、システムやプログラミング関連の担当者以外を念頭にしているのかいないのかがはっきりしない場合は多い。
まあ、デザイナーやライターやディレクターや営業はIT以外の業種でも存在するしね。「IT業界」にわざわざフォーカスした話題で念頭に置かなくてもいいといえばいい。
にしても、だ。まかり間違って3Kだか7Kだかが一般的なイメージになって「WEB専門のデザイン事務所や、システムは外注しているweb制作会社」とか「web業界のデザイナーやライター、サイト運営者(事業主企業)、営業」までもがネガティブなイメージを持たれると困る。というわけで、上に挙がっていた7Kについて、webディレクターという立場からコメントしてみる。
「きつい、厳しい、帰れない」
「きつくもなく、厳しくもなく、帰れる」という仕事はそうそうない。あ、帰れはするか。にしても、そんな楽な仕事はない。「他の業種と比べてヒドい」という話だとしたら…。まあ、なくはない。でも、「波が大きい」という感じだ(会社によっても違うけれど)。きついときは大変にきついが、楽なときは「出社休業」みたいな時期もある。そうでないとスタッフのモチベーションやら発想力やらが枯渇するし、新しい刺激も吸収してもらえなくなるから困るのだ。ま、嫌々やるには向かない業界かもしれない。
「規則が厳しい」
どうだろう?これはかなり会社しだいだろうなあ。実感としては他の業界よりゆるいと思うんだが。
「休暇がとれない」
休暇が取れないときもある、くらいだ。学校の先生で部活の顧問やるよりマシ。「休出が常態化」「有給休暇が申請できない空気」というなら、それは職場のマネジメントに問題がある。
「化粧がのらない」
男なのでよく解らないが、「化粧ののりがいい」業界なんてあるのか?「化粧ののりがよくないと駄目」な業界はあるんだろうけど。これはジョークのつもりで入ってるんだろうな…。これってイメージというより、来場者の一人が言った感想だろう。
「結婚できない」
そんなことはない。仕事と結婚できる、できないはあまり関係ない。影響するのは収入の多寡くらいなもんだろう。あと休みや生活サイクルが合うかどうかが微妙に影響するくらいか。
web制作界隈でも、上の世代の人は他業界に比べて特に既婚者が少ない印象はない。若い世代の既婚率は低いけど、これは業界というより若い世代の社会人全般にあてはまる傾向だろう。
ただ、1日中社内のPCの前に座っている感じなので「仕事上での出会い」は少ないと思う。これも社内勤務メインの人なら業界によらず共通してることか。これも冗談で入っているんだと信じたい。
まあ“k”の内訳が実際にどうかというより、事実にかかわらずネガティブなイメージを持たれているというのが問題なのだろうし、上記記事でもそこが主眼だろう。
なんでそんなことになるかというと…「IT業界=システム屋さん」というイメージが業界外の人にあって、一般に流布しているそのイメージがネガティブなんじゃないか。いや、そもそも本当に不人気業界なのか知らないが。
「IT業界(やweb業界)にはシステム開発以外にもいろいろな職種がある」ということをもっと一般の人には認知してもらうと共に、システム関連の人にはネガティブなイメージを払拭すべく啓蒙に励んでいただきたい。
なんだか新聞社説みたいな結びになったな。微妙な他人事感とかも含めて。
ちなみに、webディレクターはあえて3kを挙げるなら昔ながらの「きつい、汚い、危険」だ。「きつい」は先に書いたからいいとして、
「汚い」
現場とクライアントの間で汚れ役を引き受けざる得ないときがあるので
「危険」
クライアントと現場の板挟みで、心身の調子を崩す危険性が高いから
webディレクターのためのコミュニケーション講座。基本的にハムカツが不定期に思いつきで書くこの講座の第1回は「催促メール」について。
みなさんも何かを催促することは日々あるはずです。今回はそんなシチュエーションで、なるべくカドの立たない方法や、相手のモチベーションを下げない方法、リスク回避のできそうな方法をご紹介します。
Lesson01:メールにて(催促編)
きね子さんはwebディレクター3年目。そろそろ初心者を脱して、退職したいお年頃です。
きね子(以下“き”)「そういえばライターさんから原稿が来てない…」
目の前のデザインカンプには「テキストテキストテキストテキストテキストテキスト」の文字列が並んでいます。
き「あっ!スパムフォルダにクライアントからのメールが」
件名には「いただいたお見積もりについて」と書かれています。きね子さんは中身を見ずに、担当の営業さんへ転送しました。さあ、あらためてライターさんへのメールを書くとしましょう。
-----------------------------------------------------
ライター様
ひき肉クリエイティブ株式会社のきね子です。
いつもお世話になっております。
先日お願いしていた原稿ですが、○月○日中(3日前の日付)に入稿のはずでしたよね?入稿してもらえたとは思いますが、ここ数日こちらのメーラーが不調で、受信できていなかったようです。申し訳ありませんが、もう一度、送ってもらえないでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎
ひき肉クリエイティブ株式会社
ピクルス担当、webディレクター 愛恋きね子
mail:**@minced_meat.co.jp
Tel:****-**-****
Fax:****-**-****
★弊社社長の本が映画になりました!★
『恋空』
詳細はこちら>http://koizora-movie.jp/index.html
◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎
-----------------------------------------------------
き「これでよし、と。」
メーラーの送信ボタンを押すと同時に、きね子さんは受話器を取り上げました…。
Lesson01-end
解説:
今回のポイントは、「入稿されていない」ことをメールに書くのではなく「受信できていない」ことを書いている点です。
こう書くと「締め切りすぎてるから当然、入稿はしてくれたんだよね?っていうか、それ以外の展開なんて思いもよらないよ」ということを伝えつつ、あくまでも「メーラーの不調」で受け取れていないこちらに非があるという体裁になっています。最低限、相手のメンツを立てつつ微弱なプレッシャーを掛けているわけですね。また、相手の気が弱ければ「締め切りを破り、連絡もしなかった」ことに負い目を感じ、精神的に優位に立てるかもしれません。
もし「本当はメールを受け取っているのだけれど、知らぬ間にどこかよそのフォルダへ紛れ込んでいた」ということが後でわかっても、これならバツの悪い思いをしなくてすみます。
いかがでしたでしょうか?次回は「Lesson02:電話にて(催促編)」をお送りする予定です。
なお、この講座に書かれていることを実行して問題があったり上手くいかなかったとしても、当方では関知しません。
みなさんも何かを催促することは日々あるはずです。今回はそんなシチュエーションで、なるべくカドの立たない方法や、相手のモチベーションを下げない方法、リスク回避のできそうな方法をご紹介します。
Lesson01:メールにて(催促編)
きね子さんはwebディレクター3年目。そろそろ初心者を脱して、退職したいお年頃です。
きね子(以下“き”)「そういえばライターさんから原稿が来てない…」
目の前のデザインカンプには「テキストテキストテキストテキストテキストテキスト」の文字列が並んでいます。
き「あっ!スパムフォルダにクライアントからのメールが」
件名には「いただいたお見積もりについて」と書かれています。きね子さんは中身を見ずに、担当の営業さんへ転送しました。さあ、あらためてライターさんへのメールを書くとしましょう。
-----------------------------------------------------
