漠然とした予感なので、あまりアテにはならないが、気になっていることがある。
CGMが定着し、クチコミをはじめユーザ参加型サービスもそれ自体では真新しい感じがしなくなっている。こうしたサービスは何よりも、ユーザがどれくらい活発に利用してくれるかが大きなポイントとなる。ただ、特に立ち上げ当初は、認知度も低く、なかなか活用されにくい。
広告宣伝費が掛けられる。既に別に運用しているサイトがあり、そこからユーザが引っ張ってこられる。これなら立ち上がりからユーザを誘導する目算が立てられる。しかし、そうした手段がとれない場合、俗に「アーリーアダプター」と呼ばれる人々からユーザの拡大を狙う方法がある。
そのために何をするかといえば様々な方法があるだろうけれど、基本的には以下の2点を目指すことになる。
・アーリーアダプターのアンテナに引っ掛かる
・アーリーアダプターに興味を持ってもらう
これらを通してまずアーリーアダプターを集め、使ってもらい、そこからユーザの数と層を増やしていく。
ターゲットとしているものによっては、アーリーアダプターを集めるだけで済む場合もある。多少ユーザが拡がったとしても、コア層やニッチ層の域を出ない程度で。これはサイトそのものがこうした属性の人々をターゲットとして絞り込んでいるケースだ。
しかしビジネスとして考えた場合、利益の拡大をも念頭におくなら、やはりこれだけでは分母が小さい。そうすると一般的なユーザを多く獲得して、いわゆる「キャズムを超える」ということを達成する必要がある。
そこでアーリーアダプターから多様なユーザへどうやって拡げていくか、という点を考えなければいけない。しかし、これがなかなか難しい。もちろん、アーリーアダプターを集め、使ってもらうという段階で既に簡単なことではない。しかし、前者と後者とでは考えるポイントや施策が違う。
具体的な方法は様々な書籍やネット上の記事、試行錯誤でノウハウを貯めてもらうとして、ようやくここで長い前置きが終わり。
冒頭で書いた「気になっていること」というのは、「アーリーアダプターが居付いてしまうと、ユーザ層が拡がりにくいのでは?」ということだ。
ネット上で優れたサービスを提供していて、しかも幅広いユーザ層を狙っていそうなサイトなのに、なかなかユーザが増えないサイト、というのがある。要するに、資質があるのにキャズムが超えられないサイトだ。
こうしたサイトにはサービス上で具体的に改善すべき点もあるだろう。プロモーションに力を入れるべき部分もあるだろう。だが、サービスとして基本的には問題なく、認知度もなかなか、という場合がある。
こんなとき、そうしたサイトの少なからずには立ち上げ段階で呼び込んだアーリーアダプターと、それにやや遅れてやってきたマニア層が居付いている気がする。この場合のアーリーアダプターやマニア層には2種類いて、「サイトが扱っている内容」のそうした人々と、「ネットサービス」のそうした人々だ。たとえば扱っているのが映画なら、居付くのは「映画のコアユーザー」だけではなく「ネットサービスのコアユーザー」も、というわけだ。
こうしたユーザは活発にサイトを利用して情報を発信してくれるし質も高いのだが、大多数の一般的なユーザからすれば「取っ付きにくい」「敷居が高い」というイメージを抱かせてしまう。ユーザ間にコミュニケーション機能があり、それも活用されているのなら、そこで交わされる話題や会話もどことなく気後れするような入って行き辛さを感じさせるだろう。そのコミュニティの発する雰囲気が閉鎖的かどうかとは別に。
おそらく一般的なユーザがこうした理由から参入しづらく感じるには、居付いているアーリーアダプターの数や、発信頻度などいくつかのバランスが影響しているだろう。システム的にそうした人々の発言がどれくらい「多く」見えるかも関係している。
で、もしアーリーアダプターやマニア層が熱心に活用していることが一般的なユーザの流入を阻んでいるとすれば。そしてそれを変えたいと思うなら、アーリーアダプターやマニア層にはお引取り願うというのも対処の一つかもしれない。
といっても「出て行ってくれ」ではなく、そうした人々にとっては居辛いような方向にサイトを変えていくのが無難だろう。別に不便にするとかサービスをダウングレードするというわけではないし、サイトの性格や方向性によってどう変えていくかは違うだろうけれど…。いや、それでも充分に穏やかでない話だけれど。
立ち上げ時の初速で1週間くらい影響力のあるアーリーアダプターが肯定的な記事をブログで書いてくれて、あとは「飽きて」立ち去っていき、その後で一般的なユーザー層の中からコアなハードユーザーが生まれてくる…というのが「このケースでは」望ましいのかもしれない。
書いていて、我ながら暗い気分になってきた。
CGMが定着し、クチコミをはじめユーザ参加型サービスもそれ自体では真新しい感じがしなくなっている。こうしたサービスは何よりも、ユーザがどれくらい活発に利用してくれるかが大きなポイントとなる。ただ、特に立ち上げ当初は、認知度も低く、なかなか活用されにくい。
広告宣伝費が掛けられる。既に別に運用しているサイトがあり、そこからユーザが引っ張ってこられる。これなら立ち上がりからユーザを誘導する目算が立てられる。しかし、そうした手段がとれない場合、俗に「アーリーアダプター」と呼ばれる人々からユーザの拡大を狙う方法がある。
そのために何をするかといえば様々な方法があるだろうけれど、基本的には以下の2点を目指すことになる。
