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大そうじへの備え
mutronix.hatenadiary.org
……という話を、いつだかtwitterで書こうとしてたときのメモが見つかったので、ちょい書き足して貼っておきます。 (1)たぶん「同人ゲーはZ-MANなんかからメジャーで出ればいいじゃない」っていうのとは、私は立場が逆で、同人作品は同人作品として楽しめるような雰囲気であってほしいんですよね。クオリティはわきにおいて。 (2)コミケの会場で同人誌出してる人に「君たちそんな描くの好きならプロになって淘汰されてきなよ、毎週週刊マンガ買って待ってるから」って言ったら怒られますよね。 (3)同人の機能とは、いうなれば「アマチュアリズム」=「受け手だった自分が創作の一端に触れることで、自分の〈好き〉をもっと深く知ること。そこに報酬は発生しない」ということである、と、私は解釈しています。 (3.5)はじまりは、ノートの隅っこにまんがのキャラの落書きを描くようなことだったと思うんですね。最初はそれを売る気
書いてたものを放流。 「あなたはいつか趣味の世界からいなくなる、だから趣味の世界を守るために後進の育成をしましょう」という趣旨のツイートに、半分納得、半分疑問符。 Pro/ConのConから書く。<趣味の世界>というのは、<クラスタ>みたいなもので、たまたま線を引いて切り取ったらそこにあった、というようなものだろう。そして、それがあることにしたい人が、その世界を所与のものとして、なくなってはいけないものとして、語りたがるのだろう。自分はことさらに「ある」と思い込もうとはしていないので、守ろう、と言われても「何を?」というのが正直な感覚。「後進の育成って? これ部活か何かだっけ?」という感じ。 でも、そういった違和感から単純に「みんな思い思いに好きなことやってれば、それでいいのでは?」という見解を引き出すことには、同意しない。 正確に言えば、「みんな好きずき」が「好きへの無関心」を表すことに
id:nasika 店長の三歩進んで二歩下がる経営でおなじみゲームフィールドが、4/30までセール中。 http://gamefield.org 4本買うと「一番安いゲームが無料」。 あれですね、oreilly.comの「PDF3冊買って1冊無料になるキャンペーン」みたいなもんですね。 実際、それでめちゃくちゃ安くなるわけでもないですし、冷静に数字にすると、「最大25%offで…」みたいなことになる。 でも、これはそういう話ではないんだよね、と強調しておきたい。少なくとも私にとっては。 好きなもの、評判のいいものを3個買うと、4個目に「名前もデザイナーも評判もまったく知らないものをノーリスクで手に入れられる」と考えたら、楽しいですよ。 知らないゲームをもらおう ところで、ゲームフィールドには「ドミニオン」が置いてない。一昨年から売れ続ける大人気ゲームだし、まだまだ「置けば売れる」ゲームだ。
afternoon ノートPCを持ち運ぶと、やはり腰が…。しかし「いつどうなるかわかったもんじゃない」ことを目の当たりにすると、なるべく自分の環境を常に持ち歩くようにしたほうがいい気がしてくる(地震を見て始めたわけではないが)。 evening <0317:この項ちょっと追記した> 夕方より火曜日の会。今日はゲームが遊べた。「ゴールド」「ホーネット」。どちらも面白かった。というより「面白さを引き出す遊び方を考える」集まりだと思っているので、結果が「面白かった」にならないのならそれは失敗。 遊びながらしゃべっていて「これは結局さぁ…」というパンチラインはいくらか出てくる。しかしそれをまとまった記事に起こすのは難しい。難しいが、それを文字として集積していかなければ、いつまでも「ファミ通クロレビ8点のもの」しか相手にされない。というかそもそも点数を中心にしてしか購買行動が成立しない。 点数中心の
夕方から「火曜日の会」。ショップ(http://gamefield.org/)の新作ご相伴会、兼、雑談会みたいなもの。この日は第0回といった体。 x. この趣味を楽しむ人には「遊ぶけど買わない人」と「評価の定まったものを決め打ちで買う人」と「評価がよくわかんなくてもとりあえず買う人」というグループがあって、ショップが恒常的に利益を出していくには3番目の人が増えるしかない。しかし多くの「体験会」「ゲーム会」「その他ネット活動」では1と2の層にしかアピールしないという問題。そこにパイはあるのかも知れないが、そのパイが、今買ってるわたしらみたいな人たち(3の人)と直線的につながっているかといえば、それはどうかな、という。 もちろん「ドミニオン」みたいなヒットゲームを置けば、それは決め打ちでも売れるだろう。けど所詮、行き渡ってしまえば売れなくなる焼き畑なのだし、どこでも「ドミニオン」売ってるなんて
