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ビーチサイドの人魚姫
俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

モスラからの伝言(伊藤エミ追悼)。

2012年07月02日
芸能 11
モスラ

 先ず初めに、名司会者でありマルチタレントだった『小野ヤスシ』さん、そして「ちい散歩」でお馴染の個性派俳優『地井武男』さん(「北の国から」で中畑役の彼が大好きだった)このお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 本来であれば、個々の記事を綴りたいところではあるが、自分としては最も思い入れのある伊藤エミさん(ザ・ピーナツ)の訃報について触れてみたいと思う。
 1960年代の歌謡界に於いて、その時代の寵児となった『ザ・ピーナツ』。「恋のバカンス」「恋のフーガ」など数多くのヒット曲を世に送り出した双子デュオである。
 その姉である『伊藤エミ』さん(71歳)が他界した。死因などは明らかにされていないが、末期がんだったと思われる。
 わたしは、ザ・ピーナツの歌う『モスラの歌』『インファントの娘』が大好きで、子どもの頃はよく口ずさんでいたし、今でもフルコーラスを歌う事が出来る。
 怪獣ブームの先駆けとなった東宝映画の代表作『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』『モスラ』『キングコング対ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』などは、当時の子どもたちに無限の夢と空想を与え、娯楽としての怪獣映画が定着した時代でもあった。
 小学生時代のわたしはいじめられっ子で、当時の様子を思い出したくもないほどであるが、そんなわたしに付いたあだ名が『怪獣博士』だった。
 普段は教室の隅で出来るだけ目立たず小さくなっていたが、怪獣の話題になると「怪獣の事なら神戸君に聞け」と言われ、その時だけわたしはクラスの人気者になり、ヒーロー気分を味わう事が出来た。
 怪獣の名前や特徴を全て暗記しており、架空のものだけでなく恐竜などについても詳しく、学術名やその特徴までも記憶していたからである。
 漫画を描く事も好きで得意なゴジラやモスラなど机の上や教科書、ノートに至るまで描けるスペースのある所は全て怪獣の絵で埋め尽くされていた。
 父が府中刑務所に服役中だった時、「ザ・ピーナツが慰問に来た」と教えてくれたりしたので、「刑務所って大スターに会えるんだ、いいなぁ」などと思ったものである。
 伊藤エミさんは、1975年に沢田研二さんと結婚しそれを機に芸能界を引退。それ以後ザ・ピーナツの姿をTVなどで見掛ける事はなくなった。
 結婚の数年後には長男を授かるなど円満な結婚生活を送っていると思われたが、沢田と女優の田中裕子の間で不倫愛が発覚、1987年に協議離婚しているが、最後まで沢田姓を貫いたのは子どもの事が背景にあったからであろう。
 ザ・ピーナツでもう一つ忘れてならないのが1961年~1972年にかけて放映されたバラエティ番組の『シャボン玉ホリデー』である。
 ハナ肇とクレイジーキャッツをメインに、コント、歌、トークなどでお茶の間の人気を独占、この番組から誕生した歌手の代表が『布施明』や『伊東ゆかり』ではないだろうか。
 番組のエンディングでザ・ピーナツが歌う『スターダスト』の音色に酔いしれながら、ハナ肇の毒舌じみたコントに肘鉄を食らわす2人の姿を見るのも楽しみだった。
 きっと今頃は天国でハナ肇に肘鉄を一発お見舞いしているのではないだろうか…。心よりご冥福をお祈り致します(合掌)。

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俊樹
この記事を書いた人: 俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに20歳から詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作(幼少編・養護学校編・青春編)父を主人公にした(番外編)を現在執筆中。
詩、小説、エッセイ、作詞など幅広く創作。
2019年9月、一眼レフデビュー。Nikon D700を使用。
2020年4月、Nikon D810にアップグレード。
2021年夏、ミラーレス一眼 Z7Ⅱへと更にアップグレード。
2022年10月3度目となる心臓手術を受け、大成功を収める。
2023年8月徐脈性心房細動で心停止(失神)したため、ペースメーカーを植え込む。

コメント11件

コメントはまだありません

ちいさんぽ

詳しい

芸能にも 詳しいのですね。勉強になりました

2012年07月03日 (火) 20:33

俊樹

Re: 詳しい

> 芸能にも 詳しいのですね。勉強になりました
コメントありがとうございます。
ブログには書きませんでしたが、ザ・ピーナツの2人がわたしの叔母に似ていたので、
それもあって思い入れが深いんです。

