日記

afternoon

ノートPCを持ち運ぶと、やはり腰が…。しかし「いつどうなるかわかったもんじゃない」ことを目の当たりにすると、なるべく自分の環境を常に持ち歩くようにしたほうがいい気がしてくる(地震を見て始めたわけではないが)。

evening

<0317:この項ちょっと追記した>

夕方より火曜日の会。今日はゲームが遊べた。「ゴールド」「ホーネット」。どちらも面白かった。というより「面白さを引き出す遊び方を考える」集まりだと思っているので、結果が「面白かった」にならないのならそれは失敗。

遊びながらしゃべっていて「これは結局さぁ…」というパンチラインはいくらか出てくる。しかしそれをまとまった記事に起こすのは難しい。難しいが、それを文字として集積していかなければ、いつまでも「ファミ通クロレビ8点のもの」しか相手にされない。というかそもそも点数を中心にしてしか購買行動が成立しない。

点数中心の購買行動だと、極端に言うと「ドミニオン」や「プエルトリコ」を扱っているショップだけがまともなショップということになる。でもそんなの面白いか。郊外によくあるベストセラーと子守のおもちゃと漫画が置いてあるつまんねー書店とどこが違うんだ。…と、私は思うし、たぶん店長も思っているのだろう(そりゃ、理想論には違いないが)

実際には、4点つけられてしまうゲームでも、それを遊んでヘラヘラしたという体験は、それほどひどいものでもない。しかし「4点」がついてしまえば、「あぁ4点か」と思って売れなくなる。

などと言いつつ私も観た映画に点数をつけたりするわけですけど…。「アンチ・クライスト」は48点です…。しかしその映画の価値が48点ということを言いたいのではなく、何かの自分の基準でつけてみたら48点になった、ということなのであって、後でそれを「この間観た映画がわっけわかんなくてさ…」と話したりするのも含めていけば、すぐに、その点の意味はよくわからなくなる。

ゲームにおいても、低い点を付けるのは自由だが、それは自分のものさしを確かめるためにやることなのであって、他人に「このゲームを買うのはおよしなさい」と統計情報を提供するための点じゃないのだよ。…そう思って私は、評価サイトでの短いコメント(なぜそれが自分にとってつまらなかったのか、十分な掘り下げがないもの)は軽視するようにしている。

いろんなことが「仕組みを自作するしか」という結論になる。思ったものが作れるように、ちょっとずつでも練習していかないと。

そういえば、「ヒアアフター」が上映中止になったのだった。確かに冒頭のあれを見て心安らかになれない人がいるかもしれない、というのはわかるし、自主規制というよりもめ事回避の側面もあるのだろう。観たもののまとめとしては、「まぁそういう映画じゃないですよ」だし「むしろ生き残った人間の<なぜ>を描いているので、直接被災した方はともかく、そうでない方にはすごく意味がありますよ」だが、言っても詮無いな。

火曜日の会

半ばネタで付いている名前っぽいが定例化したらどうすんだろ…。

とりあえずパンチライン周辺を断片的に取り出してペタペタ貼るタイプのブログを書いてみるか。特にこの集まりに用途を限ったものではなくて、日記の中の<プレイログ>とかいうのに不自由さを感じていたところだったので。

book

査収: