それはさておき、このブログは等身大の私らしさを合言葉にwebディレクター目線で物事を見るブログなので、webディレクションと関係ない話でも自分的には構わない。ちなみに「等身大の私らしさ」を大事にしているせいで、このブログはいつもヤサぐれていて、夢も希望もないが絶望も失望もない、という論調なのです。とはいえ等身大だけではなくて、ときどきはちょっと背伸びもしてみたい。
最近、webで何か出てきてもあまり驚いたり感動しなくなった。作る側に問題があるわけではなく、私がスレてしまったり感覚の鋭敏さを失ったからだろう。大人になったのかもしれない。
たとえばセカイカメラみたいな拡張現実系だって、すごいとは思うけれどまあアイデア自体は昔からあるので「ついにか…」という感じ。あと、有志が無償で集まって何かするってのも。新書を外国語に翻訳してwebで公開するとか見ると、海外フリーソフトで有志がローカライズパッチ配布してるの思い出す。構造的にはおなじようなもんだろ?だいたいあれって、著作権者の許可と呼びかけさえあれば山岡荘八版の徳川家康だって翻訳して公開する奴いんだろ。とかまあ、そんなわけで「○○で驚いたり感動したりが許されるのって、イン博までだよね~」とか思うことが多い。いや、お仕事でやってる人たちは通販番組やMMRばりに「な、なんだって~!!」を繰り返さないと行かんわけだし、仕事以外でもそういう驚き役が少ないと外部から盛り上がってるように見えないので、それはそれで大事だとは思う。とはいえ、これは実に残念だ。昔はアクセスしたページに自分のIPアドレスが出るだけで感動できたのに、あれだって今となってはどうってことないな。
twitterだって「すごい」とは素直に思うけれど、それも普及と浸透の速さや規模やその需要の多さに対してというのが大きい。「その技術に激!カンドー」って具合でtwitterそのものに驚いたり感動したりってのはそれほどなかった。特に驚かせたり感動させなきゃいけないってモンでもないし、だからダメだとは少しも思ってないけど。第一印象は「へぇえ…?」ってのと「ちょっと気の利いたものが出てきたな」とかそんな感じだった。たしか。もっと鋭い感覚があれば「こ、こいつはすげぇ…!」とか思えたのかもしれんが。
まあ自己正当化かもしれないが、どんな分野でも時間と蓄積が経過するにつれてなかなか目新しい驚きや感動なんて出てきにくくなるもんだし、あと、いま名付けたんだけど「驚きの谷」ってのが来てるのかもしれない。
CGを現実に近づけると、なまじ似てるせいで違いが強調され、ひどく不気味に感じられる段階を「不気味の谷」という。で、ネットがSFで描かれた姿に近づくと、どっかの段階で「なまじ似てるせいで違いが強調され」はなはだイマイチに感じられる段階ってのがあるんじゃないか。それが「驚きの谷」で、なんとなく今がそんな段階なのかなーと。仮にそうだとしても、自分でさえ「だからなに?」って思う話なんだが。いや、SFも「新しい技術を空想して描く」という点に限って言えばこのところ停滞気味で、どうなるもんだろうかと思ってはいるのだけれど、それは、また別の話。
ただ、SFであれなんであれ、もしジャンルコンテンツと引き比べられるなら、「過去の文脈を踏まえてないと良さや意義が分からない」みたいなサイトやサービスが出てくるようになると行く末をちょっと案じてしまうのだが、いまのところはそうでもない。サイト概要で「○○へのアンチテーゼ」とかいうのが増えてくるとちょっとヤバい。
そうなってないのはwebの企画・制作に参加してるプレーヤーが他のジャンルよりケタ違いに多くて多用だからかもしれない。踏まえるべき文脈みたいなのが形成されにくいというか。あと、商売としてやってる人々は、あんまそんなことして敷居を高くしてもしょうがないしね。
というわけで、ヨタ話らしくオチはない。次回はミニブログ系と「おこぼれ」について。とだけ書いてどんな話かピンと来た人には申し訳ない。
Dellの女性向けサイトが炎上、ジェンダーマーケティングの難しさ
まとめると、Dellが女性向けのプロモーションサイト「Della」というのを立ち上げて
というPRをしたところ、その描いているステレオタイプな女性像が反発を買ったらしい。今は同コーナーが削除され、サイト名も「Dell Tech Tips」に変更されているとのこと。このパソコンを使えば、ネットで料理のレシピを見つけたり、料理のビデオを見たり、カロリー計算をすることができる
で以下、性別で分けたコンテンツについてのあるある話。まあコスメとか女性用医薬品など存在自体が女性をメインターゲットにした分野のサイトはさておき。
そもそも女性をターゲットにしたサイトを作成する場合、2パターンある。言うまでもないが女性が企画する場合と男性が企画する場合だ。
男性が企画する場合は「女性ならこういうのがウケるだろうか?」ということを想像するのだけれど、いかんせん男なので勘所が解らなかったり、いまいち自信が持てなかったりすることがある。で、女性スタッフに相談する場合もあるのだが、それで大丈夫かというとそうでもない。
その女性スタッフにやる気がない、あるいはあまり良好な関係でない場合、「いいんじゃないでしょうかorこれはちょっと…」と実際の内容に関わらず回答される。一方で、良好な関係でやる気のある人でも「いいんじゃないでしょうかorこれはちょっと…」と実際の内容に関わらず回答されることがある。あるいは、アドバイスを聞いていると、だんだん「女性向け」という点から離れて行ったり…。
