可視化と影響力


「はてなリング」がサービス終了するそうだ。

こういったアイデアに賛意を示すとどうしても「足を引っ張っている」ように見えてしまう。

私はこうやって言及したり、該当アイデアにポイントを支払ったりしてはみているが、実のところ、そういう「サービス終了を撤回させよう」という意図は、あまりない。所詮、何を言ったって私らはユーザーでしかない、意志決定をしている人たちの真意なんて、うかがい知ることは不可能。

ただ、「こういうことが起きるとこういうプラスとマイナスがあるよ」「こういうタイプの人がイエスと言いノーと言うよ」という、ものの見方が集約されることには、意味があると思う。

集約したからってそれが力になるなんて思ってない。

ただ、後でそのノードを見て、何かを辿ることができるかもしれない。

一般論

以下の二つは別のこと。

  • a.考えを可視化すること
  • b.表明された考えが影響力を持ちうること

b.の影響力とは、心理的なものだ。意志決定者が表明を考慮に入れると約束することはある。そのとき、影響力は、たんなる心理的なものではなくなる。しかしこの場合も「考慮に入れる」というのはブラックボックスなので、必要量以上の期待はしない。

「b」に意味を見いだしたがる人に出会ったら

(この項は嫌味なので省略する。キーワード:黒魔術, 言霊信仰)

ノート

  • 意見を可視化するという観点では、「コメント欄」のほうが「トラックバック」よりも密な構造をもつと言える。
    • コメント欄でまともな対話になりにくいのは、一般的なブログのコメント欄の仕様がヘボすぎるからかもしれない。
    • トラックバックで議論しろ、というのをさも常識のように書いてあるところを見ると、なんとも言えない気分になる。
    • ブログは、ある言明と、言明に関するメタな言及や、それらのリンケージがいっしょくたになっていて原始的だが、それをSBSのようなもので別レイヤーに構造化しようとすると「見ていないところでコソコソするな」という人もいる。

関連項目

  • 「技術の進歩の足を引っ張るな」
  • 「空気読め」