ライター様
ひき肉クリエイティブ株式会社のきね子です。
いつもお世話になっております。
先日お願いしていた原稿ですが、○月○日中(3日前の日付)に入稿のはずでしたよね?入稿してもらえたとは思いますが、ここ数日こちらのメーラーが不調で、受信できていなかったようです。申し訳ありませんが、もう一度、送ってもらえないでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎
ひき肉クリエイティブ株式会社
ピクルス担当、webディレクター 愛恋きね子
mail:**@minced_meat.co.jp
Tel:****-**-****
Fax:****-**-****
★弊社社長の本が映画になりました!★
『恋空』
詳細はこちら>http://koizora-movie.jp/index.html
◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎
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き「これでよし、と。」
メーラーの送信ボタンを押すと同時に、きね子さんは受話器を取り上げました…。
Lesson01-end
解説:
今回のポイントは、「入稿されていない」ことをメールに書くのではなく「受信できていない」ことを書いている点です。
こう書くと「締め切りすぎてるから当然、入稿はしてくれたんだよね?っていうか、それ以外の展開なんて思いもよらないよ」ということを伝えつつ、あくまでも「メーラーの不調」で受け取れていないこちらに非があるという体裁になっています。最低限、相手のメンツを立てつつ微弱なプレッシャーを掛けているわけですね。また、相手の気が弱ければ「締め切りを破り、連絡もしなかった」ことに負い目を感じ、精神的に優位に立てるかもしれません。
もし「本当はメールを受け取っているのだけれど、知らぬ間にどこかよそのフォルダへ紛れ込んでいた」ということが後でわかっても、これならバツの悪い思いをしなくてすみます。
いかがでしたでしょうか?次回は「Lesson02:電話にて(催促編)」をお送りする予定です。
なお、この講座に書かれていることを実行して問題があったり上手くいかなかったとしても、当方では関知しません。
最大マス向けのサイトでコンテンツ運用を考える際、「季節感」というのはなかなか重要なポイントだ。ヘッダに季節感を出したり、季節感のある特集を組んだり、アンケート系のコンテンツなんかでも季節感のあるネタで出題したり。
どういうところが重要かというと、経験上だけれど、季節感のあるコンテンツというのはユーザの反応がいい。特集はPVがやや多めに出るし、投稿系だと投稿数が多くなる印象。そう、まあ印象トークなのだけれど、実際に受託でコンテンツ運用をやっていると、クライアントから季節感のあるネタを求められることもあるので、実感としてはそう変な話でもないようだ。
ただ、個人的には理由がよく分からない。投稿系だと参加しやすいのかとは思うが、特集などでは参加しやすさは関係ない。サイトデザインについては、手軽に真新しさを出せるので、その辺りがよいのかもしれない。ただ、やっぱり特集なんかの読み物コンテンツはなぜ好反応なのか謎だ。
ベタに考えると「季節感」にそれだけ興味を惹かれる人が多いということなのだろうけれど、端的すぎてどうにもならない。しかもそれはwebに限ったことではなく、「そもそも多くの人は季節感に興味を持つ」ということなんだろうし。そこに理由なんてものはないのか、あるのか。仮に理由が判ったとして、そこに発展的なものがあるかといえば、ない気がする。
自分も温度調節以外でもう少し季節感を大事にしていれば、何か見えてくるだろうか。しかし、見えた先にはたぶん何もない。
webに限らずBtoCなところが延々と季節感を振りまき、消費者側も積極的にそれを消費してきた積み重ねによる文化的な刷り込みもあるんだろう。そういう意味で「季節感」という要素は古いものなんだろうな。そういえば、少し前に「日本の素晴らしさ」みたいなものの例として「四季」を挙げるケースがしばしば見られた。「日本の素晴らしさ」として妥当かどうかはともかく、それだけ季節感に対する意識は多くの人にとってかなり大きいんだろう。
というわけで、もしBtoCなサイトを手がけていてまだ「季節感」が要素としてない場合は、こじつけでもいいので盛り込んでみるといい。効果は保障しかねるけれど、たぶんいい手ごたえがあるはずだ。それに、ネタを考えるにしても楽だしね。
どういうところが重要かというと、経験上だけれど、季節感のあるコンテンツというのはユーザの反応がいい。特集はPVがやや多めに出るし、投稿系だと投稿数が多くなる印象。そう、まあ印象トークなのだけれど、実際に受託でコンテンツ運用をやっていると、クライアントから季節感のあるネタを求められることもあるので、実感としてはそう変な話でもないようだ。
ただ、個人的には理由がよく分からない。投稿系だと参加しやすいのかとは思うが、特集などでは参加しやすさは関係ない。サイトデザインについては、手軽に真新しさを出せるので、その辺りがよいのかもしれない。ただ、やっぱり特集なんかの読み物コンテンツはなぜ好反応なのか謎だ。
ベタに考えると「季節感」にそれだけ興味を惹かれる人が多いということなのだろうけれど、端的すぎてどうにもならない。しかもそれはwebに限ったことではなく、「そもそも多くの人は季節感に興味を持つ」ということなんだろうし。そこに理由なんてものはないのか、あるのか。仮に理由が判ったとして、そこに発展的なものがあるかといえば、ない気がする。
自分も温度調節以外でもう少し季節感を大事にしていれば、何か見えてくるだろうか。しかし、見えた先にはたぶん何もない。
webに限らずBtoCなところが延々と季節感を振りまき、消費者側も積極的にそれを消費してきた積み重ねによる文化的な刷り込みもあるんだろう。そういう意味で「季節感」という要素は古いものなんだろうな。そういえば、少し前に「日本の素晴らしさ」みたいなものの例として「四季」を挙げるケースがしばしば見られた。「日本の素晴らしさ」として妥当かどうかはともかく、それだけ季節感に対する意識は多くの人にとってかなり大きいんだろう。
というわけで、もしBtoCなサイトを手がけていてまだ「季節感」が要素としてない場合は、こじつけでもいいので盛り込んでみるといい。効果は保障しかねるけれど、たぶんいい手ごたえがあるはずだ。それに、ネタを考えるにしても楽だしね。
たとえばGoogleで「激安 web制作」と検索すると1,880,000の検索結果がある。「激安 web制作」でも1,530,000のヒットがある。その全てが安さを売りにしたweb制作会社のサイトというわけではないのだけれど、安さを売りにしたweb制作会社がけっこうある、ということは言える。
これまで、こうした「安さ」が売りのweb制作会社について意識して考えたことはなかったので、まあちょっと考えてみたい。
web制作会社は「安かろう悪かろう」というイメージがある。これまでの経験では、あまり的外れな感慨じゃないと思う。それに、web制作会社のサイトへ「激安」「格安」の文字があると、実際のサイトデザインにかかわらず、どうもディスカウントストアやスーパーマーケットめいた安っぽいイメージが浮かんでしまう。こうした会社のサイト自体も、なんとなく安っぽい場合が多いのだけれど、そもそもweb制作会社の自社サイトはたいがいそんなものだ。
とはいえ上記は先入観であって、この記事を書くために安さを売りにしたweb制作会社のサイトをいくつか見て回ると、特に制作実績を紹介しているところなんかは「まあまあ」レベルのサイト制作をしているところもある。あと、安さが売りといっても値段の幅はあり、「絶対的に安い」ところもあれば「相対的に安い」ところもある。