じゃあってんで最初から女性に企画してもらったり案出ししてもらうと、やっぱり「女性向け」からは離れたり、なぜかステレオタイプな女性像を描いたりする。もちろんそうじゃないケースも多いのだけれど…。
要するに、デザイン面だけでなく内容面でも「女性向け=男性があまりターゲットにならない」を維持しつつステレオタイプにならないってのは、たとえ女性が企画しても難しい制限なわけだ。とはいえ、ステレオタイプなものにしても「Della」のように、実際に批判されるケースはそんなにない。まあ、ウケるかどうかは別として。
だいたい「女性向け」という具合に企画を限定してしまうと、選択肢がかなり限られる。というわけで、大元の企画はユニセックスなものにしておきつつ、見せ方や切り口を「女性向け」にするのが妥当ではある。
偏見だったら申し訳ないがバファリスなんかはそうで、「頭痛の種を入力させ、他のユーザの入力した内容も閲覧できる」という案それ自体は男性向け女性向けなどないのだが、「リスが食べる」という演出と、リスのデザインは女性により好まれるように作ってあると思う。そこここに配された小物なんかも女性を念頭に置いているように見える。だいたい男はバファリンを持ち歩くにしてもポーチに入れたりはしない。
そもそもバファリンは(明示していないが)女性をメインターゲットにしていた気がする。今は「バファリン ルナ」が生理痛に特化した商品として売られているようだが、以前はバファリンがその役も負っていたはず。
「男性向け」で企画・作成されたサイトはどれだけステレオタイプでも炎上しないし、ベタなのが意外とウケるので特に言うことはない。確実を期するなら、露出度の高い女子を要所要所に配置しておけば、勝手に「いやらしく繁茂」(by茨木のり子)する。
座談会中で「受託脳」「自社脳」の話が出ていて、あとディレクターの面接で「ライブドア入りたい!」って人となんとなく居場所を探してる人は違うとか、
自分でこのサイトをどうしていくのか、どうしたら伸びるかとか、そういうのが足りない人がいる。
ってのが出てた。受託を多くやってたディレクターならクライアントの要望をなるべく察するのも仕事のうちなので、クライアントが自社に変わろうが、自分の手がけるサイトを伸ばすことが求められてるならその要望を察して「そのようにする」べく取り組むのが本来だとは思うのだけれど。まあ、本当に受託案件だと予算見合いでそこまでできなくても現実には致し方ない面もあるけれど、クライアントが自社なら、う~ん「そこまでするほど給料もらってない」とか?いやいや、そこまでハイパーな要望でもないよなあ。ひょっとしたら上記のような上の要望が、察せられるほどにも現場に伝わってないんじゃないか?そんなはずないか。自分で何かサイトをやりたくてライブドアに入ったって人が多いと思うんですけど、そういう人はサービスへの思い入れも結構あるので「どうしたらうまくいくんだろう」ってことを常に考えてるからいいんだろうけど受託から来ると、そういうところの能力的に低い人が多い。
にしても、自分は「このサイトがやりたい」「こういうサイトがやりたい」みたいな考えって、とんと持たなくなってるなあ。今まで望んで担当したサイトや案件ってなかったし。とはいえ、そんな事態に対して不平不満を持ったり、不幸だと思ったことも(そんなに)ない。というのも、望んで担当したわけでないサイトや案件でも、手がけていればそのうち愛着がわくし、育ててやりたいとも思うようになる。興味のない分野のサイトでも、やっていればなんとなくその分野の面白みみたいなものが感じられるようにもなる。あ、手がけているサイトを「こうしていきたい」みたいなのはもちろんある。
今だって主に携帯サイトの運営をしているけど、最初は携帯サイトとか興味なかったし、DDIポケット時代からのPHSユーザでimodeとかezwebとか見たこと無かったし(もし自分がお調子者のアメリカ人だったら、腕にwillcomのタトゥーとか入れてたかもしれん)。それでもまあ、やってるうちには追々その面白い部分とかが自分なりに出てきたし。
というわけで、今後もどんなサイトだって地雷物件でなければやってるうちに好きになってくるんだろうな、という気はする。昔の恋愛結婚が少数派だった時代の上手くいってる夫婦とかはこういう感じだったんだろうか。
だもんで、たとえば夜中に自分の行く末を考えて不安になり、嫁さんに「おれ、そろそろ就職しようと思うんだ…」とか言ってlivedoorに応募したりして(絶対ないとは言い切れない。傍目には魅力的な会社のように見える)、世界の法則が曲がって面接までこぎつけたとして、「模試採用されたらどのサイトを担当してみたいですか?」とか面接では不自然な気もするが尋ねられたら返事に窮する。「一番人手が足りなくて困ってるサイト」とかしか答えられないだろうから。
まあ、そんなことを考えましたね。ええ。あんま座談会の内容と関係ないかもだけど。
あと、webエンジニアの人の発言で
ディレクターにあまり企画能力は求めてないんですよ。
とかいうのがあった。これ、ディレクターによっては反発する人もいると思うんだけれど、個人的にはそれで上手く回るならディレクターが企画しなくてもいいんじゃないの~?と考えている。プログラマとかが持ってる軸足を持たずにフワフワっと企画を出しても、きちんとした軸足を持ってる人の企画には及ばないんですよね。
