浅野拓磨 単語

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浅野拓磨Takuma Asano, 1994年11月10日 - )とは、日本プロサッカー選手である。
スペインラ・リーガRCDマジョルカ所属。サッカー日本代表

ポジションはFW。173cm71kg。利き足は右足。称は「ジャガー」。

概要

三重県三重菰野町出身。四日市中央工業高校2年生のときに全高校選手権で史上4人となる初戦から決勝までの全試合でゴールを決めて得点王となり、注を浴びるようになる。卒業後はサンフレッチェ広島に入団し、スーパーサブとして2015年J1リーグ優勝に貢献。

その後、イングランドアーセナルFCに移籍し、労働許可が下りなかったためドイツクラブレンタルされるが、インパクトを残すことができずにアーセナルを退団。しかし、セルビアで結果を残したことで再びブンデスリーガのVfLボーフムでプレーすることとなる。ボーフムでは3シーズン力としてプレーチームの1部残留に貢献。2024年からはラ・リーガRCDマジョルカに移籍。

日本代表には2015年デビュー2018年ワールドカップメンバーから落選したものの、広島時代の恩師である森保一が代表監督に就任してからは常連として定着。2022 FIFAワールドカップドイツ戦では日本代表の大金星をもたらす重な決勝ゴールを決めている。

爆発的なスピードが持ち味で、縦に素く仕掛けるサッカーを好む監督からは重宝されている。一方、足元の技術やポストプレー均以下であり、試合か消えることも多いため代表選出のたびにファンから選出を疑問視され、「保の愛人」と揶揄されることもある。しかし、前述したドイツ戦やリオデジャネイロオリンピックなど大舞台に強く、突然覚醒して結果を残しているため、「浅野ガチャ」と呼ばれている。

経歴

プロ入り前

7人兄弟の三男坊であり、男の子6人に末っ子のが1人という両含めて9人家族で育っている。ちなみに、末の浅野よりも17歳年下である。大家族ということもあり、豊かとは言えない計を支えるためにプロサッカー選手すようになる。ちなみに2歳下のである雄也もプロサッカー選手である。

で幼い頃からサッカーを始め、小学生時代はペルSC中学生時代は菰野町立八中学校プレーした。ちなみに2チームとも県外遠征をすることはあれども、当時は全的には名のチームだった。ただ、中学生の頃には、すでに将来はプロサッカー選手になることを決めていた。

中学時代までは名校(=遠征がなくお金がかからない)でサッカーに打ち込んでいたが、部活の顧問に熱心に説得され、家族の了解を得て名門校である(=遠征や合宿が多くお金のかかる)四日市中央工業高校へ進学。同期には田村翔太がいた。1年生のときから試合には出場しており、2年生になってレギュラーを掴む。高校選手権には3大会連続で出場。特に2年生のときの第90回大会では、史上4人となる初戦から決勝までの全試合で得点記録。決勝で市立船橋に敗れ、準優勝となったが、通算7ゴールを決め、大会得点王となる活躍を見せる。この活躍で浅野名前一気に区となり、卒業時には複数のJクラブからオファーが殺到。そこで彼が選んだのは、前年に初の優勝を果たしたサンフレッチェ広島だった。

サンフレッチェ広島

2013年J1リーグサンフレッチェ広島に入団。同期にはユース出身で有望とされた野津田岳人がいた。鳴り物でプロとなったが、当時の広島には絶対的エース佐藤寿人がおり、その壁はあまりにも厚く、ベンチ入りすらできない日々が続いていた。ようやく初めてベンチ入りできたのは8月で、9月14日J1第29節川崎フロンターレ戦でJリーグデビューを果たす。しかし、リーグ戦で出場できたのはその試合のわずか8分のみで、選手権得点王の看板プロ世界ではたやすく通用しないことを痛感させられた。

プロ2年となった2014年は、11試合に出場したものの得点に終わり、リーグ戦での出場時間も277分と短く、まだチーム力となれていなかった。

3年2015年でようやく結果を残す。J1 1stステージ第6節FC東京戦で後半27分に途中出場すると、決勝ゴールとなるリーグ得点を決めてヒーローになる。この試合をきっかけに覚醒森保一監督の方針で、佐藤寿人が相手CBを疲弊させた後にバトンタッチし、そのスピード一気にゴールを陥れる選手起用が必殺パターンとするスーパーサブとしての役割が定着。この年はスタメン出場は2試合のみだったものの途中出場だけで8ゴールを決める。12月5日ガンバ大阪を相手としたチャンピオンシップ第2戦では、広島を3度Jリーグ優勝に導く同点ヘッドexitを放ち、タイトル獲得の立役者となる。この活躍が認められ、Jリーグアウォーズにおいてベストヤングプレーヤー賞を獲得。まさにブレイクの年となった。

