大学時代の後輩がweb制作関連の仕事をして、先日、久々に飲みにいく機会があった。そのときに喋ったことが意外と自分の頭に引っ掛かっているので、とりとめなく膨らませたりしぼませたりしてみる。
Web APIが公開されるケースは増えている。理由としては情熱や普及への欲求、プラットフォーム戦争への投入や、デファクトスタンダードへの布石などがあるだろう。
それが何らかの面で優れていたり待ち望まれていたものであれば、あるいは配布元のサイトに人気があれば、それは熱狂と共に歓迎され、上手くすれば公開している側の目的を達成してくれる。
私自身もそうした話題に触れ、有志による成果に触れるとテンションが上がる。ただ、それに限度があるのは、自分がWeb APIを直接いじってどうこうということが出来ないからだろう。
おそらく、クライアントのweb担当者がWeb APIについて知っていたとしても、よほど個人的にwebの技術が好きか所属企業の事業内容がweb関連でもない限り、APIがリリースされたと知っても特に気持ちは動かないんじゃないか。というのも、それで自分がどうこうできるというものでなし、仕事に役立つわけでもない。「ああ、そうなんだ」で終わるケースが大半だろう。
web担当者がこういう反応では、たとえばプラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙って投入されたWeb APIはその効果を挙げたとは言えない。そうした担当者が「それならぜひ、ウチにも導入しよう」と思ってもらわないと。
で、こうした担当者にそう言わせる手段としては、Web APIの公開や特定のコミュニティによる熱狂ではなく、営業による「今度、ウチのコレコレという機能を他の企業に販売するようになりましてね」という言葉の方が力を持つ。
これなら、そのサービスがいいと思ってもらえれば「じゃあ、お願いします」で済むし、費用によって交渉をする方向性もある。要は、まだ日本ではWeb APIよりもASPやSaaSを営業が売る方がBtoBでの普及率向上には有効なんじゃないかということだ。
Web APIを公開して「今度、ウチの技術を誰でも利用できるようになりましてね」と営業が言えば、それはそれで効果があるだろう。けれど「いいね。で、どうすればいいの?」となったときに、「ウチが導入までやりますよ」ならいいだろうけど、「無料で公開されてますんで、ぜひお使いください」じゃあ難しい。「商用なら有料」という場合はなおさら、「お金は払うから」というクライアントに対して導入を引き受けられないと普及がなかなか進まない。
とはいえ、公開だけというケースでも、導入業務の販売に力を入れていない場合でも、受託業務を主としているweb制作会社が個々のクライアントに提案をして、採用されていけば普及していく。
と、ここから話が変わって後半に入る。webディレクターがWeb APIの導入を提案する際の想定ケースについて。つまりまあ、BtoBに限った話。
おそらく提案できるメリットとしては
・自社開発よりも安い
・他にも普及すれば「標準化」された機能を備えていることになる
・メンテやセキュリティなど、ランニングコストが自社開発より低くなるはず
・それとないイメージアップが見込める(おまけ程度に)
といったところか。それ以前に提案しているWeb APIで何が出来て、対象サイトにとってどんなメリットがあるのかを説明する必要があるけれど。そして、それはそれで一仕事だ。
一方で、デメリット(というか、導入の条件)として以下に同意してもらう必要もある。
・自社開発ほど自由にならない
・配布元の規約に従わなければならない
・公開終了の可能性がある
これはたった3つだけれど、「提案採用の最大障壁」でもある。自分の経験でしかないけれど、上記の一つでもあると、提案が採用されるまでのハードルは格段に上がる。
・自由度で劣るが、必要条件は満たしている
・規約がこちらの目的を(場合によっては将来にわたって)阻害しない
・公開終了が実質、心配するほどのリスクじゃない
この3つを保障or証明してみせるくらいでないと、後で何か問題が起きたときに「あのとき大丈夫って言ったじゃないか」的な話になりかねない。
が、提案する側としてはそんなことは保障しきれない。なんせ、配布元はよその会社だもの。
まあ、そんなこんなで配布元以外の制作会社がこれを提案に含めるハードルは、Web API公開によって引き下げられるハードルほど低くはない。受託のweb制作業者があまりWeb APIの導入を提案しないのは、そうした理由もあるのではないか。まあ、それが自分の勘違いで、このごろはそういった提案なんてザラかもしれないけど。
Web APIが他の企業サイトに最も採用されやすい流れとしては、クライアント側が「これこれを導入して」と発注することだろう。ただ、これがどのくらいよくあるケースなのかは不明だ。
おそらく、Web APIを公開する側もプラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙うのであれば不十分だと理解はしているのだろう。だから、Web API公開と並行して(サポートだけであっても)導入まで込みという形で営業を仕掛け、大手サイトや企業と提携をまとめたり、商用であればASPかSaaSのみという形態をとっているのではないか。
とすると、言い方は悪いがプラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙う上で、Web APIというのは「撒き餌」程度の役割なのかもしれない。良い悪いは特にないが。
もちろん、プラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙っての公開でければ気にするようなことではないだろうし、受託業務を主とする制作会社のwebディレクターからすれば、提案しづらいことに変わりはないので、どうでもいいような話だ。
Web APIが公開されるケースは増えている。理由としては情熱や普及への欲求、プラットフォーム戦争への投入や、デファクトスタンダードへの布石などがあるだろう。
それが何らかの面で優れていたり待ち望まれていたものであれば、あるいは配布元のサイトに人気があれば、それは熱狂と共に歓迎され、上手くすれば公開している側の目的を達成してくれる。
私自身もそうした話題に触れ、有志による成果に触れるとテンションが上がる。ただ、それに限度があるのは、自分がWeb APIを直接いじってどうこうということが出来ないからだろう。
おそらく、クライアントのweb担当者がWeb APIについて知っていたとしても、よほど個人的にwebの技術が好きか所属企業の事業内容がweb関連でもない限り、APIがリリースされたと知っても特に気持ちは動かないんじゃないか。というのも、それで自分がどうこうできるというものでなし、仕事に役立つわけでもない。「ああ、そうなんだ」で終わるケースが大半だろう。
web担当者がこういう反応では、たとえばプラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙って投入されたWeb APIはその効果を挙げたとは言えない。そうした担当者が「それならぜひ、ウチにも導入しよう」と思ってもらわないと。
で、こうした担当者にそう言わせる手段としては、Web APIの公開や特定のコミュニティによる熱狂ではなく、営業による「今度、ウチのコレコレという機能を他の企業に販売するようになりましてね」という言葉の方が力を持つ。
これなら、そのサービスがいいと思ってもらえれば「じゃあ、お願いします」で済むし、費用によって交渉をする方向性もある。要は、まだ日本ではWeb APIよりもASPやSaaSを営業が売る方がBtoBでの普及率向上には有効なんじゃないかということだ。
Web APIを公開して「今度、ウチの技術を誰でも利用できるようになりましてね」と営業が言えば、それはそれで効果があるだろう。けれど「いいね。で、どうすればいいの?」となったときに、「ウチが導入までやりますよ」ならいいだろうけど、「無料で公開されてますんで、ぜひお使いください」じゃあ難しい。「商用なら有料」という場合はなおさら、「お金は払うから」というクライアントに対して導入を引き受けられないと普及がなかなか進まない。
