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「Downwell」クリエイターズインタビュー”前例があまりないから、開発を通して理解していった感じですね” 「Downwell」で鮮烈なデビューを飾った麓旺二郎さんこと、もっぴん(@moppppin)さんに2015年の11月末にインタビューさせていただきました。発売後の反響やゲームデザイン、これからのことについてお聞きさせていただきました。 リリース後のメディアやプレイヤーの反応 ー「DOWNWELL」の国内外の評価などの手ごたえはどうでしょうか? もっぴん そうですね、みんな楽しんでくれてるっぽいですね。恥ずかしいんですけど、ほんともう毎日エゴサーチばっかかけまくっていて。。もちろん、やっぱり「ムズすぎ!」とかそういう否定的な意見もちらほら見えるっちゃ見えるんですけど、でも大体はおもしろいみたいに言っていただいていて、Steamのユーザーレビューもわりと好評で、ちゃんとしたゲームサイト
GAME・SCOPE・SIZEの2015年のベスト、並びに書き散らしたエントリまとめです。タイトルクリックで書き散らしに飛べます。 画像は主人公が「half-life」のゴードン・フリーマンのような姿になっている「FALLOUT4」です。ハウジングで鋼鉄の九龍城塞を作り続けており全く進んでいないため、本作はとても評価できないのでした。 OFF-PEAK 90年代の初頭から中期くらいの3DCGグラフィックスリバイバルって、今ならバイオハザードやサイレントヒルのグラフィックスを意識した「back in 1995」あたりがわかりやすい。けれど、なかなか出ないように思うのは「クーロンズゲート」や「GADGET」のような、まだ3DCGでどんな世界が作れるのか試行錯誤していたころの、当時ならではのレトロ・フューチャーの意匠でプリレンダを繋げて無理やり空間を感じさせるような質感の作品だ。 それがまったく
さて海外のフリーゲームを簡単に探したいなってときにとても役立っているサイトは、itch.ioとGame joltの二つだ。ここは正確には作品によっては有料で販売されているため、個人作家のポータルサイトと観るべきなんだけども、無料でやたらハイセンスな作品が投稿されていることに特徴ある。 いや、無料というのは違うか…これらはPay what you want(あなたの好きな金額でお支払いください)って形で公開されている。paypal を利用して、面白かった作品には作家にお金を払うことができるってシステムになっている。まあ日本でたとえるなら、ふりーむ!やvecterで登録した作家にダウンロードしたお客さんがいくらか好きな金額を支払えるような感じかな。というわけでそのあたりを漁っていて面白かったものをいくつか。 タイトルクリックでダウンロード先に行けます。これらを面白そうだな、と思ったなら、いくば
あらゆるFPSや当時のwalking simulatorの方法を引用しパロディにした「stanley prable」を生み出したクリエイター・Davey Wredenの新作「The Beginners Guide」。簡単なあらましは「今はもうゲーム製作をやめてしまった”Coda"という名前の個人ゲーム作家の2008年から2011年の間に作られた作品を、友人だったDavey Wredenが解説していく」という内容になっている。 前作の先入観があるならば、極めてタチの悪い、数多くの個人ゲーム製作者たちが陥りやすいスクリプトの間違いやコリジョンの設定のぐちゃぐちゃさみたいな傾向を嘲笑するような諧謔的な内容を想像するかもしれない。確かにそういうところはある。けれど実際は逆だ。結末に行くにつれ全く違ってくる。そんなことは全て吹っ飛んでしまう、ずっとシリアスなことだった。 2008年から2011年まで
「Downwell」。大変な話題作となっておりますね。そのバズりようを「NASがillmaticをリリースしたときみたいだね」と例えるのをみたこと無いくらいにはゲームファンとヒップホップの距離を感じさせるのだが、そんなことはどうでもいい。 さて本作は「ローグライクアクション」(ステージやアイテム、敵配置が自動生成のアクション)のジャンルである。このジャンルはここ何年かの間に数々の名作がリリースされてきたし、「Downwell」はその中でもひときわ発売前より注目された。このゲームがどう面白かったのか?って書き散らしです。 近年はUnityやUE4などなど著名なゲームエンジンが無料化されて展開、もっと専門的に開発したい場合はプロフェッショナル版を有料でアップデート出来るという形で広まっている。「Game Maker Studio」はその中でもプログラミングの技術が少なくとも、2Dのアクションゲ
