さて本題の前にコロナに関する役立つ情報を
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動画:ブッチャーさん、青木さん、信吾さんに続きPONTAさんまで・・・
青春のメロディを支えた名人がまた一人旅立ちました。村上“ポンタ”秀一、日本のドラムの第一人者です。まずは故人のご冥福をお祈りいたします。
齢70、さすがに早すぎるなんて言葉は似あいませんがでももう少しその演奏を聴いていたかった気がしますし、何よりあの名曲を支えた名人がいなくなったのが何よりも寂しい限りです。
そんな名人と多くのセッションを重ねてきた男の言葉は非常に重い、「これまでの自分の人生の確認とこれからへの覚悟」なんて言葉は冴えないおっさんには重いものの一方で人生の大変な時期を共に歩み、「私的な部分で支えてくれました。」なんて言葉まで出てくる相手と言うのはその重さにふさわしくかつそんな存在が少なくない数いたというのはうらやましい限りです。
きっと彼らはリアルなステージやスタジオ、飲みの場で出会い、そのプレイやお酒を媒介に、その繋がりを強めていったのでしょう。
しかし角松敏生や村上PONTA秀一たちが世に出ていった時代とは随分変わって来てしまったようです。上は音楽とはジャンルは違いますが、文筆家御田寺 圭氏による表現者とSNSに関するコラム、角松敏生や村上PONTA秀一達がステージやスタジオであくまで自らの音楽に専念できたのに対し、SNSを使って自ら読み手や聞き手を引き込まなくてはならない、それが出来なくてはステージにも立てない…そんな世知辛い時代になりつつあるようです。
そして更に言えば、そんなSNSの顔の見えない世論と向かい合い、品行方正な表現者だらけになった社会は一種のディストピアでしかないのではないでしょうか?
例えば「おれ前の列の赤い服の女がいいな」なんて合いの手のある曲や「女呼んで揉んで抱いていい気持ち」なんて歌詞のある曲を歌ったバンドの曲はカバーであっても一切で流せませんとなったら私の様な1990年代に青春を過ごした人間にとっては寂しい事になるでしょうし、もしかしたらその子供世代にとっても寂しい事になるかもしれません。
セクハラ気味の歌詞を歌うアーティストだけが名曲を歌うわけではないのは確かですが、そんなアーティストにもきちんとチャンスが与えられる懐の深さがより芳醇な音楽や文化を生み出す事だけは確かです。
何だか変な方向にずれてしまいましたがPONTAさんの旅立った先に私が行ったときに素晴らしいセッションが見られるのを楽しみにしつつ、今この場所の音楽や文化が芳醇なものになるために何かしらできることはやっていこうと思います。
なんだか変な締めになりましたがこの辺で失礼します。
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動画:ブッチャーさん、青木さん、信吾さんに続きPONTAさんまで・・・
訃報@村上“ポンタ”秀一公式HPより
村上“ポンタ”秀一が2月8日に視床出血により入院しておりましたが
令和3年3月9日享年70歳にて永眠いたしました。
葬儀・告別式は親族のみで執り行いました。
ここに生前に賜りましたご厚誼に深謝し謹んでご報告申し上げるとともに故人のご冥福をお祈りいたします。
青春のメロディを支えた名人がまた一人旅立ちました。村上“ポンタ”秀一、日本のドラムの第一人者です。まずは故人のご冥福をお祈りいたします。
齢70、さすがに早すぎるなんて言葉は似あいませんがでももう少しその演奏を聴いていたかった気がしますし、何よりあの名曲を支えた名人がいなくなったのが何よりも寂しい限りです。
角松敏生@Facebook2021/3/15より
私信
肉親や親戚、親しい友人、知人の逝去の報に向かい合うたびにいつも考えることは、
これまでの自分の人生の確認とこれからへの覚悟ですよ。
おかしな言い方ですけどね、こんなご時世のおかげでね、
信吾とはまだお別れをできないでいましてね。
というか、別にこの後もそんなことわざわざするつもりもないし、する必要もないと思っていますよ。またいつでも、スケジュールが合えばうちのスタジオの扉を開けてまたあの仏頂面で「よ」と、入ってくると想っています。
あ、そうだポンタさん、また何かお願いしたいことあったらよろしくお願いしますよ。
昔の話もしたいし、最近、よく思い出すんですよ。
あの頃は、お世話になりました。仕事もそうですが何より私的な部分で支えてくれました。
