活動の記録
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1967年 - バンド結成。 1971年 - 日本テレビ主催のコンテスト「歌のチャンピオン」で優勝し、デビュー。唄の市を中心にコンサート活動い始める。「捨ててはいけないよ大切なものを」でレコードデビュー。 1972年 - 佐藤が脱退、ソロ活動を始める。 1973年 - 丸山が参加。 1975年 - 解散。
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活動の記録
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1967年 - ピピ&コット結成。 1971年 - 日本テレビ主催のコンテスト「歌のチャンピオン」で優勝し、デビュー。唄の市を中心にコンサート活動を始める。「唄の市」旗揚げ公演(渋谷東横劇場)。「捨ててはいけないよ大切なものを」でレコードデビュー。 1972年 - ピピ&コット脱退、ソロ活動を始める。ラジオ関東で『ケメのソネット』(月-金の帯番組、PM11:20 - 11:30)始まる。ニッポン放送ではあおい輝彦と共演の『あおい君と佐藤クン』がスタート。8年間続く長寿番組となった。 1974年 - 山田太一脚本TBSドラマ『ヨイショ』にデパートの大食堂のコック役で出演。「みちくさ」(最終回1974年6月26日フジテレビ)に出演。 1976年 - 東京12チャンネル 料理番組「さあ、ごはんだよ」毎回エンディングに生で「おむすびのうた」を歌う。 1977年 - 16ミリ自主映画『ハートブレイクなんてへっちゃら』(原作:片岡義男、監督・脚本:竹島将、アクターズユニオン作品)主演。 1978年 - 『がんばれ!レッドビッキーズ』「泣かないで! 女監督」に角田陽介コーチ役で出演。 1979年 - 土曜ワイド劇場『蝶たちは今』にサムちゃんの友達役で出演。『コメットさん』(大場久美子版)36話「愛は死を越えて」出演。佐藤公彦さよならCONCERT「GOOD LUCK! MR.KEME」日仏会館。 1980年 - アパルマァ結成。ライブハウス中心の活動。12月30日『あおい君と佐藤クン』最終回。 1983年 - 高橋洋子の原作・監督・主演による東宝映画『雨が好き』に友情出演。アパルマァ解散LIVE(新宿LOFT) 1984年 - ライブハウス中心の活動。 1987年 - 音楽活動再開。ライブハウス中心の活動。 1988年 - ライブハウス中心の活動。 1989年 - ライブハウス中心の活動。3月、江古田マーキー ラストライブ。 1995年 - テレビ出演『どうーなってるの?!』(フジテレビ)、『電リク!!70年代 青春ヒット曲ベスト101』(テレビ東京)、『フォークソング大全集』(NHK-BS2) 共演:坂崎幸之助。 1999年 - よしだよしこのライブに参加。「捨ててはいけないよ大切なものを」を唄う。 2009年 - NHK-BS2『まるごと大全集 リクエスト! 日本のフォーク&ロック』に出演(都内某所より生出演)。元ピピ&コットのメンバー、金谷厚のギターと共に「通りゃんせ」を歌う。当日は放送されていないが、会場ではもう1曲演奏していた。 2009年 - 30年ぶりに全曲書下ろしのアルバム発表。CD発売記念ライブを7月5日、12日に開催。(於:風に吹かれて) 2010年 - 8月16日に復活後第2弾のCDを発売。10月16日に復活後第3弾のCDを発売。11月3日「ピピ&チョコット with まじ」名義で「捨ててはいないよ大切なものを」を発売。12月3日に復活後第4弾のCDを発売。12月24日に復活後第5弾のCDを発売。omori folk Town「風に吹かれて」で定期的にライブを開催中。 2012年 - 1月9日 ケメファン主催による「還暦記念オフ会」にゲスト参加(於:風に吹かれて)
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活動の記録
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「カーター・ファミリー」の記事における「活動の記録」の解説