・アーリーアダプターのアンテナに引っ掛かる
・アーリーアダプターに興味を持ってもらう
これらを通してまずアーリーアダプターを集め、使ってもらい、そこからユーザの数と層を増やしていく。
ターゲットとしているものによっては、アーリーアダプターを集めるだけで済む場合もある。多少ユーザが拡がったとしても、コア層やニッチ層の域を出ない程度で。これはサイトそのものがこうした属性の人々をターゲットとして絞り込んでいるケースだ。
しかしビジネスとして考えた場合、利益の拡大をも念頭におくなら、やはりこれだけでは分母が小さい。そうすると一般的なユーザを多く獲得して、いわゆる「キャズムを超える」ということを達成する必要がある。
そこでアーリーアダプターから多様なユーザへどうやって拡げていくか、という点を考えなければいけない。しかし、これがなかなか難しい。もちろん、アーリーアダプターを集め、使ってもらうという段階で既に簡単なことではない。しかし、前者と後者とでは考えるポイントや施策が違う。
具体的な方法は様々な書籍やネット上の記事、試行錯誤でノウハウを貯めてもらうとして、ようやくここで長い前置きが終わり。
冒頭で書いた「気になっていること」というのは、「アーリーアダプターが居付いてしまうと、ユーザ層が拡がりにくいのでは?」ということだ。
ネット上で優れたサービスを提供していて、しかも幅広いユーザ層を狙っていそうなサイトなのに、なかなかユーザが増えないサイト、というのがある。要するに、資質があるのにキャズムが超えられないサイトだ。
こうしたサイトにはサービス上で具体的に改善すべき点もあるだろう。プロモーションに力を入れるべき部分もあるだろう。だが、サービスとして基本的には問題なく、認知度もなかなか、という場合がある。
こんなとき、そうしたサイトの少なからずには立ち上げ段階で呼び込んだアーリーアダプターと、それにやや遅れてやってきたマニア層が居付いている気がする。この場合のアーリーアダプターやマニア層には2種類いて、「サイトが扱っている内容」のそうした人々と、「ネットサービス」のそうした人々だ。たとえば扱っているのが映画なら、居付くのは「映画のコアユーザー」だけではなく「ネットサービスのコアユーザー」も、というわけだ。
こうしたユーザは活発にサイトを利用して情報を発信してくれるし質も高いのだが、大多数の一般的なユーザからすれば「取っ付きにくい」「敷居が高い」というイメージを抱かせてしまう。ユーザ間にコミュニケーション機能があり、それも活用されているのなら、そこで交わされる話題や会話もどことなく気後れするような入って行き辛さを感じさせるだろう。そのコミュニティの発する雰囲気が閉鎖的かどうかとは別に。
おそらく一般的なユーザがこうした理由から参入しづらく感じるには、居付いているアーリーアダプターの数や、発信頻度などいくつかのバランスが影響しているだろう。システム的にそうした人々の発言がどれくらい「多く」見えるかも関係している。
で、もしアーリーアダプターやマニア層が熱心に活用していることが一般的なユーザの流入を阻んでいるとすれば。そしてそれを変えたいと思うなら、アーリーアダプターやマニア層にはお引取り願うというのも対処の一つかもしれない。
といっても「出て行ってくれ」ではなく、そうした人々にとっては居辛いような方向にサイトを変えていくのが無難だろう。別に不便にするとかサービスをダウングレードするというわけではないし、サイトの性格や方向性によってどう変えていくかは違うだろうけれど…。いや、それでも充分に穏やかでない話だけれど。
立ち上げ時の初速で1週間くらい影響力のあるアーリーアダプターが肯定的な記事をブログで書いてくれて、あとは「飽きて」立ち去っていき、その後で一般的なユーザー層の中からコアなハードユーザーが生まれてくる…というのが「このケースでは」望ましいのかもしれない。
書いていて、我ながら暗い気分になってきた。
IT関連、web関連の業界に限らず、コミュニケーション能力が重要視されている。これには賛成なんだけど、この能力はそもそも曖昧で定義も難しく、案件に関わる人それぞれのキャラによっても違うので、磨こうにも伸ばそうにも当てにならない。
一方で、webディレクターには重要な能力で、もっと明確なものがある。「危機回避能力」だ。「危機管理能力」も重要っちゃあ重要なんだけど。
「危機回避能力」と書くと大仰だけれど、要はトラブルを事前に察知して避ける能力のこと。それはサイト設計における「悪意あるユーザのアクセス」や運用での「炎上」を避ける能力でもあるし、ディレクションにおける対クライアント、対スタッフ、あるいは自分以外の関係者間などで発生する、あらゆるトラブルも含まれる。
察知、という部分は経験によるところも多い。仕事上の経験だけでなく、日常生活での経験も。そうした部分で経験を積んでいれば、上手く言葉にならないが「あ、なんかマズい方向に流れそうだ」「これは手厚く対応した方がいい」あるいは、もっと漠然と「臭い」というか「予感」めいたものが働くようになる。あとはその感度を上げていけばいい。
こうして察知したものをどうやって避けるかといえば、「話の持って行きかた」だとか「言い回し」だとか「事前の調整」だとか「あえて空気を読まない」だとか。一度失敗した場合に、その経験を生かして同じような失敗をしないようにするのだって、危機回避能力の一つだ。
