「帰ってくる度に日本が閉じつつあるのを感じる」「戦争とともに生きた世代は、間もなくいなくなる。今の日本をどう開くことができるか」。日高六郎さんがそう熱を込めて語るのを聞いたのは2005年のことだ。そのころパリ郊外に住んでいた日高さんが戦後60年の夏、著書刊行などに合わせて一時帰国し、東京都内で開かれた米寿と出版を祝う会の席だった。
戦後の平和運動、市民運動とともに歩んだ人である。60年安保闘争からベトナム反戦、水俣をはじめとする反公害など、戦後の社会運動史の中で日高さんの名は代表的な知識人の一人として刻まれている。1960年代末の大学紛争では知の権威を担う「進歩的文化人」として学生から批判を浴びる側に回り、自らは機動隊導入への反対を主張したが実を結ばず、東京大教授を辞任する。だが、その後も社会的な発言、運動への意欲は衰えな…
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