「<誰かこのゲームやりませんかー>と、なんの情報もなしにその場で募るのは寒い」…と自分が書いてしまうことについて、自分の主張と偏りを書こうと思ったけど、これはそのうちまとめたい。 いきなり書くと、直したりナニしたりでアホみたいに時間食われる。 しかし、いつ書くかはわからないので、自分にとっての一番大きなフックは書き残しておこう。 a. 「仮に、面子の全員が初対面で、次会う可能性も低いとする。そこでAさんが<このゲームやりませんかー>と、見覚えのあるゲームを指さして提案したとする。BCDさんは、とくにそれに反対する理由はないなら、普通は、そのゲームを遊ぶわけだが、BCDさんが、Aさんに付き合う積極的な理由は、あるのだろうか? あるとしたら何だろう?」 「寒い」から出発してこの疑問まで行き着けるほど念入りに書ける気がしないが……。 上の疑問は、具体的には、こんな感じの問題に書き換えられる。 「
http://allespiele.tumblr.com/ ゲーム関連(あるいはゲームとは呼べない関連)の日常の記録はここに投稿してみることにした。 言いたいのはつまりこういうことだ。 おっさんらはそんな始終遊びのことばっかり考えて暮らしてるわけじゃない。いいとこ、一日のうち10分かそこらだったりする。しかし自分の暮らしを面白くしようとは常々思っていて、それが遊びという形をとることもある。おっさんらにとって、遊びというのは、日常から隔離された楽しい時間ではなく、暮らしをよくする何かなのだ。ときどき、そのセンスを確かめるための手段のひとつとして、ボードゲームで遊んだりする。 これがどこかで筋を違えて、不幸なことになる。本当はそこまで思っているわけではないのに、「ボードゲームで遊ぶのは**のため」という呪いを一度書いてしまうと、「**には勝敗派とコミュニケーション派がありますね」「私は4:6で
すごろくやの、Twitterフォロワー数値引きキャンペーン。 http://sgrk.blog53.fc2.com/blog-entry-1379.html a. フォロワー数が数万、という人は、無料でボードゲームが貰えたりする。大丈夫か…という心配はさておき、貰う立場だと: A 「店に遠慮して、1,500円くらいの、説明1分、プレイ5分で終わるゲームをもらう」 B 「普段ちょっと買うのを躊躇われる、4,000円くらいの、説明10分、プレイ75分かかりそうなゲームをもらう」 という選択があると思う(いや、もっと高額でもっと難しいものはいくらでもあるけど、とりあえず二択で)。 私なら、どちらを選ぶかは、自明ですけど……。でも、マニアだからBを選ぶんだろ、初心者はAでいいよね、って、そんな簡単な話なのかなー、と思うので、だらだら書く。 5分で終わるゲームより、75分のゲームのほうが、明らかに、
2回目。前の感想は d:id:mutronix:20080818:p1 にて。 楽しみ方がわかってきた。 「ひょっとして、こうやって事件を解いているのと並行して、まったく別の事件が混入していて、我々はそれを追っている可能性はないのかしら?」 「いや、ここに書かれていることは、記述として全て起きたこと=過去なのだから、現在進行形で何らかの事件が起きる、ということはシステム的に考えられない」 「いやいや、そういうことを言いたいんじゃなくて、この事件は一点に収束するのか、という疑問。この本はコナン・ドイルが書いたわけじゃないんでしょ、コナン・ドイルが好きすぎる人がコナン・ドイルを好きすぎる人のために書いたんでしょ、そんなマニアによるマニアのための本で、事件が必ずしも一点に収束するっていう約束は、守られるとは限らないんだよね?」 …と、初プレイの人の間で、会話がメタミステリ的領域にあっさり突入した
Sが「笑い男」を読んでいるのを見て、ツタヤでサリンジャーを買う。ビートルズのカバーが数曲入っているブラッド・メルドーのアルバムを聴きながら「バナナフィッシュ日和」「笑い男」を読む。サリンジャーを買ったところまでは、今日が12月8日だということを忘れていた。(いや、特別、ジョンなにがしのファンでもないし、どってことないんですけど) 「笑い男」は、記憶より哀切な話だった。これを初めて読んだ高校生の自分に、もっと読解力があれば、理解できただろうか。 子供たちのお守りを仰せつかっているだけの、おでこが狭くてちんちくりんの、コマンチ団の団長は、送迎バスの中での「笑い男」の語りによって、コマンチ団の子供たちの尊敬を集めていた。あるとき、団長は女の子に恋をする。そして、失恋する。団長の失恋で、子供たちが楽しみに聞いていた「笑い男」の物語は、あっけなく幕を閉じる。そういう話。 今読み返して気づいたことだが