今年鳴り物入りでリリースされ、賛否が分かれる内容となった日本産のオープンワールド「MGSV」と「ゼノブレイドクロス」。両作は長い人気シリーズの初の試みということで注目が集まっていた。 小島秀夫と高橋哲哉は、過去に同じ制作会社にいたとか、どこかで対談をしたりといったような目立った関係は無い。ゲームファンの間でも二人を並べて語ったりすることはまずないろう。だが長いキャリアの中大きくスタンスを変えただろう両者の新作は、奇妙なくらい内容がシンクロしている。 ここからの書き散らしには両作の重大なネタバレが含まれている。なお「夏色ハイスクル★青春白書 ~転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ大連発でイガイとモテモテなのに何故かマイメモリーはパンツ写真ばっかりという現実と向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。~」についてはいっさい言及していな
バットマンほど真実について知りたがりながら逆に遠ざかるキャラはいない「Batman Arkham Knight」感想・考察 漫画からスタートしたバットマンシリーズは映画・アニメなど様々なメディアにて独自の解釈の作品が生まれた。単なるメディアミックスというだけに留まらず、そのメディアでしか成立しない何かを捉えるほどの完成度を見せることも少なくはない。たとえばノーランの「ダークナイト」などなど… 「Batman Arkham Knight」は漫画や映画のバットマンとは異なる、ビデオゲームならではの描かれ方をしている。でもフランク・ミラーの傑作漫画以降に付きまとっている正義や善悪の境界で苦悩するバットマンを描いているけれど、そこじゃない。他のジャンルでは見られないスタイルを追求していることが大きい。それは「バットマンを操ってオープンワールドのゴッサムシティを飛び回る」ということでもない。 このゲ
「MGSV:TPP」はメルヴィルの「白鯨」やオーウェルの「1984」といった小説が引用されているとのことだ。確かに語り手である”僕”イシュメールが伝説になる船長エイハブとピークォド号の乗組員たちに関わり伝記として残す関係を、プレイヤーがゲームプレイを通して関わりながら見つめるビッグボスとマザーベース、そして本作の結末まで含めて重ねることはできるかもしれない。 だがしかし本当に大事な小説を忘れている。それは何十年も前だとか一世紀前の小説だとか、文学史に残るような昔のものじゃない。今からわずか8年前に刊行された小説だ。その小説と、そして作家はおそらく「MGSV:TPP」のドライで残酷な作風に決定的な影響を与えたと見ている。 諸海外のトレンドであるオープンワールド化と、「half-life2」から「batman:Arkham knight」に至るイベントシーンでもゲームプレイは続くという演出を長
「Witcher」シリーズ完結編につけられたサブタイトル、ワイルドハント。世界を朽ち果てさせる闇の勢力であり最大の敵なんてファンタジーらしいわかりやすい存在なのだが、ところがこの作品に限ってはそれで終わらない。なぜなら民話や伝承を元にしたファンタジーの側面と、それが発想される元になる悲惨な現実がハーフになった世界観なのだから。 ワイルドハントとはヨーロッパに広く伝わっている伝承だ。見たものに疫病や戦争をもたらす狩猟団のことを指す。北欧神話ともかかわりの深いこれは各地でディテールは異なるのだが、ここでは製作したCD projektの所在地であるポーランドはじめ中欧の解釈だろう不吉なものだ。 主人公リヴィアのゲラルドはワイルドハントに追われるシリを探す旅を続ける。だがシリを追ってワイルドハントが通り過ぎた土地には、そのモデルとなった伝承の通りにおしなべて不吉な影が差す。ゲラルドは戦火の中、混迷
任天堂の岩田聡社長が亡くなった。氏が天才的なプログラマーであること、若くしてHAL研究所の社長となり、経営を再建させたこと、そして山内 溥の後を継いで任天堂の社長となり、日本の家庭用ゲーム機市場にてwiiをヒットさせたこと、氏を評価する言葉はプログラマーとして、経営者としての側面など余りある。 そのなかでずっと心にあるのは、ベタなのだがwiiの一連の試みだ。もしかしたら「カジュアルなゲーム機であった」ということで評価が落ち着いてしまっているのかも知れない。ゲーム人口拡大という美的な目標、そして一時的にその実現という実績で評価はおしまいになるのかもしれない。でもそうじゃない。 任天堂社長に就任して以降の業績として、ハイライトとして語られることの多いDSとwiiのヒット。それは表向きのカジュアルなゲーム人口の拡大というテーマだけでなく、(もしかしたら、意図していないことかもしれないけど)ある意