カーター・ファミリーは、アルヴィン・プリーザント・デレーニー・カーター([[A.P.カーター]、1891-1960、歌、ハーモニカ)、サラ・ダウアティー・カーター(Sara Carter、オートハープとギターと歌、1898-1979)、メイベル・アディントン・カーター(Maybelle Carter、ギターと歌、1909-1978)の3人で活動を始めた。メイベルはA.P.カーターの弟エズラ(エック)・カーターの妻である。3人はヴァージニア南西部の生まれで、ゴスペルのハーモニーとシェイプ・ノートによる歌唱曲に育まれ、それにアメリカの白人ギタリストの開祖と言うべきメイベルの革新的なギター奏法を加えて、バンドは生まれた。 1927年7月31日が、カーター達の活動開始のきっかけの日である。この日、A.P.カーターは、サラと、その当時妊娠していたメイベルを説得し、ヴァージニアのメイス・スプリングスからテネシーのブリストルまでオーディションを受ける為に旅をすることとなったのである。オーディションでは録音1曲につき50ドルを受け取った。 オーディションを行ったのはレコーディング・プロデューサーのラルフ・ピア(Ralph Peer)で、生まれて間もないアメリカのレコード産業の為の新しいタレントを探していた。1927年の秋に「Wandering Boy」と「Poor Orphan Child」を、1928年に「The Storms Are on the Ocean」と「Single Girl, Married Girl」がビクターから発売され、大いに人気を博した。 1928年5月27日、ピアは3人を連れてニュージャージーのキャムデンへと向かい、後にカーター・ファミリーの代表曲となる多くの楽曲を録音した。この時に録音された「Wildwood Flower」は、カントリーとブルーグラスの歴史的な代表曲として歌い継がれている。 A.P.カーターは新曲を求めてヴァージニア南西部を旅してまわった。その途中、キングスポートの黒人ギタープレーヤー、レズリー(Esley)・リドルと知り合い、ともに旅をする。リドルのブルースギター演奏スタイルにカーター達は影響を受けたが、特にメイベルはリドルの演奏から新しいギター奏法を学んだ。 1931年、カーター達はテネシーのナッシュビルで、カントリーの大御所、ジミー・ロジャーズ(Jimmie Rodgers)とも録音をしている。 1938年から1939年にかけての冬、カーター・ファミリーはテキサスのデルリオに向かった。そして、国境を越えたメキシコのVilla Acuña(現在のCiudad Acuña)にあるボーダー・ラジオ局XERA(後のXERF)で1日2回の番組を持つ。1939年から1940年にかけては、ジューン・カーター(June Carter、Ezraとメイベルの真中の娘)も加わってテキサスのサンアントニオに住み、番組は録音されて他のボーダー・ラジオ局(XELO、XEG、XERB、XEPN)にも配信されるようになった。 1942年秋、カーター達は番組を1年契約でノースカロライナのシャーロットにあるラジオ局WBTへと移した。番組は朝5:15から6:15の日の出の頃に放送されていた。またこの時期、地元の学校や教会で演奏を披露することもよくあった。 しかし、1943年、サラがカリフォルニアへ永住することとなり、バンドは解散した。 1960年代頃まで、メイベルは生まれて来た息子達には楽器を教えず、逆に娘達のアニータ、ジェーン、ヘレンには楽器を教え、上達するとグループを組み、「マザー・メイベル & カーター・シスターズ」(Mother Maybelle and the Carter Sisters)として演奏を行った。また、A.P.カーター、サラとふたりの子供達(ジョーとジャネット)は1950年代、何曲か録音しているが曲目自体不明。
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活動の記録
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「ジャックス (バンド)」の記事における「活動の記録」の解説
1965年夏 - 和光高校(東京都町田市)の同級生、早川義夫、高橋末広、松原絵里の3人が「ナイチンゲイル」を結成。これがジャックスの前身にあたる。 1965年秋 - 早川と高橋でオリジナル曲を制作。タイトルは「セブンティーン」「ふるさとの歌」「なぐさめ」「神様と僕達」。 1966年夏 - フジテレビのフォークソング合戦にウィンドミルズの名称で出場。松原絵里が脱退。バンド名をジャックスに変更。 1967年1月 - 谷野ひとしが加入。 1967年5月 - 高橋末広が脱退し、木田高介、6月に水橋春夫が加入。早川義夫(ボーカル)、水橋春夫(ギター)、谷野ひとし(ベース)、木田高介(ドラム)の4人による活動開始。 1967年7月30日 - 第1回「ジャックス・ショウ」開催(新宿・日立ホール)。 