酒井高徳 単語

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酒井高徳Gotoku Sakai, 1991年3月14日 - )とは、日本サッカー選手である。
J1リーグヴィッセル神戸所属。元サッカー日本代表

176cm74kg。ポジションはDF(サイドバック)。利き足は右足。

概要

日本人父親ドイツ人の母親を持つハーフであり、アメリカ合衆国ニューヨークで生まれる。2歳の時に日本に移住。

全員アスリートという四人兄弟の次男で、柔道酒井高喜、プロサッカー選手酒井宣福 (名古屋グランパス所属) 、元プロサッカー選手酒井

アルビレックス新潟を経て、2011年からであるドイツプレードイツ語が堪アドバンテージもあり、8シーズンを過ごしている。ハンブルガーSV時代はキャプテンを任されていた。2019年からは日本に戻り、ヴィッセル神戸プレー2023年にはJ1リーグ優勝を経験。

日本代表には2012年デビューFIFAワールドカップには2014年2018年の二大会連続で出場しているものの、ピッチに立ったのは1試合のみ。

左右両方をこなせるサイドバックで、左右両足で蹴ることができる。

経歴

生い立ち

アメリカニューヨークで生まれ、2歳の頃に仕事の都合で新潟県三条市へ引っ越す。10歳でサッカーを始め、三条サッカースポーツ少年団、レザーFSジュニアユースを経て、2006年アルビレックス新潟ユースに入団。2008年には、2種登録選手としてトップチームにも在籍し、11月15日、とりぎんバードスタジアムで行われた天皇杯5回戦のFC東京戦で公式戦初出場を果たしている。

アルビレックス新潟

2008年アルビレックス新潟トップチームに昇格。2009年J1リーグ開幕戦FC東京戦でJリーグデビューを果たす。この年は途中出場が中心だったものの、18試合に出場。

2010年になってレギュラーを獲得。公式戦35試合に出場し、チームも9位とまずまずの成績を残す。U-22代表の常連になるなど、飛躍の1年となった。2011年も引き続き力としてプレーし、10月1日ホームでの横浜F・マリノス戦でプロゴールを決める。

シュトゥットガルト

2011年12月ドイツブンデスリーガVfBシュトゥットガルトレンタル移籍。当時のシュトゥットガルトには岡崎慎司が在籍しており、ドイツ語が堪だったこともあって、すぐにチーム染みレギュラーを獲得。高いパフォーマンスを披露。現地の新聞から母親ドイツ人であることから、ドイツ代表にデビューさせるべきと報道されるほどだった。

2012-13シーズンには27試合、2013-14シーズンには28試合に出場。左右両方のサイドバックがこなせる器用さから重宝され、日本で居た頃よりも対人守備が大幅に向上する。

しかし2014-15シーズンにはシーズン序盤こそレギュラーとしてプレーしていたものの、チームが残留争いの渦中に巻き込まれた終盤に向かうにつれ出場機会が減少した。そんな中、2015年2月14日のホッフェンハイム戦でブンデスリーガゴールマーク

ハンブルガーSV

2015年7月に出場機会をめてドイツブンデスリーガハンブルガーSVへ移籍。シュトゥットガルト時代に導を受けたブルーノ・ラッバディア監督からの要請を受けて実現した。怪で出遅れたものの、ウィンターブレイク明けの後半戦にはレギュラーに定着。3月6日ヘルタ・ベルリン戦ではブンデスリーガ通算100試合出場を達成する。

2016-17シーズンは開幕から不調のチームは最下位にまで沈み、ラッバディアは解任。2016年11月、後任のマルクス・ギズドルからキャプテンに任命される。これまで歴史上一度も降格したことのないクラブが降格の危機に立たされていることもあり、キャプテンとして大きな重圧を受けるが、第18節FCインゴルシュタット04では自身約2年ぶりのゴールとなるミドルシュートを決めるなど奮闘。最終節で1部残留を決める。

しかし、2017-18シーズンは前年以上にチームは低迷。そして最終節でとうとうクラブは史上初の2部降格が決定。酒井ハンブルガーが初めて降格したときのキャプテンとなってしまう。

2018-19シーズンは、他クラブからのオファーを受けたものの責任を感じ残留を決意。1年での1部復帰が至上命題とされたが、4位に終わり昇格を逃す。これに怒ったサポーターキャプテンである酒井戦犯とみなし、最終節ではブーイングを浴びせられる。チームメイト酒井ったものの、誹謗中傷は収まらず、次のシーズンに突入しても批判は続く。酒井玉に挙げられた背景には、日本人キャプテンを務めている人種差別的な思想があるとも言われている。いずれにせよ、不当な扱いを受け続けたことからドイツでのキャリアに終止符を打つ。

ヴィッセル神戸

2019年8月J1リーグヴィッセル神戸への移籍が発表され、8年ぶりにJリーグに復帰。すぐに左サイドバック定位置を掴むと、アンドレス・イニエスタサポートする役割をこなし、力選手として活躍。翌年1月1日には天皇杯優勝を果たし、自身にとってもクラブにとっても初タイトルを獲得。

2020年はJリーガーで初の新型コロナウィルス感染者となってしまう。9月5日、第14節の湘南ベルマーレ戦で神戸移籍後初ゴールを挙げた。J1リーグでの得点は9年ぶりとなった。自身初のAFCチャンピオンズリーグでは6試合に出場し、ベスト4進出に貢献。