とはいえ、公開だけというケースでも、導入業務の販売に力を入れていない場合でも、受託業務を主としているweb制作会社が個々のクライアントに提案をして、採用されていけば普及していく。
と、ここから話が変わって後半に入る。webディレクターがWeb APIの導入を提案する際の想定ケースについて。つまりまあ、BtoBに限った話。
おそらく提案できるメリットとしては
・自社開発よりも安い
・他にも普及すれば「標準化」された機能を備えていることになる
・メンテやセキュリティなど、ランニングコストが自社開発より低くなるはず
・それとないイメージアップが見込める(おまけ程度に)
といったところか。それ以前に提案しているWeb APIで何が出来て、対象サイトにとってどんなメリットがあるのかを説明する必要があるけれど。そして、それはそれで一仕事だ。
一方で、デメリット(というか、導入の条件)として以下に同意してもらう必要もある。
・自社開発ほど自由にならない
・配布元の規約に従わなければならない
・公開終了の可能性がある
これはたった3つだけれど、「提案採用の最大障壁」でもある。自分の経験でしかないけれど、上記の一つでもあると、提案が採用されるまでのハードルは格段に上がる。
・自由度で劣るが、必要条件は満たしている
・規約がこちらの目的を(場合によっては将来にわたって)阻害しない
・公開終了が実質、心配するほどのリスクじゃない
この3つを保障or証明してみせるくらいでないと、後で何か問題が起きたときに「あのとき大丈夫って言ったじゃないか」的な話になりかねない。
が、提案する側としてはそんなことは保障しきれない。なんせ、配布元はよその会社だもの。
まあ、そんなこんなで配布元以外の制作会社がこれを提案に含めるハードルは、Web API公開によって引き下げられるハードルほど低くはない。受託のweb制作業者があまりWeb APIの導入を提案しないのは、そうした理由もあるのではないか。まあ、それが自分の勘違いで、このごろはそういった提案なんてザラかもしれないけど。
Web APIが他の企業サイトに最も採用されやすい流れとしては、クライアント側が「これこれを導入して」と発注することだろう。ただ、これがどのくらいよくあるケースなのかは不明だ。
おそらく、Web APIを公開する側もプラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙うのであれば不十分だと理解はしているのだろう。だから、Web API公開と並行して(サポートだけであっても)導入まで込みという形で営業を仕掛け、大手サイトや企業と提携をまとめたり、商用であればASPかSaaSのみという形態をとっているのではないか。
とすると、言い方は悪いがプラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙う上で、Web APIというのは「撒き餌」程度の役割なのかもしれない。良い悪いは特にないが。
もちろん、プラットフォーム化やデファクトスタンダード化を狙っての公開でければ気にするようなことではないだろうし、受託業務を主とする制作会社のwebディレクターからすれば、提案しづらいことに変わりはないので、どうでもいいような話だ。
いや、問題というよりは疑問なんだけど。
【2ch】日刊スレッドガイド : お母さんからのメールはオカルト
というのを読んでいて思い出した。
前に、とある仕事で定期的にアンケートやら投票企画やらをやっていた。そのサイトは広範な年齢層のユーザが集まっていたので、コメントや自由記入欄を書いてくれる人の年代も様々だった。
そんな中で、年齢の高い人(といっても、年齢欄でそう自称した人だけれど)の少なからずに共通の特徴があった。ここでいう年齢の高い人とは、おおむね60歳以上くらい。
それは、日本語がカタコトだということ。タイピングの苦手さが原因と思われるものを差し引いても、妙に句読点が多かったり、日本語そのものがちょっとおかしかったり。文意を判読するのに苦労するものもあった。少なくとも、他の年齢を自称した人に比べると有意に高かった。って言っても、あくまで自分の見た範囲だけれど。
実験したわけではないけれど、こうした人だってたいていは、手書きなら普通に読みやすい流暢な日本語の文章を書いているはず。根拠はないけれど、あの割合の多さからすると、それらの人がみんな普段から手書きでもああいう文章を書いているとはちょっと考えにくい。ともかくも、それくらい「よくあること」だった。
若い世代に比べてタイピングの苦手な人が多い、というのは不思議でもない。ただ、それが原因で起きるのは誤変換だったり、誤打だったり、たとえば拗音や促音がそうなっていない(チューブ、がチユーブだ、とか)、そういった現象だろう。ではなくて例えば「いつも、見てます。私はまだ、うまくありません。せかくですが、お返事また書きます」みたいな。いや、これは私が作った例文だけど、あのころ年配の人が寄せてくれた文章の雰囲気が上手く再現できたと(自分としては)思う。
いったいこれはどうして起きるんだろうか。タイピングがスムーズに行かないため、一度書いてしまった文章を見返して、解りやすく直すのに疲れてしまい、そのまま送ってくれるんだろうか。それとも、タイピングに一生懸命で、そこまで気が回らないとか?もしかして私が勝手に思っているよりも、年配の人は文章で考えを述べるのが苦手なんだろうか。
あるいは…。なんだろう。どうも明確な理由が思い浮かばない。年配の人相手にPC教室を開いている人なんかだと、あるいは思い当たる節があるかもしれない。
まあ、原因が判ったからって何かに役立つわけではないだろうし、自分たちが高齢者になる頃にはおおむね消え去る現象なんだろうけれど、ともかく不思議だ。
【2ch】日刊スレッドガイド : お母さんからのメールはオカルト
というのを読んでいて思い出した。
前に、とある仕事で定期的にアンケートやら投票企画やらをやっていた。そのサイトは広範な年齢層のユーザが集まっていたので、コメントや自由記入欄を書いてくれる人の年代も様々だった。
そんな中で、年齢の高い人(といっても、年齢欄でそう自称した人だけれど)の少なからずに共通の特徴があった。ここでいう年齢の高い人とは、おおむね60歳以上くらい。
それは、日本語がカタコトだということ。タイピングの苦手さが原因と思われるものを差し引いても、妙に句読点が多かったり、日本語そのものがちょっとおかしかったり。文意を判読するのに苦労するものもあった。少なくとも、他の年齢を自称した人に比べると有意に高かった。って言っても、あくまで自分の見た範囲だけれど。
実験したわけではないけれど、こうした人だってたいていは、手書きなら普通に読みやすい流暢な日本語の文章を書いているはず。根拠はないけれど、あの割合の多さからすると、それらの人がみんな普段から手書きでもああいう文章を書いているとはちょっと考えにくい。ともかくも、それくらい「よくあること」だった。
若い世代に比べてタイピングの苦手な人が多い、というのは不思議でもない。ただ、それが原因で起きるのは誤変換だったり、誤打だったり、たとえば拗音や促音がそうなっていない(チューブ、がチユーブだ、とか)、そういった現象だろう。ではなくて例えば「いつも、見てます。私はまだ、うまくありません。せかくですが、お返事また書きます」みたいな。いや、これは私が作った例文だけど、あのころ年配の人が寄せてくれた文章の雰囲気が上手く再現できたと(自分としては)思う。
いったいこれはどうして起きるんだろうか。タイピングがスムーズに行かないため、一度書いてしまった文章を見返して、解りやすく直すのに疲れてしまい、そのまま送ってくれるんだろうか。それとも、タイピングに一生懸命で、そこまで気が回らないとか?もしかして私が勝手に思っているよりも、年配の人は文章で考えを述べるのが苦手なんだろうか。
あるいは…。なんだろう。どうも明確な理由が思い浮かばない。年配の人相手にPC教室を開いている人なんかだと、あるいは思い当たる節があるかもしれない。
まあ、原因が判ったからって何かに役立つわけではないだろうし、自分たちが高齢者になる頃にはおおむね消え去る現象なんだろうけれど、ともかく不思議だ。
Scribd (ドキュメント版YouTubeと呼ばれる文書共有サイト) : ワークスタイル・メモ
という記事を読んで、そういえばScribdについて書こうと思っていたのを長らく忘れていたことに気づいた。
せっかくなので続きはScribdで!
