JR久留米駅の南西部、白山や鳥飼など、江南中学校の周辺にかけての地域をロードバイクで走ってみたところ、全体的にスラム街のような雰囲気がありました。 豆津橋から久留米市側、筑後川と線路に挟まれた地域は、戦後のスラム街だったのですか? 時間が止まったままの廃公園、廃墟になった自動車修理工や金魚屋さんなど、趣がある感じでした。 コメダ珈琲の周辺部など一部は太い道路が造成されて、新築戸建てもあるように見受けましたが、バス停を覗くと、なんと1時間に1本と書いてありました。 この地域の歴史ってどんな感じなのでしょうか。 豆津橋からJR久留米に向かって北東に延びる47号線はひどく狭く、昭和初期の古い商場のような、例えば〇〇酒店、〇〇商店のような小さな古い店が今も残っていて、独特の雰囲気がありましたが、 豆津橋を直進して久留米市中心部に向かって伸びる道路は、丸々田んぼだったんじゃないかというくらい広大で道路も広々としています。 この地域が隣り合っているのが不思議でした。 コメダ珈琲の東側、線路西側の江南中学校のあたりには、隣保館という小さな公民館のようなものがあり、人権啓発などのポスターがびっしり貼ってありました。 もしかして被差別部落のような側面もあるのですか? 久留米市に住んでいながら歴史をあまり知らず、子育ても終わって帰ってきて、とても興味を持ちました。 日吉町の文化街の一部も廃墟や廃ビルが多く、崩してしまうには勿体ないレベルの古い古いビルが残っています。 かつて賑わった文化街で飲み屋さんをほそぼそと営んで、子どもは都市部へ出ていき、歳とって廃ビルで老後を迎えている人たちがいらっしゃると思うと感慨深いです。