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泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

このごろ「HTML5があればFlashは不要」みたいなほとばしった意見を見かけることがある。そうなるかどうか、いつごろそうなるか、という点はよく判らない。どうせ棲み分けしていくんだろうけど、そうなったとして、それぞれの局面でどちらで実装するかディレクターが判断することになるんなら、ちょっと面倒だ。

ここで少し余談。Flashが担っていた部分をHTML5に置き換える理由って色々とあるだろうけど、「オープン性」を挙げている人がiPhoneやiPadについて賞賛しているのを見ると、どうにも収まりの悪い気持ちになる。なんで? と言われそうだが。

余談はさておき。「FlashをHTML5で代替する」という可能性について少し違った切り口で考えてみたい。

棲み分けがなされたとして、HTML5でやりましょうとなったとき、では誰にやってもらうのか? というのはちょっと気になる。いやまあ、アサインできる制作スタッフのうち「できる人」なんだろうけど。
Flashでの制作をお願いする場合って、以下を含むと思う。
・動きのデザイン
・パーツ類のデザイン(場合によっては)
・Flashでの実装
で、これの三つ目がHTML5になるわけだ。

「とにかくできる人に頼む」という状況でもなく、制作側の人員がそれなりに分業している場合、これは誰に頼めばいいのだろうか。

・マークアップエンジニア
 →HTMLだからね! という発想。しかしHTML5のFlashと置き換わる部分というのは従来のマークアップと別物っちゃあ別物だろうし、だいたい急に「動きのデザインやって。ボタンとかのデザインも」とか頼むのってどうなんだろうね。まあ、動画の埋め込みくらいなら一も二もなくお願いすりゃいいんだろうけど。そもそも、JavaScriptが絡むんだよね? これって?

・Flasher
 →フラッシャーって未だに正しい呼称なのか分からない。和製英語、じゃないのだろうか。ともあれ。彼らは一つ目と二つ目はこれまでもやってきたことだろうからお願いできるだろう。しかし「HTML5で実装」というのができるのかどうかはその人次第だし、Flasherに頼むならFlashで実装してもらやいいじゃん、という気もする。

・webプログラマ
 →HTML5には諸々JavaScriptとか絡んだりしてwebプログラマに頼むのがいいようにも思うが、ブラウザ上で動作するアプリの開発ならUIのデザインなんかは別途デザイナーをアサインして普通のアプリ開発みたいにやるだろうからまだしも、ちょっとした部分についてわざわざそこだけ頼むのもスッキリしない話。JavaScript部分の素養が期待できる点では良さそうだけれど。動きやパーツのデザインをやってくれたとして、出来栄えはかなり属人的、というかwebプログラマ的には余技の範疇だしなあ。

・第3のビール
 →というのは冗談だが、Flasherと同じ作業内容で、ただし実装方法がHTML5+αという専門職種がいつの日か出てくるのかも。

正直、私自身まだHTML5とかそこまでちゃんと把握してるわけでもないので見当違いな話かもしれないけれど、jQueryなんかの「Ajaxライブラリ」での動きの演出も、というか、どこにどういうふうに導入するかも含めて、分業化していると誰にやってもらうのが最適解か、ちょいと迷うときがある。カスタマイズをたいしてしないなら、マークアップエンジニアにやってもらえばいいんだけど。

というか、ガワの部分でも実装方法が多様化してくると、どれで誰にやってもらうか考えるのでディレクターはちょっと頭痛いのですよ? 私だけかもだが。
なんとなく、どこぞのライフハック記事にでも書いてありそうな気がするけれど。

状況や立場にもよるが、webディレクターというのは一つのことに専念するということが難しい。なにを持って「一つのこと」とするかにもよるが、むしろ一つのことに専念してしまうと色々と弊害のある場合も多い。
というのも、複数の案件にまたがって「あれはどうなっているか。これはどうなったか」ということに目を向け、注意を注ぐ必要があるからだ。一つの案件でさえ、分野的にはweb制作における他の職種よりも多くに注意を向ける必要がある。

