金剛山はとにかく昔からさまざまな歴史に関わってきた痕跡があちこちに見受けられる。
個人的には歴史にはほとんど興味がないのが残念ですが、
そんな中で以下のような記事をみつけました。
金剛山の南側山腹にあるそうですが、いったいどのあたりにあるものなのでしょうか。
久留野峠が南側に位置することから、奈良側、
しかもさらに南のダイトレ上にあるのかもしれません。
それであれば五條林道ルートを登った時に見ているはず。
ちょっと情報不足で場所が特定できません。
取材現場から:’08年を振り返って 金剛山南側山腹 /奈良2008/12/26 毎日新聞 地方版 21ページ ◇信仰、歴史秘めた場
年末になって、わくわくするような体験をした。古代、山岳信仰の場だった金剛山南側
山腹の林の中に、今は忘れられかけている古い寺院跡を尋ねたのだ。13日「巡礼 やま
とぷらっと」で紹介した草谷寺(五條市北山町)が元々あったと伝えられている竜頭寺跡
だ。
ふもとから40分も歩くと寺跡らしい平たい場所に出た。広さ300平方メートルほど。
地図で見ると標高約600メートル、五條市街との高度差は約500メートル。
一段と高い壇のような所もある。いかにも寺跡のようだ。現地を見た市立五條文化博物
館の前坂尚志学芸員は「金堂、講堂、塔のセットの配置は少し難しい。
大きめの堂があったのかも」と言い、建物礎石は見つからないそうだ。
すぐ下の方には棚田のような段もある。草谷寺相談役の植田淳示さん(77)から水田
跡と聞いて「こんな山の上に」とまた驚いた。しかも戦後まで耕作していたとは。近くに
は「龍頭塚」と彫った自然石があり、その前の石碑は「宝永七年」(1710年)などの
文字が読める。
草谷寺は修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたという伝承が、江戸
時代の1700年ごろの記録にも残る。役行者は続日本紀に「葛城山系に住み、世を惑わ
すと699年、伊豆の島に流された」という記載がある。
金剛山の東側には古代豪族と関係があるとみられる飛鳥時代の寺跡が残る。竜頭寺があ
ったとしても創建時期も不明だが、南側の山林は、そうした寺に所属しない、農民が国の
課役を逃れて出家した僧らの行の場だった可能性があるのではないか。
毎日見ている金剛山がこんな信仰や歴史を秘め、生活の場でもあったとは思いもしなか
った。【栗栖健】
■写真説明 金剛山山腹にある平らな場所。竜頭寺跡と言い伝えられている
※写真はありません。