そう惑星ミラはどこにもない。100時間前後を超える体験があろうとも、この世界に関して認識したり理解するようにはできていない。 そこにはJRPGの進歩の名目の中、暗に睨んでいるだろう海外AAAタイトルのRPGであるとか、オンライン、そしてオープンワールドの要素などなどが絡み合った不気味で、しかし意味深いカオスが展開されている。 とびっきりのリニアな進行で、言葉多くムービーを多用してシナリオを進行させていたモノリスソフトが完全にリニアを捨て去った転回。そこは革命的というよりも、何十時間触れていても世界観が浸透してこない恐るべきドライで、抽象的な体験が展開されていた…。 ゼノシリーズのヴィジョン 「ゼノブレイドクロス」のアートスタイルは、まさに過去のゼノシリーズの総決算にふさわしい。1998年の「ゼノギアス」が見せたビジョンが2006年「ゼノサーガ EP3」(EP3ね。)を超え、「ゼノブレイド」
ドラゴンクエストとファイナルファンタジーが上手く競い合い、日本ならではのRPGの歴史を作り上げていた最良の時代は今振り返ればファミコンからスーファミまでの時代までではないだろうか。 いまでもちょっとしたライバル関係みたいに持ち出されるが、実際両者が影響しあってたのはPS時代の手前くらいまでだと思う。スクウェアとエニックスが合併して以降はできあがったライバル関係を装っているが、もはや交わることのないすれ違いを感じる。 ではPS以降のファイナルファンタジーとある種対となり、影響関係を感じられる存在は誰もいないまま、その映像技術やグラフィックス、そしてゲームメカニクスの相反するデザインを邁進しつづけていたのか?というとそうではない。いたのだ。それは同スクウェアから始まった現モノリスソフト・高橋哲哉のゼノシリーズだ。 単なるブランドや売り上げのパワーバランスからすればピンとこないかもしれない。ゲー
Talion, If you smell what Talion is cookin'! 「シャドウオブモルドール」は表向きのフックには「ロードオブザリング」と「ホビット」シリーズのミッシングリンクを埋めるストーリーが描かれていることで、裏側のフックとしては洒脱なAIを構築したことが大きな評価の一つになった「F.E.A.R」を開発したMonolith Productionsの新作であることで注目された。 ライトな有名版権ゲームのイメージとハードなデベロッパーの作り上げた「バットマン・アーカムシティ」「アサシンクリード」のメカニックを利用したオープンワールド、ということで、多くのレビューもそういうところに落ち着いている。 が、オレはというともはやオープンワールド文脈だの指輪物語だのどうでもいい。「一体、一体なぜこうなったんだこのゲーム」という思いを格闘技レビューもやってる身だと隠し切れない。
ビデオゲームを粗雑に遊んでいると、ジャンルに関わらず頻繁に登場するモチーフがある。そのモチーフはとても象徴的で、こうも頻繁に登場するのにはただの偶然ではなく、もしかしたらゲームメカニクスやデザインの上での理由があってのものかもしれない。 そうそれは塔そして灯台だ。ビデオゲームを遊んでいれば気が付けばプレイヤーは地平線の向こうにある塔を見上げること、塔をかけあがることも少なくないだろう。プレイヤーの目の前に現れる塔は見方によってはまるでゲームマスター、あるいは作品世界のシステムや制度の象徴みたいだ。 塔の存在は子供のころからのビデオゲーム体験から続く。有名なところでは「ファイナルファンタジー3」のクリスタルタワー。あれは確か最初の浮遊大陸を飛空艇で飛び出し、水没した世界の中でただ一つ海上から不気味に顔を出す。作品の中盤以降から鮮やかに不気味に世界に君臨し続け、そこが旅の最終的な目的地であるこ