システムなしデザイン案TOPと下層1つずつ10Pで17万円~となっていたところもあって、こうしたところは「17万円」という金額は小額ではないけれど、それでもweb制作として相対的に高くはない。「安いなあ」と感じるほどでもないけど。
で、こうしたサイト制作会社が安い理由はいくつかある。
・テンプレート化
→社内にテンプレートがあり、おおむねそれをカスタマイズして納入している。オリジナルは普通の値段設定。
・制作量が少ない
→上の「17万円」の会社のように、デザイン案1案でページは何ページまで、という具合に制作上限が決まっていて、その量も少ない。超過分はオプション料金になる。デザインやレイアウトの修正も「○回まで」と決まっていて、以後は追加料金。
・提供内容が少ない
→上と近いけれど、安いのは最低限の部分のみだから。何かやろうとするとオプションオプションで最終的にはたいして安くなかったりする。
・個人事業
→個人でやっているので、さほど収益がなくてもよいと考えている場合は安い。
安さを売りにしているサイトはたいてい「なぜ安いか?」を書いていて、その理由が上のどれかだ。逆に、「なぜ安いか?」が書いていないと無駄に怪しげな感じがする。
こうした制作会社のターゲットはどこにあるかというと、零細企業とか個人小売店とか、そういう所なんじゃないか。制作実績に挙がっているところもそうだ。こうしたクライアントはおそらく「実績」で上がっているサイトのデザイン以外には「値段」くらいしかweb制作会社の判断基準を持ちようがないんじゃないかと思う。なので、デザインが酷くなければ、あとは「安いです」が充分なアピールになる。安さを売りにしたweb制作会社のサイトが共通して「サイトを持つ意義」だとか「SEOとは?」とかやたら啓蒙的なのも、おそらくwebについての知識がほとんどない事業主をターゲットにしているからだろう。
たしかに安さをウリにしていないweb制作会社、特に技術力なんかが売りの会社は、こうした小規模な事業主が依頼するにはオーバースペックなのかもしれない。そうした意味で棲み分けというか、クライアント側の要望やweb知識ごとにマッチしたスペックの会社があるというのは、需給として正常だ。
ただなあ。値段に幅があるとはいえ、こうした会社が「安い安い」言うほど、web制作において中間価格帯な会社まで「高い」というイメージが払拭されないんだよなあ。というか、こうした会社のサイトを見ると「web制作は高い」って出てくるし。「家は高い」「自動車は高い」という「高さ」なら判るけど、適正価格以上に高い、つまり「割高感」がかもされてる気がする。
web業界外の人が割高感を覚える理由として、そんなのは小さな割合しか占めてないけど。
これまで、こうした「安さ」が売りのweb制作会社について意識して考えたことはなかったので、まあちょっと考えてみたい。
web制作会社は「安かろう悪かろう」というイメージがある。これまでの経験では、あまり的外れな感慨じゃないと思う。それに、web制作会社のサイトへ「激安」「格安」の文字があると、実際のサイトデザインにかかわらず、どうもディスカウントストアやスーパーマーケットめいた安っぽいイメージが浮かんでしまう。こうした会社のサイト自体も、なんとなく安っぽい場合が多いのだけれど、そもそもweb制作会社の自社サイトはたいがいそんなものだ。
とはいえ上記は先入観であって、この記事を書くために安さを売りにしたweb制作会社のサイトをいくつか見て回ると、特に制作実績を紹介しているところなんかは「まあまあ」レベルのサイト制作をしているところもある。あと、安さが売りといっても値段の幅はあり、「絶対的に安い」ところもあれば「相対的に安い」ところもある。
システムなしデザイン案TOPと下層1つずつ10Pで17万円~となっていたところもあって、こうしたところは「17万円」という金額は小額ではないけれど、それでもweb制作として相対的に高くはない。「安いなあ」と感じるほどでもないけど。
で、こうしたサイト制作会社が安い理由はいくつかある。
・テンプレート化
→社内にテンプレートがあり、おおむねそれをカスタマイズして納入している。オリジナルは普通の値段設定。
・制作量が少ない
→上の「17万円」の会社のように、デザイン案1案でページは何ページまで、という具合に制作上限が決まっていて、その量も少ない。超過分はオプション料金になる。デザインやレイアウトの修正も「○回まで」と決まっていて、以後は追加料金。
・提供内容が少ない
→上と近いけれど、安いのは最低限の部分のみだから。何かやろうとするとオプションオプションで最終的にはたいして安くなかったりする。
・個人事業
→個人でやっているので、さほど収益がなくてもよいと考えている場合は安い。
安さを売りにしているサイトはたいてい「なぜ安いか?」を書いていて、その理由が上のどれかだ。逆に、「なぜ安いか?」が書いていないと無駄に怪しげな感じがする。
こうした制作会社のターゲットはどこにあるかというと、零細企業とか個人小売店とか、そういう所なんじゃないか。制作実績に挙がっているところもそうだ。こうしたクライアントはおそらく「実績」で上がっているサイトのデザイン以外には「値段」くらいしかweb制作会社の判断基準を持ちようがないんじゃないかと思う。なので、デザインが酷くなければ、あとは「安いです」が充分なアピールになる。安さを売りにしたweb制作会社のサイトが共通して「サイトを持つ意義」だとか「SEOとは?」とかやたら啓蒙的なのも、おそらくwebについての知識がほとんどない事業主をターゲットにしているからだろう。
たしかに安さをウリにしていないweb制作会社、特に技術力なんかが売りの会社は、こうした小規模な事業主が依頼するにはオーバースペックなのかもしれない。そうした意味で棲み分けというか、クライアント側の要望やweb知識ごとにマッチしたスペックの会社があるというのは、需給として正常だ。
ただなあ。値段に幅があるとはいえ、こうした会社が「安い安い」言うほど、web制作において中間価格帯な会社まで「高い」というイメージが払拭されないんだよなあ。というか、こうした会社のサイトを見ると「web制作は高い」って出てくるし。「家は高い」「自動車は高い」という「高さ」なら判るけど、適正価格以上に高い、つまり「割高感」がかもされてる気がする。
web業界外の人が割高感を覚える理由として、そんなのは小さな割合しか占めてないけど。
「炎ジョイ」というサービスがある。炎上しているブログなり記事なりをユーザが投稿しあって、攻撃と防御に分かれて参戦したり、炎ジョイ上で攻撃や防御の参加呼びかけをしたりする。現状では気に食わないサイトや記事をユーザが晒しているだけなものも混ざっている様子。
で、このサービスだけれど、以前このブログの「他人の企画はよく見える」という記事でも取り上げた
「livedoor ディレクター Blog」より。
企画発想法ケーススタディ : 幻のボツ企画『livedoor 119』
に出てくる「livedoor 119」と実によく似ている。どこがどう似ているかは両者を見比べて欲しい。
でまあ、「炎ジョイ」の制作者が「livedoor 119」を知っていたのかいないのかは判らないし、似ているのは偶然かもしれないし、その辺の背景はどうでもよろしい。
と、指摘するだけでは面白くもないので、上記に引っ掛けて何か考えてみる。それで面白くなるというわけでもないけど。
自分が企画して、実現はしなかったもののwebに公開した企画とよく似たwebサービスがある日リリースされたらどう思うだろうか?まずは「似たようなことを考える人がいるものだ」と思うだろう。一方で「自分の企画を見たのでは?」とも思うはずだ。
しかし「なんの留保も条件設定もなく」webに公開した時点で、そのアイデアを現実化する権利は手放したも同然なので、仮にリリースされたサービスの制作者が自分のアイデアを元ネタとしていても、文句を言う筋合いではない。
もし仮に自分が「livedoor 119」の発案者だったらどうだろうか。そして、「炎ジョイ」が「livedoor 119」を元に構想されたのだったら?
