井手口陽介(いでぐち ようすけ、1996年8月23日 - )とは、日本のサッカー選手である。
J1リーグ・ヴィッセル神戸所属。元サッカー日本代表。
福岡県福岡市出身。中学進学時に大阪に渡りガンバ大阪ジュニアユースに入団、2014年に17歳でトップチームとプロ契約を結ぶ。
当初はベンチ入りの機会すらほとんどなかったが、翌年の終盤から試合後半の守備要因として活躍、2016シーズンの後半戦には主力に定着した。
同シーズン終了後のJリーグアウォーズではJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。
2018年1月9日、イングランドのEFLチャンピオンシップに所属するリース・ユナイテッドFCへ移籍するが、労働ビザが発行されていなかったためスペイン・セグンダ・ディビシオン(2部)に所属するクルトゥラル・レオネサへ期限付き移籍する。しかし、出場機会に恵まれずわずか5試合の出場にとどまる。
2018年夏に保有元のリーズへ復帰するが、マルセロ・ビエルサ監督の構想外となっており、ドイツ2部のグロイター・フュルトへレンタルで放出される。だが、ここでも定位置を掴むことができず、海外挑戦は失敗に終わる。
2019年1月5日、ガンバ大阪へ完全移籍で復帰。慣れ親しんだ古巣でベストフォームを取り戻すと、主力として活躍。特に2020年は持ち前の運動量でチームを支え、2位入りに大きく貢献。
2021年12月31日にスコットランドのセルティックFCへ完全移籍。二度目の海外挑戦となったが、度重なる怪我もあってここでも定位置を掴むことができず、2シーズンでわずか3試合のみの出場となった。
2023年2月に地元であるアビスパ福岡へ期限付き移籍。怪我で出遅れながらもスタメンに定着すると、クラブ史上初タイトルとなるルヴァンカップ優勝に貢献する。
2024年、ヴィッセル神戸に完全移籍。加入当初はポジションを掴めなかったが、山口蛍が長期離脱した後半戦にレギュラーを掴むとチームにフィット。持ち前の高いインテンシティによって神戸のリーグ連覇と天皇杯優勝の二冠達成に貢献する。
身長171cmと小柄ながら、豊富な運動量とボール奪取力を併せ持ち、縦への推進力や豪快なミドルシュートも持ち味。セットプレーのキッカーを任されるなどキックの精度も高い。
2013年にU-17日本代表に選出されるが、当時はヤンチャだった時期で監督をしていた吉武博文と反りが合わず、合宿でプレーに納得がいかなかった井手口がペットボトルを蹴り上げ、これを吉武監督が厳しく戒めた。だが、井手口は苛立ちを抑えることができず、宿泊先のホテルのフロントに練習着を預け、勝手に合宿から離脱した。その後、U-17日本代表に招集されなくなった。
2016年、AFC U-23選手権2016のU-23日本代表メンバーに最年少として選出、同年7月にはリオデジャネイロオリンピックの正式メンバーにチーム最年少として選出された。大会では第2戦のコロンビア戦でスタメンとして出場するが、自身の判断ミスから失点を許してしまう。
2017年6月のキリンチャレンジカップのシリア戦でA代表デビューを飾ると、プレー強度を買われて、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督から重宝されるようになる。同年8月の2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のオーストラリア戦では代表初ゴールを挙げ、日本代表の6大会連続W杯出場に貢献。
しかし、2018年になると海外への移籍で出場機会を失ったこととハリルホジッチ監督が解任されたことも重なって、2018 FIFAワールドカップ本大会のメンバーから外れてしまう。
森保一が日本代表監督に就任してからは、2019年11月に1年半ぶりに代表に復帰。12月のE-1サッカー選手権にも出場する。しかし、セルティックに移籍して以降は怪我が多かったこともあり代表から遠ざかっている。
厳つい風貌をしており若手時代はヤンチャだったことで知られる。実際ガンバ大阪ユースに所属していた高校2年生の頃は荒れておりサッカーを辞めようともしていたが、兄・正昭の説得と当時大病を患っていた母親の言葉で立ち直りプロでの活躍を目指すようになった。
日本人選手では珍しく、左肩から左ひじにかけてと、左脇腹、そして背中にもタトゥーが施されている。
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最終更新:2024/12/23(月) 19:00
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