ビデオゲームのキャラの死と、クリエイター自身の死の体験の二つが交錯する煉獄「Continue?9876543210」 2014年書き忘れてた記事お蔵だしその1 プレイヤーの操作するキャラクターがゲームに敗れた際に「continue?」の表示が現れるのはアーケードゲームが主で、そこからさらに課金させるためプレイヤーに続きを遊びたいかどうか10秒間の猶予を与える仕掛けだ。しかしこの10秒間の中には完全な敗北から、さらには死といったイメージを受け入れるかどうかということさえ暗に感じさせてきた。それはドラマなどでよくある臨終を迎える人間の心拍数が低下していくという紋切り型のシーンと繋がるからかもわからない。 ビデオゲーム上の死のイメージを「ゼルダの伝説」をはじめとしたアクションRPGの構造にて表現した「スキタイのムスメ」に影響を受けたという本作「Continue?9876543210」はそうしたア
本当のホームズは空虚な闇だらけの現実を生きる 「Sherlock Holmes: Crimes & Punishments」レビュー シャーロックホームズは古典的で、典型的で、もはや面白味なんて決まりきったはずの探偵のキャラとそこまで思い入れの無いオレなんかは思っていた。この世にはシャーロキアンと呼ばれる「ホームズの存在をいかに実在の人物のようにディテールを詰めて解釈できるか?」みたいなマニアックな楽しみ方をしてる人々がいるのはわかるが、基本そこまで掘り下げては知らない。(そういうのはやや古い話だが「磯野家の謎」みたいでそこまで好きじゃない) しかし現代はそんな古典的キャラクターの再解釈というのは常に常に進んでいるわけで、たとえばアメコミの世界などは古典的で典型化したはずのキャラ像を常に更新し続けている。スーパーマンやスパイダーマン、そしてバットマンなどはその当時当時のライターの作家性や映
アドベンチャーゲームはビデオゲーム表現の最先端に位置するジャンルであると信じて疑わない。そこには俗にいうゲームメカニクスと競技性というものが、他の多数の解法や修練を必要とするアクションやRPGなどのジャンルと比較して、おおよそパズルを解くなどの部分に極端に狭められている。いわゆるゲーム性と俗称されがちな部分が他ジャンルより低めに見積もられている。 代わりにビデオゲームを構成する”プレイヤーとゲームの関係性”や”ゲームメカニクスで回収しきれない、ヴィジュアル、ストーリーテリング、コンセプチュアル、感情などなどの部分”といった、かつてのアクションだとかFPSだとか他ジャンルが後から導入していったものをいくつも先んじているゆえに、常にアドベンチャーゲームは地味ながら革新を行うジャンルと思うからだ。 そのジャンルがここ最近活発な兆候がいくつかみられる。ある意味で未来の革新を始めている最中では?と思
Watch_dogs 1984-2014 30年の中で進歩した情報化・監視化・ビデオゲームの3つがクロスした大規模メディアアート 4分の映像でまとめればこんな感じのゲームでした 振り返ればここ2年は「Watch_Dogs」を延々と追ってきたわけで、言及した記事もワンタイトルの中ではかなりの数に上る。 「watch dogs」ウォッチドッグス中心で見るポストGTA・オープンワールドスタイル E3 2013の感想と考察・「The Division」「Watch dogs」、「Destiny」「MGSV」が織りなすネクストレベルの未来光景 監視・規制・権力のビデオゲームズ 「ディシプリン*帝国の誕生」から「Watch dogs」まで6選 Watch Dogsファーストインプレッション エイデンとロールシャッハ Watch dogs セカンドインプレッション 監視と管理が逆にオープンワールドに命を
誰が見張りを見張るのか? ビデオゲームはプログラムされている絶対的なメカニクスとルールの範囲内でプレイヤーは動くことの出来るジャンルだ。が、現在までにヴィジュアルのリアリズムの進歩や過去アーカイヴからのコンテクスト再構成、それからテーマの多様性が広まるにつれ、そのメカニクスとルールそのものを逆転させるようなデザインが生まれている。 中でも最近ではビデオゲームの根源であるメカニクスとルールを皮肉るかのようにあるテーマによるビデオゲームが頻発しているのを目にする。そう、監視・規制・管理そして権力をテーマとしたビデオゲームである。 それはソビエト連邦が健在であり、共産主義の可能性が追われていた時代をモデルとしたり、70年代のミシェル・フーコーの”監獄”から現代のデヴィット・ライアンの”監視社会”に至るまで考察が続く社会がリスクを軽減するために功利的に敷いた監視や管理のシステムがテーマだ。現代最大