これは自分が結局のところ、webディレクターの至上命題ってサイトの制作や運用業務、もう少し大きい視点だとそういうことをするという「事業」が上手くスムーズに回るよう努めることだと認識してるからだろう。なので、その命題が達成されるなら途中の道程は重視しないっていうか。まあ、倫理とか法律に反するようだとダメだけど。ゆくゆくはそれが命題達成を妨げることにもなるだろうし。
まあ、そんなことも考えましたね。ええ。あんま座談会の内容と関係ないかもだけど。
それはさておき。今回は「そんなことないよ」とか言われそうだし、あんまりこのブログの主旨とも関係ないのだけれど、すっかり意気消沈したのでまあいいや、書いちゃえ、という感じの話。
「一匹の鯨に七浦賑わう」という言葉がある。「ことわざ辞典」に説明を譲ると
という意味。獲物が大きいと、その恩恵を受ける者が多いこと。一頭の鯨がとれると、七つの浦がうるおうという意味。「七浦」七つの浜。多くの漁村。
なんとなく言葉の響きが好きなのだけれど、わりと現代でも当てはまる話で、たとえば「けいおん!」が流行るとアニメ会社と出版社と作者が儲かるだけでなく、グッズの製造業者も潤うし作中に出てくる楽器メーカーやヘッドホンメーカーも賑わう。この類で一番大きいのが多分「ガンダム」なんだろうな。大河ドラマだって人気が出れば、NHKだけでなくグッズ業者や出版社、ゆかりの観光地まで賑わう。というわけでヒットがあるといろんな人や場所、会社、業種が賑わう。
コンテンツ事業ばかりを例に出したけれど、iPhoneやiPodだってそうだろうし、携帯電話事業だって結果的に多くの人に仕事を提供したことになる。今は少し翳ってきたけれど、自動車業界だってそうだろう。メーカーや下請企業だけでなく、自動車情報で食ってるライターやカメラマン、出版社だってあるし、ゲームメーカーやプラモメーカー、おもちゃ業界、カー用品店や輸送業者や…とかなり広範な人々に「メシの種」を提供してきた。そして、いつの世もたいてい「メシの種を提供する人(組織)」ってのは感謝されるし影響力も出るし、好まれ望まれ憧れられる。
しかるに。IT、というかweb業界ってどうなんだろうか。確かに直接の受発注関係のある人や会社は何かヒットがあれば恩恵にあずかれる。それを紹介することでメシ食ってるライターやイラストレーターなんかも居るだろう。ECサイトなら輸送業者も恩恵があるだろう。にしても、なんだろう。大ヒットしても他の業界に比べて賑わう範囲が狭いんじゃなかろうか。いや、ちゃんと検証したわけじゃなくて、あくまで印象なんだけれど。MAXで七浦賑わうとしたら、webは同規模のヒットでも二浦とか、1.5浦とか、そんなくらいじゃなかろうか。もちろん、web業界というのが誕生したことだけでも、多くの人にメシの種を提供しているわけだけれど、既に他の業界で働いている人の商売的な恩恵が…。
webと世の中とで摩擦が生まれる理由としては普及のスピードや影響力、新しさなんかももちろんあるんだけれど、そういう摩擦が起きたり、起きたときにあんまり方々からかばわれない理由として、一つにはこうした「メシの種供給力」の有効範囲の狭さもあるんでないかなあ。まあ、もしあったとしても理由としては極めてささやかだろうけれど。
いくつかブログを読んでいると「こんなサービスにゴーを出すなんて良識を疑う」「こんなサービス名にするなんて良識を疑う」というような旨の意見をちょいちょい目にした。
良識よりPVを大事にするところとか、テレビのバラエティ番組な感性とかサイバーエージェント的には今に始まったこっちゃないので別に構わないのだけれど、webディレクターとしてちょっと思ったことを並べてみる。
そもそも牧場になぞらえた見せ方とサービス名と、どっちが先にあったんだろう、というのは気になるところ。中身が先なら牧場的なサービス名は避けられないだろうし、名前から発想したんなら、なかなかサービス内容を考え易いという点ではいいタイトルだったと思う。実際にはサービスの見せ方とタイトルは不可分でほぼ最初に構想されたんだろうな。「ユーザにやらせようとしていることに即した、判りやすい見せ方」という意味では、なかなかいい思考の流れだったんじゃないだろうか。
「男の子牧場」というタイトルでもっと一般的なクチコミサイトにありがちな無味乾燥なマトリクスとかだったら一体感がないだろうし、あの中身で全然関係ないタイトルだと意味不明だし。「完食男子」とかいう名前でもっと無難な見せ方してたらたいして話題にもならなかったろうし。そんなの(たぶん)品行方正なブランドイメージとか特に必要ないサイバーエージェント的には美味くもなんともないだろう。
自分は企画とか提案する方なのだけれど、もし提案される側で「男の子牧場」を提案されてたら
「なんで牧場なの?」とか何も考えずに質問して、
「草食男子の情報をプールするからです!」
「あー。判りやすいし、いんじゃね?男子じゃなく男の子ってのがいいね」
とか普通に言ってそうだ。っていうか、「良識とか社会通念的にダメだろう」って意識が常にないと、あれって企画としてはダメ出ししづらいと思う。それか「ウケなそう」とか。しかし、ウケるかどうかは判らない。
なんとなくダメそうな印象は受けただろうけど、「社内のターゲットになる女子にヒアリングしたんですが、なかなか好評でした!」とか言われたら「あー。今時はそんな感じか」とか思って納得しそう。