不思議とあまり言及されないけれど、webディレクターにとって危機回避能力はコミュニケーション能力よりも重要ではないかと思っている。
というのも、どこでどういうトラブルが起きようと、webディレクターは無関係でいられないし、管理・チェックの不行き届きとしてトラブル発生の責任の一端を担うことにもなる。また、自分がトラブルの元凶となれば「自分ひとりが困ればいい」では済まない。制作スタッフに余計な手間を取らせたり、クライアント側の担当者に上司や関係者への対応で面倒をかけたりする。最悪の場合は案件の引き上げどころか損金の請求や営業さんの出入り禁止なんて事態も発生し得る。起訴だってないとは言い切れない。なので、危機回避能力はコミュニケーション能力以上に、欠如していた場合の影響が深刻だ。
こうやって書いてみると危機回避能力はコミュニケーション能力を包括していると言える。しかし、webディレクターはただ円滑にコミュニケーションが取れるだけではダメなのだ。
自分だって危機回避能力が充分に高いというわけではないけれど、少しはそうした能力があったおかげでここまでやってこられた面もある。他の人だって、webディレクターとして長生きするには多かれ少なかれこの能力が不可欠だろう。危機回避能力についてさほど言及されることがないのは、それがあまりにもwebディレクターにとって「欠かせない能力」なので、逆にたいして意識されないせいかもしれない。空気みたいに。
一方で、webディレクターには重要な能力で、もっと明確なものがある。「危機回避能力」だ。「危機管理能力」も重要っちゃあ重要なんだけど。
「危機回避能力」と書くと大仰だけれど、要はトラブルを事前に察知して避ける能力のこと。それはサイト設計における「悪意あるユーザのアクセス」や運用での「炎上」を避ける能力でもあるし、ディレクションにおける対クライアント、対スタッフ、あるいは自分以外の関係者間などで発生する、あらゆるトラブルも含まれる。
察知、という部分は経験によるところも多い。仕事上の経験だけでなく、日常生活での経験も。そうした部分で経験を積んでいれば、上手く言葉にならないが「あ、なんかマズい方向に流れそうだ」「これは手厚く対応した方がいい」あるいは、もっと漠然と「臭い」というか「予感」めいたものが働くようになる。あとはその感度を上げていけばいい。
こうして察知したものをどうやって避けるかといえば、「話の持って行きかた」だとか「言い回し」だとか「事前の調整」だとか「あえて空気を読まない」だとか。一度失敗した場合に、その経験を生かして同じような失敗をしないようにするのだって、危機回避能力の一つだ。
不思議とあまり言及されないけれど、webディレクターにとって危機回避能力はコミュニケーション能力よりも重要ではないかと思っている。
というのも、どこでどういうトラブルが起きようと、webディレクターは無関係でいられないし、管理・チェックの不行き届きとしてトラブル発生の責任の一端を担うことにもなる。また、自分がトラブルの元凶となれば「自分ひとりが困ればいい」では済まない。制作スタッフに余計な手間を取らせたり、クライアント側の担当者に上司や関係者への対応で面倒をかけたりする。最悪の場合は案件の引き上げどころか損金の請求や営業さんの出入り禁止なんて事態も発生し得る。起訴だってないとは言い切れない。なので、危機回避能力はコミュニケーション能力以上に、欠如していた場合の影響が深刻だ。
こうやって書いてみると危機回避能力はコミュニケーション能力を包括していると言える。しかし、webディレクターはただ円滑にコミュニケーションが取れるだけではダメなのだ。
自分だって危機回避能力が充分に高いというわけではないけれど、少しはそうした能力があったおかげでここまでやってこられた面もある。他の人だって、webディレクターとして長生きするには多かれ少なかれこの能力が不可欠だろう。危機回避能力についてさほど言及されることがないのは、それがあまりにもwebディレクターにとって「欠かせない能力」なので、逆にたいして意識されないせいかもしれない。空気みたいに。
CGMがさほど目新しいものではなくなった昨今。web上では無数のクチコミサイトが割拠している。コスメや旅行など分野によっては強者が存在するケースもあるけれど、大多数の分野ではまだそこまでいってない。だいたいクチコミは集約する方がメリットは生まれやすいのに、複数の小さなサイトが少数のクチコミ記事を食い合っている感じだ。そして、いったん強者になってしまえば進行サイトがこれを追い落とすのは難しい。どんなに優れたサービスであっても、肝心の「クチコミ」の投稿数に圧倒的な開きがあるからだ。
ニッチなテーマを扱っているためにクチコミ数が少ないサイトは仕方がない。あるいは、クチコミのためのハードルを高く設定しているサイトも。ただ、そうじゃないのにクチコミが集まらない場合、まず考えられるのが認知度、誘導数だろう。訪れる人が少なければ、クチコミが投稿される数はさらに低くなる。ただ、訪れウ人が増えたからといって、それだけでクキコミ数が伸びるとは限らない。
サイトに人が来ているのにクチコミ数が伸び悩む理由の一つは、インセンティブとモチベーションにある。クチコミをすることで、投稿者にどういったメリットがあるのかが上手く設計されていないと、なかなか自分の時間を使ってまでクチコミを書こうとは思わないものだ。特に、見知らぬクチコミサイトというのは、何か情報を求めているときに偶然訪れることが多い。そうしたユーザに自分の調べ者を中断させてまで何か書こうという気にさせるには、それなりの動機付けが必要だ。
