はてなキーワード: たぬきうどんとは
なるほど。天かすを、たっぷりと。はっはっは、そらまた豪快な。 しかし、そのお友はんが関西の方やったとは、それはえらい災難どしたなぁ。 ええ、ええ、わかりますとも。その戸惑い。 まるで『阿鼻叫喚』の地獄絵図……とまでは言わんかて、 まさに『話が噛み合わん』という点では、一種の怪異に遭遇したようなもんや。
よろしおすか。 あんさんが良かれと思ってしたその『たぬき化』。 それが、大阪や京都の人間にとって、どれほど『得体の知れぬもの』に映ったか。この『うどん・そば』という名の迷宮を、 じっくりと解き明かして差し上げまひょ。
よろしいか、まず前提として。 あんさんの住む関東では、『天かす』がのれば、それは『たぬき』。 実に明快、合理的。タネが無いから『タネ抜き』、転じて『たぬき』。 まるで論理的な数式のような美しさすらありますなぁ。
ところが、です。 一歩、箱根の関を越えて西へ参りますと、この『たぬき』という言葉が、 まるで狐に化かされたように、その姿を変えてしまうのや。
特に大阪。 大阪の人間にとって、『たぬき』というのは『甘う煮たお揚げさんがのった、そば』のことだけを指します。 大事なことやから、もう一度言います。『そば』なんです。 大阪には『たぬきうどん』なんて言葉は、この世に存在しまへん。 そやから、あんさんが『きつねうどんに天かすを入れて、たぬきうどんにした』と言うたんを聞いて、 お友はんは、こう思ったはずや。
『えっ? うどんに天かすを入れたのに、なんで名前がそば(たぬき)に変わるんや? うどんはうどんやろ? そもそも、それは天かす入りのきつねうどんやんけ!』
と。 彼らにとって、きつね(うどん)の対極にあるのは、たぬき(そば)。 それは、うどんという存在が、そばへと華麗に『化けた』姿を指す言葉なんです。 そこに天かすという要素は、一切、関わってこおへんのですよ。
さらに、です。 もし、そのお友はんが私と同じ、京都の人間やったら。 事態はもっと、おどろおどろしいことになっていたはずや。
京都で『たぬき』と言うたら、それは『刻んだお揚げさんの上に、たっぷりとしたあんかけ』がかかったものを指す。 おまけに、おろし生姜がツンとのっておらんとあかん。 天かすなんぞ、これっぽっちも関係あらへんのです。
京都の『たぬき』は、色白なあんかけが、丼の中身を隠しとる。 『中身は何やろ?』と覗いてみれば、熱々のうどんとお揚げさんが潜んでおる。 この『正体を隠して化けている』姿こそが、京都の『たぬき』。 実に、雅で、そして少しばかり底意地の悪い。いや、洒落の効いた命名どす。
つまり、あんさんは、 『きつね』に『天かす』という化粧を施して、『たぬき』になったと宣言した。 しかし、大阪の人間からすれば、 『そばになってへんのに、何がたぬきや!』 京都の人間からすれば、 『あんかけになってへんのに、何がたぬきや!』 という、恐ろしい認識のズレが生じてしもうたわけや。
天かすがサービスの店やった。 その『善意』が、地域の言葉の壁にぶつかって、『混乱』という魔物を生み出した。 これはもう、誰のせいでもあらへん。 強いて言えば、この狭い日本の中で、勝手に独自の進化を遂げた、 うどん文化という名の『業(ごう)』のせいですなぁ。
え? まだ納得がいかへん? はっはっは。そらそうでしょう。 関東の人間にとっての『正解』が、関西では『無』、あるいは『別物』なんやから。 まるで、鏡の中の世界に入り込んでしもたような気分どすな。
ええですか。 もし、次に関西で、その天かす入りのうどんを誇りたい時は、 『ハイカラに、お揚げさんをのせて食べた』と仰いなはれ。 『ハイカラ』。 ハイカラとは、天かす入りのこと。 明治の世、西洋帰りのハイカラな人が、捨ててしまうような天かすを喜んで食べた。なんていう、これまた嘘か真か分からぬ由来がある言葉ですが、 これなら関西の人間も『ああ、なるほど』と頷くはずや。