おまけに「良識とか社会通念」ってアダルトとか犯罪、死や病気や劣等感を扱ってる、あるいは名誉毀損かもな内容とかでもないと頭に浮かびにくいんだよな。いや、自分だけかもしれないけど。なので、自分としては「男を家畜になぞらえて第三者の女性が評価して情報共有するなんて、けしからんのじゃないか」なんて後付では言えても、その場ではちょっと思い浮かびにくいな。だいたい男とか牛や羊ほどにも役に立たんのだし。あと、女ならともかく男について考えを巡らせるとか、本当にヤル気起きない。男とかどうでもいい。
個人情報についてはたぶん心配しただろう。が、これは普通にSNSとかやる以上は名誉毀損なんかと共に避けては通れないリスクなので、一般的なSNSの範囲内で適切な対処を取れるんであれば、これも企画をハネる理由としては弱いな。「男の子牧場」でどういった対策が採られるのかハッキリ知らないけれど、免責的に「実効性は薄いけど言い訳は可能」レベルで通ってることってこれに限らず世の中多いしねえ。
現状では男がなりすまして自分を売り込んだりできるようで、これはゲームのチートなみにまっとうなプレイヤーを萎えさせる穴なので、そこはどうにか塞いだ方がいいだろう。これについてはおそらく企画側も気付いてたはずで、たぶんリリースに間に合うまでにいい対処法方が思い付かなかったんだろうな。まあ、会員登録制のサイトで身分証提示もクレカ登録も無く性別にせよ何にせよ、成りすましを防げたサイトとかないんだし、無理もない。が、男の子牧場は性別が最重要要素なんだし、どうにかなるといいなあ。
と、いうわけで自分に限って言えば「男の子牧場」をリリース前に(現状の騒ぎだの意見だのを何ら知らない状態で)ハネるのは意外となかなか難しい。むしろいい企画だと思うかもしれない。そして炎上しただろう。「明日は我が身」という気がしてくる。
【追記】
とまあ、つらつら書いたのですが、サービス停止してまったようで。
「男の子牧場」のサービス停止について
そういう環境の話ではない。10代学生の生活環境からモバイルサイト利用が若年層で多いことについてまとめてみようという話。まあ、わざわざ書くような話ではないかもしれないし、まとめたからってどうなるもんでもないけど、意外とあまり見かけない気がするので。
・PCの前に居ない
学生はだいたい、日中は学校に居て夜は塾に居る。というわけでPCの前に居られる時間は少ないし、自然とPCサイトの利用可能時間は減る。一方で、ケータイは学内の持ち込み禁止とかあるにせよ、PCよりはずっと一緒に居られる時間が長いので、モバイルサイトの利用が多くなる。まあ、社会人でもそうそうPCの前に居る時間が長い人ばっかりではないので、そういう人はモバイルサイトの方が多くなるだろう。
・自室にPCがない
だいたい一般的な家庭というのはPCが何台もあるもんじゃない。たいていは一家に一台で、それが子供の部屋にあるというわけでもなかろう。居間相当の場所にあることが多いんじゃなかろうか。ノートPCしかない場合でも、子供が自室に持ってって使ってると、いつなんどき親が「パソコン見なかった?」とか言って勝手に部屋へ入ってこないとも限らない。
かといって居間で使ってると「あんた遅くまでなにやってんの」「パソコンでネットばっかりして」みたいな言葉や視線を向けられるので、あまり落ち着かないだろう。あと、自分がいまネットで何してるか、どんなサイトを見てるかが割と離れたところからでも画面が見えてバレてしまうので、おちついてBLサイトとか見てらんない。見られて困るサイトでなくても、親なんてのは子供に話しかける切っ掛けに飢えてるので「それなに?流行ってるの?」なんて言われて鬱陶しい。
一方でケータイサイトなら夜遅くでも布団へ引篭っても見てられるし、居間にいなくてもいいし、PCよりは親が何を見てるか覗き見しにくい。覗き見防止シートを貼っておけばなおのこと。
とかく10代の子供は家族の干渉・ちょっかいを嫌うものなので、PCよりはそういうことの起きにくいケータイの方が気楽だろう。
・待たなくていい
PCでネットを見ようと思ったら、まず電源を入れて起動するまで待たないといけない。これがいかにもまだるっこしい。だいたい家庭にあるPCとか少し古かったり低スペックだったりするので、起動に無駄に時間が掛かる。ケータイは基本的に電源入っているので、起動を待たなくていい。他の家族が使い終わるの待つ必要もないし。
・快適の水準が低い
これは個人的な印象。今はどうだか知らないけれど、自分が子どもの頃を思い返すに、学校というのは設備的に快適とはほど遠い場所だった。ボロい事務所でも学校よりは快適な環境だろう。例えば今、学校にあるような木のイスで毎日座って仕事をしろといわれれば、それだけでもけっこう辛いが、当時は快適だとは思わなかったにせよ「そんなもんだ」と思って意外と平気だった。夏真っ盛りに原っぱ一歩手前みたいな公園で何時間も過ごせといわれたって、大人になると厳しいが子供の頃はそうでもなかった。というわけで、大人から見ると決して快適とはいいがたい環境でも、子供はあんまり気にならないのかも。
だから通信速度や読み込みが遅かろうが、画面が小さかろうが、10代くらいの子供は大人ほど気にならないんじゃないかと思う。そうしたブラウジング環境におけるケータイのネックも、子供は大人ほど気になってないのかもしれない。
とまあ、この場で思い返してみる限りではこんなところか。
そのまま上記の話を裏付けるわけではないのだけれど、最後に。