「チャイルドオブライト」は発売前のプロモーションで大きく「JRPGに影響を受けた海外産RPG」と喧伝していたが、オレが実際にひととおりやってみたところほとんどといっていいほどガキの頃から今までに触れたファミコンからPS・XBOX・wii世代に至るまでのRPG(Jなんてくだらない頭文字なんてなかったころの)記憶に繋がらない。 しかしそのコンセプトと比べての日本とUBIの文脈の別々さ加減や誤差そのものがとても面白かったともいえ、今回はそんな誤差や文脈の違いにアプローチしてのレビュー。それは日本と北米、大人と青年と子供、フェアリーテール… 実質、アクションゲーム開発生まれだから前提が違いすぎる 単純に「チャイルドオブライト」のグラフィックスからシナリオ構造、ゲームメカニクスからレベルデザインを総じたトータルデザインがあまりにもタイトに出来ている時点で、オレがガキの頃から近年までに触れてきた日本の
ここのところの海外ビデオゲームに触れていると、意外なくらい描かれる世界や物語の根底に古典小説を想起させることが少なくはない。実際に製作者のインタビューでもインスピレーション先として名前を挙げていることも多い。とある小説はいかにしてビデオゲームに影響を与えたのだろうか? ということで今回は古典小説より俯瞰する海外ビデオゲームのイメージに関して。ちょっとした当ブログ・ゲームスコープサイズのベスト盤の意味も込みのエントリ。 1・「闇の奥」(ジョセフ・コンラッド) ⇒「spec ops:the line」「Far cry2」への影響 コッポラの「地獄の黙示録」の原作として有名でもある「闇の奥」は近年になってビデオゲーム界隈でそのイメージを実現するようになった。しかしそれはなにを求めての事なのか? 「spec ops:the line」にしても「Far cry2」にしても基本的にはシューターの体裁を
ビデオゲームライターであり美学研究者でもある死に舞さん主催の「HOT LINE TOKYO」(以下HLT)に参加させていただきました。 議題は「洞窟物語」で、ゲームデザインがどう優れているか、音楽がどう印象深かったか、獣の女の子になにかフェティッシュなこだわりがあるのかなどなどが多くの参加者によって語られました。そこで自分が重視したのは現在インディーゲームが今やソニーがフォローする形になり、メサイヤでさえ取り扱おうとする流れとなっているほど広がっている中で、どうして「洞窟物語」がインディーゲームの中でも歴史的にも重要な位置になったのだろうか?ということでした。 「洞窟物語」の内容の素晴らしさを語るのはすでに多くの方が行っているため、ここでは作品が発表された2004年前後の時代の環境の変容が、いかに「洞窟物語」の完成度とタイミングがあったのかというここ10年の歴史を「洞窟物語」を通して振り返
”RPGの起源はローマ。だからここ旅行しよう”ってこじつけすぎだろ! 日本のRPGが気が付けば「JRPG」なんて言われ、その独自進歩したキッチュな面を拡大解釈されるようになったのはどのあたりからだろうか? いま歴史を振り返ったとして、日本のRPGってのがコンソール機の進歩に伴う映像の演出面から物語の構成の仕方などなどを含めた垂直進化を行えていたのは2001年の「ファイナルファンタジーX」くらいまで。 映像やシナリオ主導による構成の対照としてRPGというジャンルとしてのメカニクスやルールを元にしたプレイヤーの技量やアイディアを生かす自由度の面ではオンラインというテーマが絡むことによって、シングルでのメカニックも変貌。その象徴としてオンラインRPGとなった「ファイナルファンタジー11」が出た2002年あたりから、かなりRPGの様相は変わってきた気がする。(コンソールでのオンラインRPG化はセガ
割と国際的な視座にあるジャンル映画などと別に、特に日本国内でかなり独自化されている漫画からアニメなどなどのジャンルで韓国や台湾といったアジア諸国にて製作された作品が日本に逆輸入されてくるタイプのものは妙に琴線にかかる。 これは洋ゲーや欧米の漫画などのコンテクストの日本との誤差と別の、すごく日本独自的なドメスティックなジャンルを上手く扱いながら、アジアの国々のコンテクストが混ぜ込まれる構図でのアジアならではの微細な誤差を知りたいからかもしれない。かつてサンデーGXで連載されていた「新暗行御使」などなどやヤングキングで連載されてる「サンケンロック」などなど。いやこれは日韓共作ってことでいいか? インドネシアのデベロッパーによる「インヘリテージ」は日本の弾幕シューティングとノベルゲーム、魔法少女ネタのそれぞれの独自進歩して肥大化したジャンルを扱っている。ところがここに、あまり日本では馴染みのない