他の職種だって複数の案件を担当していたり、その案件の規模によっては担当領域の多くの事柄に注意を向ける必要がある。しかし、その場合も同じ案件を担当しているwebディレクターはそれら職種の人のやっていることに加えて、webディレクターだけが注意を注ぐべき事柄も相手にすることになる。乱暴に図式化するなら、注意の方向性について「webディレクター/他の職種=広く浅く/狭く深く」というイメージだ。

例えてみるなら、webディレクターは複数のDVDプレイヤーで再生されている映画を同時に一つのモニターで、せわしなくスイッチングしながら観て、その内容を最大限に理解しようとするようなものだ。おまけにこの映画は一度再生が始まると途中で停止できない。むしろトラブルで勝手に停止していたら、再生ボタンを押す必要がある。

だからといって、他の職種よりwebディレクターの方が大変な仕事だというわけではない。たんに「割り振るべき注意の対象が多い」というだけのことで、その点では大変かもしれないが、他の職種よりよっぽど楽な部分もある。どちらが、という話ではない。

さてそこで。言うまでもないが、神ならぬ人間の身としては持っている注意力は有限である。全てに等しく最大の注意を払うというわけにはいかない。
そこで、何らかの指標で以て優先順位を設け、着手する順番だけでなく振り向ける注意の割合についてもこの優先順位に従うというのが常道だろう。「影響が大きい」「クライアントが厳しい」「想定スケジュールとの乖離度合い」などなど指標によっては、この優先順位リストは着手順とはまた違ったものになるかもしれない。

この方法では優先順位を測る指標やそれに基づく優先順位の決定が難しかったり、リストアップすると上位だけで振り分けるべき注意力が尽きてしまうこともある。あと、どれにどれだけの注意力を振り分けるのが妥当か判断しづらかったり。もちろん、注意力は明確な数値ではないけれど。

でまあ、こういう難点のためではないけれども、私は「なににどれだけ注意を払うか」ではなく「注意を向けなくて良いものはどれか?」という形で把握するようにしている。なんといっても、何かに注意を向けるより、向けずに忘れてしまう方がずっと楽だからだ。

このために一番いいのは「とっとと片付ける」で、前にも書いた気がするが、私が「すぐ終わることはすぐやる」という方針にしているのはそのためでもある。終わったことは次に必要になるまでいったん忘れてしまっても大丈夫。「次に必要なとき」が永久に来ないこともあるし。
他にも「放っておいても問題なく進む」「放っておいてもアラートが来る」「把握すべきポイントが明確」などなど、あまり注意を向けておかなくても大丈夫なものというのは、その気になれば非常に分かりやすい。

もう一つの考え方としては、案件ごとに「最低限なにを把握してないといけないか」を早々に掴む、ということがある。それさえ掴めれば、他の点はあまり注意を向けていなくても済む。

そもそも「あまり注意を払わなくていいもの」というのは自然と注意を払わなくなるのだが、それを早いうちに意図的にやる、というのがポイントといえばポイントである。こうして「注意を向けなくて良いものはどれか?」が明確になれば全体からそれを差っ引いて、残りが「注意を向けるべきもの」となる。じつに簡便だ。

「注意を向けるべきもの」についても「どれだけの注意を払う必要があるか」よりは、時に応じて「どれだけ注意を払わなくていいか」という点から把握しているとあまり迷わないし気が楽だ。

このブログの常で普通の話を仰々しく語っているけれど、さらに言い換えるならここまでの話はつまり「使う注意力を最低限にする」という観点でタスクを見るということだ。上手く説明できているか心もとないが、「効率化によって使える注意力を最大化する」のとは違う。

凄いこと、大きいことがしたいと思っている人には悪影響な気もするが、仕事に限らず「最低限」をはっきりと把握しておくことは何かと精神衛生上良いので、気が向いたら試してみて欲しい。
webディレクターにとっては、人から少しでも早く返事をもらうために粉骨砕身するのも大事な仕事のひとつだ。
そもそも出したメールになかなか返事が来ないなんてのはザラで、その理由も「現在確認中。確認が取れたら連絡しようと思ってた(ら、ずいぶん間があいた)」「忘れてた」「見落としてた」「あえて無視してた」「忙しいので後回しにしてた」などなど多岐に渡る。