http://www.scribd.com/doc/2566402/scribed-in-jpn
って書いて読んでくれる人はいるだろうか。まあいいや。
【追記】08/04/30
コメント欄でHot.Docsというサイトを教えてもらった。日本版Scribdということで、デザインがもう少し何とかならないかと思ったものの、機能的には使い易そう。なにより、基本的にどの文書も日本語というのが、日本語ユーザにとっては助かる。ビジネステンプレからちょっとしたチュートリアルまで幅広くある様子で、もう少し数が増えていけばみんな幸せになれるかと。
開発元は東工大発ベンチャー「株式会社イデアルリンク」だそうな。
という記事を読んで、そういえばScribdについて書こうと思っていたのを長らく忘れていたことに気づいた。
せっかくなので続きはScribdで!
http://www.scribd.com/doc/2566402/scribed-in-jpn
って書いて読んでくれる人はいるだろうか。まあいいや。
【追記】08/04/30
コメント欄でHot.Docsというサイトを教えてもらった。日本版Scribdということで、デザインがもう少し何とかならないかと思ったものの、機能的には使い易そう。なにより、基本的にどの文書も日本語というのが、日本語ユーザにとっては助かる。ビジネステンプレからちょっとしたチュートリアルまで幅広くある様子で、もう少し数が増えていけばみんな幸せになれるかと。
開発元は東工大発ベンチャー「株式会社イデアルリンク」だそうな。
このところディレクションについてまともな話が書けていないわけだけれど、今日もそう。まあ、ディレクションについて書かなくても“WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。”だからいいんだけど。
さて、前に取り上げたmeet-meが4/8に正式オープンした。なぜか作動中にクライアントソフトが落ちるので正式オープン後はログインしていないのだけれど、相変わらずイチオシの遊びは「釣り」らしい。どうしてそんなに釣り押しなんだろう。あとまあ、トランプができるらしい。「配る」「シャッフル」などの基本動作のみなので、どんなトランプゲームでも好きに出来るらしい。windowsユーザならみんな大好きなソリティアだって、たぶんできる。
で、そんなmeet-meに「TOYOTA METAPOLIS」なるトヨタの施設がオープンした。デザインは押井守の監修で、イベント会場があったりバーチャルショールーム的なものがあったりする。あと、meet-me用i-REALが抽選で当たるらしい。(実物のi-REALはこんなの)
公式サイトのリリースではmeet-meの特徴として「ユーザーが受身であっても心地よく過ごせる仕掛けを提供」を挙げているので、今後その辺がどれくらい充実していくか注目しつつ、気が向いたらまたログインしてみようかな。
こういうセカンドライフ的なものに期待はしているので、国内でどれか一つくらいは成功して欲しいものだ。
さて、前に取り上げたmeet-meが4/8に正式オープンした。なぜか作動中にクライアントソフトが落ちるので正式オープン後はログインしていないのだけれど、相変わらずイチオシの遊びは「釣り」らしい。どうしてそんなに釣り押しなんだろう。あとまあ、トランプができるらしい。「配る」「シャッフル」などの基本動作のみなので、どんなトランプゲームでも好きに出来るらしい。windowsユーザならみんな大好きなソリティアだって、たぶんできる。
で、そんなmeet-meに「TOYOTA METAPOLIS」なるトヨタの施設がオープンした。デザインは押井守の監修で、イベント会場があったりバーチャルショールーム的なものがあったりする。あと、meet-me用i-REALが抽選で当たるらしい。(実物のi-REALはこんなの)
公式サイトのリリースではmeet-meの特徴として「ユーザーが受身であっても心地よく過ごせる仕掛けを提供」を挙げているので、今後その辺がどれくらい充実していくか注目しつつ、気が向いたらまたログインしてみようかな。
こういうセカンドライフ的なものに期待はしているので、国内でどれか一つくらいは成功して欲しいものだ。
サイトの制作をしていると、だいたい念頭におくべきユーザはネット初心者だ。とにかくそういった人でも判るようなUIや言い回し、導線などが必要になる。初心者でもストレスなく見て回れるなら、それより上のレベルの人でも問題ない。クライアントがネットに詳しくなくても、理解してもらえる。
ただ、自分がインターネット好きで新しモノ好きだと、それがための対処を負担に感じることもある。「それじゃ判らない」と言われ「そこからか?そこから説明しないとダメか?」と、ついつい思ってしまうときもある。が、冷静に考えればその方がいい場合というのも確かにある。
で、そういうことが続くと「使いやすいにしても、初心者を念頭に置かなくていいサイトを作りたい」と夢想してみたりする。
ただまあ、そこにはそれなりの問題があるわけで。はてなの近藤さんは
で、だ。仕事でサイトを作る場合、たいてい一部の先端的なユーザからばっかり愛され、アクセスされていても仕方ない。明確に特定のターゲットを狙ったサイトでもない限り、「1000万人、1億人に届くもの」とまでは行かなくても「1万人、10万人に届くもの」だといいな、という辺りがある。要するにマジョリティユーザに受け入れられ、アクセスされるものだ。これを忘れていられるのはよほどの幸せ者か認識不足か、だ。
そういう観点に限定すると、はてなはビジネスとしてはあんまり幸福じゃない。もし近藤さんたちが「1000万人、1億人に届くもの」と思っても、そうは問屋が卸さない。その辺については前に一度、「CGMに関する漠然とした予感」として書いている。
ともかくも、はてなみたいに初心者でも(実は)使いやすそうなUIで初心者を無視する気ゼロの心がけでいてさえ、メインユーザが先端的だとサイトやサービスは袋小路にはまる。ましてや、最初から初心者を念頭におかず企画されたサイトたるや…。それに、そういうユーザを魅了し続けるのは本当に大変だ。それにあいつらってほら、忠誠心が猫並だろ?