2012年07月03日 (火) 22:24

梢華

こんばんは。
ザ・ピーナツは懐メロ番組でしか歌声を
聞いたことがないんですが、
子供心に上手だなという印象を持ってました。
小野ヤスシさんといい、地井武男さんといい、
まだ鬼籍には入るには若い方々の訃報続きに
無常を感じるここ数日です。

2012年07月04日 (水) 20:06

俊樹

Re: タイトルなし

> こんばんは。
> ザ・ピーナツは懐メロ番組でしか歌声を
> 聞いたことがないんですが、
> 子供心に上手だなという印象を持ってました。
> 小野ヤスシさんといい、地井武男さんといい、
> まだ鬼籍には入るには若い方々の訃報続きに
> 無常を感じるここ数日です。
男性の方の訃報が続きますね。
ヤスシさんの場合はある程度死期が迫っている事を感じ取れましたが、
地井さんはまさに急死でした。
元気そうに見えたのですが、分からないものです。

2012年07月04日 (水) 22:06

二階堂 新

こ、これだっ!

 ウルトラマンと怪獣映画大好きだった小学生の頃、特に「モスラ対ゴジラ」(1964年)は忘れ得ぬ名作だった。
なぜかザ・ピーナッツの二人が小人役で祈りの歌を捧げると、モスラの幼虫がさなぎから成虫となり・・・。40年以上経っても、まざまざとそのシーンがよみがえる(笑) 
 伊藤エミさん、本名沢田日出代さん、享年71、合掌。

2012年07月05日 (木) 01:07

俊樹

Re: こ、これだっ!

>  ウルトラマンと怪獣映画大好きだった小学生の頃、特に「モスラ対ゴジラ」(1964年)は忘れ得ぬ名作だった。
> なぜかザ・ピーナッツの二人が小人役で祈りの歌を捧げると、モスラの幼虫がさなぎから成虫となり・・・。40年以上経っても、まざまざとそのシーンがよみがえる(笑) 
>  伊藤エミさん、本名沢田日出代さん、享年71、合掌。

モスラの歌はインドネシア語だったので意味も分からず歌っていましたが^^
インファントの娘も隠れた名曲だと思います。

2012年07月05日 (木) 01:39

じゃすみん

昭和のスター達

伊藤エミさん、小野ヤスシさん、地井武男さん。
昭和のスター達の訃報、
寂しいですね。
皆さんの素敵な笑顔が思い出されます。

2012年07月05日 (木) 16:09

俊樹

Re: 昭和のスター達

> 伊藤エミさん、小野ヤスシさん、地井武男さん。
> 昭和のスター達の訃報、
> 寂しいですね。
> 皆さんの素敵な笑顔が思い出されます。

尾崎紀世彦さんも他界してまだ間もないですよね。
寂しい限りです。

2012年07月05日 (木) 18:19

reev21

初めまして、青森の片田舎に住むデブなオヤジです。

オヤジも俊樹さんと同じで、東宝の怪獣映画は必ずと言って良いほど観に行きました。 今でも大好きです。 インファント島から来た小人の女の子。 神秘的でした。 今のCGから比べればはるかに劣るのかも知れませんが、ミニチュアモデルを使った特撮は、おそらくハリウッドでもできなかったと思っています。

2012年07月08日 (日) 23:00

俊樹

Re: タイトルなし

> 初めまして、青森の片田舎に住むデブなオヤジです。
>
> オヤジも俊樹さんと同じで、東宝の怪獣映画は必ずと言って良いほど観に行きました。 今でも大好きです。 インファント島から来た小人の女の子。 神秘的でした。 今のCGから比べればはるかに劣るのかも知れませんが、ミニチュアモデルを使った特撮は、おそらくハリウッドでもできなかったと思っています。

当時の怪獣映画はお金がかかっていましたね。
観客動員数が最も多かったのはキングコング対ゴジラですがこれは日米共同作品でした。
東宝のスターが総動員で豪華そのものでした。
当時の費用で2億円とも言われてました。
今ではとても考えられません。

2012年07月09日 (月) 00:35

ピアニスト ぴよぴよ

モスラ

がんばれ。ピヨピヨ
ピヨピヨ

2012年08月25日 (土) 20:39