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泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

タイトル見ただけでなんとなく想像ついた人は、たぶんその通りの内容です。

「人間中心設計」「ユーザー中心設計」というのがある。大まかに言って、何かをデザインする際にエンドユーザを中心にすえた設計を行うということ。見た目のカッコ良さとか、制作側の事情とか、そういったもの全てに優先する感じ。

でまあ、サイトの運用にも設計というかプランがある。「ユーザー中心」と行きたいところだし大切なことではあるのだが、いかんせん難しい。なかなか思うに任せない。むしろ、往々にしてありがちなのが「ありもの中心設計」である。

コンテンツにしろ素材にしろシステムにしろ、毎回新規で何かを作るというのはなかなか難しい。特に内製率が高くない場合は。となると、自然と「ありもの」で上手くやりくりする手腕が必要になり、運営設計でもそれを中心とした形になってくる。ありものの素材やシステムでやりくりするというのはまあ、よくある話。企画やコンテンツなんかも新しいものを目指すと商人ハードルが高く、だいたいコストも掛かるので、どこかで見たような企画やなんかを持ってくる。パクリというよりは、一般的だったり王道だったりするもの。たとえば私はやったことないが、ユーザからテーマに対してオススメのものを挙げてもらって、最多になったユーザがどうこうとか、いまさらどこのパクリとも言えないだろう。そんな感じ。「夏のホラー特集」みたいな企画だって、どこのパクリとも言えないだろう。

で、サイトに載せる素材やシステム、企画なんかを「ありもの中心」でやりくりする際に必要な手腕というのは発想力でも人間力でも交渉力でもなく、アレンジ能力である。ありものというのは一般に訴求力が弱い。ただでさえそうなので、そのまま使い回すと残念な結果になる。というわけで、既存のものを以下に真新しくパッケージングして見せるか、というアレンジ力が必要になる。同じ素材と少ない調味料で毎日いかに違う料理を作るかというのに似てる。

これが究極まで凄まると「枯れた技術の水平思考」ということになる。「枯れた技術」だって言ってみれば「ありものの技術」なんだから。まあ、それで横井軍平ばりになるのは難しいが。あと、サイトの場合は技術だけではないので、「枯れた素材の水平思考」という方がピッタリ来る。

自分も常駐しているクライアントのサイトに載せるものというのは素材にしろ情報にしろ、基本的にweb用に作られたものではないし、かといってそのまま載せるのは芸がなかったり差し障りがあったり予算の都合もあったりで、「いかにありものをパッケージングするか?」に日々取り組んでいると言える。
そもそも常駐先はweb業界ではないので、どんなものがどこにあって、それはwebに使用可なのか、加工するならどの程度ならokか?誰に言えばいいのか?から毎度スタートするわけだが、それはそれで別の才覚がいる。「放っておいてもweb利用可なものはどんどん共有サーバに集まる」というのが理想だが、そんなものは見果てぬ夢なのだ。

ただこの「枯れた素材の水平思考」があまりに得意だと、それはそれで弊害もあると思う。というのは、いくらありものの素材が豊富だったとしても、いずれは枯渇する。しかしこれが得意だとなんとなく上手く行ってしまうので、本当にどうもこうもないくらい枯渇が見えてくるまで、当人含めてなんとなく気付くのが遅くなるようなのだ。「ありものの素材が枯渇したときにどうするか?」はかなり重大な問題で、「新しく作る」が可能ならそもそもありもの中心である必要はないわけで、「低予算で承認を得やすく効果的」というのも当然そうそう簡単な話ではない。
とか他人事のように書いたが、素材の枯渇というのはかなり深刻で、他で作った素材をパッケージングしてコンテンツとしているサイトでは例外なくいつかは訪れる。ってか本当にどうしよう…。
タイトルは色々と省いた。正確には「willcomスマートフォンユーザの憂鬱」だ。うん、「またwillcom」なんだ。済まない。

さて、私はアドエスを発売日に2年縛りで買ったので、来月あたりで割賦支払いが終わる。まあ当面は引き続き使うのだけれど、もし「2年も経つし買い換えよう」と思ったとしたら…。

残念ながら、willcomで機種変はない。03はダメダメなのでわざわざアドエスから変えたいとは思えない。しかしあれ以来、新しいスマートフォンがwillcomから出てないのも確かだ。選択肢としては「いつか登場とウワサのwindows mobile7」が搭載された端末が登場して、その評価が出揃うのを待つ、くらいか。わざわざ「Windows Mobile6.1」搭載機を買うってのもなあ。しかし、それだと買い替え可能なのは早くて来年末からさ来年くらいか。それまでアドエスのもっさりしたWindows Mobile6 Classicに付き合うのはなあ…。