とはいえ少なくとも、大多数のweb制作者にとって、近藤さんが(引用部分以外にも)上の記事で書いたような悩みを持つ機会はない。言ってみれば無関係だ。そこから自分の身になるものは恐ろしく少ない。
似たような理由から、UNIQLO.comなどを手掛けられた中村勇吾さんについても、その言動や考え、悩みについて読むのは気晴らし以上の意味がないかもしれない、という気がしている。せいぜい自己啓発的な意味くらいか。
確かにああいう人について書かれているものを読んだり観たりするのは、人によってはヤル気を引き出す効能がある。だがじゃあ、実際に彼の悩みや考えが自分の身になるかと言えば、どうもそんな気がしない。
そもそも自分にとって彼の言っていることが実際に生きてくるには、まず彼と同じか、近いポジションに立つ必要があるんじゃないだろうか?それまでは上で書いた近藤さんの悩みのように、具体的な内容は自分からあまりに遠いんじゃないだろうか。
中村さんはきっと凄く優秀で、クリエイターとしても素晴らしい創造性を持っているんだろう。で、その彼の直面する課題(案件ごとであれ、ディレクターとしてであれ)が、自分にとって参考になるんだろうか?言葉の上では直面することもあるんだろうけれど、諸般の事情を見ていくと全然同じ課題とは言えないケースばっかりじゃなかろうか。
彼の言動に凄く詳しいわけじゃないので偏見かもしれないが、低予算(必要額に対してではなく、そもそもの絶対的な上限が低い)で、短納期で、制作スタッフが優秀だとしてもたぶん中村さんが接している人たちほどじゃなくて、その案件に関わらなければ知らなかっただろう中小企業がクライアントで…というお馴染みな状況に対して役に立つんだろうか?
たぶん、立たない。よく分からないがスケジュールの組み方だとか圧倒的に優位なクライアントとの交渉の仕方だとか、低予算での切り盛りの仕方だとか、そういった面で天才的かつ、そういう面での情報を発信してくれているのでもない限り。
きっとトップアスリートの言っていることが、具体的な中身としてはそこらの学生部員にとってあまり役立たないようなものなんだろう。
しかし、役に立たなくったっていいだろう、とも思う。そういう天辺にいる人たちはそれなりの孤独と苦悩を持ちつつ夢を与える存在であればいい。自分たちのようなそこから遥か下にいる人間は、ときどき空を見上げて「ああいう人もいるんだよなあ」くらいに思えればいい。参考や手本にするのではなく、ただ遠くにいるのを眺めるだけの存在。
というか、近藤さんにしろ中村さんにしろ、それぐらいの距離感と認識で眺めてないと逆に苛立ちやストレスの元だ。ああいう人たちと自分とを引き比べるのは不毛だ。
【追記】近藤さんの上記記事にトラバしようと思って、なんとなく不安になってやめた。やめた後で、「近藤さんにこんな内容でトラバすると面倒なことになりそう。ご本人が気にしなくても」と、それが本当かどうかはともかく(たぶんそんなことない)、思わずためらってしまったあたりに「はてな」の置かれた難しさがある。と、書くことで自分の気持ちの小ささと自意識過剰っぷりをひとまず誤魔化しておく。
ただ、自分がインターネット好きで新しモノ好きだと、それがための対処を負担に感じることもある。「それじゃ判らない」と言われ「そこからか?そこから説明しないとダメか?」と、ついつい思ってしまうときもある。が、冷静に考えればその方がいい場合というのも確かにある。
で、そういうことが続くと「使いやすいにしても、初心者を念頭に置かなくていいサイトを作りたい」と夢想してみたりする。
ただまあ、そこにはそれなりの問題があるわけで。はてなの近藤さんは
なんて書いている。一日中ネットに張り付いているような人たちが、新しいネタやサービスを追いかけ続けているその後ろに、置いてきぼりにされた大集団、みたいなものがあって、実はそちらがマジョリティなのだ、という現在の構図がようやく最近実感としてつかめてきた気がする。
「うさんくさい」より
とも。最初の方の「実感」が今までなかったという部分には驚くけれど、まあこれは書き方のためで、実際には前から「理解」はしていたんだろう。多くのイノベーションが、流行に敏感なアーリーアダプターによって発見され、拡大していくのは常であるし、先端的なユーザーに人気があること自体は非常に良い事だ。ここを欠いてはいけないのはもちろんだが、問題はそこから、そこから1000万人、1億人に届くものを作ろうという気持ちを忘れてしまわないようにしたい。
「たこつぼ」より
で、だ。仕事でサイトを作る場合、たいてい一部の先端的なユーザからばっかり愛され、アクセスされていても仕方ない。明確に特定のターゲットを狙ったサイトでもない限り、「1000万人、1億人に届くもの」とまでは行かなくても「1万人、10万人に届くもの」だといいな、という辺りがある。要するにマジョリティユーザに受け入れられ、アクセスされるものだ。これを忘れていられるのはよほどの幸せ者か認識不足か、だ。
そういう観点に限定すると、はてなはビジネスとしてはあんまり幸福じゃない。もし近藤さんたちが「1000万人、1億人に届くもの」と思っても、そうは問屋が卸さない。その辺については前に一度、「CGMに関する漠然とした予感」として書いている。
ともかくも、はてなみたいに初心者でも(実は)使いやすそうなUIで初心者を無視する気ゼロの心がけでいてさえ、メインユーザが先端的だとサイトやサービスは袋小路にはまる。ましてや、最初から初心者を念頭におかず企画されたサイトたるや…。それに、そういうユーザを魅了し続けるのは本当に大変だ。それにあいつらってほら、忠誠心が猫並だろ?
とはいえ少なくとも、大多数のweb制作者にとって、近藤さんが(引用部分以外にも)上の記事で書いたような悩みを持つ機会はない。言ってみれば無関係だ。そこから自分の身になるものは恐ろしく少ない。
似たような理由から、UNIQLO.comなどを手掛けられた中村勇吾さんについても、その言動や考え、悩みについて読むのは気晴らし以上の意味がないかもしれない、という気がしている。せいぜい自己啓発的な意味くらいか。
確かにああいう人について書かれているものを読んだり観たりするのは、人によってはヤル気を引き出す効能がある。だがじゃあ、実際に彼の悩みや考えが自分の身になるかと言えば、どうもそんな気がしない。
そもそも自分にとって彼の言っていることが実際に生きてくるには、まず彼と同じか、近いポジションに立つ必要があるんじゃないだろうか?それまでは上で書いた近藤さんの悩みのように、具体的な内容は自分からあまりに遠いんじゃないだろうか。
中村さんはきっと凄く優秀で、クリエイターとしても素晴らしい創造性を持っているんだろう。で、その彼の直面する課題(案件ごとであれ、ディレクターとしてであれ)が、自分にとって参考になるんだろうか?言葉の上では直面することもあるんだろうけれど、諸般の事情を見ていくと全然同じ課題とは言えないケースばっかりじゃなかろうか。
彼の言動に凄く詳しいわけじゃないので偏見かもしれないが、低予算(必要額に対してではなく、そもそもの絶対的な上限が低い)で、短納期で、制作スタッフが優秀だとしてもたぶん中村さんが接している人たちほどじゃなくて、その案件に関わらなければ知らなかっただろう中小企業がクライアントで…というお馴染みな状況に対して役に立つんだろうか?
