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2008年7月の朝日新聞から

6-13
6月30日
 7月2日から始まるドラマ~(朝刊36面)
 テレビの番組紹介欄。かなり前から辞書でも許容しているし、最近けっこう見るから許容してもいいが、やはり気になるものは気になる。正しくは「~に始まる」だと思う。「~から」には「瞬間+継続」のニュアンスがある。「瞬間」のニュアンスが強い「始まる」「生まれる」などの動詞とは相性が悪い。「7月2日にオープン」とは言っても、「7月2日からオープン」はヘンでしょうが。なら「7月2日からスタート」もヘンでしょ。そう考えると「7月2日から始まる」が許容される理由が見当たらない。このあたりは「赤い本」に書いた。文体にいろいろ制約をつけたんで、こうして抜粋すると、ものすごく稚拙に見える気がする(泣)。「気がする」レベルじゃないかも(大泣)。

こんな感じの原稿でした(若干加筆)====================
【練習問題23】
 次の表現のなかでヘンなのはどれか、考えてください。
  1)来年4月から発売する
  2)来年4月から販売を始める
  3)来年4月から販売する

 1)~3)は、雑誌の新製品の情報欄などでいくらでも目にする表現です(この「から」も「より」と同義なので、「から」に限って話を進めます)。
 1)は明らかにヘンで、「来年4月に発売する」とするべきでしょう。時間的な始まりを示す「から」には、始まった事柄がそのあとも「継続」するニュアンスがあるので(継続期間の長短はあまり関係ないようです)、瞬間的な事柄の「発売する」に使うのはヘンです。「〇〇から発売が開始される」という「三重言」に近い表現を目にしたこともあります。
 次のような例なら、「から」と「発売する」を使っていても、ヘンではありません。かなり特殊ではありますが。
「来年4月から順次発売する」
 この表現はシリーズ化された新製品が、4月に1点、5月に1点、という具合に順次登場するときに使われていました。断続的ではあっても「発売する」が「継続」しています。
 2)は1)よりはマシな気がしますが、論理的に考えるとやはり「来年4月に販売を始める」にしないとヘンです。しかし、「から」の用例として「1時から始まる」を掲載している辞書もあるので、許容されていると考えざるをえません。
「来年4月から販売を始める」がさほどヘンではないのは、「始める」も瞬間的な事柄ではあっても、「販売」がそのあとも継続するからでしょう。「発売する」と「販売を始める」は、意味はほとんどかわらないと思いますが、「から」と組み合わせると継続性の違いが出てくるようです。
 3)は「から」の使い方としては問題がありませんが、使われる頻度は1)~3)のなかでいちばん低い気がします。「発売」や「始める」という言葉を使うほうが、新製品であることを強調する感じが出るからでしょうか。