こうした動機付けとしてよくあるのが報酬型だろう。メリットが明瞭で、幅広い層にアピールしやすい。名誉欲や自己顕示欲、承認欲求などに訴えるよりも効果的だと思われる。もちろん、こうした動機付けががなくとも、クチコミが集まることはある。こうした理由については、すでにそのサイトが多くのクチコミを集めているという場合を除けば、理由は様々で偶然によるところもあるので、ここでは書ききらない。
もう一つ、理由として考えられるのが「感想を書くのは意外と面倒だ」ということ。自分が利用したことのある商品やいったことのある場所について「何か書いて」と言うのは簡単だが、書くほうからすれば何をどう書くか考えるのは意外とハードルが高い。普段からブログを書くなど、何か文章を書くことに慣れているならともかく、メールを書くくらいしかしていない人にとっては、なおさらだ。
こちらはわりと簡単に解決できる。だいたいクチコミサイトというのは分野を絞っているので、書き込みに当たってはあらかじめ質問項目を立てておき、それに答えていけば自然と必要な情報が入ったクチコミ記事になるという形式に変えることだ。たとえば飲食店であれば「時期」「サービス」「内装・雰囲気」「ボリューム」「味」「お値頃感」などで質問をする形にし、あとはフリーで何かあれば書いてもらうようにする。など。
そもそも、文章を書くのが苦手という人でも、質問に答えることはそれほど敷居を高く感じない傾向にある。また質問に答えるという体裁であれば、「何を書くか」という取捨選択で投稿者側が悩まなくても済む。運営者からすれば情報の漏れが減り、クチコミの質にある程度の水準が保ちやすい。
それに、人というのは案外と質問に答えるのが好きなものだ。Twitterは立ち上がり初期の段階で「What are you doing?」という問いかけがなければ、あそこまで成功したか疑わしい。他にも○×で答えさせるコトノハは活発だし、プロフサイトも「質問に答えさせる」という機能が大きな役割を果たしている。昔からあるコンテンツとしても、Yahooの「クリックリサーチ」に代表される「アンケート系」は多くのサイトで根強い人気を保っている。
そう。クチコミサイトというのは元来、アンケートの一形態だと考えた方がサービス展開を考えやすい。クチコミサービスというと何となく新しい未発達な分野のように感じるが、アンケートの一変種だと考えればそれは成熟した分野で、これまでに蓄積された多くのノウハウが(web以前の時代から)存在するし、それを活用していきやすい。
これは別に、目からウロコの類ではない。「クチコミマーケティング」という言葉もあるように、クチコミとはアンケートと同様、ビジネス分野ではそもそもユーザ調査の一つだったのだ。それが「ユーザの活用する情報」として利用されたり、エンタメ性を獲得したのは、わりと近年のことではないだろうか。いや、雑誌のアンケート企画などは古くから存在するから、そうとも言えないか。
ともあれ、クチコミサービスを展開するにあたっては、ぜひアンケートという手法のノウハウや方法論などを参考にしてみて欲しい。
ニッチなテーマを扱っているためにクチコミ数が少ないサイトは仕方がない。あるいは、クチコミのためのハードルを高く設定しているサイトも。ただ、そうじゃないのにクチコミが集まらない場合、まず考えられるのが認知度、誘導数だろう。訪れる人が少なければ、クチコミが投稿される数はさらに低くなる。ただ、訪れウ人が増えたからといって、それだけでクキコミ数が伸びるとは限らない。
サイトに人が来ているのにクチコミ数が伸び悩む理由の一つは、インセンティブとモチベーションにある。クチコミをすることで、投稿者にどういったメリットがあるのかが上手く設計されていないと、なかなか自分の時間を使ってまでクチコミを書こうとは思わないものだ。特に、見知らぬクチコミサイトというのは、何か情報を求めているときに偶然訪れることが多い。そうしたユーザに自分の調べ者を中断させてまで何か書こうという気にさせるには、それなりの動機付けが必要だ。
こうした動機付けとしてよくあるのが報酬型だろう。メリットが明瞭で、幅広い層にアピールしやすい。名誉欲や自己顕示欲、承認欲求などに訴えるよりも効果的だと思われる。もちろん、こうした動機付けががなくとも、クチコミが集まることはある。こうした理由については、すでにそのサイトが多くのクチコミを集めているという場合を除けば、理由は様々で偶然によるところもあるので、ここでは書ききらない。
もう一つ、理由として考えられるのが「感想を書くのは意外と面倒だ」ということ。自分が利用したことのある商品やいったことのある場所について「何か書いて」と言うのは簡単だが、書くほうからすれば何をどう書くか考えるのは意外とハードルが高い。普段からブログを書くなど、何か文章を書くことに慣れているならともかく、メールを書くくらいしかしていない人にとっては、なおさらだ。
こちらはわりと簡単に解決できる。だいたいクチコミサイトというのは分野を絞っているので、書き込みに当たってはあらかじめ質問項目を立てておき、それに答えていけば自然と必要な情報が入ったクチコミ記事になるという形式に変えることだ。たとえば飲食店であれば「時期」「サービス」「内装・雰囲気」「ボリューム」「味」「お値頃感」などで質問をする形にし、あとはフリーで何かあれば書いてもらうようにする。など。