たぶん、立たない。よく分からないがスケジュールの組み方だとか圧倒的に優位なクライアントとの交渉の仕方だとか、低予算での切り盛りの仕方だとか、そういった面で天才的かつ、そういう面での情報を発信してくれているのでもない限り。
きっとトップアスリートの言っていることが、具体的な中身としてはそこらの学生部員にとってあまり役立たないようなものなんだろう。
しかし、役に立たなくったっていいだろう、とも思う。そういう天辺にいる人たちはそれなりの孤独と苦悩を持ちつつ夢を与える存在であればいい。自分たちのようなそこから遥か下にいる人間は、ときどき空を見上げて「ああいう人もいるんだよなあ」くらいに思えればいい。参考や手本にするのではなく、ただ遠くにいるのを眺めるだけの存在。
というか、近藤さんにしろ中村さんにしろ、それぐらいの距離感と認識で眺めてないと逆に苛立ちやストレスの元だ。ああいう人たちと自分とを引き比べるのは不毛だ。
なんてことを自分が前の会社で先輩に言っていたら、嘲笑されるか呆れられるか、(言葉で)ぶん殴られるかだろう。自分が言われても「スカしてんちゃうぞ」と内心では思うだろうな。うん。一日中ネットに張り付いているような人たちが、新しいネタやサービスを追いかけ続けているその後ろに、置いてきぼりにされた大集団、みたいなものがあって、実はそちらがマジョリティなのだ、という現在の構図がようやく最近実感としてつかめてきた気がする。
【追記】近藤さんの上記記事にトラバしようと思って、なんとなく不安になってやめた。やめた後で、「近藤さんにこんな内容でトラバすると面倒なことになりそう。ご本人が気にしなくても」と、それが本当かどうかはともかく(たぶんそんなことない)、思わずためらってしまったあたりに「はてな」の置かれた難しさがある。と、書くことで自分の気持ちの小ささと自意識過剰っぷりをひとまず誤魔化しておく。
前回の記事の末尾で
えっと、ゲームにたとえると判り易いだろうか。
ゲームのシステムではたまに、「行動ポイント」という仕組みがある。プレイヤーはあらかじめこのポイントを持っていて、何かするごとにこのポイントが減る。行動ごとに消費ポイントが違うので、どの行動にどれだけポイントを割り振るか、ユーザは考えることになる。
これはもちろん、現実に何かすると時間が経つことをゲーム内で再現する試みだ。少なくとも、演出上は。なので当然、現実の世界で何時間も経つことをすると、行動ポイントの消費も大きい。
現在、あまたのwebサービスはこの行動ポイントを奪い合っている。相手は他サイトや他メディアやその他諸々。こうした中で睡眠や食事など、生存に欠かせないものはさほどこの競争に熱心にならなくて済む。
一方でwebサイトを始めテレビや音楽や、ともかく情報産業や娯楽産業はどこかの獲得行動ポイントが増えれば確実にどこかの獲得行動ポイントが減る。1日は24時間だから。
…これではゲーム内の行動ポイントにたとえる意味がないな。
ともあれそんな中、動画サイトの閲覧は基本的に消費する時間の単位が大きい。数十秒であれ、数十分であれ、ともかく「最小の1コンテンツ」[*1]を楽しむために消費する平均時間が他に比べて大きい。
もしwebで動画を見ることや、動画そのものに魅力がなければ、同じ時間でmixiのコミュニティに書き込むことや、カップラーメンを食べることに時間を振り分けてしまう。ところがそうなってはいない。ならばそれなりの魅力があるはずで、その魅力については他の人が描いてくれてるよね。
以上まとめ終わり。
で、webディレクターとしてこの状況を見た場合、ミクロなレベルではだいたいあまり影響しない。一方で、少しマクロな視点で見るとなんとも悩ましいことになる。特に必要性に駆られたユーザがメインではないサイトにおいて。こうしたサイトは、たとえば天気予報や乗換え、ECサイトと行動ポイント獲得競争で真正面から競合してはいない。というのも、電車の乗換えを調べる必要性や、天気を知る必要性と競争するってのは現実的ではないから。
一方で、そうした現実の必要性とたいして関係しないサイト同士は、この獲得競争において正面からぶつかる。動画サイトもここに含まれる。で、動画サイトは「最小の1コンテンツ」を楽しむための消費時間が長くなりがちということは、当然他のサイトを楽しむ時間が減る。ここでちょっと雰囲気を出すために時間計算をしてみよう。
「ITmedia News:ネット利用時間のトップは韓国――アジアのネット利用調査」という記事によれば、2007年5月辞典の日本人のネット利用時間は月に19.2時間。一方で「japan.internet.com Webマーケティング - ニコ動、平均利用時間、平均訪問回数が YouTube を大きく上回る~ネットレイティングス」という記事によると、2007年8月のニコニコ動画の月間平均視聴時間は約3.2時間。ニコニコ動画が海外ユーザの利用もそこそこあるだろうことを考慮しなくても、6分の1弱の時間をユーザはニコニコ動画に突っ込んでいる(という試算がどうか合っていますように)。実に月のインターネット利用時間の約16.6%だ。
行動ポイント獲得競争の最大値は、「必要に駆られた」利用の取り分を差し引いた時間なので、上記の計算だと「19.2時間-3.2時間=16時間-必要に駆られた時間」ということなる。とにかく16時間よりは少ないだろう。月にということは、1日だと30分以下のインターネット利用時間を奪い合うことになる。
これはまあ例えなので実際の時間はもっと違うだろうけれど、決して大きなパイでないことは確かだ。
こうした中でディレクターがコンテンツの企画を考える場合、まず二つの方向性がある。
1:「最小の1コンテンツ」を楽しむために必要な時間が長いものを考える
2:「最小の1コンテンツ」を楽しむために必要な時間が短いものを考える
1の場合、1コンテンツを楽しむごとの、最大獲得可能ポイントに対する割合を増やそうという方向性だ。ただこの場合は魅力的でないとユーザが面倒臭くなったり、ほかの事に取り紛れているうちに離れていってしまったりする。
こうした手法でもっとも成功しているのがたぶんMMORPGで、webサイトとは若干違うけれど、成功すればユーザがネットをする時間の大半を注ぎ込んでくれるようになる。
2の場合は、1日のうちで細切れになった時間をユーザが注ぎ込んでくれることを期待する方向性だ。メリットは手軽さと、1ほど強い魅力がなくても成立する点。ピッタリのサイトというと難しいけれど、yahoo!ニュースとかだろうか。これはコンテンツの数や更新頻度が多くないとすぐに飽きられるし、アクセス数は稼げてもページ回遊率や滞在時間がなかなか増えない。まとまった時間を注ぎ込んでくれるユーザも、多くの時間を注ぎ込みようがない状態になってしまう。
もちろん、だいたいのサイトは1と2の間に分布している。ニコニコ動画だって最小の1コンテンツを楽しむのに必要な時間は長めだけれど、上記のデータを割ってみれば1日に5分。せいぜい1動画か2動画だ。逆にyahoo!ニュースは1記事を読む時間は1分程度だろうけれど、数が多いので5本も読めば5分になる。
