「Witcher3 Wild Hunt」感想&考察 ヨーロッパ全土に広まる伝承がオープンワールドを覆いつくす
「Witcher」シリーズ完結編につけられたサブタイトル、ワイルドハント。世界を朽ち果てさせる闇の勢力であり最大の敵なんてファンタジーらしいわかりやすい存在なのだが、ところがこの作品に限ってはそれで終わらない。なぜなら民話や伝承を元にしたファンタジーの側面と、それが発想される元になる悲惨な現実がハーフになった世界観なのだから。
ワイルドハントとはヨーロッパに広く伝わっている伝承だ。見たものに疫病や戦争をもたらす狩猟団のことを指す。北欧神話ともかかわりの深いこれは各地でディテールは異なるのだが、ここでは製作したCD projektの所在地であるポーランドはじめ中欧の解釈だろう不吉なものだ。
主人公リヴィアのゲラルドはワイルドハントに追われるシリを探す旅を続ける。だがシリを追ってワイルドハントが通り過ぎた土地には、そのモデルとなった伝承の通りにおしなべて不吉な影が差す。ゲラルドは戦火の中、混迷を極める状況で蔓延する善悪でくくれない悲惨や悲劇と対峙していく。ここに伝承と現実の境界に立たされるかのような体験がある。
ウィッチャー自体が境界線上にいるように、ファンタジーと現実の境目を旅する。ワイルドハントの伝承はオープンワールドという構成と合いまり、戦火の中にある世界の全土に蔓延する不吉や不条理をデザインした驚異的な世界となっている。
冒頭のイェネファーのカットがアングルの絵画を模しているかのように描かれる。これを皮切りに室内のろうそくの照明に映される人物の顔立ち、積み藁の農村の風景など19世紀の新古典主義の油彩を想起させるグラフィックスが立ち上げられる。
そうした西洋絵画的なグラフィックに加え、地域によっては実際のポーランドの村Zalipieなどを思わせる鮮やかなペインティングが施された村が登場する。初代からの特色というか、ヨーロッパ発のファンタジーらしい、伝統的なアートスタイルと土地柄が反映された強固な地盤の上にファンタジー世界を構築させている。
オープンワールドRPGの中でも自然で、特異かもしれないゲームデザイン
リニアな章立てのRPGからスタートした「witcher」がそのメカニクスを拡張する形でオープンワールド化したというシリーズの経緯を辿っている。非GTAタイプの構成のベセスダRPGに近いが、あれはプレイヤーのアバターが仮想の世界観を体験するという構成なのに対してこれは固定の主人公の視点による物語の追体験だ。ところがそれはオレにとって意外なものだった。
なにせRPG構成からオープンワールドにするケースでありがちなのがMMORPGのゲーム構成をシングルRPGに持ってきてしまうことだ。自由度を謳う一方で膨大なクエストを配置するゲームプレイの構成方法は近年には批判も出てきている。
たとえば「草2005束とポーション的なもの900個取ってこいあとタバコ買ってこいそれから1年の酒田5人シメてこい」みたいなアイテム確保や一定数の敵を駆逐させられるみたいなクエストだ。ところがそれがほぼ無い。そのあたりが「ゼノブレイドクロス」と違う。(これは主人公はアバターの意味合いが強いタイプなんだけど…)
かくして「witcher3」はGTAタイプともベセスダタイプとも、ましてやダッチMMORPGタイプとも違うゲームサイクルを持っている。だからかレベルアップに関しては最初敵を倒してもさっぱりEXPが入らなかったり、些末なクエストを解決してもさしてEXPが入らなかったりと近年のRPGを考えるとハック&スラッシュのような快感と別なので、最初慣習の違いに戸惑う。だが慣れてくれば近年のオープンワールドを謳いながら奇妙なくらい不自由さを感じるケースが無くなっていることに気付く。