というわけで現在の選択肢としては一つ。willcomをスマートフォンじゃないものに変え、iPhoneかAndoroid端末を買う、だ。willcomを解約してもいいのだろうけど、自分はかれこれ10年近くも同じメアドと電話番号を使っているので、かなり躊躇する。高校以来会ってない人からもまれに連絡来るし(そしてつながることに驚かれる)。やはり残しておきたいところ。そうでなければ解約も考えるだろうが…。スマート部分は不要なような気もするが、職場に来たiPhone 3GSを触った感じだと、やはり何がしか持っていたい。

じゃあiPhoneかAndoroid端末のどちらを買うか?だがいずれにせよお高いものなので、Andoroid端末がもう少し出揃うまでは少なくとも待ちたい。ありえない話だけれどwillcomでAndoroid端末が出れば(そしてwillcomが変に口挟んでなければ)一も二もなく買うんだが…。出揃うのを待つということはいずれにせよ来年以降の話になる。

そもそもアドエスの初期ユーザが二年縛り終了を迎えるこの時期にスマートフォンのリリースをwillcomが一切予定してないことが絶望的な問題なのは確かだ。アドエスは3年も4年も満足して使える端末ではない。いや、今度こそ本当に一般ユーザ、少なくとも一般のスマートフォンユーザがwillcomに見捨てられたという可能性だってある。WILLCOM COREで忙しいのかもしれないし、会社自体がヤバいらしいのは知っているが、これじゃああんまりだ。まあ、あんまりだからってまだ見捨てたりはしないが。

というわけで、二年縛りの年季が明けるにしては憂鬱なのだ。
今から2年くらい前に「WEB2.0の憂鬱」というのを書いた。

少人数で立ち上がるステキなサムシング(たいがいはWEB2.0的な何か)の場合、初期段階でWEBディレクターが仲間に入れてもらえる余地はまずないのだ。

というのが要旨。

で、だ。そういう場合はwebディレクターがいなくてもたいして困らないのは残念ながら今もそんなに変わらない。じゃあ、なんでwebディレクターという役割があるのか。本当に必要なのか?不要なのを隠してるんじゃないのか?ということについて考えてみる。場合によっては私のような穀潰しに仕事の口を与えるためだけにある、という結論にもなりかねないわけだけれど、もしそうなったら「夢オチ」ということにするので、読んでいる人も「な~んだ、夢か」で済ませてください。

さて冒頭でも書いたように、個人サイト以外でもwebディレクター不要な場合はある。自分が思いつく範囲では以下のような場合だ。

・誰が何をしているのかや案件がどんな状況なのか容易に把握可能で、外部との遣り取りがほぼない。

たぶん受託でもそうでなくても、会社だろうが有志だろうがこれだけ。案件に関わっているメンバー全員が、自分以外の誰が何をしていて、案件は今誰の手元の作業でどんな進捗なのか知っている。あるいは簡単に分かるというなら、webディレクターがそれを把握し個々人は自分の役割に専念する、という構図はいらない。
また外部との遣り取りがないなら窓口に立つ人も不用だし、打ち合わせに出向いて時間を取られる人だって要らなくなる。

これはどういう状況かというと「関係者は多くて数人、メンバーは全員同じ案件だけを担当している」という状況だ。これはたとえばAさんは"○"と"×"を担当しており、Bさんは"○"と"△"、Cさんは"○"と"◇"を担当しているというのではなく、AさんもBさんもCさんも"○""×""△""◇"を担当している、ということだ。

前者だと各人は自分の担当外の3つの案件についても把握してないと全体の状況がつかめないし、全体の状況がつかめないとスケジューリングだの優先順位の設定だのにも支障をきたす。
全部で4つくらいなら案件規模によってはどうにかなるかもしれないが、実際には受託であれ自社であれ、大小含めてもっとたくさんの案件が存在し、人によってどれにどれくらい関わっているのかは違う。案件といって不正確なら、「事柄」と言い換えてもいい。

webディレクターが居ればそれ以外の人は自分の役割に専念し、自分に必要な事柄だけを把握していれば済む。もちろん必要じゃない事柄についても把握しているのは望ましいが、それが「負担じゃない範囲で、だいたいで、本人の好きなだけ」でよくなる。逆にwebディレクターは自分と同じ案件を担当している人がそれ以外にどんな事柄にどれだけ関わっているのかをきちんと把握していないと、フタを開けてみたら案件が破綻した、なんて事態になりかねない。