と、そんな日々にあって以下の記事を目にした。
相手に負担にならないメール返信の催促の仕方
読んで思ったことはひとつだけ。

「こんなことで返事が来るんなら世話ねーよ。ナメてんのか?」

いやまあ、絶対に来ないとは限らないけれど、困るのはこういう「書けて当然の初歩的な確認メール」で返事が来ない場合だろう。そして、そういう状況は往々にしてある。

と、その後に出てきた記事が以下。
『相手に負担にならないメール返信の催促の仕方』をもうちょっとだけ科学する
挙げられているのは効果の不確かな小手先の技だけれど、これは共感できる。というのも、メール(に限らないが)の返事をもらう方法として比較的広い状況で使えるのは「とにかくもう知ってる限りの小手先の技を弄しまくる」ということぐらいだからだ。一つ一つはおまじない程度の効果しか期待できなさそうなあの手この手を束ねて使う。まあ、個人的な経験則だけど。というか、まずその前に相手へ電話しろ。電話。捕まえたらその場で相手にメールへ目を通してもらえ。もしくは返事がない理由を聞け。

と、本題は以上なのだけれど、おまけで自分も小手先の技を少し追記しておく。

・「ウドで訊く!」方式
→ちゃんと観たことないのだけれど、「ウドで訊く!」という番組がある。ゲストに対して別室の人がウドを通して質問させるような番組。これに近い。自分ではなく誰か別の関係者を通して聞いてもらう方法だ。ディレクターなら制作スタッフだと良い。
聞きにくいから他人に聞いてもらうというものではない。いつも同じ人から確認を出していると「またこの人かよ」と思われるばかりで印象に残りにくい。というわけで「同じことでも変化球的に知らない人から聞かれると印象に残る」を狙ったもの。人は同じ刺激を受け続けると慣れて感じなくなるって言うし(少しだけ科学してみた)。また、いつもの人ほど馴染んでない相手から聞かれる心理的プレッシャーも期待できる。

・「昨年」って書く
→この時期限定。つい一週間ほど前の話でも「昨年お出ししたメール」と書くとずいぶん前のことのように思えて相手に「ヤバい」と思ってもらいやすい。

・CCに入れる
→返事が欲しい人とは別の関係者にToで確認メールを出す。本当に返事が欲しい人はCCに入れる。CCに入れられた人がToの人に面倒かけてると思ってもらうのが狙い。ただし、Toの相手へメールするのが筋違いな場合は普通にマズいので、使える場面が限定的。

以上。これで効果があるか? たぶん、おまじない程度には。しかし、どうしても電話ができないorしたくない場合はとにかく思いつく限りの小手先の技を駆使してみてください。
「位置ゲー」が注目を集めているらしい。本当かどうか知らないが。手がけたことはないから勘違いは多々あるだろうが、そういうジャンルのゲームを企画提案する機会が今後ないとも言えないので、ちょっと考えてみたい。考えてみたいとは言ったものの「なにを考えれば良さそうか」についてまとめてみる、と言ったところか。

位置ゲーは「量」「質」大きく分けて二つある。「量」は移動距離、「質」は「どこへ行ったか」という部分がゲームに反映される。もちろん「量と質」のハイブリッドもある。

「量」を反映させるゲームは「質」に比べて開発する際に必要なネタの数が少なくて済む。どこへ行ったかによって、発生させるものを変えなくてもいいからだ。シンプルな例だと移動距離によって何らかのポイントが加算されるシステム。距離とポイントの割り振りさえしてしまえば、「位置ゲー」として考慮する部分はとりあえず出来上がる。

