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回答(8件)
神の視点はNG というのは、 「設定をそのまま文章に書いてしまうと、面白くない」 ということかと思います。 直接に描写する場合でも、 物語の中にCくん、Dくんを登場させて、 C, Dくんには分かるけど、 当人である A, Bには(両思いであると)わからず、悶々とする・・ とか、 後世の歴史家や、レポーターが語る場面を作るとか、 描き方はあると思う。
「好き」と、第三者から見てもわからない事象を伝えることが「神視点」だと勘違いしている気がするのですが、気のせいでしょうか Aは、Bを見ると心が温かり、笑顔になった。 その笑顔を見て、Bも笑顔になった AとBはお互いを見つめあって、頬を赤らめた。 みたいな感じで 「好き」とか気持ちを直接、書かずに 第三者視点で書けば「神視点」ですし これでも充分に「あ、こいつら両想いなんだな」って伝えることはできるかと。
>神の視点はNGと聞きます 嘘です。初学者にはもっと容易な書き方がありますよ、という意味です。 最初から最後まで全部を神の視点で書こうとすると、書いている方は主人公の視点に集中できずに書き難くなります。 かといって途中で突然神の視点にしてしまうと、読者が混乱したり、読者が雰囲気を打ち壊しにされたと感じたり、読者が統一感が無いなこの作者は適切に作品の描写が出来ているのだろうかと不安になったり、そういうことが起こる可能性が出てきます。無論、熟練者はそういうことが起こらない(=起こす読者の数が少なくなる)ように話運びや表現方法、タイミング、事前準備などを精密に調整します。ですが天才でも何でもない普通の初学者にそんなことが出来るはずがありません。そうなりますと何も考えずに「神の視点はNG」と言っておけば、神の視点にすることで失敗する初学者が減り、以って良い教書だった、ということになるので皆そう書くのです。 さて、じゃあどうすれば良いのかと言いますと、質問者様が書こうとしている物語は「質問者様の腕前では難し過ぎる」可能性がある、ということです。もっと腕を上げてから書く方が良いでしょう。そして練習用の小説(←習作と云います)を沢山書いてジャンジャン発表してボロクソに言われて反省して書き直して腕を上げていきましょう。少しでも早く腕を上げる為に、書く小説は短編をお勧めします。完結させるまでを一通り全部書くのが最も経験値が得られますので、短編にしないと数をこなせませんからね。最初は短編ばかりで、ちょっと慣れてきたら十万文字程度の中編/長編(←派閥によって十万文字がどちらに入るかが異なります)にも挑戦してみるのが良いでしょう。書き出しからジャンジャン書いていったり、プロットを立てて全てが厳密に決まるまで書き始めなかったり、色々な方法を試してみましょう。 その間にも、暇を見つけて、或いは気分転換に、いつか腕を上げた時に書こうとしている本当に書きたい小説について色々と思いをめぐらせましょう。こんなシーンを書きたい。でも○○の設定だったからこのシーンは難しいな。こういう出来事があれば何とかなるかな。そうするとこういう事件が起こる必要があるな。そんな感じの妄想を繰り広げましょう。思い付いたことはメモに残しましょう。いづれ書く時に見直して思い出せるように、細かいところまで。格好良い台詞を思い付いたなら、それも忘れずにメモっておきましょう。時々読み直して、読み直した所為で思い付いたことも書き加えていきましょう。 さて……ここまで偉そうに語りましたが、実はもっと重要な真実が存在しています。実はAくんもBちゃんもどちらも気付いていない自分の心のことを、神の視点でなくても書く方法があるのです。 それは、Aくん、Bちゃん、それぞれの態度行動で表現することです。本当はこれが理想なのです。AくんやBちゃんが誰を好きかは一言も書いていないにも関わらず「AくんもBちゃんも両想いなんだから早くくっつけよー!」と読者をヤキモキさせるのが表現力なのです。言葉で書いた通りのことが表現されているのは当然の話です。言葉で書いた以上のことが、言葉で書いていないことまでをも表現する。それが理想です。 その意味で、安易に「神の視点なら書ける」と考えて神の視点で書くことは良くないと言えるでしょう。ですがそれはプロでも難しいことなのです。素人に毛が生えた程度の初学者に言ったからってどうにも出来ません。ただ心の片隅にでも残していれば、映画とかTVドラマとかを観ている時にふと気付くことがあるかも知れません。知らないよりは知っている方が成長に寄与するだろうと思って付記しておきますが、やった方が良いと勧めているわけではありません。高望みし過ぎて何も出来なくなるのが一番愚かしいからです。出来ることからコツコツと。千里の道も一歩から。
神の視点ってのは、客観の視点の事だよね。 NGって事ないよ。 スタインベック『怒りの葡萄』 奇数章は客観、ジョドー一家を取り巻く環境に対の説明。 偶数章でトムの視点で物語の進行。 作品の趣向によってはきちんと働く。 >二人が両思いということがわかる描写を【読者のみ】に伝える場合 A Bの事が好きだけど自覚してない B Aの事が好きだけど自覚してない 自覚してない好きとはなんぞや? この時点で無理があるんだよ。 でも、この条件下じゃないと【読者のみ】が成立しないんだ。 漫画は、読者をコマを俯瞰する位置(君のいう神視点)に置いて進行してるからできるけど、小説では無理。 書く事はできるよ、でも説明文にしかならなくなるよ。 思いつきではなくきちんと考えてよ。 お互いが「自覚してないけど好き」なんて謎感情で進行できるか? 恋愛の部分で面白さを作る小説の鉄則は【高スペを書くな、スパダリを書け】 学歴、職種、年収といった客観の数値ではなく、主人公にとって刺さる行動をとらせる。 主人公にとって、つまり主観の部分が必要なんだ。 だから、主観で進行させる、がセオリーになる。 A Bの事が少しだけ気になる B Aの事が少しだけ気になる せめて、このぐらいにしてくれないとだね。 この場合、君のいう【互いに思う】をひとつの場面に押し込めないんだ。 君は、ひとつの場面で両想いになった、にしたいんだろうけど、読者にとっては結果、両想いになれば良い。 AがBに心惹かれる場面※Aの視点で進行する場面 BがAに心惹かれる場面※Bの視点で進行する場面 別々に場面を立てる事で解決する。 ま、恋愛小説なんだから、AならA、BならBで進行させりゃ良いんだよ。 Aにとっての真実、Bにとっての真実があれば充分なドラマが作れるわけで、絶対的な真実なんてそこに書き込む必要がどこにあるんだ?って話だよ。