誰かのために書くとか、評価欲しいから書くとかが間違いなのかは個人の判断に任せるけど、わたしは続けてると苦しくなる。
けど、書いたら何らか反応欲しくない?って思うんだけど。
いや別に好き!とかすごい!とかなんかそういうのじゃなくても全然いい。既読がわりのふぁぼでもいい。感想ももらえたら嬉しいけど、なんか、おっ書いたん?ええやん程度でいい。
って思うの強欲なんだろうか?
でも創作じゃなくても自分の行動に見返り求めることって多々あると思う。自分がした行動の見返りを、意識的にか無意識的に求めてるかの差異はあれど、少なからず誰しも求めてると思う。
創作者として底辺にいるわたしなんかはもう読んでもらえるだけで僥倖。
詳しく知らないんだけど2期がまたなんかいろいろ燃えてるみたいだけどさ。
またぞろ「製作委員会からたつき監督への脚本料の未払いがあった」みたいなのを見たんだけど、
これって「委員会ではなく、制作会社から脚本料は支払われる」のが常識って話が出て、
そしたら急にたつき監督が発言を引っ込めて、うやむやでクローズしたんじゃないの?
なんか新情報とか出たんだろうか。
うちの娘は801には全く染まらなかった。
うちには○○泉関だの「弟の夫」以前に書かれた本だの
濃ゆ~いコレクションがあるが
蔵書から敢えて遠ざけてた。
たとえばGWとかをみせても興味がなさそう。
(といっても妖怪や人外系、あとマフィアや893で絵が華奢なのが好きらしい
ブースも利用してゲームジャンルの推し単体本もいくらかは買ってるけど
商業本のほうがずっと多い。
男子が生まれたらもっと厳密に隠そうとおもってたけどうちは娘だったからまだ幸運。
仲間の801大好きAさんのおうちには男子が3人もうまれてしまい
新刊は電書で売ってあげることになった。
あと倉庫がわりにあずかるよって申し出て2箱あずかってる。
Aさんが発行した本ふくめて愛蔵本だそうだ。
たまにこっそり物心つくまえの息子に推しコスプレさせたとは聞いているが
小学生になるとそれも不可能だろう。ただの人間の子供だからな。
仲間の801読めるBさんも小説好きなのに
そのように売ってさしあげて大変よろこばれた。
人間の子どもをあずかるのは魔女ネタみたいで楽しいから育てればいいよ。
大阪が差別されてるとは感じないが、ここの人間が全員東京都内在住か通勤者であることを前提とする書き込みには、無意識の差別とまではいかないがある種のいやらしさを感じる。
やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。
ラジオから流れてくる80年代ポップスのカバー曲を聴きながら私はそう思った。
2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそうであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである。
1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしまう自分がいる。2001年、地下鉄の延伸。2002年、サッカーワールドカップ日韓共催。2004年アテネオリンピック開催・・・。小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・。
ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?
ノストラダムスの予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年の7月1日のニュースでは、アナウンサーが笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬のニュースのように・・・。
人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代や80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。
物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。
私たちの世代は昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和の最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。
歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。
これらで自分よりもはるかに魅力的な異性で性欲を満たすことに慣れきってしまい、かなり身分不相応な面食いになっていた
アプリや見合いで自分と見合った異性に対して、まったく魅力を感じず、あーーこのレベルでも結婚するまでめちゃくちゃ時間、お金、そして努力しなきゃいけないと思うと、全く結婚する気になれなかった。
風情=記憶色派?