一方で「質」は必要なネタの数が多い。違う場所へ行けば違う何かを発生させる必要があるからだ。この「行き場所に応じて違うことを発生させる」という場合は「範囲」と「粒度」が重要になってくる。
「範囲」というのは文字通りで、全国にするのか、特定の場所に限るのか。「粒度」というのは「どれくらい細かく要素を分割するか?」で、都道府県なら最低でも47のバリエーションを考えれば済むが、市区町村レベルになると一気に膨大な数になる。あるいは「ケータイ国盗り合戦」「ココ釣りマスター」のように分割を現在の都道府県や市区町村ベースにせず、それでいて全国を対象とすることも考えられる。言うまでもなく「全国」という範囲の方がそれだけ多くの人を「見込みユーザー」にできる。範囲限定なら自治体や企業など、どこかしらとのタイアップ的なものになるだろう。

この「粒度」がなかなかの曲者で、細かすぎると要素をそれだけ揃えるのが難しく、広すぎると物足りない。また、都道府県レベルの粒度でも「外出はよくするけれど、ゲーム上では同一区域内ばかり」という人の場合、早々に飽きられてしまう。「ケータイ国盗り合戦」でも日替わりクイズやコミュニティなど、「同一区域内しか移動しない期間」でも遊べるような要素を取り入れている。その意味ではサービスが位置ゲーのみで自立していない、とも言える。

こうした位置ゲーの話でよく取り上げられるのが「出張の多いビジネスマンに人気」というもので、考えてみればケータイゲームのメイン層である中高生はそうそう都道府県をまたいだ移動などしない。位置ゲーのためだけに遠征するという人も少ないだろう。その点、出張が少なくても大人ならこのために都道府県をまたいで移動することだって比較的やりやすい。「量」に比重を置いたゲームでも、「通学」に比べればおおむね「通勤」の方が移動距離は多く有利だろう。
ということは、演出にせよなんにせよ、この手のゲームを企画するときは中高生ではなく大学生以上をターゲットとした方がよさそうだ。

また、「妄想の監獄」は「相対位置情報」を採用しており、ゲーム内の移動のために現実の場所移動をしなければならない、という形をとっている。発想としてはファミリートレーナーのようなものだが、「量」「質」以外の扱い方もあるということに気付く。

個条書きにすると、位置ゲーを企画する場合は
・「量」「質」以外の扱い方を模索するか
・「量」「質」どちらに比重を置くか
・両方の場合、どのような混ぜ合せ方にするか
・「質」の場合、「範囲」と「粒度」をどう設定するか
・移動によってなにが発生するのか
・移動がないときに何をさせるか
・大人向けとしてどういう見せ方をするか
というところだろうか。

今のところ「位置ゲー」と言えば携帯電話がその代表だが、これからネットブック他「ケータイ以外の携帯デバイス」の普及が進めば、より複雑で要素の多い「手の込んだ」ものも増えてくるだろう。まあ朝から晩までPCの前に座り、通勤と休日のちょっとした外出以外はあまり出歩かない自分にとって、プレイヤーとしてはあまり魅惑的なジャンルでもないのだけれど、作る側としてはまだまだ伸び代があって面白そうな分野ではある。
若干、承前気味な話。

先日、GREEがPC版サイトのリニューアルを発表した。リニューアル内容は以下。
・Twitterライクな「ひとこと」機能の導入
・ニュースの配信
・UI刷新
・カスタマイズスキンの導入
・アバター、ゲームのPC版サイトでの利用
・Twitter連動
・iPhone対応
このうち、「ゲームの導入」「iPhone対応」は時期検討中とのこと。

PCのweb界隈では最後の二つが注目を集めていたようだけれど、まあそれはこの記事ではどうでもいいので触れないから安心して欲しい。みんな、TwitterやiPhoneの話は聞き飽きてうんざりだろう? 私も最近はこの二つのフレーズが視界に入っても無駄なバナー広告と同様、深層意識が勝手にスルーして認知してくれないんだ。さすがに飽きた。

さてさて注目したいのはプレスリリース末尾の一文。

グリーでは、今後モバイル版のみならずPC版も含め、コミュニケーションとエンターテインメントを楽しめるコンテンツのさらなる拡充を図ることで、より強固なユーザー基盤を確立し、国内におけるナンバーワンコミュニティサービスを目指して参ります。