「Papo&yo」感想と考察 南米の少年の”病んだ親からの虐待”の記憶を巡るファンタジーそしてドキュメンタリーのビデオゲーム "母さん、兄さんたちと姉さんたちとそれから誰かへ ぼくは父さんの中の化け物から生き延びたんだ” Hanbleで安くなってたので買ってみたら凄まじい傑作だったのでひとつ感想を。2年前のPSNでリリース、それから去年にPCという経緯の作品。 「ブラザーズ」など物語と結合するパズルアクションの傑作が多くリリースされるなかで「Papo&yo」は過小評価されている。それはIGNの低評価に見られるようなリリース当時のこのジャンルに期待されているパズルの難度だのストーリーに関してだったり、はたまた大メディアに対して広告料の少しも出さずコネクションもなかったゆえの根回しなしの評価なのかはわからないが、極めてクリエイターの個人的な問題をテーマとしているこの作品は出身地としている南米の
最近は「ブラザーズ:二人の息子の物語」から「LIMBO」「papo&yo」などなどのパズルアクションを遊んでいたのだけど、面白いなと思うのは主人公がみな少年のジュブナイルにあたるような物語ばかりだったりすることだ。振り返れば2001年の「ICO」なんかも結果的にそうだったりするし、勝手なことを言えばちょっとしたこの傾向を考えるにアクションのメカニック、そして敵を殺しまくって経験値の蓄積による進行なしにほぼパズルを解いて進行するといった構成のそれぞれの純粋性ゆえに”世界を知らぬ少年の冒険”になるのだろうか?(もちろん、多くの例外が存在する。) 対置して”敵を撃ち殺す”というメカニクスを搭載したFPSやシューターになると、「GTAV」から「bioshock infinite」に至るまで主人公は中年期に突入。そしてその後をどうしたらよいのかに戸惑っている。適当なこと言えばジャンルによる明確な目的
「The Stanley Parable」感想と考察・フランツ・カフカからオーウェル、時にマルセル・デュシャンすら喚起する笑いとジャンル破壊の美のメタ・ビデオゲーム FPSという形式は気が付けば多様に表現を飲み込むジャンルだ。単なる主観視点の没入感を持った銃の撃ちあいなんて一形式というのを越え、現在では時にアドベンチャーゲーム的な扱い、あるいは現代アートにおけるインスタレーション的、メディアアート的にさえなるし、またプレイヤーが操作するプレイアブルキャラクターの一人称・三人称の差という、小説における主観としての「僕」「私」か三人称で記される人物を追うか、といったストーリーテリングの構造面さえ含むのだ。 「The Stanley Parable」とは現在のFPSのジャンル環境を取り巻くおおよそがパロディにされた、メタフィクションをやることがコンセプトになっている。ところが、単なる内幕や骨組み
昨年は本当に豊饒な年だった。PS3やXBOX360の現世代機ファイナルの作品群もさることながら、スマートフォン・フィーチャーフォンで展開されるソーシャルゲームの尋常でないトレンドの移り変わりから、これまで視界に入れていなかったPCでのsteamやGoGなどのDLサイトや、iosといったプラットフォームにて膨大なラディカルな作品から実験作、海外ADVの過去作を遊べたことは非常に面白い体験だった。 昨年はどれも面白くて選ぶのに困った、というのは何も自分だけではないと思うが、ビデオゲームに競技性(狭義ゲーム性とも・ダジャレみたいね)も蓄積・収集もあまり優先していないために、ベスト10はほとんどインディーズゲーム界隈ばっかりになってしまった。 10・GTAV これまでのシリーズと都市オープンワールドの限界値を、ゲームメカニクスを振り返った構成とロックスターでなければ不可能な莫大なデータ量で書き換え
昨今のインディーズゲーム界隈に関しての言説には、そのままインディーズのロックバンドのDIY精神やら構図やらをアナロジジャイズすることが少なくない、っていうのに乗っかるわけじゃないが、いまやビデオゲームシーンのクリエイティビティ面への注目(決して現在のそれがインディーズゲームの本来の役割や立ち位置を見失いを意味してねえよという言及だって少なくない)が集まるなかで、去年から今年にかけて評価され、そして遊んだゲームの傾向の一つが、とある音楽ジャンル傾向に似通ってる感じを受けたのだった。 ビデオゲームにせよ音楽にせよ、20年から30年前のかつては製作の環境というのは限られていたのだが、現在はその制作環境というのもソフトやエンジンの整備により、自宅で個人での製作というのが可能になっていった。(なんかこの辺の経緯の記述がぼやっとしているのは細かい知識がないせいです) そうした環境の変化なんかは例えばわ
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