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2026-01-18

【時評】貫かれる白虹、沈黙するペン――百年の轍を踏むメディアの欺

歴史は韻(いん)を踏むというが、それは時に残酷なまでの既視感として我々の前に現れる。

一九一八(大正七)年、言論の自由を死守すべきジャーナリズム国家権力という巨大な壁に膝を屈した「白虹(はっこう)事件」。

そして令和の今日台湾情勢を巡る高市首相の答弁に動揺し、思考停止に陥る現代メディアの姿。

これら二つの事象は、単なる政治の混迷ではなく、一世紀を経てもなお変わらぬ、日本マスメディア本質的な「脆弱(ぜいじゃく)」を露呈させている。

虎の尾を踏んだ「白虹」の筆禍

白虹事件という言葉を知る者は、現代では稀(まれ)かもしれない。しかし、この事件こそが日本ジャーナリズム去勢し、後の軍靴の響きへと道を開いた決定的な転換点であった。

当時、米価の高騰に喘(あえ)ぐ民衆の怒りは「米騒動」として全国に飛び火していた。

批判の矛先は寺内正毅内閣と、利権を貪(むさぼ)る政商へと向けられた。

その急先鋒に立っていたのが、大阪朝日新聞である

同紙は一九一八年八月、米騒動の背後にある社会矛盾を指摘する記事の中で、

「白虹日を貫けり(はっこうひをぬけり)」 という中国古典戦国策』に由来する一句引用した。

「白い虹が太陽を突き刺す」――。

これは古代中国の天象解釈において、武器を持った臣下君主殺害する兵乱の前兆とされる。

太陽天皇象徴、白い虹を反乱の武器と見なした当局は、この記事を「安寧秩序を乱す」不敬な扇動であるとして、新聞紙違反起訴

発行禁止という組織死刑宣告を突きつけたのである

これに対し、大阪朝日経営陣が選んだ道は「ジャーナリズム殉教」ではなかった。

彼らは社告で自らの非を認め、社長以下幹部が退社。

政府軍門に降ることで組織の存続を図った。

以後、同紙は急進性を失い、権力の顔色を伺う「翼賛」への道を一歩踏み出すこととなったのである

相似形としての「台湾有事」答弁

翻(ひるがえ)って現在高市首相国会答弁で「台湾有事が存立危機事態になり得る」と踏み込んだ発言を行った際のマスメディアの反応はどうであったか

中国政府が「一つの中国」という彼らにとっての「神聖国体」に触れたとして猛反発し、経済的威圧をも示唆した途端、

国内メディアの多くは、あたかも「不敬」を咎(とが)めるかつての内務省のように、その「不用意さ」を論い、緊張緩和を優先せよとの合唱を始めた。

ここで問われるべきは、高市氏の政治妥当性ではない。

国家の核心的なタブー(=国体的な要素)」に触れた言葉に対し、メディアが即座に「静止」や「回避」のバイアスをかけるという構造のものだ。

かつては「天皇神格化」という国内国体言論を封じ、今は「大国への外交的配慮」という疑似的な国体が、事実上報道自主規制を強いている。

どちらも、国家や外部権力が設定した「虎の尾」を避けることを最優先し、事の本質――すなわち、国民が直面している真のリスク直視させることから逃げているのではないか

「反権力」というポーズの内実

日本メディアは、平時には些末(さまつ)な不祥事揚げ足取りをもって「反権力監視役」を自演する。

しかし、いざ国家の根幹を揺るがす安全保障や、他国とのパワーバランスといった真に重い論点、すなわち「現代国体」と呼べる領域に話が及ぶと、突如として腰が引ける。

メディア役割とは、国民保有する「知る権利」を具現化し、権力意志を透明化することにあるはずだ。

それが国内権力であろうと、中国のような強大な外国権力であろうと、そこに国民の命運を左右する「真実」があるならば、メディアは不敬や摩擦を恐れず、白虹となってその核心を貫かなければならない。

百年前、大阪朝日が社に掲げた「不偏不党」の看板は、弾圧を前に色あせた。

現代メディアもまた、表面的な正義の裏側で、同じ轍(わだち)を踏んでいないか

権力意図忖度(そんたく)し、タブーの前で立ち止まる存在であるならば、それはもはやジャーナリズムではなく、単なる「広報機関」への堕落である

歴史の白虹は、今も我々の空を貫いている。

その下で沈黙を守るペンの罪深さを、我々は今一度、厳しく問い直すべきである

感想

こういう内容のコラム書いてってお願いすると書いてくれるのはやっぱりAIすごいなと思う一方で、

これ不偏不党の成立経緯を間違って認識していますね。

不偏不党は、白虹事件を機に成立したもので、「どの政党にも偏らない」という積極的自由宣言ではなく、

政府と正面から衝突するような過激な主張を捨て、企業安全保証される範囲内で報道する」という、いわば「去勢」の宣言だったはず。

2024-03-14

「先ず隗より始めよ」はどう使っているだろうか。

まあたぶん「授業で習ったけどそれ故事成語だとは思ってない」って人が大半だとは思う。いちおう先従隗始という四字熟語にもなっているのだが、手元のIMEでは登録されていない。まあその程度の認識だったと思う。

はいものの、四字熟語辞典に載っている、ということはまあ故事成語ではあるのだ。たぶん、これも「妙齢」と同じように、人によって意味を違って取るために使われなくなった言葉だろうと自分は思っている。

初出

戦国策」「史記」「十八史略」といろいろあるらしい。まあ十八史略はあとからの切り抜き編集まとめみたいなものだしね。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%BC%A2%E6%96%87/%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B