自分が運営を担当させてもらってるケータイサイトの一つは、アンケートで把握している限りでは圧倒的に中高生、中でも高校生が多い。一方でアクセスされる時間帯を見ると0時代が一番多く、次いで23時~20時が上位5位になっている。特に22時台と23時台との差が大きく、どうも学校終わって部活終わって塾終わって家帰って飯食って風呂入って一息ついてからやっと寝る前にケータイでサイトを見る時間、という感じのようだ。
こうした学生については、少し前にメールや掲示板を使ったいじめや人間関係のトラブルが話題になっていたけれど、そうしたトラブル要因と付き合ってかなきゃなんない点も含めて、現代の子供は自分達が子供だったころに比べてずっと忙しいし大変なんだなあ、と少し気の毒に思う。
で、競合サイトに対しては企画段階であれ運営段階であれ、たいていは競合調査を行う。まあディレクターが相手のサイトを実際に使ってみて、自サイトにないところ被るところがどこかを分析する。
企画段階で有力な競合を調査するのは重要で、相手の良いところをたくさん見つけられれば、自分でイチから考える手間が省ける。何せ有力サイトは有力サイトだけあって、とても洗練されているし気の利いたアイデアが一杯詰まっている。かなりクローンなサイトになっても、デザインが大きく違えば色々と大丈夫。庇を借りて母屋を乗っ取ることだって夢じゃない!ま、夢なんだが。
とまあ、これはスイミングスクールで言えば「水に顔をつけてみましょう」段階の話だ。
では、いつ競合調査をするのがいいのか。立ち上げ前なら企画のアイデアが湧いたときや「こういうサイトを作って欲しい」とクライアントに言われたとき、というのが一般的な気がする。要するに初期段階というやつだ。あるいは予備調査。サイトリリース後なら毎日とか、まあ頻繁に。定常ルーチンの一つとして。
だが、自分としてはこうしたタイミングや頻度での競合調査に疑問がある。「まあ、ボチボチのサイトでそこそこやってければいいよね」くらいならいい。だが、もうちょっと高いところに目標を置く場合、上記のような競合調査は弊害の方が多いんじゃないかと思うのだ。ま、以下そんなに説得力のある話でもないのだけれど。
というのも、いいアイデアを見れば取り入れたくなる。自分が考えていなかったような要素を幾つかの競合が取り入れていれば、入れておかないとマズいような気になる。そうやってやってると、どうしても自サイトは競合サイトに似てきてしまう。酷い場合だと、たとえばABCの3サイトが競合していて、どこかが導入した機能や実施した企画は、他も負けじと取り入れる、なんてことをしているうちに見た目以外はほぼ同じような状態で、ある要素をどこが最初に実施したのか判らなくなったり、「競合がやるから」というだけでそれがいい案なのかろくろく検証せず自動的に追随したりだとか、まあ合わせ鏡みたいな状態から抜けられなくなるケースもある。極端だがない話ではない。さらに酷くなると新しいことを思いついても「競合がやってないんだからダメなんじゃないか?」みたいな疑念に囚われたり。
自分が相手にとっての「環境」でありつつ相手が自分にとっての「環境」でもあり、さらにその「環境」に反応することでサイトが運営されているような状況だろうか。いや、却って解りにくいな。
一方で競合調査は相手との重複箇所を探り、そこから差別化を図るためにも行われる。相手に何が備わっているのか知らなければ、意図してそれを避けることは出来ないからだ。
が、この場合も「相手にない要素」という点から差別化を考えることになるので、どうしたって相手の有様に影響を受ける。裏付けのある話じゃないが、これだと相手の考える範囲から「遠く離れる」ことが難しいんじゃないかという気がしている。うーん。あるアイデアが競合サイトに「あるか、ないか」に囚われてしまうというか、意識しすぎてしまうというか。大きく突き放すことが難しくなるというか。
あまり客観的な論証のできる話じゃないし、我ながらジンクスとか精神論と紙一重だと思うけれど、ともあれ自分としてはそう感じている。なので「いっちょ気合入れて取り組むか。もちろんいつも気合は入っているが普段以上に、という意味だが」というときは、あまり競合サイトを見ないようにしている。そうすると、つまり、競合サイトと同じ文脈・土俵で考えてしまうことから多少なりとも自由でいやすい気がするのだ。
なので立ち上げ前なら企画の詳細を自分なりに詰めた後で「競合サイトと結果的にどれだけ被っているか」を見るに留め、運用開始後もそんなには見ないし、見ても調査というよりは「彼我の距離感を図る」くらいの感じにしている。まあ、立ち上げ前の段階で対クライアントなり対上司向けの手続きとして「競合との比較表」みたいなものを出す必要があるときもあるけど、そんなときも比較表作成はギリギリ最後にする。
というわけで他の人にお勧めするような考え方ではないのだけれど、もし競合サイトの動向に絶えず気を配り日々を戦っている人は、ためしに一度、まるで競合なんて居ないかのような気持ちで相手サイトをしばらく意識から外してみて欲しい。あるいは思いがけない知見が得られるかもしれないから。
そういえば「細腕繁盛鬼」というiPhoneアプリを考えたのだけれど、残念ながらここで詳しく述べる時間はもうないようだ。
webディレクターというのは、私も含め、ブログで夢も希望もあるようなこと書いてても、実際は漏れなく虐げられた犬のような目をしてアオコのようなオーラをまとった人ばっかなので、「自分も○○さんみたいなwebディレクターになりたい!」というような事はない。というのは冗談で、webディレクターというのは実際には漏れなく気位が高く自分以外のwebディレクターを内心見下しているから、というのも冗談で、最終的な成果物を外から見るだけだと、webディレクターがどんな働きをしたかほとんど見えないせいだ。