というわけで、新規に企画を考える際にどうするかだけでなく、既存のコンテンツを分析する際にも「「最小の1コンテンツ」を楽しむために必要な時間がどれくらいか?」という視点から眺めてみると、これまでとはまた違ったものが見えてくる、といいなあ。
と書いた。まずは前の記事の中身をまとめよう。そうしよう。うん。次回はwebディレクターとしての視点から見た動画サイトの隆盛について書きたい。
えっと、ゲームにたとえると判り易いだろうか。
ゲームのシステムではたまに、「行動ポイント」という仕組みがある。プレイヤーはあらかじめこのポイントを持っていて、何かするごとにこのポイントが減る。行動ごとに消費ポイントが違うので、どの行動にどれだけポイントを割り振るか、ユーザは考えることになる。
これはもちろん、現実に何かすると時間が経つことをゲーム内で再現する試みだ。少なくとも、演出上は。なので当然、現実の世界で何時間も経つことをすると、行動ポイントの消費も大きい。
現在、あまたのwebサービスはこの行動ポイントを奪い合っている。相手は他サイトや他メディアやその他諸々。こうした中で睡眠や食事など、生存に欠かせないものはさほどこの競争に熱心にならなくて済む。
一方でwebサイトを始めテレビや音楽や、ともかく情報産業や娯楽産業はどこかの獲得行動ポイントが増えれば確実にどこかの獲得行動ポイントが減る。1日は24時間だから。
…これではゲーム内の行動ポイントにたとえる意味がないな。
ともあれそんな中、動画サイトの閲覧は基本的に消費する時間の単位が大きい。数十秒であれ、数十分であれ、ともかく「最小の1コンテンツ」[*1]を楽しむために消費する平均時間が他に比べて大きい。
もしwebで動画を見ることや、動画そのものに魅力がなければ、同じ時間でmixiのコミュニティに書き込むことや、カップラーメンを食べることに時間を振り分けてしまう。ところがそうなってはいない。ならばそれなりの魅力があるはずで、その魅力については他の人が描いてくれてるよね。
以上まとめ終わり。
で、webディレクターとしてこの状況を見た場合、ミクロなレベルではだいたいあまり影響しない。一方で、少しマクロな視点で見るとなんとも悩ましいことになる。特に必要性に駆られたユーザがメインではないサイトにおいて。こうしたサイトは、たとえば天気予報や乗換え、ECサイトと行動ポイント獲得競争で真正面から競合してはいない。というのも、電車の乗換えを調べる必要性や、天気を知る必要性と競争するってのは現実的ではないから。
一方で、そうした現実の必要性とたいして関係しないサイト同士は、この獲得競争において正面からぶつかる。動画サイトもここに含まれる。で、動画サイトは「最小の1コンテンツ」を楽しむための消費時間が長くなりがちということは、当然他のサイトを楽しむ時間が減る。ここでちょっと雰囲気を出すために時間計算をしてみよう。
「ITmedia News:ネット利用時間のトップは韓国――アジアのネット利用調査」という記事によれば、2007年5月辞典の日本人のネット利用時間は月に19.2時間。一方で「japan.internet.com Webマーケティング - ニコ動、平均利用時間、平均訪問回数が YouTube を大きく上回る~ネットレイティングス」という記事によると、2007年8月のニコニコ動画の月間平均視聴時間は約3.2時間。ニコニコ動画が海外ユーザの利用もそこそこあるだろうことを考慮しなくても、6分の1弱の時間をユーザはニコニコ動画に突っ込んでいる(という試算がどうか合っていますように)。実に月のインターネット利用時間の約16.6%だ。
行動ポイント獲得競争の最大値は、「必要に駆られた」利用の取り分を差し引いた時間なので、上記の計算だと「19.2時間-3.2時間=16時間-必要に駆られた時間」ということなる。とにかく16時間よりは少ないだろう。月にということは、1日だと30分以下のインターネット利用時間を奪い合うことになる。
これはまあ例えなので実際の時間はもっと違うだろうけれど、決して大きなパイでないことは確かだ。
こうした中でディレクターがコンテンツの企画を考える場合、まず二つの方向性がある。
1:「最小の1コンテンツ」を楽しむために必要な時間が長いものを考える
2:「最小の1コンテンツ」を楽しむために必要な時間が短いものを考える
1の場合、1コンテンツを楽しむごとの、最大獲得可能ポイントに対する割合を増やそうという方向性だ。ただこの場合は魅力的でないとユーザが面倒臭くなったり、ほかの事に取り紛れているうちに離れていってしまったりする。
こうした手法でもっとも成功しているのがたぶんMMORPGで、webサイトとは若干違うけれど、成功すればユーザがネットをする時間の大半を注ぎ込んでくれるようになる。
2の場合は、1日のうちで細切れになった時間をユーザが注ぎ込んでくれることを期待する方向性だ。メリットは手軽さと、1ほど強い魅力がなくても成立する点。ピッタリのサイトというと難しいけれど、yahoo!ニュースとかだろうか。これはコンテンツの数や更新頻度が多くないとすぐに飽きられるし、アクセス数は稼げてもページ回遊率や滞在時間がなかなか増えない。まとまった時間を注ぎ込んでくれるユーザも、多くの時間を注ぎ込みようがない状態になってしまう。
もちろん、だいたいのサイトは1と2の間に分布している。ニコニコ動画だって最小の1コンテンツを楽しむのに必要な時間は長めだけれど、上記のデータを割ってみれば1日に5分。せいぜい1動画か2動画だ。逆にyahoo!ニュースは1記事を読む時間は1分程度だろうけれど、数が多いので5本も読めば5分になる。
というわけで、新規に企画を考える際にどうするかだけでなく、既存のコンテンツを分析する際にも「「最小の1コンテンツ」を楽しむために必要な時間がどれくらいか?」という視点から眺めてみると、これまでとはまた違ったものが見えてくる、といいなあ。
- 「最小の1コンテンツ」というのはブログなら1記事、動画サイトなら1動画、イラストサイトなら画像1枚、コミックサイトなら1ページだか1話ということになる。いま思いついた概念。[↩back]
4/1の記事に対して、翌日「冗談でした」というのがやってみたかったのだが、嘘記事は書いたものの翌日も翌々日もブログを書く時間が取れなかったので、もうどうでもいい。
それはさておき。自分の仕事をweb業界以外の人に説明する場合、一瞬だけ悩む。webディレクターなら何となく判ってもらえるんじゃないだろうか。
というのも「webディレクターです」と言うと「何それ?」となるが、他に一言で表現するのが難しい。
という話を書こうと思ったら、その話はもう書いたんだった(不安になって過去ログを漁ってみた)。しかしまあ自分の場合、同じ話を3回くらいはするから、ブログでもそれは変わらないんだろう。
最近、私は動画サイトをあまり見なくなった。なんといっても画面と時間を占有するからだ。以上が前置き。だんだん前置きの長さだけでなく、構成まで複雑化してきた。以下、この2点に絞って考えてみる。
・画面を占有する
これがたぶん発端。家にはデスクトップとノートの2台があり、プライベートではたいしたことをしないので、主にノートを使う。
当然ノートPCで動画を再生すると、再生中に他の作業をするのはやや苦しい。画面が小さいからだ。つまり「流し見」が難しい。どうしても流し見がしたい場合はブラウザの枠を動画プレイヤーぎりぎりまで縮め、残った狭いL字型のスペースで作業をする。