この場合、「ボツ企画を現実化した」という構図になる。これが嬉しいか不愉快かは人によって受け止め方が違うだろうけれど、自分の場合は「興味深い」と思っただろう。
「ボツ企画」そのものは、発案者にとってあまり価値がない。いつの日か使うためのストックくらいにはなるだろうが、その企画を考える家庭で考えたことの方が有用だったりする(それに「livedoor 119」はブログに公開されているので、流用ストックにはなりづらい)。
そんな「ボツ企画」に誰とも知らない人が着目し、現実化するだけの価値を見出したというなら、これは興味深いじゃないか。自分(あるいは自分たち)が現実化するだけの価値を認めなかったものに、なぜ価値を認めたのか?それをあれこれ推測すれば、そこから得られる見識もあるだろう。
ただまあ、「livedoor 119」の場合は内容が内容だけに、サービスとしての魅力があっても「株式会社ライブドア」という会社法人の名の下に行うのは、それこそ「CSR的な観点からすると」問題がある。「livedoor 119」はそういう理由でボツになった面もあるだろうから、サービスとして面白いと思う人がいてもその理由を想像する余地はあまりない。
実際、webサービスを自社で運営している所なら「魅力的な企画だけれど、我が社という会社法人としては無理だ」という企画はたくさん死蔵されているだろう。そうした企画はどんどんオープンにされて、それこそ個人レベルなんかで興味を持った人が現実化させていけば面白いと思うので、今回もし「炎ジョイ」の制作者が「livedoor 119」を元に構想していたのなら、非常に興味深い「企画の消費のされ方」だと思う。
なんだか全体をまとめる筋立てのない散漫な話になってしまったけれど、いつものことだ。
で、このサービスだけれど、以前このブログの「他人の企画はよく見える」という記事でも取り上げた
「livedoor ディレクター Blog」より。
企画発想法ケーススタディ : 幻のボツ企画『livedoor 119』
に出てくる「livedoor 119」と実によく似ている。どこがどう似ているかは両者を見比べて欲しい。
でまあ、「炎ジョイ」の制作者が「livedoor 119」を知っていたのかいないのかは判らないし、似ているのは偶然かもしれないし、その辺の背景はどうでもよろしい。
と、指摘するだけでは面白くもないので、上記に引っ掛けて何か考えてみる。それで面白くなるというわけでもないけど。
自分が企画して、実現はしなかったもののwebに公開した企画とよく似たwebサービスがある日リリースされたらどう思うだろうか?まずは「似たようなことを考える人がいるものだ」と思うだろう。一方で「自分の企画を見たのでは?」とも思うはずだ。
しかし「なんの留保も条件設定もなく」webに公開した時点で、そのアイデアを現実化する権利は手放したも同然なので、仮にリリースされたサービスの制作者が自分のアイデアを元ネタとしていても、文句を言う筋合いではない。
もし仮に自分が「livedoor 119」の発案者だったらどうだろうか。そして、「炎ジョイ」が「livedoor 119」を元に構想されたのだったら?
この場合、「ボツ企画を現実化した」という構図になる。これが嬉しいか不愉快かは人によって受け止め方が違うだろうけれど、自分の場合は「興味深い」と思っただろう。
「ボツ企画」そのものは、発案者にとってあまり価値がない。いつの日か使うためのストックくらいにはなるだろうが、その企画を考える家庭で考えたことの方が有用だったりする(それに「livedoor 119」はブログに公開されているので、流用ストックにはなりづらい)。
そんな「ボツ企画」に誰とも知らない人が着目し、現実化するだけの価値を見出したというなら、これは興味深いじゃないか。自分(あるいは自分たち)が現実化するだけの価値を認めなかったものに、なぜ価値を認めたのか?それをあれこれ推測すれば、そこから得られる見識もあるだろう。
ただまあ、「livedoor 119」の場合は内容が内容だけに、サービスとしての魅力があっても「株式会社ライブドア」という会社法人の名の下に行うのは、それこそ「CSR的な観点からすると」問題がある。「livedoor 119」はそういう理由でボツになった面もあるだろうから、サービスとして面白いと思う人がいてもその理由を想像する余地はあまりない。
実際、webサービスを自社で運営している所なら「魅力的な企画だけれど、我が社という会社法人としては無理だ」という企画はたくさん死蔵されているだろう。そうした企画はどんどんオープンにされて、それこそ個人レベルなんかで興味を持った人が現実化させていけば面白いと思うので、今回もし「炎ジョイ」の制作者が「livedoor 119」を元に構想していたのなら、非常に興味深い「企画の消費のされ方」だと思う。
なんだか全体をまとめる筋立てのない散漫な話になってしまったけれど、いつものことだ。
だいぶん前に「家系図サービスは熱いか?」という記事を書いた。そこで「しばらく使ってみようと思う。で、そのうち続報を。」としていたのだけれど、実際にGeniというサービスを使ってみた。
サービスそのものは以下の記事などを参照してもらいたい。
Tech Crunch Japanese「Geniローンチ!」
実際には上記記事での紹介から様々な機能が追加されているのだけれど、日本であまりその点はキャッチアップされていない様子。
とはいえ今回はGeniというサービスの紹介が目的ではないので割愛。
サイトを見てもらえれば判るように、今のところGeniは英語しか言語が選択できない。日本語はもちろん、その他の言語もダメっぽい。
でまあ、日本語版を用意しない限りはそれこそ日本人にとってハードルが高いので、Geniそのものが日本ですぐ流行ることはないだろう。ただ、それは今回に限っていえばどうでもいいことだ。
Geniで出来ることは主に以下だ。
・家系図作成
→インタフェースなど非常にこなれていて、サクサク作成できる。もちろん自分だけでなく、その他の人物についても登録可能。登録時にその人のメアドを入れれば、その人へ自動でインビテーションが届く。自分にとってどういう関係か?や生死の別なども入れられる。表示形式も多彩。
・プロフィール作成
→自分だけでなく、他の人のプロフィールも作成できる。もちろん登録された本人がインビテーションンに応じてアクセスし、あとで変更も可能。
・メッセージの遣り取り
→Geni上で家系図に登録された人同士でメッセージの遣り取りができる。
で、使ってみた感想
・家系図を埋めるのは楽しい
思いつく限りの親戚を入れていく。自分の場合は親戚が多いのでどんどん増える。ただ「○○のおばちゃん」とか「○○ちゃん」とかアダ名で覚えている人の本名がなかなか思い出せなかったりした。
そうして作業すること10分くらい。自分を起点として、各自の関係がビジュアル的に配置されると、なんというか感慨深い。自分は確かに歴史的な遺伝子の連鎖の中にあり、これだけの人が親戚として存在しているのだということに、感傷的な思いを呼び起こされる。
・一人ではすぐに行き詰まる
とはいえ自分が知っている親戚を入れるだけでは、すぐに行き詰る。自分ひとりだと知っている親戚を全員入れた時点で、もうそれ以上は何もすることがないのだ。
そこで各親戚にプロフィールの充実や人物の追加をしてもらう必要が出てくる。従兄弟の嫁さんのご両親とか実家の兄弟とか。母方の祖母の兄弟の家系とか。
そのためには、まず誰かを招待する必要がある。そこで今回は英語がある程度は理解でき、ウエブサービスのリテラシーもありそうな父と従兄にまずメールで事情を話し、招待してみた。英語のメールが急に来ても、スパムと思われるのがオチだからだ。
・最初の壁でつまづいた
父も従兄も、サービス自体は理解してくれ、興味深く思ってくれたようだった。しかし、情報は更新されない。そういえば、感想も聞いてないな…。
ともあれ、英語なのでなかなかメンバーが増やせず、こちらの出来ることも増えず、あまり頻繁に使えるまでにはいかなかった。
・可能性
たぶん、親戚が親戚を登録していって、自分が直接は知らない家系の人が増えてくると、そうした人の情報を見たりメッセージを送りあったりして楽しくなってくるのだろう。ユーザごとに相手が自分にとってどういう関係なのか辿れるので、安心感やら話題の切っ掛けやらには困らなそうだ。
ええ、と。つまり自分から見て「叔母さんの実家のお兄さんの息子」くらいまでが同じ家系図コミュニティに含まれるようになると、面白いんじゃないかという。
・サービス利用段階のまとめ
第1段階は「人物の追加」と「家系図共有メンバーの追加」、「プロフィールの充填」だ。たいてい、これはすぐに終わる。プロフィールも早々頻繁に変わるものじゃないだろう。第3段階が本番で、「家系図共有メンバー間のコミュニケーション」。長く経てば経つほど第1段階と第2段階は存在感が小さくなり、第3段階が利用の主目的となるだろう。
・日本語だったらどうか?