たとえばwebディレクターとしてwebディレクターから尊敬されそうなポイントというのは
・調整の難しい状況を打開した
・トラブルをスマートに解決した
・少ない予算で最大限に効果を上げた
・何人ものディレクターが休職したクライアントや案件をスムーズにこなした
・焼肉を食べに連れて行ってくれた
などが挙げられる。というかまあ、自分なら上記のようなwebディレクターは尊敬できる。が、これは外からは見えない。インタビューで答えたりブログに書いている人もいるし嘘吐いてるとは思わないけど、まあ、本人曰くなので「尊敬する」までは行きにくい。
他に、
・素晴らしい企画やサイトを実施した
・駄目サイトを成功させた
とかも考えられるけれど、外からだとディレクターの手腕なのかどうなのか、ハッキリしないケースが多い。自分が凄いと思った他人の企画の中でも一番いいと思った点が、実はミーティング中にデザイナーが発案したことだった、とかもあるわけだし。企画やサイトの成功はデザインやプログラムなど複合的な要因が大きいしね。ディレクションの手腕が占める役割より。
・メンバーのポテンシャルを上手く引き出す
みたいなことも尊敬に値するけれど、これはディレクションがどうこうより、その人の人徳というか人間性に負うところも大きいから、人として尊敬はできるだろうけど「ディレクション」という点に限ればちょっと違う気もする。
というわけで、憧れ・尊敬するwebディレクターというのは、実際に職場や仕事を共にした人からでないと、なかなか見付からないものだ。私にも尊敬しているwebディレクターは居るけれど、みなそうだ。別に有名な人ではない。サイトだって有名なサイトは手がけてない人もいる。ただ私が間近でその人の仕事振りを見て感銘を受けただけだ。もしくは焼肉を食べに連れて行ってもらっただけだ。
webディレクター同士でさえそうなのだから、他の職種の人やweb業界以外の人、あるいは学生さんなんかに「憧れ・尊敬のwebディレクター」なんて居るはずもなく、そうした人に憧れてweb業界へやってくる人材だって居るわけないのである。そもそもwebディレクターという役職自体あまり一般に認知されてないけど。
これがFlash技術者やその他プログラマー、デザイナー、経営者やコンサルタントなんかだと「○○さんに憧れて~」みたいなこともあるわけだが。
とまあ、ここで志高いwebディレクターならイメージアップのために提言したりアクションを起こしたりするのだろうけど、個人的にはwebディレクターのイメージが良かろうが悪かろうが仕事に支障がない限りはどうでもいいのだけれど。
その1:人生が変わる!
ウェブはバカと暇人のもの!? - 大前研一でさえ「知の衰退」に加担している
という記事があって、その内容とは直接関係ないのだけれど、上記記事の中で
という一文がある。そりゃまあそうだろう、と思う。人の人生はけっこう色々なことで変わる。ボランティア活動で変わった人もいればスキューバダイビングで変わった人もいるし、北原照久さんなんか最初はガラクタと思われてたようなモンで人生変わった。大病患って人生変わる人だっている。つまりまあ、人生どう転ぶか判らないという言葉にもあるように、人はいつ何時、何で人生が変わるか判らない。「何で」の部分は人それぞれなんだってありうる。「ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから」という主張は、ちょっと偽悪的すぎるように感じられて、同意できません。
岡田有花さんの『ネットで人生、変わりましたか?』の事例は本当だろうし、少なくとも、ネットは私の人生を変えたし。
だから、インターネットで人生が変わる事だって、当たり前すぎるくらいに当たり前だ。なので、インターネットで人生変わったという人が居たからって、それ自体は特にどうという意味もない。とはいえ、「ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから」の「あなた」があまねく全人類を指しているならそれは誇張だろうが、だいたいの人にとっては「人生変わった!」みたいな事にはならないだろう。生活習慣が変わったとか、ライフスタイルの一部が変わったとかはあるだろうが。たぶん「サッカーで人生変わった」って人の方が数としては多いんじゃないか?よく知らないけど。
他のものとインターネットの違いといえば比較的短期間で広範に広まったという点くらいで、その度合いを考えれば本一冊ぶんくらいの「ネットで人生変わった!」って人を集めるのはワケもないだろう。少なくともネット関連の仕事をしてる人の大多数にとってネットは生まれてしばらく経ってから誕生したものなので、「それで人生変わった」と認識する程度も高いんじゃなかろうか。他の「生まれる前からあったもの」に比べて。だいたいそれが無ければ大多数はなんか別の仕事したりで大きく違う人生を歩んでいたろうから、自分も含めてネット業界の人間はあまねくネットとの出会い(というか誕生)で人生が変わったと言えるんじゃなかろうか。
というわけで、「ネットで人生変わった」と思っている人は思い返してみれば、もっと手前の段階で「人生変わった」と思うような出会いがたくさんあるだろうから、一度それについてつらつら内省し、ネットと比べてどうかを考えてみると色々とどうでもよくなってくるかも。
その2:殴られる!