オレだけなのかもしれないけど、不思議にゲームメカニクス的な都合というべきかな、遊んでて世界観やキャラクターも置き去りにしてレベルとかパラメーターの強化に戯れてるような感覚がそこまで無かった。昔から書いてるようなプレイヤーが干渉出来るメカニクスとルールと、搭載されてる物語世界の分離というやつかな…それを避けるためかアートスタイルを優先したゲームが意識的にUIを廃し、グラフィックスとストーリーにゲームプレイを注力させる手法があるが、「witcher3」はUIバリバリであるにも拘らず、ストーリーもキャラクターも忘れることはあんまりなかった。
そう、慣れてくるころには一連のゲームサイクルを駆動する中核がキャラの強化やレアアイテムの入手というそれではなく、それすら含めた強力なストーリーテリングであることが分かってくる。
それはシリとワイルドハントを追うメインクエストだけではなく、全土に蔓延する戦火や諍い、不吉な事態 それぞれをプレイヤーが選択する。それはゲラルドの立場、そしてウィッチャーとしてのロール、善悪や倫理、世界情勢の行き先を問わせる選択であり答えはない。ゲラルドは世界や情勢の真相に深くかかわりながら同時に傍観者である。
サスペンスとミステリの導線
ウィッチャーは探偵や殺し屋といった立場に近い。冒頭のムービーの時点でそれが示されているんだけどダッチMMORPGともGTAタイプオープンワールドとも趣が違うのは、基本的なクエストの進行が現場検証や聞き込みといったプロセスを踏んでいる。
これがまた意外にどこも完成しきれてないアドベンチャー要素とオープンワールド要素のミックスの意味で感慨深い…「LAノワール」で結局アドベンチャーのメカニックにオープンワールドが機能していなかったり、「スリーピングドックス」がわずかに事件の捜査シーンの可能性を見せていたり、「ウォッチドックス」もあれだけミステリ・サスペンス映えするモチーフを使いながらそこまで機能しきれてなかった。
その中で善悪も正誤もわからない事件の選択を委ねる構成とも相まり、完成系とはいいがたいがもっとも上手くハードボイルドやノワールの方法をオープンワールドでやっていると見える。それがファンタシーなのも皮肉なくらいだ。
探偵や殺し屋のような主人公の場合、事態に深くかかわりながら結局のところ事態を傍観している。おおよそそれは観客の目線に近いとも言える。だがビデオゲームに至っては特にプレイヤーとゲームとの関係に近い。プレイヤーは作品世界に深く関わりながら、同時に観客として物語を読み取っているから。
その視線は結局のところ、ゲラルドが追うシリとの関係そのものにまで及ぶ。
シリとゲラルドの関係と、ゲーマー高齢化説
ゲラルドが深くかかわり、傍観するのは混迷を極める地域で起きる状況だけじゃない。結局のところ追いかけているシリに関しても、彼女の行く末に大きく関わりながら遠く見つめる。
メインシナリオで操作できるシリのパートだけ切り取ってしまえば、まるでライトノベルやJRPGの主人公みたいだ。古き血脈だなんて言われ、世界の命運にかかわり、様々な世界をワープできたりする。おまけに帝国の皇帝の娘。そして高速移動や数々の必殺技…
シリとワイルドハントのパートだけ切り取ってしまえば、まるきり陳腐なファンタジーだ。ウィッチャーたちが集合し、シリを守るために根城にしているケイア・モルヘンの城でワイルドハント軍と戦うシークエンスは本作の山場だが、オレはなぜかものすごく恥ずかしかった。ずっと孤独に各地の不吉なクエストを見つめる、伝承と現実のはざまに立たされるゲームプレイを行っていたなかでバリバリのテイルズシリーズみたいな盛り上がりぶりに 。あとウィッチャーたちが思った以上に協調性あるのもなぜか恥ずかしかった。これはオレがおかしいのだろう。
ゲラルドの属しているウィッチャーとして境目に立つ立場から、半ば無邪気なのに世界の命運を握る立場であるありがちなファンタジーの主人公みたいなシリを見つめる構図。善悪もクソも無い現実を生きてる側からものすごく図式が大仰でシンプルなファンタジーを遠目から見つめ、導くそれはJRPGでたとえるなら「FF10」でいうところのアーロンが主人公となってティーダを導くようなものかもしれない。