外部との遣り取りについても、webディレクターが居れば「誰が返事をするのか」「誰が打ち合わせに行くのか」も問題ではなくなる。連絡する側も「これは誰に連絡すれば?」ということがなくなる。打ち合わせによっては実際に作業する人も行った方がいいようなものだって多いけど、たとえば顔合わせや簡単なオリエン程度、漠然とした引き合いとかだと「とにかく誰か一人」が行けば済むので、webディレクターがいけばいい。webディレクターが居ないと「その日時で誰か手の空いてるヤツ」をいちいち立てることになるか、不必要な人数で出かけることになる(ただし、その程度の打ち合わせなら営業が行くという選択肢もある)。

あとまあ、見積りor予算を誰が作るのか、という点だってwebディレクターが居なければ都度都度「誰が作る?」から決めるか、「このメンツで一番そういうの得意な人」を選ぶようなことになる(これもまあ、受託なら営業が作るという手はある)。
 ※もしプロデューサーが居るなら、上記「打ち合わせ」「お金」はプロデューサーが担当するのでもいい。

というわけで、雑事を任せて各自が自分の役割に専念することも、その気になればそれ以外に関わることも「選択できる」ようにするためにwebディレクターは必要だ。「選択不可」で雑事を各自が負担しなければならないと、案件、ないし事柄が増えたときに各自の本領にさけるパフォーマンスが見る見る低下する。

他にもある。「これってどうするの?」を聞く相手としてのwebディレクターだ。
LingrとRejawサービス終了とか。」で書いたし、この間もどこか解散した会社がそうだったように思うのだが、「合議制」で物事を進めるのはweb制作において、あまり有効な方法じゃない。全員が納得すか多数派が出るまで先に進めなくなる。
というわけで、案出しレベルでは各自が意見を述べるにしても、最終的にその中のどれで行くかを決める役割の人を立てた方がいい。もちろんwebディレクター抜きで、他の誰かがその役割を担ってもいいのだけれど、全員が何がしか自分で制作している部分があると、意思決定において納得できない人から不要な詮索があったり、禍根を残すこともある。その一方で制作自体は自分でしてないwebディレクターなら、まだ比較的「中立」っぽい。まあ「あいつばっかりひいきしやがって」的なことは思われることがあるかもしれないが、それはそのwebディレクターの態度の問題である。

組織形態や規模によっては上位の役職者がさらにそれを決済することもあるだろう。がまあ、現場レベルでの意思決定者はやはり必要だろうし、その役割を「自分で制作しない」webディレクターが担うのはわりに妥当なんじゃないかと思う。まあ、プロデューサーが居ればその人が決めるだろうが。ともあれ、だから「これってどうするの?」を聞く相手というわけだ。もちろん「これってこうしたい」でもいいけど。

というわけでwebディレクターは必要なように思うのだけれど、どうだろうか。説得力あるだろうか。「ない」と思った人は「夢を見た」ということにしてください。

えっと、そもそも何でこんな話をまた書こうと思ったのかというと、ブログは書きたい気がするのだけれど、肉体疲労がキツくてロクロクそんなにネタが思いつかなかったから。

以下、雑談。

ライブドアに櫛井さんという人がいて、エバンジェリストなんだそうだ。で、そのBlogによるとこの役割について

ITとかだと自社の製品の素晴らしさを伝えたりする役割の人で、大手の企業さんにはチラホラいるらしい。自分としては、技術のすごさとか可能性をもっと色々な人に伝えていきたいと思っているのでちょうどよい肩書きになったかなと思っている。

で、今後は一言で言うと「webってすごいぜ!」てのを色んな人に伝えたい。webはただの流行じゃなくて生活のインフラになるものだし、実際なっているし使いようによっては人生変えちゃうもんだよっていうのをバーンといきたい。

この機会に他社さんには思い切ってノープランで挨拶とか行きたいなーと考えているので、宜しくお願いします!(とはいえ色々とコンテンツやらソリューションやら売り物はあるのでまったく手ぶらで行こうとは思ってません)

というふうに書いている。いずれも「webディレクターを卒業した」という記事より。エバンジェリストとは、元々はキリスト教で福音を伝道する「伝道師」のことで、福音ってのは大まかに言って「イエス・キリストが生まれてみんな救うよ!」っていう耳寄りな情報のこと。
で、(初期はともかく)キリスト教において福音を広めるために欧州内だけを往来したり、方々のキリスト教の教会ばかりへ行く伝道師なんて居ないように、櫛井さんという人も「webのすごさ」「livedoorの素晴らしさ」が知られてない会社や人へそうした事柄を伝道すべく活動しているんだろうと思っている。

しかし、残念ながら櫛井さんのBlogで読めるのは

さて、伝えると一口に言っても伝える方法は様々あると思ってる。今までにやったので言うと、livedoorディレクターBlogもその方法の1つだしEDGEも勿論そう。イベントとかに今後も出たいし、記者発表会も行きたいなーと思ってるし、マネタイズHacksとかディレクター交流会とかは他社も巻き込んでweb業界全体で Open&Share をゴリゴリしていきたい。