今のネットは多様性を殺すかも
という記事があって、その内容とは直接関係ないのだけれど、上記記事の中で
ネット上でのコミュニケーションでは、ある程度の匿名性や実名であったとしても「顔が見えない」ことによってリアルなコミュニケーションとは違ったコミュニケーションが形成されがちです。 例えば、目の前に大学教授や社長がいたとして「ちょwwww、自重しる」と目を見て言える人が何人いるでしょうか? 不思議な事に同様の行動をネット上で平気で行う人は非常に多く存在しています。
という一文がある。実はこれはネットに限った話ではなくて、もっと昔から存在している現象だ。ネットの登場によって広範に見られるようになった、というだけで。ネット上でのコミュニケーションでは、ある程度の匿名性や実名であったとしても「顔が見えない」ことによってリアルなコミュニケーションとは違ったコミュニケーションが形成されがちです。 例えば、目の前に大学教授や社長がいたとして「ちょwwww、自重しる」と目を見て言える人が何人いるでしょうか? 不思議な事に同様の行動をネット上で平気で行う人は非常に多く存在しています。
※以下、うろ覚えの話なので眉に唾して聞いてください。
明治から昭和の初めごろに同人誌で文学や評論をやる人が多くて、新聞でも小説や文芸評論なんかが人気だった時代。方々の誌上で会ったこともない人同士が文章で喧嘩してて絶縁だの最後通牒だの「あの野郎、会ったらぶん殴ってやる!」だのが頻繁に起きていた。実際、襲撃まがいの事態になったり、「バッタリ初顔合わせ→肉弾戦」みたいなことがあったらしい。一方で「文章では威勢のいいこと言ってたが、会ってみたらオドオドしてて殴る気が失せた」みたいなこともあったとか。
当時、同人誌や新聞雑誌でこういうことをしていた人の数は今のネット人口よりも遥かに少なかったわけだけれど、それでも炎上したりモメたり喧嘩沙汰になっていたわけだ。というわけで、幾ら昔の人が今の人より(自分が読み知った範囲では)往々にして遥かに粗暴無謀で独善的、ゆとりとDQNをあわせたよりタチ悪そうだったとはいえ、これは人間なり日本人なりに元々あった傾向なんじゃないかと思う。それが広範に発露している現状はまあ、良し悪しはさておき今後も避けられないんだろうな。
というわけで、こうした事態を避けるために顔色を伺いつつ何か書くとか、カドが立ちそうなことは公開制限したSNSで書くとか、匿名で2chに書くとか、そういう選択肢はあるものの、それがイヤなら強くなるよりコメント閉じるより、モメた相手と会ったとき「おとなしく殴られる」か「殴り合う」かを決めておいた方がいいかもしれない。
あ、上記記事表題の「今のネットは多様性を殺すかも」については肯定も否定も、特に意見はありません。
…なんだかいつにも増して話の展開に飛躍が多いというか支離滅裂な感じだけれど、最後にもう一個。
その3:webは停滞しているか?
なんだか、このところ目にする機会があるので。
停滞しているのかどうかは知らないが、クラウドにしろiPhoneアプリにしろ、mixiアプリにしろAIRアプリにしろ、個人的にこのところwebで注目を集めているジャンルにいまいち前のめりになれずにいた。が、その理由に思い至った。あまりに当たり前すぎて気付かなかった。まあ、自分の頭が鈍いんだろう。で、その理由ってのは「どれもサイトじゃない」ということだ。どれもアプリケーションであって、その企画や構成、流通はサイトのそれと大きく違う。大きく違うだけあって仕事として自分が関わる機会は少ないだろうし、関わってもそのディレクション(があるとして)はサイトのディレクションと大きく違うだろう。そのあたりで何だかこう、スッキリしない気持ちになっていたのだ。私がスッキリしようがしまいが他の人にはどうでもいいのだけれど、個人的にはハッとしたので。
まあ、言うても自分だってこのところはケータイサイトコンテンツの企画とディレクションが主なんだけれど。アプリとかFLash待受とか。
まあ、前回に続いてこんな雑感ばかり書いているといよいよもって読んでくれている人に申し訳ないので、次回はwebディレクションについて書きたい。たぶん「競合サイト」について。っても、webディレクションなんかで一般化したり敷衍したりして語れるようなことってそうそう多くないんだよな。
livedoorディレクターBlogみたいに実際のサービスを引き合いに出しつつ個別の取り組みを紹介するとか、webディレクションに限らず有効な、一般的なビジネススキルなりノウハウなりのTIPSを紹介するのでもなければ。
LingrとRejawサービス終了のお知らせ
なんか
ということらしい。事業が失敗したときの当事者からの本音というのはなかなかタイムリーには出てこないので、少しでも誰かの役に立てばいいなと思って書くことにしました。
で、読んでみたのだけれど、結局のところ失敗した理由としては「人件費が高かった」ということらしい。ピーク時にはフルタイムで4名が働いており、最大で年間5000万円のほど人件費だったとか。一人頭1250万か。月で100万ちょい。アメリカでは(IT系だと思うけれど)人材に払う相場が日本の倍くらいあるらしい。けれど、江島さんが紹介している「他三名」の経歴を見るとなかなかのキャリアと実力を持っている、まあスタープレイヤー的な人のようなので、アメリカでの相場以前にメンバーの経歴や実力に見合った額がそもそも高かったようだ。乱暴な計算だと、日本では月50万円くらいの人材というイメージだろうか。
このサービスを展開していたのが、インフォテリアの100%子会社として操業を開始した米国法人のインフォテリアUSAだそうだが、これも同時に解散となるらしい。元々このインフォテリアUSAは親会社の主力商品「ASTERIA」を米国で販売するために設立された会社らしい。で、それが苦戦してLingrとRejawに乗り出したという大まかな経緯になっている。
とまあ、これを踏まえた上で、首をかしげたところなど。
・4人を賄えないサービスってビジネスとしてどうよ?
いくら人件費が高いとはいえ、もっと大勢の人間が働いて人件費がもっと掛かっているのに継続できるサービスだってあるわけで、いくら人数のわりに人件費が高いからって4人を賄えないんなら、そもそも商売でやる企画として筋が悪かったんじゃないだろうか?あるいは、投入後の運用(非システム的な面で)がダメだったんじゃなかろうか。
営業譲渡などでサービスを存続させる方法も模索していたのですが、受け入れ先を見つけることができませんでした。
というのも、この点について何か示唆的だ。
・撤退前に人件費を減らせばよかったんじゃ?