しかしゲラルドとシリの関係はファンタジーRPGを俯瞰して見せるかのようなそれに留まらない。「bioshock:infinite」のブッカーとエリザベスみたいにいささかこそばゆい。言葉さえ選ばなければ、時には気味が悪くさえ思ってしまう。ありがちなヒーローとヒロインという関係が、擬似的な父と娘という親子関係に転じているように見えるからそう思うのかもしれない。父と息子ではないから構図が少し穏やかではなくなる。(「GTAV」でマイケルがニートの息子と飲みにつれに回る以上にしみじみとしたゲームプレイ上の親子関係をオレは知らない)
ゲラルドにはヒロインとしてシリーズに登場してきたトリスかイェネファーのどちらかと選択肢によって添い遂げることができる。彼女たちとキスもユニコーンの上でのセックスも描写されるのだが、彼女たちと二人きりで静かに抱き寄せ慈しむシーンは多くは無い。だがゲラルドはシリとは何度も慈しむように抱き寄せる。オレは何故か動揺していた…
AAAタイトルで擬似的な父と娘の関係を描くケースが最近何度も見かける。欧米のゲーマーの平均年齢が近年は高齢にあるというのも関係あるのだろうか。とくにウィッチャーは子供作ることができないなんて背景も加えて考えるとより歪だ。ゲラルドもブッカーもジョエルも、かの国のゲーマー(あるいは製作者)たちが自己投影しやすい背景なのだろうか。
「witcher3」は既存のGTAタイプからMMORPGタイプなどのオープンワールドが弱点としてしまい、結果自由度も世界観も見え辛くなってしまう部分をフォローしてしまっていることが凄まじい。ゲームデザイン以外にもその後のサポートに関しても無料でアップデートされるDLCをはじめ、業界で問題とされるDLC商法に関してもカウンターを打っている点を含めて優れた仕事をしている。
だいぶ前にリニアできっちりしたゲームメカニクスを持ったシリーズがノンリニアのオープンワールドになる、GTAタイプへのカウンターの期待を書き散らしたけど、その最大の候補の一つ。不吉な伝承が大きくオープンワールドを覆う。不穏な時代風景そのものが全域に描かれ、世界と物語に深い意味を与える。
そしてもう一つ。シリがゲラルドと再会したとき、いろんな異世界へ渡ったと言う話をする。その中に未来世界としか思えない話をする。それはもしかしたらCDJprojektの開発中の大作である「Cyberpunk 2077」に登場する伏線かもしれない。それはDLCなどで現れるのかもしれない。その時でもCDJ projektが無料DLCをはじめとしたサポートを続けれられるユーザーフレンドリーなスタンスを堅持していられることを願ってやまない。
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コメント
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ノンリニアに挑戦し、以前のリニアな部分の良さを削り取って、賛否両論を現在進行形で巻き起こしているMGSVを見てると、(ユーザーへの良心さも含めて)改めてwitcher3の凄さが分かるというか……
寧ろこのゲームに匹敵するのは、敢えてリニア方面から攻めていった――鬼武者ソウルを意外な形で引き継いだ――ゲラルド似の主人公が剣(刀)を振るって敵と戦う、開発期間10年らしい日本の「仁王 NIOH」なんじゃないかと妄想したんですが……
まあそれは淡い期待でしょうか……笑
オープンワールドでは、ゲリラゲームズの「Horizon」辺りが凄いことをやってのけそうで、私も楽しみですね!
投稿: イシュメール | 2015年9月29日 (火) 20時40分
FFとMGSの最も良い部分を引き継いだ王道の進化があるとしたら
本作だと思うので、よもやポーランドから来たってのも込みで皮肉でよいですよ
MGSVはまた次回あたりに書き散らしてると思います
投稿: EAbase887 | 2015年9月29日 (火) 21時20分