【Coffee Break】
●「に」はなぜ使われないのか
 本文で「発売」を使うときには「から」ではなく「に」を使うべきと書きましたが、実際には「に」が使われている例のほうが少ない気がします。おそらく、「に」を使うと語感が悪くなることが多いためです。
 次の例を見てください。
  ・来年4月に発売する
  ・来月に発売する
  ・来週に発売する
  ・明日に発売する
 このように並べてみると、発売時期が近くなるほど「に」を使うとヘンな感じが強くなり、「明日に発売する」は使ってはいけない表現という気さえします。おそらく、発売時期が近くなるほど、日時を具体的に限定して示す必要があるからです。「来週の月曜日に発売する」「明日10時に発売する」ならヘンではなくなります。「明日に発売する」はヘンなのに、「に」を使わずに「明日発売!」にすると、なぜか問題はありません。
 次の文の場合はどうでしょうか。
  1)A社の栄光の歴史は、この時から始まった。
  2)A社の栄光の歴史は、この画期的な新製品から始まった。
  3)A社の栄光の歴史は、この画期的な新製品の発売から始まった。
  4)A社の栄光の歴史は、この画期的な新製品が発売された1900年から始まった。
 1)~4)は「から」のままでもさほどヘンではないのは、「A社の栄光の歴史」が「始まった」のは瞬間的な事柄であっても、歴史自体は「継続」しているからでしょう。「から」を「に」にしてもヘンではありませんが、語感は悪くなる気がします(個人的には、1)と4)は「に」にするべきだと思います)。
 本文で「来年4月から販売を始める。」も「許容されていると考えざるをえません」とは書きましたが、納得しきれていません。その理由を説明するために、ほかの例を見てみます。
  1)この分野の研究は19世紀末から本格化した。
  2)全国大会が19日から開幕した。
 1)の「本格化した」も「発売する」と同じように瞬間的な事柄で、継続性がありません。2)の「開幕した」も同様です。「継続」しているのは「本格化した研究」や「全国大会」であり、「本格化した」や「開幕した」は瞬間的な事柄なので、「から」を使うべきではありません。しかし、「から」を「に」にすると、1)も2)も語感が悪くなります。
 ちなみに、2)が語感が悪くなるだけで済んでいるのは、具体的な日付が入っているからです。「に」にかえた文の「19日」を「昨日」にすると、かなりヘンになります。
  ・全国大会が昨日に開幕した。
 どうしても「昨日」を使いたいなら、次のように書きかえる必要があります。
  ・全国大会が昨日開幕した。
  ・昨日、全国大会が開幕した。
 では、次の2つの例はどうでしょうか。
  3)全国大会が19日から開始した。
  4)全国大会が19日から始まった。
 2)の「から」の使い方がヘンなら、3)もヘンなはずです。そうなると、4)が許容される理由がまったくわかりません。こういう問題に直面すると、言葉について論理的に考えようとする試みの限界を感じてしまいます。
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7-1
4日
万葉の昔から、日本人はウナギに目がない。だが生態には謎が多かった。どこで生まれるのかも分からない。形とぬめりの連想から「山芋変じてウナギになる」と言われたりする。古代ギリシャの哲人アリストテレスも首をひねった。悩んだ末に「大地のはらわた」から生まれると書き残している。(朝刊1面)
 天声人語の冒頭。なんかすんごい異和感があるが、それを説明するのはむずかしい。ちなみに、このあとに出てくる「国産かば焼きは中国産より2~3倍高い」は初歩的な誤用だろう。「中国産の2~3倍する」ならフツー。「中国産より2~3割高い」あたりとの混用か。
 で、元の話に戻るけど、ほとんどインネンのような気もするので、あんまり信用しないでほしい。丸谷才一の『ウナギと山芋』の「文庫版あとがき」に以下の記述がある。
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 題の『ウナギと山芋』は、もちろん「山の芋鰻となる」による。ひよつとしてひよつとすると途轍もないことが起る場合もある、といふ意味の諺ですが(以下略)
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 あるいは『成語林』には「山の芋鰻になる」の項があり、ほぼ同じ解説がある。「と」が正しいのか「に」が正しいのかは知らない。ただ、天声人語の「山芋変じて」のほうが語調が悪い気がする。
 さて、天声人語のどこがおかしいのか。鰻の生態がわからないことから、あたかも「山芋が鰻になる」と言い伝えられていた(もちろん冗談だろうが)と書いてあるように読める。微妙に本来と意味とズレてないか? おまけにアリストテレスのエピソード(これってホントなの?)までくっつけて、誤用を補強している。元々の意味は「瓢箪から駒」(「独楽」じゃないからね)は違うな。「鳶が鷹を生む」もちょっと違うか。要は「ありえないことが起こることがある」なんだから、ニュアンスがかなり違う。「山の芋鰻となる」ってこともあるんだから、tobirisuが性格のいい人になる可能性も否定はできない……と使うんじゃないかな。
 ちなみに『成語林』の「参考」の記述によると、魚肉・獣肉を禁じられていた僧侶は、鰻を山芋と偽って寺に持ち込んで食べていたとか。これは初耳。兎を鳥と偽るために「1羽、2羽」と数えたって話は有名だけどさ。鰻を山芋と偽るのは無理があるだろ。逆に精進料理だと山芋(豆腐だったか?)に海苔をつけたりいろいろ工夫してなんとか鰻に見立ててるけどさ。