先日スタバでだらだらしているとき、近くの席で、「iPhoneでネットビジネス」だかなんだかいう本をはさんで話をしている人たちがいた。聞くともなく聞いていると: A「**さんはブログとか書きます?」 B「いやー、一応はじめてみたけどネタがなくって」 などといった会話が気になる。 私の語彙センサが、会話から「ブログのネタ」、という言葉を発見し、話者Bの性質をある範囲に固定した(決めつけた、とも言う)。そしてそういう会話にうんうんとうなずく話者Aの性質を、もっと狭い範囲のどこかに固定した(決めつけた)。 だいたい、iPhoneでネットビジネス、という意味がわからない。ヤフオクの入札いつでもできるよ、という話なのか、AppStoreで一山当てろ、ということなのか。しかし、iPhoneアプリケーションを作ってみようというエンジニアなら、「ブログのネタ」なんて言うまでもなく、書くことなんて死ぬほどある
http://pcod.no-ip.org/yats/search?query=http%3A%2F%2Fbit.ly%2FioL7X http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ideaxidea.com/archives/2009/10/bangkok_drinking_game.html 脳のなかの古い部分の自分がこう言った。 これをゲームとか面白そうとかどんだけ娯楽燃費がいいんだ。そういう人は、チェーン系居酒屋で一個だけ辛いのの入ったたこやきを注文したりして、食ったときのリアクションを見たりするのも楽しいんだよねきっと。わーわー。 Twitterの自分が、捻ってこう言った。 中年ゲーオタは、リア充にとっての「ゲーム」=「負けたら酒を飲む」に不機嫌さを出さずに適応する能力を問われる。 私は酒は飲めないほうだから、こういう遊び(?)をやらされたら本気で嫌がるかも知れ
ゲーム会後の雑談より、二人の対話形式にして再構成。(実際は二人ではないし、もっと馬鹿な話をかわるがわるしているし、誰かが聞き役になっているわけでもない。) 「GTAとかって、人によっては何が面白いのかわかんないじゃない。楽しみ方にコツが必要っていうか」 「放置されすぎって意味で?」 「いや、プレイヤーの映画経験が問われてるみたいなところが」 「不法行為をはたらいてハイウェイ逆走とかして警官に包囲されてれば、それでいんじゃないの」 「そういう光景を見て笑ってる自分がいるでしょ。主人公にとってはバッドな経験でも、プレイヤーは笑えてるってところがポイントっぽい。そういうの面白いって感じるのもさ、<世界まる見え>とかの映像を見た経験があって、それっぽい何かを知ってるからで」 「あー」 「ゲームが面白いというよりか、<やってる俺が反応してる姿込みでいとおしい>みたいなところあるんじゃないかなー。ラブ
ここ10日そこらはWii Musicなどやっていた…と淡々と書こうと思ったが、ちょっと興が乗ったので長めに書く。 ちょう楽しいので毎日やってますよ…。 Wii Music 出版社/メーカー: 任天堂発売日: 2008/10/16メディア: Video Game購入: 9人 クリック: 125回この商品を含むブログ (111件) を見る このゲームの正しいタイトルは「耳を鍛える大人のWiiトレーニング」 なんかひょっとして、このゲームの意味って、大人にあんまり正しく通じてなくて、全く売れてないのかも知れない、と思うので、大人こそこのゲームを遊ぶべきであると宣伝しておきたい。 コントローラを振りさえすれば気持ちよく音が鳴る=子供もお年寄りも楽しめる…というのがセールスポイントではあるのだけど、CMやニンテンドーチャンネルの動画ではそこがクローズアップされすぎている気がする。 たしかに「楽器ごっ
