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ビーチサイドの人魚姫
俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

女優が舞台を降りる時(追悼:森光子さん)。

2012年11月17日
芸能 8
森光子

 人生を一つの舞台として捉えれば、わたしたちもまた自分の人生を演じている訳であるが、何れそのステージから降りなくてはならない時期が来る。
 それが「死」をもって人生の完結とするかは人によって捉え方は様々であるが、自分がどのような舞台を踏んで来たかによって故人が人々に与える影響は大きく、死後も尚その舞台があたかも魂を得たかのように存在しているのは間違いないだろう。
 先日10日に肺炎による心不全でこの世を去った女優の森光子さん(92)は、激動の昭和と平成の時代を70年に渡り生き抜いた偉大なる女優の一人である。
 彼女の芸歴やこれまでの活躍などをこのページだけで語り尽くせるものではないが、わたし個人としてみた女優「森光子」を語ってみたいと思う。
 先に亡くなった大滝秀治さんが、「名脇役」と知られているように、彼女もまた脇役からのスタートだったようである。
 70年という長さを省みれば、日本に於ける戦争の歴史をある程度紐解く必要があるだろう。1937年に勃発した日中戦争の影響もある中、当時の映画製作が激減した事などにより、歌手を志望し1941年に上京。
 戦火の拡大が本土を超えて中国大陸など各地に飛び火して行く中、藤山一郎、田端義夫、淡谷のり子らと同じステージに立ち、戦地慰問なども経験している。
 わたしはもちろん年代的に言っても彼女の歌を一度も聴いてはいないが、戦後は進駐軍などの施設でジャズやアメリカン歌謡などを歌っていたようである。
 この様に若い頃からの様々な経験や体験によって現在の「森光子」が誕生した訳であるが、彼女の女優デビューは決して楽観的なものではなかった。
 彼女の名を最もポピュラーにしたのが言わずと知れた「時間ですよ」である。わたしと同期の年代の方たちであれば皆そう思う筈。
 わたしの見た「時間ですよ」は、1970~1973年に渡りTBS系列で放映されたものであり、この人気ドラマの中で女将さん役が大当たりし一躍彼女の名がお茶の間を賑わすようになり、一般視聴者にまで知れ渡る事となった。
 「おかみさん時間ですよ」で始まるこの愉快なドラマからは多くの人気タレントや歌手が誕生しており、わたしの青春時代の一ページを飾ってくれている。
 堺正章を始め、悠木千帆(樹木希林)、天地真理、そしてわたしが最も好きだったタレントの浅田美代子が「赤い風船」でデビューしたのもこの番組だったと記憶している。
 国民的人気番組の主人公として森光子はお茶の間に欠かせない存在となったが、やはり本業はブラウン管の中ではなく、舞台女優と言うことだったのだろう。
 それは「放浪記」との出会いによって確立されたものに成長して行く事となるが、彼女がエンターティナーと呼ばれる所以は舞台だけでなく映画、テレビドラマ、バラエティショーなど数多くの場面で培われて行ったその芸風にあるのだとわたしは思う。
 病床にあっても尚、舞台に立つ事を諦めず、生涯現役を貫いた役者魂は多くのファンや後輩たちの心を熱く揺さぶるものであった。
 時を同じくして亡くなった政治評論家の三宅久之さんや、そしてまた治療の甲斐も虚しく亡くなった桑名正博さんのお二方の分も含めて心よりご冥福をお祈り致します。

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俊樹
この記事を書いた人: 俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに20歳から詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作(幼少編・養護学校編・青春編)父を主人公にした(番外編)を現在執筆中。
詩、小説、エッセイ、作詞など幅広く創作。
2019年9月、一眼レフデビュー。Nikon D700を使用。
2020年4月、Nikon D810にアップグレード。
2021年夏、ミラーレス一眼 Z7Ⅱへと更にアップグレード。
2022年10月3度目となる心臓手術を受け、大成功を収める。
2023年8月徐脈性心房細動で心停止(失神)したため、ペースメーカーを植え込む。

コメント8件

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ネリム

いつもコメント有り難うございます。

森光子さんは素晴らしい方だなと思います。

ご冥福をお祈りします。

2012年11月17日 (土) 16:46

ぬきち

こんにちは
 
人の死は、私にとって、自分の時間の限界とそれまでの過ごし方を考えさせられる機会ともなります。 
 
昨日は訪問ができなくて、たいへん失礼いたしました。
今日からまた、応援ポチ、させていただきます。

2012年11月17日 (土) 20:41

moz84

遅咲きの女優と いう言葉に私は勇気を貰いました。

こんな言い方がいいのか、どうか分からないけれど

また一人、怪物を失った。残念です。

2012年11月17日 (土) 21:01

らじお

初めまして。らじおと申します。コメ失礼します。

森光子さん、素晴らしい方でしたね。

あの方には、「時分の花」ではなく「真実の花」が咲いていたように思われます。歳をとっても変わらない、独特の魅力がありましたね・・・。

また、遠いところで人が死んでしまいました・・・。
ご冥福をお祈りいたします。

2012年11月18日 (日) 21:50

-

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2012年11月20日 (火) 10:34

フウ

大物女優死去

幾多の戦争の時代を潜り抜けてこられた
森さんにご冥福お祈りいたします。

私たち就職氷河期世代から見ると、大変な
時代を生き抜いてこられた方々がだんだんと
姿を消していく中

私たちの世代の中から偉人がこれから輩出
されたいくのか疑問です。

2012年11月20日 (火) 19:46

月子

こんにちは。訪問コメありがとうございました。

森光子さんと言えば、「時間ですよ」もそうですが、「3時のあなた」の司会をされていたのも印象的です。かの田中角栄も森さんからインタビューを受けた後、その邪気のなさ、真摯な対応に感動の涙を流していた映像が流れていました。

昭和という時代がどんどん遠くなっていくのを感じますね。

2012年11月23日 (金) 16:55

卍心の耀

MIRAI

MIRAI no NIPPON

http://whatdoyoubelieve.blog.fc2.com/blog-entry-1197.html

2012年11月25日 (日) 12:23

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