7-2
6日
 生き様 カッコいい(朝刊36面)
 ムッシュかまやつの息子のインタビュー記事のタイトル。山本晴美記者。文中には「一人の男の生き様としてカッコいい」とある。「生き様」なんて使い方は誤用だと主張する気はない。でも、この言葉を嫌う人は多いんだから、できれば避けたほうがいい。百歩譲って大きなタイトルで使うのはやめようよ。こんなこと言ってもムダか。論理的に言えば明らかにおかしい。「死に様」など、否定的に使う言葉だ、って考え方が正しいんだろう。「悪し様」「無様」……なんてのは用法が違うか。しかもどっちかって言うと「短時間の様子」を表わす言葉じゃないか? 長期にわたる「生き方」をこの言葉で表わすのは無理。マンガの主人公が、「男の生き様見せてやる」なんて言って修羅場に向かうのは、まだ許せる気がする。

7-3
9日
 食べ物とオトコのためなら手段を選ばない槇子の、文字通り漫画のような役どころに山田がうまくはまって切れ味がいい。(朝刊32面)
 テレビの番組紹介欄。菅野俊秀記者。この読点は相当イヤなんて言っちゃダメか。「役どころ」じゃなく「キャラ」って書いてよ、ってのはインネンかな。よく見る「文字通り」の誤用を×とすると、これは△かな。ここで紹介しているドラマがマンガ原作だからこう書いたんだろう。気持ちはわからなくはない。「まさに漫画のような役どころ」なら○をもらえたかも。「漫画原作ならではの役どころ」なら間違いなく○をもらえる。

7-4
18日
 図は互いに86分と63分という大長考で1筋を突き合った後、先手がやおら角を換え後手の桂頭を狙った局面(朝刊18面)
 書き手をメモし忘れた。微妙。まず「やおら」の意味。「いきなり」という意味で使うのは誤用、というのを初めて読んだのは20年以上前だと思う。
 Yahoo辞書にはこんな記載もある。
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◆文化庁が発表した平成18年度「国語に関する世論調査」では、「彼はやおら立ち上がった」を、本来の意味である「ゆっくりと」で使う人が40.5パーセント、間違った意味「急に、いきなり」で使う人が43.7パーセントと、逆転した結果が出ている。
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 で、引用文に戻ると、誤用なのか正用なのか判然としない。フツーに読めば誤用だけど、正用ととれなくもない。実はこの言葉の使われ方は、このように誤用か正用かわからないケースが多い。まあどっちに転んでも使いにくい言葉になってしまったことは間違いない。

18日
7-5
唇をかむ朝青龍の脇で再び、大歓声が起こった。(朝刊18面)
 朝青龍が2敗目を喫したことを伝える記事。竹園隆浩記者。「脇で」の意味がわからん。タイミング的に、朝青龍が客席に対して横を向いたときに大歓声が起きたのかもしれない。たとえそうだとしても、「後ろで」「背中で」と書かなきゃわからんよ。この記事は相当ヒドく、ほかにも気になる部分がいくつかある。

7-6
場所前の出げいこでは足元をすくわれている。(朝刊18面)
 もう定番か。念のため書いておくと、個人的には「足元」の「元」は不要だと思っている。

7-7
母国の情勢不安が理由だが、「治安のことをオレに聞くのか」とぶぜん。二重に不機嫌になった。(朝刊18面)
「ぶぜん」の誤用も定番。「×不機嫌」「○悄然」と考えておくと間違いがない。朝青龍の様子を表わす場合に、頻繁に誤用されている気がする(笑)。引用文の場合、さらにバカなのは、この前に相撲内容を振り返る様子を「神妙だった」とあること。「神妙」で「ぶぜん」としている人が「二重に不機嫌」ってどういう意味よ。