一般化して考えるのは難しいので、とりあえず自分の親戚を念頭に考えてみる。
>歳若い親戚
→ケータイで使えないと難しいな。あと、この世代は「親戚がどうたら~」なんて興味ないお年頃。
>同世代の親戚
→一番可能性ありそうだが、「mixi+メール+電話で、これ以上何がいるっての?」ということになりそう。
>親世代の親戚
→「親戚がどうこう~」に一番興味を持ちそうだけれど、そもそもwebをあまり利用しない。メールくらいか。それも昨今ではケータイだし、必要なときにYAHOOとかで検索するくらいか。近しい親戚以外とは気軽にメッセージを送りあうことなんてないだろうし(自分と同世代だって親世代の親戚だったらせいぜいが直接の「おじ、おば」関連くらいだろうな)。
>祖父母世代の親戚
→そもそもPCが使えない。
というわけで、なんだか難しいねぇ。前段として「そもそも連絡取りたいor取る必要がある親戚には電話化メールで連絡ができる」以上、それに加えていまさら何かを加えるモチベーションはないだろう。
日記的な使い方ができない以上、「祖父母が孫の様子を知りたくてGeniを見るように~」ってなストーリーは描きにくい。じゃあGeniに日記を付けるとよいかと言えば、それならGeniじゃなくてよくね?ってことになりそう。というか、家族限定のSNSは現在も日本語のサイトがいくつかあるけれど、やっぱりブログとかなんだよな。「祖父母や年配の親戚が見る」ことを考えると、ユーザ登録が閲覧に不可欠なサービスはもう敷居が高い。
とまあ、これは自分や自分の親戚を念頭に置いて導かれた考えなので、自分たちが風変わりか、日本的にはそこそこ一般的なのか判らないけれど、どうもGeni的な家系図サービスは流行りそうにない。海外ではなぜ人気なのだろうか?たんに世界規模なら母集団となる数が多いから?
最後に、おそらくGeni的な家系図サービスはこういう親族にニーズがありそう、というポイント。
・構成員に親族への帰属意識がある
・webで閲覧だけじゃなくアウトプットができる最低限のスキルと意識、習慣がある
・(関係的にも、普段の親密さ的にも)遠い親戚ともコミュニケーションが取りたい
・親戚同士が普段なかなか会えない程度には離れて生活している
・電話、メール、既存のSNS以外にコミュニケーションの経路が欲しい
・こうしたニーズを持つ親族の構成員が一定数以上いる
上記のニーズをある程度満たしていないと、Geni的な家系図サービスはあまり活用されない気がする。しかし、これはけっこう限定的だ。これでは大勢のユーザを引っ張れなさそうだ。何か考え違いをしているのか、見落としている点があるのか…。
サービスそのものは以下の記事などを参照してもらいたい。
Tech Crunch Japanese「Geniローンチ!」
実際には上記記事での紹介から様々な機能が追加されているのだけれど、日本であまりその点はキャッチアップされていない様子。
とはいえ今回はGeniというサービスの紹介が目的ではないので割愛。
サイトを見てもらえれば判るように、今のところGeniは英語しか言語が選択できない。日本語はもちろん、その他の言語もダメっぽい。
でまあ、日本語版を用意しない限りはそれこそ日本人にとってハードルが高いので、Geniそのものが日本ですぐ流行ることはないだろう。ただ、それは今回に限っていえばどうでもいいことだ。
Geniで出来ることは主に以下だ。
・家系図作成
→インタフェースなど非常にこなれていて、サクサク作成できる。もちろん自分だけでなく、その他の人物についても登録可能。登録時にその人のメアドを入れれば、その人へ自動でインビテーションが届く。自分にとってどういう関係か?や生死の別なども入れられる。表示形式も多彩。
・プロフィール作成
→自分だけでなく、他の人のプロフィールも作成できる。もちろん登録された本人がインビテーションンに応じてアクセスし、あとで変更も可能。
・メッセージの遣り取り
→Geni上で家系図に登録された人同士でメッセージの遣り取りができる。
で、使ってみた感想
・家系図を埋めるのは楽しい
思いつく限りの親戚を入れていく。自分の場合は親戚が多いのでどんどん増える。ただ「○○のおばちゃん」とか「○○ちゃん」とかアダ名で覚えている人の本名がなかなか思い出せなかったりした。
そうして作業すること10分くらい。自分を起点として、各自の関係がビジュアル的に配置されると、なんというか感慨深い。自分は確かに歴史的な遺伝子の連鎖の中にあり、これだけの人が親戚として存在しているのだということに、感傷的な思いを呼び起こされる。
・一人ではすぐに行き詰まる
とはいえ自分が知っている親戚を入れるだけでは、すぐに行き詰る。自分ひとりだと知っている親戚を全員入れた時点で、もうそれ以上は何もすることがないのだ。
そこで各親戚にプロフィールの充実や人物の追加をしてもらう必要が出てくる。従兄弟の嫁さんのご両親とか実家の兄弟とか。母方の祖母の兄弟の家系とか。
そのためには、まず誰かを招待する必要がある。そこで今回は英語がある程度は理解でき、ウエブサービスのリテラシーもありそうな父と従兄にまずメールで事情を話し、招待してみた。英語のメールが急に来ても、スパムと思われるのがオチだからだ。
・最初の壁でつまづいた
父も従兄も、サービス自体は理解してくれ、興味深く思ってくれたようだった。しかし、情報は更新されない。そういえば、感想も聞いてないな…。
ともあれ、英語なのでなかなかメンバーが増やせず、こちらの出来ることも増えず、あまり頻繁に使えるまでにはいかなかった。
・可能性
たぶん、親戚が親戚を登録していって、自分が直接は知らない家系の人が増えてくると、そうした人の情報を見たりメッセージを送りあったりして楽しくなってくるのだろう。ユーザごとに相手が自分にとってどういう関係なのか辿れるので、安心感やら話題の切っ掛けやらには困らなそうだ。
ええ、と。つまり自分から見て「叔母さんの実家のお兄さんの息子」くらいまでが同じ家系図コミュニティに含まれるようになると、面白いんじゃないかという。
・サービス利用段階のまとめ
第1段階は「人物の追加」と「家系図共有メンバーの追加」、「プロフィールの充填」だ。たいてい、これはすぐに終わる。プロフィールも早々頻繁に変わるものじゃないだろう。第3段階が本番で、「家系図共有メンバー間のコミュニケーション」。長く経てば経つほど第1段階と第2段階は存在感が小さくなり、第3段階が利用の主目的となるだろう。
・日本語だったらどうか?
