10/11/10 歴史三昧その2

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wooは宇宙船のwoo
 高槻しろあと歴史館に続き、今日は幕末の企画連携をしておられる大山崎町歴史資料館(¥300)、向日市文化資料館(無料)に行ってきました。大阪以西より京へ上るには天王山と男山にはさまれたこの隘路を通るのが本線。幕末以前も山崎の合戦などありました。

 1863 朝廷内攘夷派都落ち
 1864 禁門の変。長州、京へ進軍、敗退。京都市街大火災、山崎も戦場に。
 1865 樟葉砲台、梶原砲台完成。
 1866 第2次長州征伐 
 1867年には大政奉還、長州はこたびは堂々と西国街道から無血入京。

 こうして、西国街道、京街道そして淀川はもうたくさんの人馬やら銃大砲やら物資やら偉い方々やらも行ったり来たり。攻めたり逃げたり、戦場になったり焼け出されたりまた戻ってきたり、なかなかそれぞれにたいへんご苦労があったと思わずにおれません。

 1868年1月鳥羽伏見の戦いが始まると、梶原台場(大阪府高槻市)を任されていた津藩(三重県津市)は樟葉砲台の旧幕府軍に発砲。佐幕の雄藩会津によって作られた梶原砲台はその目的のためには一度も使われることはなく、自らが攻撃される結果となりました。

 この間わが高槻藩永井様は一貫して静観。積極的な態度をとりませんでした。

(クリックで大きくなります)
高槻枚方砲撃

 手前の梶原台場から奥の樟葉台場に砲撃したわけです。距離にして2000mくらいでしょうか。

 昨年7月、枚方から京街道を岩清水八幡宮まで自転車で行ったのですが、樟葉の向こう、街道がプツンと途切れています。橋本の手前からまた旧街道らしくなります。樟葉砲台、梶原砲台とも関所を兼ねていて両街道の関門としようとしたそうです。京街道は街道の途切れたところ=関所&砲台だったということがわかります。

 090712.jpg

 先に攻撃したのが高槻側で、伏見から敗走する旧幕府軍もあり京街道の方が混乱したかもしれません。

IMGP8632.jpg

 田んぼやら民家やらアガバンサスやらまことにのどかな現在ではあります。

(クリックで大きくなります)
高槻津藩砲撃絵


 手前が高槻側で津藩ということです。(出典:1891 戊辰戦記「錦之御旗」<2010「幕末 京都をめぐる雄藩と高槻」高槻市立しろあと歴史館)
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Posted bywooは宇宙船のwoo

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Choco  
こんにちは

おおー!うれしい記事が二つも続いています。
歴史三昧いいですねー!
山崎から勝竜寺~京都へと何日もかけてうろうろしたく思っている私です。
この場所でこんなことが!と思うと、なんとも言えない思いが
体の芯からムクムクと湧いてきます。
最近そのような場所ばかりに行っているので特にそうなのかもしれません。
大山崎町歴史資料館、これは行かなければいけませんね。
教えていただいてありがとうございます。

2010/11/12 (Fri) 18:17 | EDIT | REPLY |   
woo  
>Chocoさま

 こんばんは!
 Chocoさまに喜んでいただけるとは光栄の限りに御座候。「山崎から勝竜寺~京都へ」は明智殿の御関係でしょうか。

 おっしゃるとおりで、「この場所でこんなことが!」ってのはワクワクするものがありますね!

 小さな郷土博物館系は各市に一つずつくらいありますし、有名な方々のことだけでなく、人々の暮らしに密着したいろんなことがわかって楽しい。しかも入館料無料のところも多いです。大山崎町歴史資料館は(¥300ですが)戦国と切っても切り離せない茶の湯のマスター千利休の茶室、国宝「待庵」のレプリカがあります。ホンモノの「待庵」はJR山崎降りてすぐの寺「妙喜庵」にあります。なかなか見学できません。

 茶の湯御政道として時の「美」と「権力」(どちらもヒトの業ですなあ)の密着や確執を描いた戦国マンガ「へうげもの」(講談社)、ひつこいようですがおすすめです。

2010/11/12 (Fri) 19:46 | EDIT | REPLY |   

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