7-8
「朝青龍王国」の終息は、確実に近づいている。(朝刊18面)
 結びの一文。ニュアンスの問題なので断言はできないが、「王国」ではないでしょ。「王国」とか「政権」と呼ぶには、配下が何人か必要。朝青龍はほかのモンゴル出身力士ともいざこざを起こしたりしているのだからあてはまらない。一大勢力を誇っているから「モンゴル王国」って書き方ならアリ。
 もうひとつ、この書き手は大きな勘違いをしている。おそらく書き手が意図したのは「朝青龍時代」の終焉が近づいている、ってこと。それは認識がおかしい。白鵬が台頭してきた段階で「朝青龍時代」の終焉の足音は聞こえはじめている。さらに、白鵬が横綱に昇進した段階で「鵬龍時代」(なんかこの呼称はシックリこない)に移行している。いまさら「朝青龍時代」の終焉が近づいているなんでバカな話はありません。

7-9
18日?
先駆者とは苦難の道に挑み続ける人のこと。野茂まさに。成功と富を手にしながら引退の言葉が「悔い残る」とは。凄い。(夕刊1面)
「素粒子」とかいうコラム。文字数の制限がきついのだろうが、「野茂まさに」とか「悔い残る」とかって何語よ。後者は元々カギカッコつきだから、あたかもこうコメントしたかのように読める。そんな言葉遣いするわけないだろ。
 朝刊を調べる。「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」
 と、ここから本格的にインネンになる。スポーツ選手に向かって「成功と富を手にし」は失礼すぎる。「数々の栄光の記録を残し」ならわかるけど。根本的に疑問なのは、パイオニア精神(なんか俗っぽい言葉だな)をどう考えているかってこと。「苦難の道に挑み続ける人」なんだよ。「悔いのない野球人生だった」なんて思うわけないじゃん。しかも最後も故障を抱えながら登れるマウンドを求めていたのよ。「悔いが残る」に決まってるでしょ。バカじゃなかろか。

20日
7-10
(前略)漫画原作らしい、いかにも戯画的な役どころだ。
 「うんこ」、なんてせりふを悠然と言ってのけなければならない。真顔ではダメで、おちゃらけてもいけない。「その境目が難しいですね」(朝刊t1面)
 1週間分のテレビ欄についている小さなインタビュー。書き手の菅野俊秀記者は、9日の記事も書いている。「文字通り漫画のような役どころ」が意味不明と誰かに指摘されたのかな……。「戯画的」と来たもんだ。「マンガ」と「戯画」がどう違って、ここではどう使い分けているか説明してみなよ。当方はそんなむずかしいことはパスします。〈「うんこ」、〉の部分の読点も相当美しくない(字面のせい?)。「真顔ではダメ」で「おちゃらけても」いけなくて「悠然と言って」のける、それはたしかにむずかしいわ。何書いてあるか理解するのもむずかしいけど。
 このあとに、またどうにもわからない論理展開で話が進み、最後のほうにはこんな文章も出てくる。

7-11
 モデル出身のイメージが強いが、張りのある声とキレのある踊りを見せるシンガーでもある。(朝刊t1面)
「張りのある声を見せる」のはすごい技術だよな。それは別にして、「踊りを見せる」のもシンガーの仕事か? 微妙。「張りのある声で知られるシンガーでもあり、キレのある踊りにも定評がある」くらいだろうな。「役どころ」も相当イヤだけど、「踊り」もないでしょ。シンガーを「歌手」にして、踊りは「ダンス」にしてよ。プロの歌手を相手に「張りのある声」ってのも相当失礼な言い草の紋切り型で、声に張りのない歌手がいたら教えてほしい。けっこういるか?

7-12
22日
 先手か後手かは各対局ごとに振り駒で決まるが、(後略)(夕刊4面)
 将棋の記事。村上耕司記者&佐藤圭司記者。典型的重言。この場合とるとしたら「各」のほう。「ごと」をとって「各対局で」にすると相当ヘン。同様の例は今年の「5-3」にもある。先日索引を作ったので、こういうときにメッチャラク。

7-13
26日
和のしつらえで、美しく暮らす(夕刊2面)
 広告がのっていた書籍のタイトル。「しつらい」なのか「しつらえ」なのかは、積年の課題。ネット辞書は、もう両方認めている。
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●大辞泉
しつらい〔しつらひ〕【▽設い】
1「設(しつら)え」に同じ。「テーブル―をする」
2(「室礼」「補理」とも書く)平安時代、宴・移転・女御入内などの晴れの日に、寝殿の母屋や庇(ひさし)に調度類を配置して室内の装飾としたこと。