瀬戸内寂聴さんがケータイ小説を書いていたことと「あたし彼女」というケータイ小説の独特すぎる文体が小説読み(って何?)としての自分の癇に障って仕方がない件と、そのどちらに反応していいか迷う…っていうのは嘘で僕はどっちもどうでもいいです、もちろん。瀬戸内さんには興味ありますけど。 ところでケータイ小説と呼ばれているものは、メディアの形態として見ると、好きなところから読めないし改頁が鬱陶しいしで、ほとんど「ノベルゲーム」と変わらない。「あたし彼女」のプレゼンの仕方を少し変えて、PCでプレイできるようにしたら、プレイヤーは「トモ*1」という章があるとは認識せず、「トモシナリオに突入した」と解釈するでしょう。 いやだから何だってことはないですけど、ケータイ小説を小説として真面目に論じようとすると、アドベンチャーゲームのシナリオみたいなものも含めて小説として読まないといけないので大変じゃないかと思った
傑作(「ある意味傑作」も含む)を選んで入れた。 簡単なインストは g:brettspiel のキーワードかどっかに書きます。 ドルンタードルーバー はげたかのえじき バトルライン ムガル ハイ・ソサエティ サンマルコ サンクトペテルブルク カルカソンヌ ドルンタードルーバー (3..4) ビフォアーカタンのドイツらしいゲーム。そこに建設とかNEEEEEE! と序盤は盛り上がるが、カードを消費していくとどんどん地味な戦いになるのがよい。 はげたかの餌食 (3..5) 送ったものが全く遊ばれなかったらどうしよう、と、弱気になって入れてしまった。 デイリーポータルZ:巷で話題のドイツ製ボードゲームをやってみた など参照。 バトルライン (2) こっから本気。ビフォーカタン・アフターカタンという概念はこの間ネタで書いたけどわりと有効なのかも。アフターカタンのボードゲームは、ファミリーゲームの枠をは
(註:ブックマークされたので補足。ここと合わせて http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20080604/p2 もお読みいただくと、多少意味が通じるかも知れません) 最初読んだだけでは、それが自分にとって、どういう意味を持つのかがまだわからないエントリというのが、けっこうあって、そのことを私は問題にしたいんだなぁと思った。 そういうものに「人生」「ネタ」「もめごと」みたいなタグを振るという行為は、ものすごい妥協なのだよね。妥協ってわかってやってるならともかく、だんだんタグを振ることが自己目的化していく。 で、ふと我に返って自分に突っ込む。「お前、後で自分のブックマークを「人生」とかいうタグで検索して眺めんの?」うへぇ。 ある文章が、自分にとってどういう意味があるかっていうのは、タグづけじゃフォローできない。 とりあえずピンときたものを何かにしまっておくのが、せいぜい
たまたま続けて読んだのでメモじゃなくて感想として書く。 ネガティブコメント http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-859.html 死ね死ねコメンターは「自分が書いたことがそのまま公開されて相手がダメージを受けるか慌てるかする」という状況をつくりたいと思ってる。 承認制というのは、その「書いたことがそのまま反映される」という前提を、ブラックボックスに入れて、わからなくしてしまうということだ。コメント欄に表示されているコメントは、都合よく取捨選択されたものかもしれない。だから、自分がコメントしても表示されないかも知れない。*1 そういう風潮がある程度流行すれば、コメント欄は、コメントを書く側にとって「書きがいがないもの」とみなされて、死ね死ねコメントの対象になりにくくなるんじゃないだろうか。 面白がって書かれる、つまらないコメントの全体数が減るというか。
承前 何かに関心を持って、ちょっと検索してみて、興味を惹いた記事、あとでゆっくり読もうと思ったものを、ブックマークする。 私がブックマークしようとすると、ときどき、「このエントリはすでにブックマークされています」と、出て来る。昔自分がブックマークしたものを、もう一度ブックマークしようとしたらしい。 これは、私の物忘れがひどい、という話かしら。でも、そういう細かいことを忘れるために、ソーシャルブックマーク(以下SBS)を使っているはずなので、私は悪くないはずだ。 「SBSはミニブログなんです!」「なるほどー」 ここに、SBSが「ミニブログ」である、という視点から、補助線を引く。その日考えたこと、目にとまったものをブックマークしていくわけだから、ミニブログと言ってしまっても問題なさそうに思える。(see.google: ミニブログ ソーシャルブックマーク) すると、さきほどの二重ブクマ問題は、