たいていはプレイヤーを左端に寄せ、右のエリアで作業をする。作業しているウィンドウが狭くて効率が落ちる。ちょっと見づらくて位置を変えると動画再生領域にウィンドウが重なってしまう。プレイヤーの下はデッドスペースだ。
一方でデスクトップPCの方も17インチあるのだが、これでも狭い。同じような配置で同じような点にイライラさせられる。ブラウザを二つ並べて動画を見つつブラウジングを…と思ったこともあったが、表示領域が狭苦しくてサイトが見づらい。17インチくらいでは解消されないのだ。
ビューワーがあるといい。Adobe Airあたりで作成されたデスクトップアプリとして。設定で「常に最前面に表示」が可能で、複数の動画サイトを切り替えられる。たぶん現時点でどこかにそういうウィジェットとかあるんだろうけど、そんな感じの。そうすればまだマシだ。
それより本当はデュアルモニタにすればいいのだけれど、それはお金がかかるし、現状では置くスペースがない。そもそもデスクトップPCはプライベートではサブなので、ノートをデュアルモニタ化とか。ないない。
これはそうレアなケースではないだろう。とにかく表示領域的に他の作業をしつつ動画を見るのは難しい。
・時間を占有
上記の理由から、じゃあ動画を見るときは動画を見ようじゃないか、と思った。しかし、これが時間を圧迫する。ただでさえ余暇は少なく、やることは多い。そんな中で動画だけをじっと見ているのは、どことなく気が重い。というか、他のことをしているうちに自然と動画サイトを訪れなくなった。元々動画を見るのにあまり熱心じゃない、ということは全然ない。一時期は本当によく見ていた。今でも見たいと思うが、そこまで時間が割り振れていない。つまり、忙しい人間(と、自分を呼べるかはともかく)は動画サイトで動画を楽しむのが難しいのだ。たぶん。現状では。
というわけで自然と動画サイトに足が向かなくなってしまった。「見ながら他のことがしやすい」という点では、動画サイトよりテレビの方がまだ優れている。
もちろん動画サイトが隆盛を迎えているのは事実だし、それを思えばここに書いていることの妥当性には自信がない。にしても、だ。環境的にも時間的にも動画サイトは本来、少ないユーザの時間を奪い合う競争において不利なはずじゃないか、とは思う。理屈の上では。上記の理由により。ええ、つまり「他のことより比較的時間を食う」から。手軽なわりに手軽じゃないというか。よほどの魅力がないと、他の競争相手に振り分ける時間を奪うことが難しいんじゃないか、と。
ということは、それだけ動画サイトは人を惹きつける力が強い、ということだ。まあ、その魅力が何かについては既に数多くの考察があるので、ここでは書かない。しかし、そのせいで実に中身が薄い記事になってしまった。折角なので、次回はwebディレクターとしての視点から見た動画サイトの隆盛について書きたい。つまりそう、この記事自体がさらに前置きなのだ。
というのも「webディレクターです」と言うと「何それ?」となるが、他に一言で表現するのが難しい。
という話を書こうと思ったら、その話はもう書いたんだった(不安になって過去ログを漁ってみた)。しかしまあ自分の場合、同じ話を3回くらいはするから、ブログでもそれは変わらないんだろう。
最近、私は動画サイトをあまり見なくなった。なんといっても画面と時間を占有するからだ。以上が前置き。だんだん前置きの長さだけでなく、構成まで複雑化してきた。以下、この2点に絞って考えてみる。
・画面を占有する
これがたぶん発端。家にはデスクトップとノートの2台があり、プライベートではたいしたことをしないので、主にノートを使う。
当然ノートPCで動画を再生すると、再生中に他の作業をするのはやや苦しい。画面が小さいからだ。つまり「流し見」が難しい。どうしても流し見がしたい場合はブラウザの枠を動画プレイヤーぎりぎりまで縮め、残った狭いL字型のスペースで作業をする。
たいていはプレイヤーを左端に寄せ、右のエリアで作業をする。作業しているウィンドウが狭くて効率が落ちる。ちょっと見づらくて位置を変えると動画再生領域にウィンドウが重なってしまう。プレイヤーの下はデッドスペースだ。
一方でデスクトップPCの方も17インチあるのだが、これでも狭い。同じような配置で同じような点にイライラさせられる。ブラウザを二つ並べて動画を見つつブラウジングを…と思ったこともあったが、表示領域が狭苦しくてサイトが見づらい。17インチくらいでは解消されないのだ。
ビューワーがあるといい。Adobe Airあたりで作成されたデスクトップアプリとして。設定で「常に最前面に表示」が可能で、複数の動画サイトを切り替えられる。たぶん現時点でどこかにそういうウィジェットとかあるんだろうけど、そんな感じの。そうすればまだマシだ。
それより本当はデュアルモニタにすればいいのだけれど、それはお金がかかるし、現状では置くスペースがない。そもそもデスクトップPCはプライベートではサブなので、ノートをデュアルモニタ化とか。ないない。
これはそうレアなケースではないだろう。とにかく表示領域的に他の作業をしつつ動画を見るのは難しい。
・時間を占有
上記の理由から、じゃあ動画を見るときは動画を見ようじゃないか、と思った。しかし、これが時間を圧迫する。ただでさえ余暇は少なく、やることは多い。そんな中で動画だけをじっと見ているのは、どことなく気が重い。というか、他のことをしているうちに自然と動画サイトを訪れなくなった。元々動画を見るのにあまり熱心じゃない、ということは全然ない。一時期は本当によく見ていた。今でも見たいと思うが、そこまで時間が割り振れていない。つまり、忙しい人間(と、自分を呼べるかはともかく)は動画サイトで動画を楽しむのが難しいのだ。たぶん。現状では。
というわけで自然と動画サイトに足が向かなくなってしまった。「見ながら他のことがしやすい」という点では、動画サイトよりテレビの方がまだ優れている。
もちろん動画サイトが隆盛を迎えているのは事実だし、それを思えばここに書いていることの妥当性には自信がない。にしても、だ。環境的にも時間的にも動画サイトは本来、少ないユーザの時間を奪い合う競争において不利なはずじゃないか、とは思う。理屈の上では。上記の理由により。ええ、つまり「他のことより比較的時間を食う」から。手軽なわりに手軽じゃないというか。よほどの魅力がないと、他の競争相手に振り分ける時間を奪うことが難しいんじゃないか、と。
ということは、それだけ動画サイトは人を惹きつける力が強い、ということだ。まあ、その魅力が何かについては既に数多くの考察があるので、ここでは書かない。しかし、そのせいで実に中身が薄い記事になってしまった。折角なので、次回はwebディレクターとしての視点から見た動画サイトの隆盛について書きたい。つまりそう、この記事自体がさらに前置きなのだ。
新年度を迎え、色々な会社がニュースリリースを出している。Abodiも革新的なwebディレクション用ソフトをリリースするらしい。
その名も「Abodi Big Brother(TM)」もちろん日本語版も同時発売で、以下のソフト群から成るらしい。
・Who is?