2016年には、背番号「10」に変更となり、更なる活躍が期待される。3月16日AFCチャンピオンズリーグ グループステージ第3節ブリラムユナテッド戦では2ゴールを決め、リーグ戦初勝利に貢献。この年は佐藤寿人に衰えが見え始めたこともあり、スタメンで起用される機会も増える。になると、アーセナルアーセン・ヴェンゲル監督にとまり欧州への移籍が決定。7月18日J1 2ndステージ第4節横浜F・マリノス戦を最後に退団することとなった。

ドイツでのレンタル時代

2016年7月3日イングランドプレミアリーグアーセナルFC全移籍することを発表。だが、イングランドプレーするために必要な労働許可が取得できず、2016年8月26日ドイツブンデスリーガ2部(ツヴァイテリーガ)のVfBシュトゥットガルトへ1年間の期限付き移籍することが決定。背番号は11。

2016年9月6日、ハイデンハイム戦で移籍後初出場を果たす。10月30日ツヴァイテリーガ第11節カールスルーエ戦では待望の初ゴール記録ドイツの地でジャガーポーズを披露する。しかし、その後は起用法がなかなか定まらなかったこともあって結果を残せず、得点が続いていた。2017年4月9日、再びカールスルーエを相手に2ゴールを奪い、およそ5かぶりにゴール記録海外での1年は25試合4得点という成績を残し、チームも1年での1部復帰を果たす。

2017-18シーズンも引き続きシュトゥットガルトプレーすることになる。8月19日ブンデスリーガ開幕戦ヘルタ・ベルリン戦でドイツトップリーグで初出場を果たす。10月25日、第13節ハノーファー96戦でブンデスリーガゴールを奪う。しかし、に負った負傷の1月監督交代によって出場機会が減少。シーズンを通して負傷にも悩まされ、結局15試合1得点という成績に終わる。シーズン終了後、シュトゥットガルトからレンタル契約の終了が発表される。

2018年5月13日ブンデスリーガハノーファー96への1年間のレンタル移籍が発表される。背番号11。開幕戦こそスタメンで出場したものの、またも怪が相次いだこともあってポジション争いで後手を踏む。加えてチームも2部降格の危機するほど低迷したことで保有先のアーセナルとの出場試合数が基準に達した場合の買い取り義務が問題となり、あと2試合で買い取りという段階でマルティン・キン会長浅野の起用禁止を示。2019年4月以降は全試合でベンチ外となってしまう。13試合得点に終わり、追われるような形でハノーファーを退団することに。

2019年8月4日にはアーセナルからの退団も発表され、結局1度もプレーする機会が与えられなかった。

パルチザン

2019年8月1日セルビアスーペルリーガの強パルチザン・ベオグラード全移籍したこが発表される。3年契約背番号ドイツ時代と同じ11。移籍決定から1週間後におこなわれたUEFAヨーロッパリーグ予選3回戦速初ゴール記録する。その後もレギュラーを獲得し、コンスタントに出場機会は得られたものの、怪もあって思ったようにゴール数は伸びず。新型コロナウィルスによるリーグ戦の中断期間が明けた2020年5月30日の第27節ムラドスト・ルチャニ戦で1ゴール1アシストの活躍を見せる。セルビアでの1年公式戦27試合6得点となる。

2020-21シーズンは、第2節、第3節と2試合連続ゴールを決め幸先の良いスタートを切ると、これまでと違ってすぼみになることなくコンスタントゴールを積み上げていく。12月16日の第19節ムラドスト・ルチャニ戦で2試合連続ゴールを決め、自身のプロキャリアで初となるリーグ戦二桁得点を達成。年を明けても勢いは衰えることがなく、得点ランクでも上位に食い込み、得点王が手に届く位置にまで付けていた。パルチザンのエースストライカーと言える存在となり、4月17日の第32節マチュヴァ・シャヴァツ戦でゴールを決め、得点ランク2位の18ゴール記録する。
ところが、2021年5月2日、自身のSNSクラブからの給与未払いを理由にパルチザンに対して一方的契約解除を発表する。この浅野行動チームメイトクラブOBから批判があがり、パルチザン側も抗戦の意向を表明し浅野契約違反をFIFAに提訴することを発表する。

ボーフム

2021年6月22日ドイツブンデスリーガのVfLボーフムを3年契約を締結したことが発表される。背番号は10。セルビアでの実績が買われ、シーズン序盤はスタメンで起用されていたが、なかなか結果が出せないままシーズン前半戦は期待外れの出来となった。2022年1月22日、第20節ケルン戦で途中出場から5分後にようやく移籍後初ゴールを決める。4月2日の第28節ホッフェンハイム戦では、2ゴールの活躍でチーム勝利に導き、初めてキッカー誌によるベストイレブンに選出される。終盤戦の3試合では3アシスト記録し、ゴール数に物足りなさはあるものの新地を開き、チームの残留に貢献。