そもそも、文章を書くのが苦手という人でも、質問に答えることはそれほど敷居を高く感じない傾向にある。また質問に答えるという体裁であれば、「何を書くか」という取捨選択で投稿者側が悩まなくても済む。運営者からすれば情報の漏れが減り、クチコミの質にある程度の水準が保ちやすい。
それに、人というのは案外と質問に答えるのが好きなものだ。Twitterは立ち上がり初期の段階で「What are you doing?」という問いかけがなければ、あそこまで成功したか疑わしい。他にも○×で答えさせるコトノハは活発だし、プロフサイトも「質問に答えさせる」という機能が大きな役割を果たしている。昔からあるコンテンツとしても、Yahooの「クリックリサーチ」に代表される「アンケート系」は多くのサイトで根強い人気を保っている。
そう。クチコミサイトというのは元来、アンケートの一形態だと考えた方がサービス展開を考えやすい。クチコミサービスというと何となく新しい未発達な分野のように感じるが、アンケートの一変種だと考えればそれは成熟した分野で、これまでに蓄積された多くのノウハウが(web以前の時代から)存在するし、それを活用していきやすい。
これは別に、目からウロコの類ではない。「クチコミマーケティング」という言葉もあるように、クチコミとはアンケートと同様、ビジネス分野ではそもそもユーザ調査の一つだったのだ。それが「ユーザの活用する情報」として利用されたり、エンタメ性を獲得したのは、わりと近年のことではないだろうか。いや、雑誌のアンケート企画などは古くから存在するから、そうとも言えないか。
ともあれ、クチコミサービスを展開するにあたっては、ぜひアンケートという手法のノウハウや方法論などを参考にしてみて欲しい。
soho Webデザイナーの試行錯誤な日々
web制作屋は、一体どのスキルを持っていれば即戦力なのか?を考えてみる。
とか、そこで関連記事になっている
ホームページを作る人のネタ帳
web制作屋は、一体どのスキルを持っていれば即戦力なのか?17の作業に分解
といった記事を読んで考えたこと。
どちらも「web制作屋」という広い範囲を対象にしていて、
「soho Webデザイナーの試行錯誤な日々」では
というのがあれば、即戦力としてどうにかなるんじゃないか?
という話。
一方で「ホームページを作る人のネタ帳」では作業を17工程に分けて
など、「一人で全部を」ではないけれど結構な数を挙げている。
どちらも間違ってはいないし。即戦力を雇うor職場へ迎え入れるなら、それくらい能力があると嬉しい。けれど実際にはそうそうキチンと要件を満たす人なんていないわけで。
で、今回は「webディレクターとして即戦力になる最小構成」を考えてみたい。もう本当にこれを下回るとwebディレクターは勤まらないというギリギリのライン。逆に、そのラインさえ超していれば適材適所で足りない部分はカバーしたりして騙し騙しでも即戦力として使えるレベル。
◆技術スキル
・microsoft officeが使える
・メーラーが使える
◆web知識
・だいたいどんなことすると幾らくらいが相場か想像できる
◆センス
・可もなく不可もないワイアフレームが作れる
・可もなく不可もないサイト構造が考えられる
・実装困難な提案かどうかが分かる
◆人間性
・思い込みが強すぎない
・軽率な発言をしない
・感情的になり過ぎない
◆コミュニケーションスキル
・「自分では普通にしているつもりが、相手を怒らせた」という経験がないレベル
ざっと上記の9項目を満たせば、ギリギリwebディレクターとして即戦力になる気がする。以下、解説。
◆技術スキル
・microsoft officeが使える
小規模で一人の役割が多いところはともかく、webディレクションだけするなら。wordは使えなくてもよい。というのも、webディレクターの主な仕事は「パワポで企画書を作る」「エクセルで見積りを作る」「メールを出す」「文章を書く」だからだ。このうちメールと文章作成は「webディレクターの技術スキル」というよりも「PCを使う技術スキル」だ。
また、webディレクションに専念するなら自分でデザインやコーディングをすることもない。途中途中でのサイト確認はwebブラウザで、画像素材の確認は.jpgやら.gifに書き出してもらったもので充分だ(実際、クライアントやエンドユーザはその画質で見るわけだし)。
◆web知識
・だいたいどんなことすると幾らくらいが相場か想像できる
これを想像するには、実装するための具体的な知識がなくてもok。実際、年齢が高めの人だと実装についての具体的な知識はなくても、優秀なwebディレクターとして働いている人がいる。もちろんこうした人も、「実装する方法」以外の知識はしっかりあるけれど。
でまあ、最低ラインの人でも、web知識として上記のことができないと、そもそも見積りが立てられない。客先で話していても、クライアントの要望が予算内で実装できるかどうか判断できない。などなど「ビジネスとして」弊害が多い。
◆センス
・可もなく不可もないワイアフレームが作れる
・可もなく不可もないサイト構造が考えられる
・実装困難な提案かどうかが分かる