1967年9月24日 - ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト全国大会で2位に入賞。 1968年2月3日 - 若松プロ映画「腹貸し女」音楽を録音(目黒スタジオ)。(CD化)。 1968年3月 - シングル「からっぽの世界 / いい娘だね」でタクトレコードからデビュー。 1968年5月21日 - ディレクター朝妻一郎と正式契約。 1968年7月24日 - 第2回「ジャックス・ショウ」開催(東京・日仏会館)。(CD化)。 1968年9月1日 - 日比谷野音のイベント終了後、水橋春夫が脱退を申し入れる。 1968年9月10日 - ファースト・アルバム『ジャックスの世界』を発表。 1968年11月 - 角田ひろ(ドラム)が加入。木田高介はドラムから、サックスやフルート、ヴィブラフォンに替わる。 1969年3月21日 - 第3回「ジャックス・ショウ」開催(大阪厚生年金会館中ホール)(CD化)。 1969年3月31日 - 第4回「ジャックス・ショウ」開催(東京厚生年金会館小ホール)。 1969年6月15日 - 近畿放送(現KBS京都)「みんなで歌おうフォークフォーク」公開番組に出演(CD化)。 1969年7月25日 - 第5回「ジャックス・ショウ」のステージ上で解散を宣言。 1969年8月9日 - 第1回全日本フォークジャンボリーの出演(午前4時ごろに登場)を最後にジャックスは解散。 1969年10月10日 - セカンド・アルバム『ジャックスの奇蹟』が発表される。
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活動の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 03:42 UTC 版)
ダニー・トンプソンは、1939年のデヴォン州テインマス生まれ。父親は鉱夫であり、第二次世界大戦が始まるとイギリス海軍の潜水艦組員になった。6歳の頃に一家はロンドンへと移り、バタシーの労働階級地区で育つ。学校ではサッカーが得意でチェルシーFC(それ以来ずっと応援している)のジュニアでプレーしていた。またダブルベースを選ぶまで、ギター、マンドリン、トランペット、トロンボーンを学んだ。 トンプソンのスタイルはジャズ指向である。即興スタイルは極めて特徴的で一度聴けば彼の演奏と分かる。規則的に、高音域の音型の様に唸るような弦の音を響かせ演奏を支える。また、大きな動作で弓を使うこと、そして特に、とどろく低音と同様に不気味な鋭い音を作り出すことでも有名である。 ダニー・トンプソンは自身のアルバムをリリースもしているが、リチャード・トンプソンのような他のアーティストに貢献するセッション・ミュージシャンとして主に活躍している。リチャード・トンプソンだとアルバムなら『ミラー・ブルー』『ジ・オールド・キット・バッグ』、コンサートDVDでは、米PBSの音楽番組「オースティン・シティ・リミッツ」(Austin City Limits)シリーズで収録された『Richard Thompson Live in Austin Texas』でそれがよくわかる。 1980年代初期、ドキュメンタリー映画監督、ロイ・デベレル(Roy Deverell)と密接に協力し、賞も獲得した彼の2本の映画『Echo of the Wild』と『A Passion to Protect』のための音楽を作曲した。それらの映画は、絶滅の危機に瀕している哺乳類を対象としたジョン・アスピナルの先駆的な研究に関するものであった。
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活動の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:10 UTC 版)
1969年3月 - 和光大学に在籍していた高橋照幸が、寮で相部屋だった谷野ひとしを介して親交があったジャックスの合宿に運転手として参加し、練習の合間に自作の歌を録音する。そのときのバック演奏は早川義夫を除く、当時のジャックスのメンバー(活動末期のため、つのだ☆ひろがドラムを担当している)。 1969年6月 - デビューアルバム『休みの国』をアングラ・レコード・クラブ (URC) レコードからリリース。 1977年6月 - 「悪魔巣取金愚」が自主制作映画『特攻任侠自衛隊』主題歌に使用される。後年、この映画を観た平野耕太の漫画作品『HELLSING』に歌詞を引用され、大槻ケンヂやキノコホテルにカバーされるなど、カルト的な人気を博した。
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