本人の希望により背番号を11に変更した2022-23シーズンも開幕から6試合連続でスタメン入りするが、2022年9月10日ブンデスリーガ第6節シャルケ04戦で試合開始直後に負傷交代となり、右膝内側側副じん帯の部分断裂離脱することに。さらに、開幕6連敗と絶不調のチームトーマスレイ監督が解任となる。ワールドカップに出場し、2023年1月21日の第16節ヘルタ・ベルリン戦でおよそ4かぶりにブンデスリーガピッチに立つ。2月4日の第19節ホッフェンハイム戦で待望のシーズンゴールを決め、勝利に貢献する。その後もスタメンとして出場し続け、5月27日の最終節バイヤー・レヴァークーゼン戦ではチームの2点を決め、ボーフムのブンデスリーガ残留に貢献している。

2023-24シーズンも開幕からスタメンで起用されると、2023年9月2日ブンデスリーガ第3節アウクスブルク戦ではおよそ2年ぶりとなる1試合2ゴールの活躍を見せる。11月3日の第10節SVダルムシュタット戦では先制ゴールと勝ち越しゴールの2ゴールを決め、未勝利だったボーフムにシーズン勝利をもたらす。2024年2月18日の第22節バイエルン・ミュンヘンでは2022 FIFAワールドカップに続いてマヌエル・ノイアーからゴールを奪い、ボーフムの大金星に貢献する。その後はチームの不振もあって3か以上ゴールから遠ざかり、監督交代後はスタメンから外れることも。それでも入れ替えプレーオフ フォルトゥナ・デュッセルドルフ戦の第2戦では途中出場から流れを変える役割を果たし、PK戦でもきっちりと成功させ、3点差をひっくり返す大逆転での残留に貢献。
シーズン終了後の5月31日契約満了により退団することが発表される。

マジョルカ

2024年8月6日スペインラ・リーガRCDマジョルカ全移籍で加入することが発表される。プレシーズンでのアピールに成功し、開幕からレギュラーとして起用される。しかし、2024年9月17日ラ・リーガ第7節レアル・ソシエダ戦で膝を負傷し戦線を離脱。10月に復帰に近づいていたが、練習中に右足ハムストリングを負傷して再び離脱となる。

日本代表

日本の年度別代表にもくから選ばれ、チームメイトの野津田岳人とともにアンダー世代の常連となっており、2013年にはU-20日本代表として東アジア競技大会に出場。

2014年にはリオデジャネイロ五輪出場をU-21代表に選出。2014年1月に開催されたAFC U-22選手権2013では1ゴールを決めている。

2015年8月のEAFF東アジアカップ2015フル代表に初選出され、8月2日北朝鮮においてデビューを飾る。縦に素い攻撃をヴァヒド・ハリルホジッチ監督からは爆発的なスピードを買われ、大会後も代表に呼ばれるようになる。

オリンピック出場権もかかった2016年1月AFC U-23選手権2016では準決勝までゴールが生まれなかったものの途中出場で相手のラインを押し下げる広島と同じ役割をこなしていた。決勝の韓国戦では、2点ビハインドの状況で投入されると裏抜けからのワンタッチシュートで1点を返し、同点となった後半36分にはブロックターンから値千金の逆転ゴールを決める。日本を初優勝に導く2ゴールの大活躍で見事ヒーローとなるのだった。

2016年6月3日キリンカップサッカー2016 ブルガリア戦では、PKでフル代表初ゴール記録する。

2016年8月に開催されたリオデジャネイロオリンピックに出場するU-23日本代表メンバーにも選出。初戦のナイジェリア戦では途中出場からゴールを決め、スタメン出場となった第2戦のコロンビア戦でも2試合連続となるゴールを決めている。世界舞台で自慢のスピードを発揮し、相手の脅威となったがチームは1分2敗に終わり、グループリーグ敗退となった。

オリンピック後は、2018 FIFAワールドカップ アジア最終予選に出場。初戦となった2016年9月1日の第1節UAE戦では、後半から出場したがゴールラインを割ったように見えたシュートが、不可解な判定によってゴールと認められず、日本は敗戦。5日後の第2節タイ戦では、フル代表での初スタメンを飾ると後半30分に今度は正正銘のゴールを決めている。その後もに途中出場で相手を掻き回す役割を任されると、ワールドカップ出場が懸かった大一番となった2017年8月31日オーストラリア戦では右WGとしてスタメンに抜。前半41分に長友佑都クロスに合わせて重な先制ゴールを決め、ワールドカップ出場権監督の立役者となる。