ここで言う「可もなく不可もなく」は見た瞬間にクライアントが怒り出さない程度のこと。なので、クライアントによってやや必要なレベルが異なる。怒り出さない程度のクオリティがあるなら、あとは先方の要望を勘案して試行錯誤すれば何度かやり直すうちに、いずれはクライアントのOKが出ると思う。
また、自分が提案しようとしているのが(技術的or予算的に)どれくらいの難易度なのかを分かっておかないと、ワイアフレーム段階でOKが出たのに、その後でエラい苦労したり、工程が差し戻しになったり、費用がハイパーなことになったりする。
◆人間性
・思い込みが強すぎない
・軽率な発言をしない
・感情的になり過ぎない
つまり「思い込みで勘違いしたまま突っ走る」「できもしないことを軽はずみに請け負う」「クライアントや制作スタッフと感情的な喧嘩になる」という事態が避けられればいい。
◆コミュニケーションスキル
・「自分では普通にしているつもりが、相手を怒らせた」という経験がないか、ないに近いレベル
「気付かないうちに」クライアントや制作スタッフを怒らせたりしない程度に空気が読め、配慮ができ、情報を伝達し、相手の意図が汲み取れればいい。
とまあ、こんな感じ。繰り返すけれは本当にギリギリのライン。もし本当に「これをどうにか満たす」という程度の人が仕事仲間になったら、自分としては採用した人間を呪う。
web制作屋は、一体どのスキルを持っていれば即戦力なのか?を考えてみる。
とか、そこで関連記事になっている
ホームページを作る人のネタ帳
web制作屋は、一体どのスキルを持っていれば即戦力なのか?17の作業に分解
といった記事を読んで考えたこと。
どちらも「web制作屋」という広い範囲を対象にしていて、
「soho Webデザイナーの試行錯誤な日々」では
・コミュニケーション能力があること
・誠実な態度と責任感をもっていること
・一般常識(社会的モラル、大人のマナー)をもっていること
・webのセンスがあること(デザインセンスとか動画のセンスとか)
・htmlやCSSのコーディンができること
・photoshop,illustrator,flash等々のソフトを使えること
・ネット上で使用されている技法や技術がなんとなくわかること
・わからないことを解決する力
というのがあれば、即戦力としてどうにかなるんじゃないか?
という話。
一方で「ホームページを作る人のネタ帳」では作業を17工程に分けて
人間性・表現力・営業力・コミュニケーション能力・web知識・営業力・コミュニケーション能力・マーケティング力・SEO知識・illustrator・photoshop・webデザインセンス・ユーザビリティ・FLASH・JavaScript・Ajax・HTML・CSS・web・文章力・企画力・各種プログラムスキル・ストリーミング配信スキル・SEM・データベース・その他プログラム言語・ユーザビリティ・HTML・CSSweb閲覧時間・RSS・ネットが許可されている会社・検索力・人脈・人間性・説得力・柔軟性・コミュニケーション能力・アクセス解析術・ブログ術・法律
など、「一人で全部を」ではないけれど結構な数を挙げている。
どちらも間違ってはいないし。即戦力を雇うor職場へ迎え入れるなら、それくらい能力があると嬉しい。けれど実際にはそうそうキチンと要件を満たす人なんていないわけで。
で、今回は「webディレクターとして即戦力になる最小構成」を考えてみたい。もう本当にこれを下回るとwebディレクターは勤まらないというギリギリのライン。逆に、そのラインさえ超していれば適材適所で足りない部分はカバーしたりして騙し騙しでも即戦力として使えるレベル。
◆技術スキル
・microsoft officeが使える
・メーラーが使える
◆web知識
・だいたいどんなことすると幾らくらいが相場か想像できる
◆センス
・可もなく不可もないワイアフレームが作れる
・可もなく不可もないサイト構造が考えられる
・実装困難な提案かどうかが分かる
◆人間性
・思い込みが強すぎない
・軽率な発言をしない
・感情的になり過ぎない
◆コミュニケーションスキル
・「自分では普通にしているつもりが、相手を怒らせた」という経験がないレベル
ざっと上記の9項目を満たせば、ギリギリwebディレクターとして即戦力になる気がする。以下、解説。
◆技術スキル
・microsoft officeが使える
小規模で一人の役割が多いところはともかく、webディレクションだけするなら。wordは使えなくてもよい。というのも、webディレクターの主な仕事は「パワポで企画書を作る」「エクセルで見積りを作る」「メールを出す」「文章を書く」だからだ。このうちメールと文章作成は「webディレクターの技術スキル」というよりも「PCを使う技術スキル」だ。
また、webディレクションに専念するなら自分でデザインやコーディングをすることもない。途中途中でのサイト確認はwebブラウザで、画像素材の確認は.jpgやら.gifに書き出してもらったもので充分だ(実際、クライアントやエンドユーザはその画質で見るわけだし)。
◆web知識
・だいたいどんなことすると幾らくらいが相場か想像できる
これを想像するには、実装するための具体的な知識がなくてもok。実際、年齢が高めの人だと実装についての具体的な知識はなくても、優秀なwebディレクターとして働いている人がいる。もちろんこうした人も、「実装する方法」以外の知識はしっかりあるけれど。