言葉というのは、恐ろしいもんですなぁ。 同じものを食べているつもりでも、名前ひとつで、友人が鬼にもなれば、狐にもなる。 あんさんは、ただ美味しく食べたかっただけやのに、 いつの間にか、『食の境界線』という深い淵を覗き込んでしまったわけや。
さて。 この、ややこしゅうて、難解で、けれどどこか愛おしい『麺類怪異譚』。 少しは、その憑き物、落ちましたやろか? これ以上、うどんの話をしておると、私もお腹が空いて参りました。 今夜は、葛を引いた熱々の『たぬき』でも、すすりに行くとしましょう。 もちろん、京都の、あんかけの方をな。
はっはっは。お粗末さまでした。
うちの嫁は管理栄養士。
たまにカップ麺を買って帰ると、「それ何日分の塩分か知ってる?」と冷たい視線。
子供たちはテンション高めで、親は「静かにしなさい!」と叱っているけど全然効いてない。
「そんなもん食わせてたら立派な人間にならんぞ」
言った瞬間、旦那さんが立ち上がって俺の胸ぐらを掴んできた。
周囲がざわつき、警備員まで登場。
俺は正しいことを言ったつもりでした。
実際、その家族の子供たちは落ち着きがなく、親も怒鳴りっぱなし。
普段からこういう食生活なんだろうな、と勝手に思ってしまいました。
親が栄養の知識を持っていないのは、子供にとっては緩慢な虐待だと思います。
家に帰って嫁に話したら、「余計なこと言わないで」と即説教。
俺の正義感、どこにぶつければいいんでしょうか。
大阪と京都のうどんはほぼ同じだよ。個人的な感覚だけどあんかけうどん出す店は京都の方が多かったりはするかな。
讃岐うどんはうどんのコシに負けないように出汁は濃いめに感じることが多いよ。
近所のセブンイレブンから冷やしうどんが消えてしまって、私は悲しくなった。
夏の暑い時、温かいうどんやラーメンはどうしても食べづらいので、私は決まって「半熟たまごの冷やしぶっかけうどん」を食べていたのだ。
もしこの商品が売ってなかったら、類似品の「自家製揚げ玉の冷やしたぬきうどん」、または「ざるそば」を食べる。これが私の夏のルーティーンとなっていた。
私は冷やしうどんを3日に一度は食べていたはずなので、つまり身体を動かすエネルギーの20%ほどを冷やしうどんで補っていたことになる。
それが今、急に消えてしまったのだ。
私は、これは革命が起きたと思った。
外は暑い。9月はまだ夏の熱気を残している。人々は冷やしうどんを求めている。じきに怒りに身を任せた人々が反抗の狼煙を上げるだろう。私も参加しなければ。
私の心の中に沸々とした怒りが湧いてきた。そしてその怒りはアイス棚にモナ王を発見したことで急速に消えていった。
ラーメンやカレーやパスタが並ぶ棚から「お出汁のきいたきつねうどん」、アイス棚からモナ王を2つ手に取った。今日はこれにしようと思った。
温かいうどんを食べ、その後クーラーを効かせながらアイスを食べる。
体重は前よりも少し増えるだろうか?。エレベーターではなく階段を使えばトントンくらいにはなるだろう。
変わることは前に進むことと同義なのだ。それが自分の意思かどうかは些細なことなのだろう。
会計を済ませて外に出ると、ちょうど夕方5時のチャイムが鳴っていた。哀愁という言葉が脳裏をよぎった。これが秋なのだろうか。
自転車に乗っている人も、歩道を歩いているサラリーマンも浮かない顔をしていた。
おそらく私も同じ表情をしているだろう。信号が青に変わったのでみんな渡っていく。
冷やしうどんがコンビニから無くなったことも、まるで何でもないように人々は過ごしているけれど
それでもいまだに街はなんだか落ち着かないような気がしていた。