一般化して考えるのは難しいので、とりあえず自分の親戚を念頭に考えてみる。
>歳若い親戚
→ケータイで使えないと難しいな。あと、この世代は「親戚がどうたら~」なんて興味ないお年頃。
>同世代の親戚
→一番可能性ありそうだが、「mixi+メール+電話で、これ以上何がいるっての?」ということになりそう。
>親世代の親戚
→「親戚がどうこう~」に一番興味を持ちそうだけれど、そもそもwebをあまり利用しない。メールくらいか。それも昨今ではケータイだし、必要なときにYAHOOとかで検索するくらいか。近しい親戚以外とは気軽にメッセージを送りあうことなんてないだろうし(自分と同世代だって親世代の親戚だったらせいぜいが直接の「おじ、おば」関連くらいだろうな)。
>祖父母世代の親戚
→そもそもPCが使えない。
というわけで、なんだか難しいねぇ。前段として「そもそも連絡取りたいor取る必要がある親戚には電話化メールで連絡ができる」以上、それに加えていまさら何かを加えるモチベーションはないだろう。
日記的な使い方ができない以上、「祖父母が孫の様子を知りたくてGeniを見るように~」ってなストーリーは描きにくい。じゃあGeniに日記を付けるとよいかと言えば、それならGeniじゃなくてよくね?ってことになりそう。というか、家族限定のSNSは現在も日本語のサイトがいくつかあるけれど、やっぱりブログとかなんだよな。「祖父母や年配の親戚が見る」ことを考えると、ユーザ登録が閲覧に不可欠なサービスはもう敷居が高い。
とまあ、これは自分や自分の親戚を念頭に置いて導かれた考えなので、自分たちが風変わりか、日本的にはそこそこ一般的なのか判らないけれど、どうもGeni的な家系図サービスは流行りそうにない。海外ではなぜ人気なのだろうか?たんに世界規模なら母集団となる数が多いから?
最後に、おそらくGeni的な家系図サービスはこういう親族にニーズがありそう、というポイント。
・構成員に親族への帰属意識がある
・webで閲覧だけじゃなくアウトプットができる最低限のスキルと意識、習慣がある
・(関係的にも、普段の親密さ的にも)遠い親戚ともコミュニケーションが取りたい
・親戚同士が普段なかなか会えない程度には離れて生活している
・電話、メール、既存のSNS以外にコミュニケーションの経路が欲しい
・こうしたニーズを持つ親族の構成員が一定数以上いる
上記のニーズをある程度満たしていないと、Geni的な家系図サービスはあまり活用されない気がする。しかし、これはけっこう限定的だ。これでは大勢のユーザを引っ張れなさそうだ。何か考え違いをしているのか、見落としている点があるのか…。
web担当者Forum
「100円の現金プレゼントでもユーザーは興味を示す/モバイルサイトキャンペーンの調査」
という記事を読んだ。モバイルサイトのキャンペーン調査結果なのだけれど、PCサイトでも同様の傾向は出てくると思う。現金やそれに代わるもの(ポイント、旅行券)といったものが賞品として人気なのはまったく同じだ。
上記の記事は「キャンペーンをより引きの強いものにするには?」という点で参考になることが多いし、実際にそれを意図して書かれたものだろう。
と、ここで話が上記記事からスライドしていく。今回は前振りが短い。
たしかに、キャンペーン(というか、何がしかの賞品が当たる企画)は実施する側にとって有用な手段だ。なんであれ実施するのとしないのとではPVでもUUでも応募数でも回答数でも大きな違いが出る。
ただし、有効なものの常として副作用もある。いずれも基本的なことだけれど書いておく。
・ユーザの質
賞品の当たる企画においては、賞品だけが目当てでやってくるユーザも出てくる。その結果、キャンペーン時の登録者数は多かったのに、そのほとんどが「とうろくしてそれっきり」ということもあり得るのだ。
あるいは、アンケートなどでも賞品欲しさに適当な(ただし、マジメに答えたように見える)回答を行ったり。抽選が手動ではなく自動の場合、こうした賞品だけが目当てで適当に答えた人間を抽選対象から自動で外すのは難しい。
事実そうした問題もあるからこそ、オンラインを使った調査会社は「まじめに回答している回答者の多さ」を「調査対象の質」としてセールスポイントに加えるのだ。
・依存性
広告をビジネスモデルとしたサイトが「サイトオープン記念」などで応募者にプレゼントが当たる企画を実施したとする。そのキャンペーンを広告などで他のサイトでにて告知もしたとしよう。
順調に伸びるビジター数。ところが、キャンペーン期間が過ぎると人が来なくなる。深刻に。そこでもう一度キャンペーンをすると人が来る。しかし終わればまた減る。繰り返し。
これはデフォルメしているが、起こりえるケースだ。印象として、一度キャンペーンによる成功体験をしたことのある担当者にとって、「アクセス数減→キャンペーンによる回復」というフローは常習化しやすい気がする。
もちろん、キャンペーンは人を引っ張ってくるための施策なので、数字が欲しいときに行うのは問題ない。だが、あまりにこの手法に依存してしまうと「キャンペンを実施しないと人がこない理由」に目が向かなくなり、本来解決すべき根本的な問題(それが何なのかはサイトによって違うだろう)になかなか目が向かなくなってしまうのだ。
この発展系に「キャンペーンの常態化」というのがある。そうそう毎度毎度「○○キャンペーン」という体裁にするわけにもいかないので、こうした場合はサイトの内容に関係なく「月替わり懸賞」なんていうコンテンツとしてサイトへ常駐することになる。
賞品が魅力的ならば、懸賞企画を続けている限りは数字が出るだろう。そしてあるとき、何かの理由で懸賞を辞めて、あらゆる数字の激減に呆然とするのだ。
こうした経験を経て、その担当者は「キャンペーン依存症」になる。とにかく常にキャンペーンや懸賞を実施していないと不安で、実施しているとある程度は安心できてしまう。「キャンペーンやってないとダメなんだよね、ウチのサイト」と本末転倒なことまで言ってしまう。
実話ではないし、誇張してあるけれども、あるいは実際にこんな感じの担当者を見たことのある人もいるかもしれない。
幸い、最近では無料のGoogle Analyticsでさえページごとに細かい情報を把握できるので、懸賞目当てで集まった人が大半という状況になれば、前よりも簡単に数字でそれが判る。それが「キャンペーン依存」の抑止力になる可能性は大いにあるだろう。
◆マメ知識◆
賞品の価格が10万円以下の場合、「豪華賞品」という言葉を使うと景表法に引っかかるらしい。
別に「キャンペーンはダメだ!害悪だ!」と言いたいわけじゃない。時宜をこころえ、適切な頻度を保っていれば、キャンペーンは数字を押し上げるのに有効なブースターになる。
ただし魅力的な効果があるからといって安易に連発していると、依存症を患って肝心のコンテンツに集客力がなくてもさほど気にならなくなってしまう。
というわけで、ご利用の際は計画的に、用法用量を守って正しくお使いください。
「100円の現金プレゼントでもユーザーは興味を示す/モバイルサイトキャンペーンの調査」
という記事を読んだ。モバイルサイトのキャンペーン調査結果なのだけれど、PCサイトでも同様の傾向は出てくると思う。現金やそれに代わるもの(ポイント、旅行券)といったものが賞品として人気なのはまったく同じだ。
上記の記事は「キャンペーンをより引きの強いものにするには?」という点で参考になることが多いし、実際にそれを意図して書かれたものだろう。
と、ここで話が上記記事からスライドしていく。今回は前振りが短い。
たしかに、キャンペーン(というか、何がしかの賞品が当たる企画)は実施する側にとって有用な手段だ。なんであれ実施するのとしないのとではPVでもUUでも応募数でも回答数でも大きな違いが出る。