つまるところモバイル版だけでなくPC版にも注力してくよってこと。PCサイト発祥のmixiがモバイル版をオープンしてそれなりに成果を収めていることを意識して、というのはあるだろう。

mixiがモバイル版をオープンして起きたことは色々あるけれど、会員獲得という点では以下。
・今までケータイでのブラウジングが主だった人から会員が得られるようになった
・今までPCの前にいるときしかmixiに滞在しなかった人に、それ以外の場面でも滞在してもらえるようになった
要するに「潜在ユーザの増加」「訪問可能性の増加」ということだ。

今回のGREEの動きはこの逆で
・今までPCでのブラウジングが主だった人から会員が得られるようになった
・今までケータイ使ってるときしかGREEに滞在しなかった人に、それ以外の場面でも滞在してもらえるようになった
正確にはどちらも「なった」ではなく「会員を得る可能性が増した」「滞在してもらえる可能性が増した」だけれど。これもつまり「潜在ユーザの増加」「訪問可能性の増加」ということだ。

GREEのこの方針はとても腑に落ちる。今のまま「ケータイでのブラウジングが主」という人だけをメインターゲットにしていると、早晩かなり辛くなってくるだろうからだ。それを避けるには「潜在ユーザの増加」が欠かせなくなる。そこでPCでのブラウジングが主という人を潜在ユーザにするなら、仮にモバイル版をまったく利用しない人でも入会する気になるような施策が必要になる。それを受けての「PC版リニューアル」であり「今後モバイル版のみならずPC版も含め」なわけだ。

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ところで伏線です。相変わらず広告だの小額課金だのでの収益の上げやすさはPCサイトよりケータイサイトの方である。
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さて、少し前までブラウジングについて「ケータイは若年層、PCはそれより上が多い」という見方がそれなりに語られていた。根拠になりそうな数字もあるのだろう。今でもそうかもしれない。しかし、そうした見方が流通しだしてから数年。今では「主にブラウジングはPCだが、ケータイサイトも見ないでもない」という人がかなり増えてきていると思う。で、仮にPC版とモバイル版で同じようなサービスを提供しているサイトがあって、運営としてどちらを利用して欲しいだろうか?

ここで伏線に立ち返ると、比較して収益の上げやすいモバイル版の方ということになる。狙いたいのは「モバイル版からPC版へ」ではなく「PC版からモバイル版へ」という人の流れだ。都合がいいことに「主にブラウジングはPCだが、ケータイサイトも見ないでもない」という人は増えている。こういう人は「PCが主でモバイルではほぼまったく見ない」人よりも遥かにケータイサイトへ引っ張って来やすい。

さらに、ここで前回の記事とも関係するが、そういう人が普段見ているPCのインターネットは「1対多」の効率的な情報拡散がケータイのインターネットよりも起きやすい。できることも多い。「モバイル版からPC版へ」よりも取り組みがしやすいのだ。まあ「モバイル版からPC版へ」という目論みが必要なケースなんて思い浮かばないけれど。

腑に落ちた理由がもう一つある。このところ自分が関わらせてもらっているケータイサイトについて、「主にブラウジングはPCだが、ケータイサイトも見ないでもない」という人を引っ張ってくることが重要で、それにはどうするか? というのを考えていたからだ。自分の場合はコンテンツを売っているサイトなので「PC版とモバイル版」というわけではないのだが、たまたま似たような課題意識が念頭にあった。(前回の記事はそうした課題意識が芽生えた背景でもある)

いや、念頭にあったとか書いているけど、ここまでGREEについて書いたことは自分の推測でしかないので、GREE側は全然そんなこと思ってないかもだけど。

かつて「モバイルサイトやwebサービス作成時にPC側をどうするか」という記事を書いた。その記事でモバイルサイトが主の場合、PCサイトが担う役割は補助的だったり軽いものだとしていた。だが今後、その役割はもっと大きなものになっていくんじゃないかと思う。

スマートフォンが主流になったら、もっと全然別の関係性や展開になるんだろうけど。