1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,現在に至るまでの生活を振り返って,順次公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。
※ 記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります。

 1年前のちょうど今ごろは資金面でかなり厳しい状況だった。やるべき作業は次から次へと来るのだが,顧客の事情で開始や納品のスケジュールが延期されたり,あるいは納品したにもかかわらず,半年近くも前に検収を終えた部分に不具合があったからという理由で直近の作業の検収を延ばされたり,多少問題が残っていることを前提に検収の約束を取り付けていたのに,顧客の担当者が変わって引き継ぎがうまく行われずに請求の機会を逸したり,こんなことが立て続けに起きていた。

 もちろん,当初の見積もりより時間がかかって期日に間に合わないこともあったが,その大部分の理由は,想定外のトラブル対応に引っ張られてしまったからであった。トラブル対応だろうがなんだろうが,納品が遅れれば検収も遅れ,その予定していた売り上げを逃すことになる。受注している作業量のトータルは変わらないのだから,その分後で回収できるはずで,トータルの売り上げは変わらないじゃないか,と思うのは単なる錯覚にすぎない。期間当たりの売り上げが減るわけだから,仮に借金をして食いつないだところで最終的にマイナスなのである。

 ここまで読んだところで「それは営業に問題があるんじゃないの?」という方がいるに違いない。まさにその通り。私は顧客の言いなりだったのである。

 最初の半年,開発に専念できるように営業を他人任せにしまったのがよくなかった。もし私が顧客と直接折衝したとしても結果はたいして変わらなかったのかもしれない。そもそも,自分一人で折衝までこなす方向でやってきて,行き詰まりを感じたから間に入ってもらうスタイルを選択したのだった。このプロジェクトが始まって約10カ月,最初の納品が終わってサービスを開始し,半年ほど経ったところでまずいと思って関係者に警告を出してはいたのだが,うまく舵(かじ)を取り直すことができなかった。ほかに収入の当てがあれば強行策を取りやすかったかもしれないが,このプロジェクト一本に絞らざるを得なかった私も弱かったのだ。

 このプロジェクトのただ一つの救いは,私のほかにもう一人担当者がいたことだ。彼もまた,私と同様に顧客の対応に不満を感じてはいたが,少なくとも私のように強行策に踏み切ってまでもどうにかしよう,というほどせっぱ詰っているようには見えなかった。彼に異論がなければ,私は円満に身を引くことができる。ちょうどそのころ,顧客が絶え間なく投げてくる数々の案件がひと段落する見通しが立っていたこともあり,外れるには絶好の機会だ。問題は,次の仕事が見つかること。収入が途切れずに次の仕事に移れること。この二つの条件を満たせるかどうかだった。

 プロジェクトを外れると宣言したら,そのプロジェクトの継続案件は入ってこなくなる。場合によってはすでにアサインされている仕事を引き上げられてしまうかもしれない。そうでなくても,入金が遅れ気味の顧客であるから,止めたのはいいが次の入金が未定などということになる可能性だってある。

 しかし,あれこれ考えても仕方がない。今のプロジェクトから抜け出すには,とにかく次の仕事を探さなくてはならない。長年この業界で食っているにもかかわらずコネがない私としては,ネットの求人サイトに頼るぐらいしか思い付かないが,何もしないよりはましだろう。こうしてアポを取って面接をした会社は最終的に5~6社になった。1社を除いては派遣業者である。

 世間に疎い私にとって,派遣業の担当者と話をするのはよい情報収集になった。はじめにわかったのは,今までのように自宅に持ち帰って仕事をするのはどうやら諦めざるを得ないということだった。もちろん,どこの馬の骨ともわからない技術者に持ち帰りで案件を依頼するのはリスクが高いということもあるが,以前に比べて不況であることと,セキュリティに厳しい企業が増えて持ち帰りが好まれない傾向にあることも大きいようだ。

 もう一つ今回改めてわかったことは,技術者の35歳定年説が生きていたことだ。私が初めて就職したころに言われていたことだが,いまだに健在であるということを実感した。

 「ただし」と担当者は言葉を続ける。「よほど特殊な技能を持っていない限り,最終的には技術力よりも人物で評価されますから」まあ,当然のことかもしれない,と思っていると「こうしてお話していて,中條さんならすぐに決まると思いますよ」。すでに50代が目前になっている私への心遣いだった。ありがたいことだ。

 しかし,肝心の案件がなくてはお話にならない。その担当者に聞いたところによると,3~4月にかけて金融系の大きなプロジェクトがいくつかクローズしたため,首都圏で技術者が2000~3000人ぐらい余っているという。

 また,家電のLinux化もひと段落ついて,組み込み系も求人が減っているらしい。こんな状況で,はたして次の仕事が見つかるのだろうか。そして,今の泥沼プロジェクトから円満に引き上げることができるのだろうか。

 不安なまま面接を終えて数日後,「案件のご案内」というメールが届いた。(つづく)