というわけでweb業界の人やwebに興味ある人へ向けた取り組みだったり、会社訪問にしてもweb界隈の有名どころばかりだったりする。つまり「いまさら「webのすごさ」「livedoorの素晴らしさ」の何を伝道するの?」って感じの事柄だ。

それはそれで業界を盛り上げるという意味では超重要だし、手を付けやすいところからってのは正しいし、あくまでもBlogで公開しているのがそれってだけで、実際には「webのすごさ」「livedoorの素晴らしさ」を知らない、もしくはあまり興味ない会社や人に向けての取り組みもしているのだろうけれど、それはBlogでは窺い知れない。

どういう事情でBlogに書かないのか知らないが、せっかく Open&Share なのであれば、自分としてはむしろそういう取り組みについてこそぜひ櫛井さんの視点から読ませて欲しいと思う。

【追記】
元のキリスト教のエバンジェリストって、今で言うところの「クチコミする人」だよなあ。福音を知って「これってすごい!みんなにも教えてあげなきゃ!!」って思って口伝えで教えに行く人なんだから。
だから当然、「知らない人に広めたい」がメインなわけで、知ってる人相手に「あれっていいよね!」「ねーっ!」ってことをメインにしたい感じではないんだろうな。
杞憂の類であって、実際問題ではない話。

自分がいいと思うモノをつくれ!
なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。
どちらも同じブログから。上記ブログを書いている人は「人間中心設計プロセスの上流工程での調査&コンサルティング業務を生業にしています。」という人だそうで、知らない人ではあるが、さぞかし立派な仕事や大きな視野の求められる案件をされていることと思う。

で、以下は上記記事の内容とは直接関係ないのだけれど。

意欲的な人というのはこちらが助けられる面も多く、志は大いに高く持ってもらいたい。上記ブログの人なんかもそうだろうし、その志が求められるような仕事内容なんだろう。
一方で、自分のようなディレクターが手掛ける案件というのは、そこまで大層なものなどほとんどない。飲食店で言うならミシュランに載るような勢いで料理王国に掲載されるような店ではなく、近所の人しか来なくて、A定食(しょうが焼き定食定食680円)食べてまあ「値段の割には」量も味もいいよね、とかそんな感じの店だ。それはそれで、ないと困る類のもの。

で、そういう感じでもやはり制作スタッフの人は志が高くモチベーションを持った人の方がいいのだけれども、そもそもそんな大層なことやってないし、ともすればこちらが心をバキバキに折ってしまうんじゃないかと心配になる。たとえば上記「なんでもかんでも~」の記事にあるように

自分たちがまずどんな社会を実現しようか、そのためにどんなものをつくりだそうかという哲学・ヴィジョンがなければ、ユーザーの生活を観察したって何も見えてはきません。

というようなことをわりと真面目に思ってるような人。いや、上記ブログの人は大丈夫だろうし、そう思ってても上手く折り合いつけてくれたら心配ない。けど、たまに心配になる。

他人の意見に左右される前に、自分がいいと思うモノをつくれ!とつよく思います。
自分が何をいいと思うかをその根拠とともにはっきりイメージできるようになれ!と感じます。

とも書いてあるけれど、自分なんかが手掛ける案件だと受託なので「まずクライアントがいいと思うモノを作ろうとしてくれ!」と強く思う。それが「自分でもいいと思えるモノ」なら言うことないけれど、クライアントがまったく評価してくれないときに「自分がいいと思うモノ」という点を重視しすぎていると、ともすればモチベーションがダダ下がりになったり、迷走しだしたりすることがある。そうならないようにうまくディレクションする必要があるのはこちらの役目だけれど、如何ともしがたく作り直しになるケースはあるわけで。そうなったらどう伝えようと「ダメだったから作り直し」という点は同じなわけで…。

いや、実際にそこまで判りやすいケースってないし、自分が一緒に仕事させてもらってる人たちはちゃんとやるべきことはやる、というスタンスだし、別にこんな経緯で心が折れたりとかはしない。たいていの人もそうだろう。なので杞憂なんだが、どうにも上記ブログに限らずこういうポジティブかつ志高い話を多く書いてるブログ目にすると、もちろん書いてる本人はちゃんとやるべきことを問題なくやってるんだろうし、どんな案件を手掛けてるか知らないけど、自分的にはちょっと怖い話だ。

同様の伝で
情熱をつなぎとめる努力をしよう
という記事も読んででちょっと肝が冷える。そりゃ情熱はないより有った方がいいけど、有るうちは特に問題ないわけで、むしろ「情熱ないときもないなりにちゃんとやる努力をしよう」とかの方が読んでて怖くない。
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