2021年リーグ戦全38試合にフル出場し、ACL圏内で神戸J1高順位となるリーグ3位に貢献。また、オーナー三木浩史が選ぶ「三木良一賞」を受賞。2022年も迷走するチームの中で前年に引き続きリーグ戦全34試合にスタメン出場。メディアからは「鉄人」と称される。

2023年は第2節でリーグ戦の連続出場記録が途絶えてしまうが、第3節のガンバ大阪戦ではプロになって初となる1試合2ゴール記録する。この年は右サイドバック戦場となったが、守備に怪人が続出したチーム事情もあってセンターバックでもプレーシーズン終盤に盟友山口蛍が負傷欠場した際にはボランチとしてを埋めるなどそのポリバレントぶりを遺憾なく発揮。また高いリーダーシップチームを統率するなど、クラブを初のJ1リーグ優勝に導いた。シーズン終了後には自身初のJリーグベストイレブンに選出される。

加入5年となった2024年は右SB広瀬陸斗というライバルが加入したものの、ファーストチョイスとしての座は揺るがず、全局面でチームに貢献し、両足で高精度のクロス配給する大車輪の活躍を見せる。6月30日の第21節鹿島戦で右足骨折の重傷を負い長期離脱となるが、復帰戦となった9月22日の第31節古巣である新潟戦で先制ゴールを決める。復帰後は過密日程で苦しい中で優勝争いを演じるチームを引っり、リーグ連覇と天皇杯優勝の二冠獲得に貢献。リーグ戦では10試合を欠場したにも関わらず、出場時間は3000分をえていた。

日本代表

2006年U-16日本代表に選出され、以後U-17、U-18と各カテゴリの代表チームに選出される。しかし、ユース年代ではアジアの壁を破ることができなかった。

2010年1月にはAFCアジアカップ2011最終予選第5戦(対戦相手: イエメン)に出場する日本代表に選出され、フル代表に初選出される。しかし、ピッチに立つことはできずデビューはお預けに。また、2010 FIFAワールドカップにはサポートメンバーとしてチームに帯同している。
12月にはAFCアジアカップ2011本大会に出場する日本代表に選出されたが、痛のためチームから離脱。

2011年からはU-22日本代表に選出され、オリンピック出場をすことになる。予選では左サイドバックレギュラーだったものの、2012年ロンドンオリンピック本大会ではオーバーエイジで徳永が選出されたことでバックアップという立場になる。ところが、初戦のスペイン戦で酒井宏樹が負傷したため出場機会が巡り、4試合に出場する。

2012年9月6日、地元である新潟スタジアムでのUAE戦で待望のフル代表デビューを果たす。その後も左右両方のサイドバックがこなせるユーティリティ性が買われて代表に定着するが、当時の代表のサイドバックには欧州で活躍する長友佑都内田篤人酒井宏樹が名を連ねており、出場機会は限れていた。

2014 FIFAワールドカップブラジル大会のメンバーにも選出されるが、内田長友の牙の前に一度もピッチに立つことはできなかった。

ハビエル・アギーレが代表監督に就任すると、内田が負傷で離脱したこともあって右SBレギュラーを掴む。アギーレには重用され、アギーレ時代の代表戦には全試合出場。AFCアジアカップ2015にも全試合フル出場を果たすが、この大会を最後にアギーレは解任。後任のヴァヒド・ハリルホジッチ酒井宏樹長友を重宝し、再びSBバックアッパーとなる。ハリルホジッチからはボランチとしてテストされるが、機せず、立った活躍はできないままだった。

2018 FIFAワールドカップロシア大会のメンバーに二大会連続で選出され、ターンオーバーを実施した第3戦のポーランド戦でようやくワールドカップ初出場を果たす。しかし、出場はこの試合のみだったうえにポジションも本職ではない右サイドハーフだった。大会後、次のワールドカップすつもりはないと発言し、事実上の代表引退を宣言。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2008


アルビレックス新潟



J1リーグ
0 0
2009 18 0
2010 31 0
2011 25 1
2011-12


シュトゥットガルト




ブンデスリーガ
14 0
2012-13 27 0
2013-14 28 0
2014-15 18 1
2015-16


ハンブルガーSV
22 0
2016-17 33 1
2017-18 28 0
2018-19 ツヴァイテリー 31 0
2019



ヴィッセル神戸




J1リーグ
12 0
2020 32 1
2021 38 1
2022 34 1
2023 29 2
2024 28 1

個人タイトル

プレースタイル

ポジションは左右のサイドバック。フィジカルが強く、長い距離アップダウンすることができるスタミナが持ち味。「キックは両足とも自信がある」と語っており、利き足ではない左足のフリーキックを託されることもある。また、対人守備おいて絶対的な安定感をみせる。

エピソード・人物

日本代表デビューするまでは、母親ドイツ人でドイツ代表を選択できる資格を持っていたため、ドイツ内では当時サイドバックの人材難に陥っていたドイツ代表に招集されるのではないかと噂されるほどであった。
実際にドイツ新聞に「ドイツ代表は一つのオプション」と発言・・・したかに思われたが、のちのインタビューでそれを一蹴。本人は「(招集の)電話があったなら、素直に嬉しいとは思うけど、それはドイツ代表でプレーしたいというわけではない」と話したのだが、それが盛られた形で報道されてしまい、日本代表入りを望む本人は激怒していたようである。

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