でまあ、最低ラインの人でも、web知識として上記のことができないと、そもそも見積りが立てられない。客先で話していても、クライアントの要望が予算内で実装できるかどうか判断できない。などなど「ビジネスとして」弊害が多い。
◆センス
・可もなく不可もないワイアフレームが作れる
・可もなく不可もないサイト構造が考えられる
・実装困難な提案かどうかが分かる
ここで言う「可もなく不可もなく」は見た瞬間にクライアントが怒り出さない程度のこと。なので、クライアントによってやや必要なレベルが異なる。怒り出さない程度のクオリティがあるなら、あとは先方の要望を勘案して試行錯誤すれば何度かやり直すうちに、いずれはクライアントのOKが出ると思う。
また、自分が提案しようとしているのが(技術的or予算的に)どれくらいの難易度なのかを分かっておかないと、ワイアフレーム段階でOKが出たのに、その後でエラい苦労したり、工程が差し戻しになったり、費用がハイパーなことになったりする。
◆人間性
・思い込みが強すぎない
・軽率な発言をしない
・感情的になり過ぎない
つまり「思い込みで勘違いしたまま突っ走る」「できもしないことを軽はずみに請け負う」「クライアントや制作スタッフと感情的な喧嘩になる」という事態が避けられればいい。
◆コミュニケーションスキル
・「自分では普通にしているつもりが、相手を怒らせた」という経験がないか、ないに近いレベル
「気付かないうちに」クライアントや制作スタッフを怒らせたりしない程度に空気が読め、配慮ができ、情報を伝達し、相手の意図が汲み取れればいい。
とまあ、こんな感じ。繰り返すけれは本当にギリギリのライン。もし本当に「これをどうにか満たす」という程度の人が仕事仲間になったら、自分としては採用した人間を呪う。
@nifty TimeLineはちょこちょこバージョンアップしていて、とうとう昨年12/12に「自分史」を作る機能が実装された。これまでも個人的に自分史を作成していたユーザはいたが、今回の機能実装によって、ログインしてマイページへ飛ぶと「はじめてのデートはいつ?」などと質問が一つ表示され、日付とコメントを入れると「自分史」というタイムラインにその出来事が追加されるようになった。もちろん、質問されていない出来事もタイムラインへ追加できる。
これがなかなか好評なようで、新着の出来事に自分史関連が目立つようになった。また、カテゴリごとにタイムラインの総数が見られるのだが、他のカテゴリが30~60くらいなのに対して、自分史は330以上と約5.5~11倍の数がある。
面白いのはこうした自分史タイムラインのユーザを見ると、たいていが他にタイムラインを作っていない(か、公開していない)。つまり自分史機能が実装されて、おそらくはじめて@nifty TimeLineでタイムラインを作るようになったのだ。
確かに「質問に答える」というのは「何を書くか」から考えるよりも敷居が低い。1回ページを読み込むごとに1質問というボリュームも、面倒臭さを感じさせない。また、最初に生まれた日付を尋ねられ、(おそらく)それに即した質問も用意されている。つまり1990年生まれの人には、それ以前の社会的な出来事に関する質問は出てこないのだ。
また特定の出来事のときは何歳だったかも表示される。「小学1年生の運動会のかけっこで何番だった?(7才)」といった具合に。なかなか心憎い演出。
興味深いのが、自分史タイムラインを公開しているユーザは(記入された生まれた日付を信用するなら)、Over35がメインということだ。してみると、自分史機能はこうした世代の「自分語り」に対する欲求をまずまず上手くすくいあげたことになる。
一方で、昨今のwebサービスにおいて「自分語り」ツールとして注目を集めているのがプロフだろう。これはサービスが多いのだけれど、とにかく「自分はこんな人だよ」ということを書くことに特化している。まあ、若年層では「今の自分の気分」みたいなものを一言書くような使われ方もされてるようだけど。
上手い具合に@nifty アバウトミーというプロフサービスがある。こちらを見てみる…。が、年齢が判らない。本当はそちらの主なユーザ年齢層を調べたかったのだけれど。
というのも(以下、妄想全開です)、自分史とプロフというのは同じような欲求の解消を異なる世代に対して提供するツールなんじゃないかと思ったからだ。ああ、つまり。「自分語り」という同じような欲求の解消ツールとして高めの年齢層は自分史を好み、低めの年齢層はプロフを好むんじゃないかということ。
で、どうして年齢層によって好むツールに差が出るのかといえば、一つは世代差。どうもある程度より上の世代は自分を語る際に「物語性」が付加されることを好み、それ以下の世代は「物語性」というものをあまり重視しないんじゃないかと。その差は人格形成期にいわゆる「大きな物語」が機能していたモダン社会で育ったか、それが崩壊したとされるポストモダン社会で育ったかということに由来する気がする。
ある程度より上の世代は細かな断片の総和ではなく、一つの一貫した流れとして物語化されたものとしての自己を規定したがる。一方で、もはや統一的な物語としての自己を語ることが困難になった(ような空気感のある)社会でそだった世代は、一つの「歴史」として自己を物語化することがさほど魅力的ではなく、むしろプロフという断片的なデータの総和として自己を規定したがる。「いま、ここ」ということが喚起する欲求の強弱も関係しているだろうか。自分史では「かつて、どこかで」を記すのが主だが、プロフの質問事項は「いま、ここ」であなたがどうか?を記すのが主だ。(そう、プロフも共有された様々な質問に答えていき、それを自分のプロフへ載せるのがのが人気の機能らしいのだ)。こうした「いま、ここ」という再回帰しない感覚への欲求の度合いはポストモダン社会の方が強い(あれ?逆だっけか?それとも無関係だっけ?まあいいや)。