ワールドカップ出場に期待がかかったが、2018年4月ハリルホジッチ監督電撃解任となり、西野朗監督が就任すると事態が一変。ワールドカップ本大会のメンバーからは外れ、予備登録メンバーとして帯同することになる。

2018年9月サンフレッチェ広島時代の恩師である森保一監督が代表監督に就任すると、初陣となったコスタリカ戦のメンバーに選出される。しかし、2019年1月AFCアジアカップ2019メンバーに選ばれながらも左内転筋の離れによって辞退。その後、怪や所属チームで干されたこともあって代表から遠ざかるが、2019年10月15日2022 FIFAワールドカップ アジア二次予選のタジキスタン戦で復帰すると、途中出場から代表では2年ぶりとなるゴールを決めている。

2021年9月からスタートした2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選では所属クラブで結果を残せていなかったことから代表入りに疑問のも挙がったが、監督からの信頼は変わらなかった。日本が崖っぷちに立たされた第4節のオーストラリア戦では1-1の同点となった場面で投入されると、後半41分に放ったシュートオウンゴールを誘発し、値千金の勝利を呼び込む。

2022年9月に負った右膝靭帯部分断裂の重傷から復帰できずにいたが、11月に開催された2022 FIFAワールドカップメンバーに選出される。コンディションを不安視するもあったが、グループリーグ初戦のドイツ戦に途中出場すると、後半38分に板倉滉ロングボールを受けて自慢のスピードを活かして抜け出すと、GKマヌエル・ノイアーニアをぶち抜く逆転ゴールを決め、ドーハの歓喜と呼ばれる歴史的大金星の立役者となる。その後の3試合でも三笘薫と同様に1点が欲しい場面で投入される切り札的な存在として重宝される。ラウンド16のクロアチア戦のPK戦では3人キッカーを務め、日本一成功させている。

2023年9月9日ドイツ戦では、久保建英からのプレゼントパスをきっちりと決め、ドイツ戦2試合連続ゴールを達成。再びドイツ絶望の淵に叩き落とし、「ドイツキラー」と呼ばれるようになる。
2024年1月カタールで開催されたAFCアジアカップ2023では第2戦のイラク戦で1トップのスタメンとして起用されるが、全く存在感いまま後半16分に交代となる。ラウンド16のバーレーン戦では15分ほどの出場時間で何度か決定機を迎えるがことごとくフイにしてしまう。結局3試合0得点で大会を終え、代表OBの田中マルクス闘莉王からはYouTubeで辛辣な酷評をされる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2013 サンフレッチェ広島 J1リーグ 1 0
2014 サンフレッチェ広島 J1リーグ 11 0
2015 サンフレッチェ広島 J1リーグ 32 8
2016 サンフレッチェ広島 J1リーグ 14 4
2016-17 シュトゥットガルト(loan) ツヴァイテリー 26 4
2017-18 シュトゥットガルト(loan) ブンデスリーガ 15 1
2018-19 ハノーファー(loan) ブンデスリーガ 13 0
2019-20 パルチザン スーペルリーガ 23 4
2020-21 パルチザン スーペルリーガ 33 18
2021-22 ボーフム ブンデスリーガ 27 3
2022-23 ボーフム ブンデスリーガ 25 3
2023-24 ボーフム ブンデスリーガ 29 6
2024-25 マジョルカ ラ・リーガ

プレースタイル

武器は50メートル59を誇る快速であるスピードに特化したストライカートラップやドリブルも非常に上手く、ワントラップで敵DFの足が届かない位置にボールを落とし、スピードを一切落とさぬ高速ドリブル敵陣に迫るexitことができる。また広島時代の大先輩である佐藤寿人に学び、裏抜けやワンタッチシュート、さらにポストプレイもこなせるようになった。

爆発的なスピードを生かした裏抜けが得意なゴールパターンであり、初速で相手の半歩前に出て、マークを外して抜け出す。自ら仕掛けて相手を置き去りにするプレーもこなせる。運動量の豊富さも特徴的で、スピードを生かして守備の局面では相手DFに圧力をかけることもできる。

一方でゴールパターンがそこまで豊富ではなく、相手にスペースを消されるとスピードを生かせず、試合から消えてしまう。足元の技術も海外トップリーグレベルでは十分と言えず、足下でボールを受けても何もできないこともある。

信じられないゴラッソを決めて大活躍する試合と全く何もできずに終わってしまう試合の落差がしいことからファンからは「浅野ガチャ」と呼ばれている。

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