→全スタッフをプロジェクトごとに管理。相手のPC画面をこちらのモニタに表示させられる。また、各スタッフがPCを立ち上げると、そのスタッフ名に「出社」アイコンを表示。スタッフごとの作業時間も把握できる。オプションのBlood Hole機能を使えば、外注スタッフにも適用できる。
・Version Vision
→強力なバージョン管理機能。どんなバージョン管理ツールとも互換性を持ち、ソースコードやプログラムだけでなく、画像やテキストファイルなど、ありとあらゆるもののバージョンが個別に管理可能。また、Where's Wally?機能を使えばテキストだけでなく、画像内の差分も検出可能。
・Schedule Wizard+
→リリース日を入力して、いくつかの作業工程と想定戻し回数を設定してやると、自動的にスケジュールを作成。各工程の進行状況を入れると、自動的にリスケジューリングするオプション機能も。データは.xls形式でエクスポート可能。
・Bone Collecter
→URLを入力すると、ソースコードから対象ページのワイアフレームを自動的に描画。データは.psd、.ai、.pdf、.pptに書き出せる。書き出したファイルに手を加えれば、ワイアフレームの完成。作成した各ページのワイアフレームからサイト構成図の生成も。
・Estimate Simulator
→各項目にデータを入力すると、自動で見積りを作成してくれる。Abodiプレミアムメンバーズに入会しているメンバー間の見積りデータが共有され、そこから標準価格が算出される。数値のカスタマイズは可能で、使用通貨を登録すれば共有見積りのレート換算もしてくれる。損益分岐の数字など、細かい設定が可能。Who is?と連動し、スタッフごとの時間単価を入れておけば、作業時間をコストに換算してくれる。
※Abodiプレミアムメンバーズ(年会費80ドル)への入会が必要
・Total Recall
→リマインドを備えたToDo機能。Schedule Wizard+で作成されたスケジュールなどとも自動連動。
・You Said
→多くのメーラーに対応したメール管理ソフト。指定したメーラーで受信したメールをフラグごとにアーカイブ化。直感的なインターフェースで「誰が、いつ、どこで、何を言ったか?」や添付ファイルが検索できます。dbにデータを格納するので、メーラーからメールを消してしまっても大丈夫。
・Infinity Opener
→汎用型ビューワー機能。聞いたことないような拡張子のファイルでもプレビューを表示。動画なら再生が可能。拡張子辞典で拡張子を検索、ビューワーソフトを捜すという地味に面倒な作業を完全に葬る。
というわけで提案書作成の機能がやや弱いものの、ようやくwebディレクションにもイノベーションがもたらされそうなソフトだと思う。いくらぐらいなんだろう?
その名も「Abodi Big Brother(TM)」もちろん日本語版も同時発売で、以下のソフト群から成るらしい。
・Who is?
→全スタッフをプロジェクトごとに管理。相手のPC画面をこちらのモニタに表示させられる。また、各スタッフがPCを立ち上げると、そのスタッフ名に「出社」アイコンを表示。スタッフごとの作業時間も把握できる。オプションのBlood Hole機能を使えば、外注スタッフにも適用できる。
・Version Vision
→強力なバージョン管理機能。どんなバージョン管理ツールとも互換性を持ち、ソースコードやプログラムだけでなく、画像やテキストファイルなど、ありとあらゆるもののバージョンが個別に管理可能。また、Where's Wally?機能を使えばテキストだけでなく、画像内の差分も検出可能。
・Schedule Wizard+
→リリース日を入力して、いくつかの作業工程と想定戻し回数を設定してやると、自動的にスケジュールを作成。各工程の進行状況を入れると、自動的にリスケジューリングするオプション機能も。データは.xls形式でエクスポート可能。
・Bone Collecter
→URLを入力すると、ソースコードから対象ページのワイアフレームを自動的に描画。データは.psd、.ai、.pdf、.pptに書き出せる。書き出したファイルに手を加えれば、ワイアフレームの完成。作成した各ページのワイアフレームからサイト構成図の生成も。
・Estimate Simulator
→各項目にデータを入力すると、自動で見積りを作成してくれる。Abodiプレミアムメンバーズに入会しているメンバー間の見積りデータが共有され、そこから標準価格が算出される。数値のカスタマイズは可能で、使用通貨を登録すれば共有見積りのレート換算もしてくれる。損益分岐の数字など、細かい設定が可能。Who is?と連動し、スタッフごとの時間単価を入れておけば、作業時間をコストに換算してくれる。
※Abodiプレミアムメンバーズ(年会費80ドル)への入会が必要
・Total Recall
→リマインドを備えたToDo機能。Schedule Wizard+で作成されたスケジュールなどとも自動連動。
・You Said
→多くのメーラーに対応したメール管理ソフト。指定したメーラーで受信したメールをフラグごとにアーカイブ化。直感的なインターフェースで「誰が、いつ、どこで、何を言ったか?」や添付ファイルが検索できます。dbにデータを格納するので、メーラーからメールを消してしまっても大丈夫。
・Infinity Opener
→汎用型ビューワー機能。聞いたことないような拡張子のファイルでもプレビューを表示。動画なら再生が可能。拡張子辞典で拡張子を検索、ビューワーソフトを捜すという地味に面倒な作業を完全に葬る。
というわけで提案書作成の機能がやや弱いものの、ようやくwebディレクションにもイノベーションがもたらされそうなソフトだと思う。いくらぐらいなんだろう?
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