ここにその原文の1つが載せられている。

今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。

読んで見れば分かる通り、この故事はもともと「隗」って人の自己PRなのだしかも、自分の有能さをPRするのではなく、自分が大した人じゃない、ってことを前提に、自分を雇わせるための言い訳、そしてそれをやる戦略について語っているわけだ。

現在

ところが、この故事成語現在では「まず自分がやれよ」という意味、もしくは「身近なことから始めよう」という意味になっている。まあ「隗」は一番身近な人の1人だったわけだから後者意味はとれなくもないのだけど、前者ちょっと意味を取り違えているんじゃないかという意味になっている。

https://shingakunet.com/journal/exam/20201124000002/#:~:text=%E3%80%8C%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B%E3%80%8F%E3%81%8B%E3%82%89,%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

「先従隗始』からまれ格言は『隗より始めよ』。読み方は、「まづ かいより はじめよ」と読む。

その意味は「言い出した者から実行せよ」で、物事を行うときは、まず身近なことから始めるべき、という教えになっている。

個人的には、この言葉がまともに使われなくなったのは、このなんか微妙意味違いにあるせいじゃないかと思っている。

anond:20240313182336

「先ず隗より始めよ」はどう使っているだろうか。

まあたぶん「授業で習ったけどそれ故事成語だとは思ってない」って人が大半だとは思う。いちおう先従隗始という四字熟語にもなっているのだが、手元のIMEでは登録されていない。まあその程度の認識だったと思う。

はいものの、四字熟語辞典に載っている、ということはまあ故事成語ではあるのだ。たぶん、これも「妙齢」と同じように、人によって意味を違って取るために使われなくなった言葉だろうと自分は思っている。

初出

戦国策」「史記」「十八史略」といろいろあるらしい。まあ十八史略はあとからの切り抜き編集まとめみたいなものだしね。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%BC%A2%E6%96%87/%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B

ここにその原文の1つが載せられている。

今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。

読んで見れば分かる通り、この故事はもともと「隗」って人の自己PRなのだしかも、自分の有能さをPRするのではなく、自分が大した人じゃない、ってことを前提に、自分を雇わせるための言い訳、そしてそれをやる戦略について語っているわけだ。

現在

ところが、この故事成語現在では「まず自分がやれよ」という意味、もしくは「身近なことから始めよう」という意味になっている。まあ「隗」は一番身近な人の1人だったわけだから後者意味はとれなくもないのだけど、前者ちょっと意味を取り違えているんじゃないかという意味になっている。

https://shingakunet.com/journal/exam/20201124000002/#:~:text=%E3%80%8C%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B%E3%80%8F%E3%81%8B%E3%82%89,%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

「先従隗始』からまれ格言は『隗より始めよ』。読み方は、「まづ かいより はじめよ」と読む。

その意味は「言い出した者から実行せよ」で、物事を行うときは、まず身近なことから始めるべき、という教えになっている。

個人的には、この言葉がまともに使われなくなったのは、このなんか微妙意味違いにあるせいじゃないかと思っている。

anond:20240313182336

2022-12-07

「先ず隗より始めよ」と「死馬の骨を買う」のどっちかでよかったやろ感

これ、同じ文献(戦国策)の同じ章っていうか「先ず隗より始めよ」を納得させるために「死馬の骨を買う」を持ち出してる一節なんだよね。

 

「いい馬が欲しかったら死んだ馬の骨でもいい値段で買いなさい。そうすれば、生きてる馬ならいかほどかといい馬の持ち主が向こうからやってきますよ」という話があってですねぇ、同じようにいい人材を獲得したいなら、まず私のようなしょうもない人間を取り立てれば、もっと優秀な俺ならどんなもんじゃいと向こうからやってきますよ。

 

要するに死馬の骨を買ったみたいに先ず隗から始めたら?っていう、一つの故事なんだよね。

しかも同じ話を繰り返してるだけ。

 

から、これ、どっちかでよかっただろ。

なんで一つの、同じことを繰り返してる故事を分けて2個の慣用句にしちゃったんだよ。

2019-11-14

anond:20191114104317

故事から考えたら「身近なところから始めろ」にしかならないだろ、言い出しっぺがやれはちょい違うと思う。

中国戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から

カイくんが王に進言したって故事から言い出しっぺがヤれって要素はあんまり見当たらないし、賢者を招くためにまずは身近なことからって要素のほうが強いと思う。

2019-07-06

三国時代三国志を読めばええやろ

春秋戦国時代戦国策とか左伝とかを読めばええんやろ多分

じゃあ五胡十六国時代って何を読めばええんや

2017-10-16

anond:20171014202631

竜虎相搏つ」の出典とされる『戦国策』を見ると、

楚嘗與秦構難、戰於漢中。楚人不勝、通侯、執珪死者七十餘人、遂亡漢中。楚王大怒、興師襲秦、戰於藍田、又郤。此所謂兩虎相搏者也。

適当訳)楚はかつて秦と事を構えて、漢中で戦った。楚は勝てず、身分の高いものが七十余名も死んで、とうとう漢中を失ってしまった。楚王は大いに怒って、軍を起こして秦を襲い、藍田というところで戦って、また敗れた。これがいわゆる両虎相打つというものだ。

みたいな感じで、つまり元は「両虎」なんだけど、まあ竜と虎が古くから対比して語られてきたのは確かだし、あんまり本質的な答えではない気がするね。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907174215

まず、手始めにわしを愛することから始めるにゃー (=^・^=)

中国の史書・戦国策にも「猫より始めよ」と書いてあるにゃん。

 
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