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080506#p2 この話に普遍性があるように感じられるのは、どうしてだろう。 ゲームをリセットすることで、それまでゲーム内の法則に従って、キャラクターとして出来事を受容していた<ニコ>が、ゲームの外でコントローラを持ったプレイヤーの<おれ>として、突然放り出されてしまう。そういうことではないのかと思った。 ふだんそれを意識することは少ない。だいたいのことは、「これはゲームです」という注釈でラップされて、プレイヤーに受容される。自分の操作するキャラクターが死んでも、悲しくならない。主人公の死とプレイヤーの死は、連動していないから。主人公以外の登場人物の死は、それが予定されているものならば、「フラグ」「イベント」という概念で回収される。 没入度が高いゲームを遊んでいると、その包み紙が破れて、プレイヤーではなく、キャラクター
問題(案) 1. (配点 各5点) 次の「はてなブックマーク」タグについて、(a)それぞれ、タグ付与者はなぜそのようなタグの形式を取ろうと思ったのか、利用者のタギングの動機を推測しなさい。(b)また、同じユーザとして、そのようなタグを許容することができるかどうか、感想を書きなさい。 http://b.hatena.ne.jp/t/7.%27special%7copt%28%e6%9c%80%e9%81%a9%29%7c%e5%b0%82%e7%94%a8 http://b.hatena.ne.jp/t/bm6264752 http://b.hatena.ne.jp/t/%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B 問2. (配点 5点) 問1に立脚して、「日本語圏におけるフォークソノミの崩壊」について、自由に
こんど、地方紙がゲーム会を取材に見えるのだが*1、最近はそういうものにもあまり驚かなくなった。というより、地元のテレビに映ったり雑誌に載ったりしても、それを見てあそびに来ていただける方はごくわずかなので、あまり緊張したり期待したりすることがなくなった。 いやぁほんと、マスメディア効果ってないもんですよ。できあがった紙面や番組をみても、よくまとまっていると思うんですけど… でも、本当にそれが結論なんだろうか? 私が思うのは、取材する人たちが期待するような(かならずしも本意ではない)模範解答を用意して答えたところで、だれひとり面白くはならないかもしれない、ということだ。 答えている側が「こんなこと言っておけば無難?」なら、取材する人も「あぁ、やっぱりそうなのね」と思うだけだし、そうやってできあがった記事や映像を見た人が、興味を抱くわけがないのでは、ないだろうか。面白くないのはまぁいいのだが、誰
先日一般からの投票で決まった「日本ボードゲーム大賞」受賞作の「ブルサ」について。 国産ゲーム部門で「ブルサ」が大賞を取った。僕の周りでは誰も投票していない(たぶん…)し、そもそも見たことすらない。いろんな文化圏があるんだろうなぁ。 http://bursa.jp/ プレイする機会があれば遊んでみたいと思います。いや、他のゲームをするかなぁ。 http://moon.livedoor.biz/archives/51430323.html するかどうかわかんないので、ここ読んで、勝手に遊んだ気になっておく。 みんなが株を買うと値上がりする イベントカードでいろんなことがおきる 買い注文が殺到したらじゃんけんで解決 という内容らしい。じゃんけん! バッティング時の手番の解決をいかにスマートにゲームに組み込もうかと呻吟しているドイツのゲームデザイナーにこれ教えたら怒りださないか心配です。*1 まぁ
「はてなリング」がサービス終了するそうだ。 はてなアイデア こういったアイデアに賛意を示すとどうしても「足を引っ張っている」ように見えてしまう。 私はこうやって言及したり、該当アイデアにポイントを支払ったりしてはみているが、実のところ、そういう「サービス終了を撤回させよう」という意図は、あまりない。所詮、何を言ったって私らはユーザーでしかない、意志決定をしている人たちの真意なんて、うかがい知ることは不可能。 ただ、「こういうことが起きるとこういうプラスとマイナスがあるよ」「こういうタイプの人がイエスと言いノーと言うよ」という、ものの見方が集約されることには、意味があると思う。 集約したからってそれが力になるなんて思ってない。 ただ、後でそのノードを見て、何かを辿ることができるかもしれない。 一般論 以下の二つは別のこと。 a.考えを可視化すること b.表明された考えが影響力を持ちうること