と書いてあったのだけれど、「このままじゃ事業撤退せざるを得ない」ってのは大きな切っ掛けじゃなかったんだろうか。「小規模チームでは致命的に尾を引くため」ってのは理解できるけれど、自分以外に3人だけなんだから、3人全員解雇してもっと人件費の安い人に入れ替えれば引く尾もなかったろうに。一度仲間として受け入れたメンバーを、高いからとか、スピードが遅くなるからといって解雇したり減俸したりするのは非常に難しく、気の滅入ることで、とくに小規模チームでは致命的に尾を引くため、何か大きなきっかけがないとできないことです。
結局、気乗りがしなかったってだけなんじゃないかと邪推してしまうが、江島さんは「少数精鋭」に執着があったようなので、入れ替えるにしてもどうクラスの人材しかありえない、それでは人件費削減にならない、という意識だったのかもしれない。とはいえ、人件費が問題で、親会社に謝罪するくらいなら、人員削減してでも延命を図る方向性はあったんじゃないかと、まあ外から見ている分には思う。いくら社員を切るのがそんな簡単じゃないにしても。オーナー社長じゃあるまいし。まあ、事業失敗が良心の呵責と失職、謝罪だけで済むなら、江島さんほど優秀な人への重石としては不十分だったかもしれない。引責して借金背負わされるふうでもないし、次の勤め口くらい見付かるだろうし。
・少数精鋭について
確かに紹介されているメンバーを見ると、webサービスを作るに当たっては相当な精鋭のようだ。がまあ、結果から見るとビジネスから収益を上げて、事業を継続するという点では精鋭とは言いがたかったようだ。これは人件費に計上されず、言及すらされていない営業スタッフ(アメリカなので肩書きは違うかもしれないが)の担当だったのかもしれない。とはいえ、本当に営業スタッフがいたのかは不明だ。居たのに上記記事で全く触れておらず、その程度の扱いだったのなら、今回のような結末になったのもむべなるかなとは思う。
という一文があって、これは半分だけうなずける。ユーザではないしバックエンドがどうなってるのかも知らないが、もし受託案件なら立ち上がりは多くても「ディレクター+デザイナー+プログラマ」の3名、立ち上がり後は「ディレクター+プログラマ」の2名くらいで回していく気がする。こういう「場を提供する」だけのサービスなら。デザイナーかプログラマがディレクションを兼ねるなら、最初から2名で回すだろう。そういう意味で4人は多い気もする。江島さんも4人というのはやはり大所帯だったということです。
と書いているし。今のLingrやRejawのようなプロダクトなら、1人か、多くても2人ぐらいで作れるべきであった、と思います。
一方で、江島さんが少数精鋭にしたかった理由として
とある。しかし、実際には製品を熟知し、能力も意識も高いメンバーが縦横無尽に協力しながら、非技術要員に対するコミュニケーションのオーバーヘッドをゼロにしつつガンガン進めていく、というものでした。
ということで、狙っていた要素のうち「質」は確保できても「スピード」は確保できなかったことが伺える。専門分野の違う優秀な人たちが協力して作り上げることで確かにクオリティは高くなるのですが、開発時の意見のぶつかり合いによるストレスは格段に増え、あるいは専門による分業を明確にして衝突を避けようとするとその隙間でとんでもない見落としがあったりして、どうしてもスピードが落ちます。
よく判らないが、ひょっとして4人の合意で物事を進めていく形になっていて、最終的な意思決定権を持つマネージャが決済するという仕組みが無かったのかもしれない。どのみち自分+3人のチームがまとめ切れないというのはやや問題があるようにも思うが、江島さんが自分でまとめきれない人を集めてしまったのかな、とも思う。各メンバー紹介を見るにつけ。「集まったメンバーはぼく自身が裏方に回らざるをえない、すごい人たちでした。」ともあるし。
最後に、最も首をかしげた点を。
記事の後半で江島さんは
「少数精鋭」を突き詰めると、究極的には1人になるということでしょう。
という認識を持つに至ったそうなのですが、上記記事のもっと手前で「企業の競争相手が個人になる時代は目の前まで来ている」
と書いている。なお目下の興味はiPhoneアプリ開発ですので、もし拾ってやるぞという方がおられましたら是非お声がけください。
「もし拾ってやるぞという方がおられましたら~」の対象は誰なんだろうか。「4人というのはやはり大所帯だった」「「少数精鋭」を突き詰めると、究極的には1人」「企業の競争相手が個人になる」とまで書いているのですから、3人以上の社員からなる組織や企業ではないでしょう。ましてや大きな企業であればニ念無く断るはず。
いくら自分の案件が3人以下で回るとはいえ、会社組織ならどうしても直接・間接的にもっと多くの人が関わってくるだろうし、「会社から給料も予算ももらうしリソースも使わせてもらうけど、口出しはせずほうっておいてくれ」なんて都合のいいことは思わないでしょう。
「目下の興味はiPhoneアプリ開発」なら、「是非お声がけください」とか言ってないで自分で勝手に作ればどうかと思う。
思うに、江島さんは今回のことでご本人が意識されている以上に大きな精神的なダメージを受けているのではないだろうか。でなければ、おそらく頭もよく優秀だろう江島さんがこんな眠たいことホザくはずはないと思う。余計なお世話だろうけれど、一日も早くこのダメージから立ち直り、未来に向けて勇躍邁進されることを願っています。