余談だけれど、これは形式としては「編年体」と「紀伝体」との違いとして対比できるかもしれない。
もう一つ、自分史は長いタイムスパンを生きていればいるほど、書き込める範囲や事柄が広がって楽しみやすい。逆にプロフは人生の長短に関わらず、多くのトピックスに答えられる引き出しが多いほど、書き込める範囲が広がって楽しみやすい。(なんとなく「年功序列」と「実力主義」をイメージさせる)
とまあ、そんなわけで今年最初の記事は突っ込みようもないほど痛い妄想になってしまいましたが、みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
これがなかなか好評なようで、新着の出来事に自分史関連が目立つようになった。また、カテゴリごとにタイムラインの総数が見られるのだが、他のカテゴリが30~60くらいなのに対して、自分史は330以上と約5.5~11倍の数がある。
面白いのはこうした自分史タイムラインのユーザを見ると、たいていが他にタイムラインを作っていない(か、公開していない)。つまり自分史機能が実装されて、おそらくはじめて@nifty TimeLineでタイムラインを作るようになったのだ。
確かに「質問に答える」というのは「何を書くか」から考えるよりも敷居が低い。1回ページを読み込むごとに1質問というボリュームも、面倒臭さを感じさせない。また、最初に生まれた日付を尋ねられ、(おそらく)それに即した質問も用意されている。つまり1990年生まれの人には、それ以前の社会的な出来事に関する質問は出てこないのだ。
また特定の出来事のときは何歳だったかも表示される。「小学1年生の運動会のかけっこで何番だった?(7才)」といった具合に。なかなか心憎い演出。
興味深いのが、自分史タイムラインを公開しているユーザは(記入された生まれた日付を信用するなら)、Over35がメインということだ。してみると、自分史機能はこうした世代の「自分語り」に対する欲求をまずまず上手くすくいあげたことになる。
一方で、昨今のwebサービスにおいて「自分語り」ツールとして注目を集めているのがプロフだろう。これはサービスが多いのだけれど、とにかく「自分はこんな人だよ」ということを書くことに特化している。まあ、若年層では「今の自分の気分」みたいなものを一言書くような使われ方もされてるようだけど。
上手い具合に@nifty アバウトミーというプロフサービスがある。こちらを見てみる…。が、年齢が判らない。本当はそちらの主なユーザ年齢層を調べたかったのだけれど。
というのも(以下、妄想全開です)、自分史とプロフというのは同じような欲求の解消を異なる世代に対して提供するツールなんじゃないかと思ったからだ。ああ、つまり。「自分語り」という同じような欲求の解消ツールとして高めの年齢層は自分史を好み、低めの年齢層はプロフを好むんじゃないかということ。
で、どうして年齢層によって好むツールに差が出るのかといえば、一つは世代差。どうもある程度より上の世代は自分を語る際に「物語性」が付加されることを好み、それ以下の世代は「物語性」というものをあまり重視しないんじゃないかと。その差は人格形成期にいわゆる「大きな物語」が機能していたモダン社会で育ったか、それが崩壊したとされるポストモダン社会で育ったかということに由来する気がする。
ある程度より上の世代は細かな断片の総和ではなく、一つの一貫した流れとして物語化されたものとしての自己を規定したがる。一方で、もはや統一的な物語としての自己を語ることが困難になった(ような空気感のある)社会でそだった世代は、一つの「歴史」として自己を物語化することがさほど魅力的ではなく、むしろプロフという断片的なデータの総和として自己を規定したがる。「いま、ここ」ということが喚起する欲求の強弱も関係しているだろうか。自分史では「かつて、どこかで」を記すのが主だが、プロフの質問事項は「いま、ここ」であなたがどうか?を記すのが主だ。(そう、プロフも共有された様々な質問に答えていき、それを自分のプロフへ載せるのがのが人気の機能らしいのだ)。こうした「いま、ここ」という再回帰しない感覚への欲求の度合いはポストモダン社会の方が強い(あれ?逆だっけか?それとも無関係だっけ?まあいいや)。
余談だけれど、これは形式としては「編年体」と「紀伝体」との違いとして対比できるかもしれない。
もう一つ、自分史は長いタイムスパンを生きていればいるほど、書き込める範囲や事柄が広がって楽しみやすい。逆にプロフは人生の長短に関わらず、多くのトピックスに答えられる引き出しが多いほど、書き込める範囲が広がって楽しみやすい。(なんとなく「年功序列」と「実力主義」をイメージさせる)
とまあ、そんなわけで今年最初の記事は突っ込みようもないほど痛い妄想になってしまいましたが、みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
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