さよなら日本──切望の土地を1500キロメートル歩いて

たびたび切望が隠された土地、日本に無数にあるトンネルのひとつを行く。(PHOTOGRAPH BY PAUL SALOPEK)
たびたび切望が隠された土地、日本に無数にあるトンネルのひとつを行く。(PHOTOGRAPH BY PAUL SALOPEK)
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ピュリツァー賞作家でナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)であるポール・サロペック氏は、地球の物語をつむぐ3万4000kmの徒歩の旅「Out of Eden Walk人類の旅路を歩く)」に挑んでいる。人類の拡散ルートをたどりつつ、日本に到達した。最終回は神奈川県横浜市から。

 私が歩いた日本は、切望に染まっていた。

 切望すること。それは確かにどこにいても逃れられない、まさに世界共通の人間の状態かもしれない。歩いて世界を巡っていると特に、どこにいても感じる。よそから徒歩で来た、ゆっくり移動する、共感しやすいか少なくとも寛容に見える人物。そんな存在は、心の奥底に埋められた希望や打ち砕かれた夢のつかの間の器になる。例えば、カザフスタンのステップを吹きすさぶ風に服を翻しながらひとり立っていた女性。意図をもって、もどかしそうに自分の住む村人の耳に届かない場所で私たちを待ち、姻戚から奴隷のように扱われている苦痛を自分の外へと注ぎ出した。その物語は激しいむせび泣きの合間からこぼれ出た。あるいはアナトリアで、おそらく気まぐれで一緒に歩いた若い男性。自分の村がある谷から遠く離れて何キロも歩き、恋敵と自分が愛した女性との結婚式の様子をシェイクスピアのように鋭くことこまかに語った。あるいは、同じくしわくちゃな丘の中で出合った、カラシニコフ銃を肩にかついだひげ面の民兵でさえ、勘違いで奇襲してしまいそうになったことを謝るだけでなく、トルコのクルド人に対するおぞましい戦争で自国民と戦うことがいかに嫌か、自己嫌悪からの告白を1時間ちかく続けた。切望。郷愁。欲求。痛み。渇き。遠方から徒歩で訪れた存在は、そういった不都合な感情の安全な受け皿になる。私たちは口を挟まずに耳を傾ける。秘密はそのまま運んでいく。

一緒に歩いた友規(左)が、鳥取県のゲストハウスで高齢の主人の女性に料理をつくる。(PHOTOGRAPH BY PAUL SALOPEK)
一緒に歩いた友規(左)が、鳥取県のゲストハウスで高齢の主人の女性に料理をつくる。(PHOTOGRAPH BY PAUL SALOPEK)
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 日本の伝統的な文化(そうしたものがもしあればだが)として有名なのは、もちろん礼儀正しさだ(「4人目!」 一緒に歩いていた友規は声を上げた。彼は私たちに「こんにちは」と先に挨拶してくれた珍しい例を記録していた)。

 誰も。誰ひとり、福岡から横浜までGPSで1505キロメートルの道中に通りすがった日本人で、私たちの前で表だって泣いた人はいなかった。それでも、自己を完結させている人々のこのダムは、囲いからにじみ出る感情を花崗岩の崖からほとばしる水源のように、より印象的に、より感動的に、よりいっそう際立たせるだけだった。

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