17/08/14 失われた猫間川を求めて
ところで、OBPや大阪城ホールのあるあたりは大阪砲兵工廠だったのですが、そのころの地図には環状線(当時は城東線)に沿って、「猫間川」が流れています。昭和32年に埋め立てられてたそうです。
大阪砲兵工廠は空襲により瓦礫の山となりましたが、そのスクラップを大重量なるもモノともせずかっさらっていった人々「アパッチ族」を描いた「夜を賭けて」(梁 石日)、「日本アパッチ族」(小松左京)にも猫間川は登場します。大阪の陣でも重要な役割を果たします。真田丸の堀とつながっていたようです。これは一度探しに行くしかないでしょう!
河口部はJRの車庫敷地ですので、JR森ノ宮駅裏手からスタートして南下、遡上します。このカーブは川の形跡濃厚ですね。
ほどなくして碑文。最後の3行に猫間川が登場します。方向は間違っていないようです。
玉造駅東側の東小橋北公園。何の説明もありませんが、これぞ猫間川の川筋ではないかと思われます。公園の角で90度西に向きをかえるところも地図と一致します。
鶴橋駅では国際市場を縦断します。おそらくもう暗渠になっていたのでしょう。それにしてもおいしそうです。おっと目的を見失うところでした。
桃谷駅近辺です。いい感じの街とカーブ。遡上しています(笑)。
川の痕跡は以後見つかりません。が、突如「ねこまがわ鍼灸整骨院」。ルートは正しいようです。往時から開業されていたのでしょうか。
寺田町駅そば。その名も猫間川公園。小さいけれどきれいな公園でした。地元の方に大切にしてもらっています。ところで猫間川公園にはネコはいないのか?いました(笑)。寄ってきてはくれませんでしたが。
がんばって源流を目差します。奈良方面へのJR高架橋にも猫間川の文字。もちろん川はありません。
阿倍野区へ。区役所のそばです。このあたりになると高低差がはっきりしてきます。谷を歩いています。このあたりより向こうは地図でも川筋がはっきりせず、大きな道路で分断されていますので、一応猫間川遡上完了とします。お疲れさまでした。
せっかくですので、もうちょっと足を伸ばします。東住吉区田辺1丁目、地下鉄谷町線田辺駅スグ。模擬原子爆弾投下跡地碑です。米軍は広島・長崎の前に30ヵ所50発の模擬原爆を各地に投下し、うち1発は7月26日ここ大阪市に落下した、と。やられっ放しにもほどがあると申しましょうか、米軍も相当周到にむごいが、大日本帝国のお偉方も、どれだけ国民に被害が出ても戦争をやめることができない。国民を守ろうとしたとはとても思えない。
ここでも毎年追悼式が行われるそうです。この碑は個人で建てられたもので、こういうことこそ行政が率先して行うべきと思いますが。歴史を正しく学びつつ、今年の8月も静かに戦争と向き合うのです。