ただし、有効なものの常として副作用もある。いずれも基本的なことだけれど書いておく。
・ユーザの質
賞品の当たる企画においては、賞品だけが目当てでやってくるユーザも出てくる。その結果、キャンペーン時の登録者数は多かったのに、そのほとんどが「とうろくしてそれっきり」ということもあり得るのだ。
あるいは、アンケートなどでも賞品欲しさに適当な(ただし、マジメに答えたように見える)回答を行ったり。抽選が手動ではなく自動の場合、こうした賞品だけが目当てで適当に答えた人間を抽選対象から自動で外すのは難しい。
事実そうした問題もあるからこそ、オンラインを使った調査会社は「まじめに回答している回答者の多さ」を「調査対象の質」としてセールスポイントに加えるのだ。
・依存性
広告をビジネスモデルとしたサイトが「サイトオープン記念」などで応募者にプレゼントが当たる企画を実施したとする。そのキャンペーンを広告などで他のサイトでにて告知もしたとしよう。
順調に伸びるビジター数。ところが、キャンペーン期間が過ぎると人が来なくなる。深刻に。そこでもう一度キャンペーンをすると人が来る。しかし終わればまた減る。繰り返し。
これはデフォルメしているが、起こりえるケースだ。印象として、一度キャンペーンによる成功体験をしたことのある担当者にとって、「アクセス数減→キャンペーンによる回復」というフローは常習化しやすい気がする。
もちろん、キャンペーンは人を引っ張ってくるための施策なので、数字が欲しいときに行うのは問題ない。だが、あまりにこの手法に依存してしまうと「キャンペンを実施しないと人がこない理由」に目が向かなくなり、本来解決すべき根本的な問題(それが何なのかはサイトによって違うだろう)になかなか目が向かなくなってしまうのだ。
この発展系に「キャンペーンの常態化」というのがある。そうそう毎度毎度「○○キャンペーン」という体裁にするわけにもいかないので、こうした場合はサイトの内容に関係なく「月替わり懸賞」なんていうコンテンツとしてサイトへ常駐することになる。
賞品が魅力的ならば、懸賞企画を続けている限りは数字が出るだろう。そしてあるとき、何かの理由で懸賞を辞めて、あらゆる数字の激減に呆然とするのだ。
こうした経験を経て、その担当者は「キャンペーン依存症」になる。とにかく常にキャンペーンや懸賞を実施していないと不安で、実施しているとある程度は安心できてしまう。「キャンペーンやってないとダメなんだよね、ウチのサイト」と本末転倒なことまで言ってしまう。
実話ではないし、誇張してあるけれども、あるいは実際にこんな感じの担当者を見たことのある人もいるかもしれない。
幸い、最近では無料のGoogle Analyticsでさえページごとに細かい情報を把握できるので、懸賞目当てで集まった人が大半という状況になれば、前よりも簡単に数字でそれが判る。それが「キャンペーン依存」の抑止力になる可能性は大いにあるだろう。
◆マメ知識◆
賞品の価格が10万円以下の場合、「豪華賞品」という言葉を使うと景表法に引っかかるらしい。
別に「キャンペーンはダメだ!害悪だ!」と言いたいわけじゃない。時宜をこころえ、適切な頻度を保っていれば、キャンペーンは数字を押し上げるのに有効なブースターになる。
ただし魅力的な効果があるからといって安易に連発していると、依存症を患って肝心のコンテンツに集客力がなくてもさほど気にならなくなってしまう。
というわけで、ご利用の際は計画的に、用法用量を守って正しくお使いください。
「Flashゲーム型広告についてのメモ」という記事からの派生。これもメモ的な記事。
どこからどうサイトへ人を引っ張ってくるか?というのは永遠の課題だ。検索から、というのが主だろうが他にもサイトの種類によって様々ある。
昨今はクチコミを狙う向きもあるが、これはコントローラビリティが低い。
そこで、クチコミと広告といった従来的な手法との中間として、ブログパーツが注目されるようになった。
これにはブログパーツ自体をクチコミの具としてもらう方向性と、バナーの代わりにブログへ貼ってもらうという方向性とがある。従来的なバナーは「美観を損ねる」「面白みがない」「広告的すぎる」などの理由から、個人のブログにアフィリエイト抜きで貼ってもらえる公算が低かった。しかし、ブログパーツならそれよりは、ユーザのブログに貼ってもらえる可能性が高い。デキのよいものなら、それ自体がクチコミ効果を生む。
また、ブログパーツは制作費こそ従来的なバナーより割高なものの、出稿料が不要なので、上手くすれば広告バナーを作って出稿するより低いコストで同程度の誘導が得られる。ただ、現状では平均して広告出稿に比べてブログパーツの方が効果的だというところまでは行ってないと推測される。
なぜなら、ブログパーツは配布している(たいていはPR元の)サイトへユーザが訪れ、なおかつそれをユーザが自ブログへ貼ってくれないといけないからだ。これでは広告出稿のように、人の集まる場所で不特定多数にアピールするほどの効果が安定して生まれるのは難しいだろう。
ただし、ソースは忘れたが一度貼られたブログパーツは意外とそのままになるらしいので、誘導経路としての長期的なランニングコストはブログパーツのほうが安い。
おそれく、ブログパーツが増えている背景には「ブログを持つユーザの増加」「ブログパーツの認知度向上」「制作ノウハウ蓄積によるコストダウン」などがあるだろう。前にも書いたが、ちょっとしたものならガワの換装だけでできるケースも増えているはずだ。一方で、1-click Awardのブログパーツのように、手の込んだ見せ方もできる。
ブログパーツを作成・配布する場合、まず重要なのがサイズ。大きいサイズだとサイドバーではなく、メインエリアに貼ってもらう想定となる。大きいとその分1画面でいろいろな要素を盛り込めるし、画像を大きく見せられる。しかしその一方で、そのパーツを貼っている記事を読んでもらわないと訪問者の目に入らない。なので長期的な誘導経路として考える場合は幅160px以内にして、ブログのサイドの貼ってもらえるようにする必要がある。ただ、小さくなれば大きいときのメリットは失われる。
あるいは、フッタエリアの直上に貼ってもらうことを前提とした横800pxくらいのブログパーツを配布するという手は何かあるかもしれない。ヘッダエリアの直下でもいいが、そのほうがブロガーの導入に対する抵抗感は大きい気がする。
ブログパーツには二つの方向性がある
・実用
・装飾用
実用は便利なので使ってもらえるもの。「あわせて読みたい」とかはそうだろう。「Sports@niftyプロ野球速報」とかも。カレンダーや天気予報、時計などはツールだけれど、たいしてブログに貼ってあってもさほど便利ではないので、装飾としての魅力がないと厳しい。スライドショーもブロガーが表示画像を設定できるのなら、実用といえるだろう。
その装飾用だが、「ビジュアルで魅せる」か「演出で魅せる」かでないと厳しい。先に書いた1-click Awardのブログパーツなどはビジュアルの面白さと演出の巧みさを兼ねているし、ユニクロックなんかもそうだろう。あれだって時計としての利便性はどうだっていい。
人気キャラを利用したブログパーツなんかはもう時計だろうがなんだろうが、そのキャラが好きな人にはキャライラストだけで充分に魅力があるだろう。正味な話、キャライラスト以外はなんだっていいというかブログパーツであるための体裁でしかない。他にもイラストが主眼でそれ以外は体裁でしかないブログパーツは多いと思う。
あとまあ、コンテンツ拡張用というのがある。ミニゲームや占いなど、ブロガーからすればブログの拡張コンテンツとなるようなものだ。スライドショーなんかはこの分類にも含まれるし、上記の2タイプとは若干レイヤーが違う。