先日からぼちぼち書いている、「原作に全く言及せずにそれと全く同じルールのボードゲームを別の名前でぬけぬけと出す」件について。 http://tenkuban.jp/www/index.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC google:天空盤 ガイスター かりにこれ、権利関係がはっきりしていても、一抹のイヤな感じは残るわけです。 で、そのイヤな感じっていうのは、「チケット・トゥ・ライド」が日本で発売されたときに 究極のボードゲーム という惹句が付いていたのを見たときの、イヤな感じと近いんだけど…。なんかもう美醜の問題っていうか批判でもなんでもない「むかつく」レベルの話だけど。 http://www.bandai.co.jp/releases/J2006060101.ht
もっぱらAmazonでしか本を買わない人を大きな書店に連れて行ったら衝撃を受けていた、という話(創作? 実話? どっちでもいいけど)を読んだ。 ブックマークコメントも読んだ。 一覧性が高いとかレコメンデーションがない、といったことが、べつだんリアル書店の強み/弱みとは思えない。それAmazonから逆算して反対の性質を挙げてるだけだろ。 わたしが書店に行っておどろくのは、私が買わない本が、私が欲求しているものとはべつに、あらかじめ「もの」の形をとってそこに「ある」ということだ。いうなれば、それらは他人の欲求である。 Amazonから、じぶんの興味やblogのレコメンドを辿って、本のレコードが抽出され、「買う」ボタンを押して、本という実体が自宅に届けられて、自分の部屋の本棚にそれが並ぶ、というシーケンスの中には、他人の欲求が入る余地がない。 あるいは、わたしが触れ、そのとき買わない本を、このあ
手を動かしてコードを書くのが、唯一の「面白くする」ことだと考えられているなら、そういう世界では、全ての読者は作家になることが義務づけられる。 私の定義では「面白くなる」というのは、何かに触発されて私の認識がひんまがることを指す。だから「面白くする」というのも、わりと自分の認識の問題だと思っている。 作家と読者の喩えで書く。「面白い」経験を得るために、私たちは「おなじ作家の本を買い続ける」ような行動をとる。そうして、買ったものに対して「いまいち」だのなんだのと言ったりする。世界を面白くしたいのなら、自分が本を書けばいいはずなのに。どうしてだろう。 いいコード・いい作品が面白い世界をつくる、というのが唯一の真理ならば、本だって、作家の名前を伏せて売って、読者は売れ筋トップから順番に買っていけばいい。そこに並ぶラインナップが豊かなことが、世界が面白いということになる。さぁ君も面白くしたいのなら作
昨日の話の感想をいくらか。 公知の事実やすでにあるものを「おれの発明」と主張するイタさは、一つのプログラミング言語しか知らない(「掲示板スクリプト配布所」的な)イタさに通じるものがあるのかも知れない。 んーそう考えると、一つ知ってるだけまだいい、という感じもするな。 1. 久しぶりに陸ゲ部に何か書くか…という話題だ。既にあるものに名前を付けて、「おれの発明したゲームです」というのが問題なわけだが、逆張り大好きな私としては、当事者の白黒以前に、その視野の狭さこそがイタいのだ、というあたりを、強調したい。 私たちは無意識に、そのイタさに感情的になって反応している。 なぜイタさの話にずらしたいかというと、そのイタさは私たちも多かれ少なかれ持ち合わせているものだと思うから。 2. わたしたちは、ドイツのボードゲーム文化だとか、方便ではときどき言う。でも、実際にはわたしたちはドイツ人ではない。ただシ
半径1クリック界隈で「天空盤」というゲームが話題になっていて、 http://tenkuban.jp/www/index.html これ、私たちが知っているドイツのゲーム(ガイスター)とそっくりおなじシステムなのだった。どういう経緯でこのゲームが売られているのかはよく知らない。 さて自分の感情を含めて、それっぽい反応を考えてみる。 なんだこれ丸パクリじゃないか ルールは著作物として保護されてないから仕方ないのかな いやいや事実関係はわからないから早まって書くのはよくない 事実関係がどうあれ、元ゲームの名前を伏せるのはなぜ? 法的にシロでも、許可が取られていても、いい気分はしないな 第一高いだろ。ガイスター3000円くらいで買えるのに 云々。 私はツタヤでCDを借りるような人間なので、作者への愛があるなしという話になるとすみっこに縮こまらざるを得ない。 ツタヤでビートルズ借りたらビートルズ好
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