しつらえ〔しつらへ〕【▽設え】
しつらえること。用意。準備。「客室の―が済む」

●大辞林
しつらい[しつらひ] 03 【▽設い】
[1]構え作ること。ととのえ準備すること。しつらえ。
[2](「室礼」「鋪設」「補理」とも書く)平安時代、娘の女御としての入内(じゆだい)・婿取り、客を招いての宴、移転など晴れの祝いの日に、寝殿の母屋・庇(ひさし)に調度を立て室内を飾ったこと。

しつらえ[しつらへ] 03 【▽設え】
しつらえること。準備。
・食事の―がしてある
・会場の―をする
・照明の―がない
=====================================
 この記述を読んで「しつらい」と「しつらえ」の違いがわかる人がいたら教えてください。当方は余計に混乱した。『大辞泉』のほうは、「しつらい」のほうが広義で、「1」の意味に関しては「しつらえ」が本来の形、と読める。
『大辞林』のほうだと、「しつらえ」のほうが用途が広く、「会場のしつらえをする」がアリなんだから、「しつらい」の意味を含むととれる。
 ホントか。少し古い辞書だと「しつらえ」なんて言葉はない。1988年刊行の『広辞林』だと、「しつらい」の意味は以下のとおり。
1)構え作ること。飾り付け。装置。
2)(古)御座所。おまし。
 本来の形はって話をするなら、「しつらい」に決まっている。疑問のあるかたは下記のトピの「42」&「43」をご覧下さい。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28491946&comment_count=15&comm_id=398881

 じゃあ、なんで「しつらえ」なんて誤用が生まれたのか。そんなことは国語学者に訊いてください。
 まったくの推測で書くと、「誂(あつら)え」とか「(急)拵(こしら)え」って名詞形があるから混同したんだと思う(まあ、「あしらい」なんて言葉もあるけど)。本来は「しつらい」で、もしかすると「しつらえ」もアリかなって言葉なんだから名詞形が「え」しかないものは参考にならない。むしろ近いのは「浚(さら)い」(「渫い」とも書く)。「浚い」が本来の形だが、「浚え」もアリらしい。
 今回辞書を索いて初めて知ったが、「ドブさらい」「おさらい」「総ざらい」などは「さらい」で、「川ざらえ」「棚ざらえ」などは「さらえ」なのね。日本語はむずかしい。

7-14
29日
 イニングを追うごとに調子を上げる松坂が、6回、相手打線に完全につかまった。(夕刊3面)
 レッドソックスの松坂の試合を伝える記事。村上尚史記者。冒頭にこうあると、けっこう戸惑う。いつもならスロースターターで尻上がりに調子がよくなるはずの松坂がこの日は違った、ってことなんでしょ。意味はわかるけど、この書き方はナシ。
 イニングを追うごとに調子を上げる松坂が、最終回に圧巻の投球を見せた──とかなるべきとこでしょ。
 こういう文章で始まると、インネンモードに入ってしまい、続きの文も意地の悪い目で見てしまう。

7-15
 後半戦2試合目の先発。前回は、低迷するマリナーズから勝利をあげていた。この日はア・リーグ最高勝率を誇るエンゼルス。松坂は「うちとは違ういい野球をするチーム」。(夕刊3面)
 まず3つ目の文章がヒドい。最後に「が相手」をつけるとかしないと、日本語になっていない。それよりヒドいのは松坂のコメント。こんなムチャなチーム批判をホントにしたの? おそらく、「うちとは違うタイプのいい野球」ってことなんだろう。このままじゃ超問題発言だよ。当方が監督だったら、松坂呼び出して事情を訊く。場合によっては処分の対象だよ。ヘタなライターが殴り書きしたレベルの原稿ってのも問題だけど、問題のレベルが違う。
 イチローのレポートをする記事にも時折感じるんだけど、朝日新聞の記者って、大リーグでプレーする日本人選手に悪意をもってるんだろうか。妙に陰険な書き方をしたり、こんなバカなことを書いたり。

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