あと方向性として、ブログパーツ提供元のコンテンツを切り出して配信というのがある。livedoorの「デイリー4コマ」ブログパーツなんかはそうだろう。コンテンツ拡張用でもある。
配布方法は基本的に配布元のサーバから読み込んでもらう形。ブロガーにとって設置が楽だし、配布元としても被リンク数が自然な形で集まるからだろう。あと無料のブログサービスだとswfをアップできなかったりして、「ダウンロードして使って」だと設置可能なブロガーの間口が狭くなるとか。内容の更新や追加、削除といったコントロールの絡みもあるか。
そういえば、ブログパーツを配布したら思いのほか大人気でサーバが落ちたという話は寡聞にして知らない。そんなに大層なトラフィックじゃないからだろうか。
ただ人気のブログパーツ、デキのいいブログパーツが貼ってもらえるとは限らない。あるブログパーツについて存在を知ったユーザがそのサンプルを見るなり触るなりして、気に入りつつもそこで満足して帰ってしまうケースがあるんじゃないか。けっきょくそれではブログパーツが「ブログに貼るもの」ではなく「コンテンツとして消費するもの」になってしまっているわけだ。
一方で、ブログパーツは実際の挙動をサイト上で見せるのが一般的なので、たとえば静止画像でイメージを見せるだけだと不満に思われる。
けっきょく、貼ってもらえずともそれで広告宣伝効果やビジター数の増加があれば、それはそれで儲けものだとするしかないのだろう。
長くなったのでこの辺にしておくが、ともかくブログパーツはまだまだ工夫の余地が大きい。ブログパーツを1000とか作って実績を誇っている制作会社もないし、「100本ポップ」じゃないけれど「100本ブログパーツ」ってのをしてみるのも一興かと。
どこからどうサイトへ人を引っ張ってくるか?というのは永遠の課題だ。検索から、というのが主だろうが他にもサイトの種類によって様々ある。
昨今はクチコミを狙う向きもあるが、これはコントローラビリティが低い。
そこで、クチコミと広告といった従来的な手法との中間として、ブログパーツが注目されるようになった。
これにはブログパーツ自体をクチコミの具としてもらう方向性と、バナーの代わりにブログへ貼ってもらうという方向性とがある。従来的なバナーは「美観を損ねる」「面白みがない」「広告的すぎる」などの理由から、個人のブログにアフィリエイト抜きで貼ってもらえる公算が低かった。しかし、ブログパーツならそれよりは、ユーザのブログに貼ってもらえる可能性が高い。デキのよいものなら、それ自体がクチコミ効果を生む。
また、ブログパーツは制作費こそ従来的なバナーより割高なものの、出稿料が不要なので、上手くすれば広告バナーを作って出稿するより低いコストで同程度の誘導が得られる。ただ、現状では平均して広告出稿に比べてブログパーツの方が効果的だというところまでは行ってないと推測される。
なぜなら、ブログパーツは配布している(たいていはPR元の)サイトへユーザが訪れ、なおかつそれをユーザが自ブログへ貼ってくれないといけないからだ。これでは広告出稿のように、人の集まる場所で不特定多数にアピールするほどの効果が安定して生まれるのは難しいだろう。
ただし、ソースは忘れたが一度貼られたブログパーツは意外とそのままになるらしいので、誘導経路としての長期的なランニングコストはブログパーツのほうが安い。
おそれく、ブログパーツが増えている背景には「ブログを持つユーザの増加」「ブログパーツの認知度向上」「制作ノウハウ蓄積によるコストダウン」などがあるだろう。前にも書いたが、ちょっとしたものならガワの換装だけでできるケースも増えているはずだ。一方で、1-click Awardのブログパーツのように、手の込んだ見せ方もできる。
ブログパーツを作成・配布する場合、まず重要なのがサイズ。大きいサイズだとサイドバーではなく、メインエリアに貼ってもらう想定となる。大きいとその分1画面でいろいろな要素を盛り込めるし、画像を大きく見せられる。しかしその一方で、そのパーツを貼っている記事を読んでもらわないと訪問者の目に入らない。なので長期的な誘導経路として考える場合は幅160px以内にして、ブログのサイドの貼ってもらえるようにする必要がある。ただ、小さくなれば大きいときのメリットは失われる。
あるいは、フッタエリアの直上に貼ってもらうことを前提とした横800pxくらいのブログパーツを配布するという手は何かあるかもしれない。ヘッダエリアの直下でもいいが、そのほうがブロガーの導入に対する抵抗感は大きい気がする。
ブログパーツには二つの方向性がある
・実用
・装飾用
実用は便利なので使ってもらえるもの。「あわせて読みたい」とかはそうだろう。「Sports@niftyプロ野球速報」とかも。カレンダーや天気予報、時計などはツールだけれど、たいしてブログに貼ってあってもさほど便利ではないので、装飾としての魅力がないと厳しい。スライドショーもブロガーが表示画像を設定できるのなら、実用といえるだろう。
その装飾用だが、「ビジュアルで魅せる」か「演出で魅せる」かでないと厳しい。先に書いた1-click Awardのブログパーツなどはビジュアルの面白さと演出の巧みさを兼ねているし、ユニクロックなんかもそうだろう。あれだって時計としての利便性はどうだっていい。
人気キャラを利用したブログパーツなんかはもう時計だろうがなんだろうが、そのキャラが好きな人にはキャライラストだけで充分に魅力があるだろう。正味な話、キャライラスト以外はなんだっていいというかブログパーツであるための体裁でしかない。他にもイラストが主眼でそれ以外は体裁でしかないブログパーツは多いと思う。
あとまあ、コンテンツ拡張用というのがある。ミニゲームや占いなど、ブロガーからすればブログの拡張コンテンツとなるようなものだ。スライドショーなんかはこの分類にも含まれるし、上記の2タイプとは若干レイヤーが違う。
あと方向性として、ブログパーツ提供元のコンテンツを切り出して配信というのがある。livedoorの「デイリー4コマ」ブログパーツなんかはそうだろう。コンテンツ拡張用でもある。
配布方法は基本的に配布元のサーバから読み込んでもらう形。ブロガーにとって設置が楽だし、配布元としても被リンク数が自然な形で集まるからだろう。あと無料のブログサービスだとswfをアップできなかったりして、「ダウンロードして使って」だと設置可能なブロガーの間口が狭くなるとか。内容の更新や追加、削除といったコントロールの絡みもあるか。
そういえば、ブログパーツを配布したら思いのほか大人気でサーバが落ちたという話は寡聞にして知らない。そんなに大層なトラフィックじゃないからだろうか。
ただ人気のブログパーツ、デキのいいブログパーツが貼ってもらえるとは限らない。あるブログパーツについて存在を知ったユーザがそのサンプルを見るなり触るなりして、気に入りつつもそこで満足して帰ってしまうケースがあるんじゃないか。けっきょくそれではブログパーツが「ブログに貼るもの」ではなく「コンテンツとして消費するもの」になってしまっているわけだ。
一方で、ブログパーツは実際の挙動をサイト上で見せるのが一般的なので、たとえば静止画像でイメージを見せるだけだと不満に思われる。
けっきょく、貼ってもらえずともそれで広告宣伝効果やビジター数の増加があれば、それはそれで儲けものだとするしかないのだろう。
長くなったのでこの辺にしておくが、ともかくブログパーツはまだまだ工夫の余地が大きい。ブログパーツを1000とか作って実績を誇っている制作会社もないし、「100本ポップ」じゃないけれど「100本ブログパーツ」ってのをしてみるのも一興かと。
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