ありがたかったなぁ。
今年、40周年なんすよ、あれから5年、あっちゅう間ですよね。
ギリギリでなんとかやってます。まぁ不安じゃないと言ったら嘘になりますがね。
そのうち僕もそちらのスケジュールに合う時があるでしょうからね、
その時は、お会いできるのを楽しみにしてます。
角松敏生
そんな名人と多くのセッションを重ねてきた男の言葉は非常に重い、「これまでの自分の人生の確認とこれからへの覚悟」なんて言葉は冴えないおっさんには重いものの一方で人生の大変な時期を共に歩み、「私的な部分で支えてくれました。」なんて言葉まで出てくる相手と言うのはその重さにふさわしくかつそんな存在が少なくない数いたというのはうらやましい限りです。
きっと彼らはリアルなステージやスタジオ、飲みの場で出会い、そのプレイやお酒を媒介に、その繋がりを強めていったのでしょう。
「SNSの文章はまずいから見ない」村上春樹にそう言われたSNS世代からの反論@President2021/3/16より
村上春樹はSNSを一切見ないという。
曰く、なぜなら、そこには人生を豊かにする「いい文章」がないからだ。~中略~
文筆家はPVを気にするし、アーティストはダウンロード数を、ユーチューバーは再生数やチャンネル登録者数をそれぞれつねに気にしなければならない。より近くなったファンの声をダイレクトに受け取り、より多くの人から喜ばれるよう「マーケティング」することにも余念がない。積極的にSNSを運用して告知・宣伝し、ひとりでも多くのオーディエンスを引きつけることを強いられる。~中略~
だが、若い世代の表現者たちはみな、自分たちこそが「ソーシャルなメディア」としてふるまわなければならない時代に生きている。それができない表現者には、そもそもお呼びの声がかからない。プロとして食っていけない。やっていけない。
しかし角松敏生や村上PONTA秀一たちが世に出ていった時代とは随分変わって来てしまったようです。上は音楽とはジャンルは違いますが、文筆家御田寺 圭氏による表現者とSNSに関するコラム、角松敏生や村上PONTA秀一達がステージやスタジオであくまで自らの音楽に専念できたのに対し、SNSを使って自ら読み手や聞き手を引き込まなくてはならない、それが出来なくてはステージにも立てない…そんな世知辛い時代になりつつあるようです。
「SNSの文章はまずいから見ない」村上春樹にそう言われたSNS世代からの反論@President2021/3/16より
表現者がSNSと強く結びついてしか、自身の表現活動が成り立たせられなくなるという状況は、とりわけ若い表現者たちの「自主規制」を加速する流れにもつながっていくだろう。
「炎上」が起きてしまった際のリスクは、ダイレクトに自分自身へのダメージへと変換されてしまう。SNSの社会への影響力はますます高まっており、多くの人からの非難やバッシングを浴びてしまったときのインパクトは計り知れないものとなりつつある。~中略~
SNSは多様な意見や価値観を包摂し肯定する自由を旨とする場であると考えられがちだが、現実的にはそうではない。その実、社会的・政治的・道徳的・人権的にただしいと認められたもの以外に対しては、きわめて厳しい視線が向けられる。SNSは不寛容で排他的な空間であり、全員で遠慮なく石を投げられる「不届き者」をつねに求めている。
個人的な意見にしても、表現者のアウトプットにしても、大勢の人から「ただしくない」と判断されるものには、容赦ないソーシャル・スクラムが向けられる。激しいバッシングのなかで人格や社会的名誉が破壊される。今日それは「キャンセル・カルチャー」と呼ばれ、社会問題にもなっている。結果としてSNSが社会と強く結びつく時代には、だれもが穏当で当たり障りのない「ただしい」ことしか言わなくなっていく。
そして更に言えば、そんなSNSの顔の見えない世論と向かい合い、品行方正な表現者だらけになった社会は一種のディストピアでしかないのではないでしょうか?
セクハラ気味の歌詞を歌うアーティストだけが名曲を歌うわけではないのは確かですが、そんなアーティストにもきちんとチャンスが与えられる懐の深さがより芳醇な音楽や文化を生み出す事だけは確かです。
何だか変な方向にずれてしまいましたがPONTAさんの旅立った先に私が行ったときに素晴らしいセッションが見られるのを楽しみにしつつ、今この場所の音楽や文化が芳醇なものになるために何かしらできることはやっていこうと思います。
なんだか変な締めになりましたがこの辺で失礼します。