オースティン【Austin】
オースチン
日産自動車が1952年12月、イギリスのオースチン社と、A40サマーセットサルーンの日本でのコンプリート・ノックダウン生産の技術提携を結んだのが始まり。年間2000台、3年後には完全国産化を目指す、という内容だった。車名は創設者サマーセット・オースチンから。
53年3月にパーツが到着、すぐさま生産を開始、4月に1号車がラインオフした。経済性をうたう小型乗用車で、広いガラスセクションによる明るい室内と、たっぷりした室内スペースを特徴とした。エンジンは4気筒OHV・1197ccで最高出力は42psだった。当初、国産の使用部品はタイヤ、バッテリー、平ガラスにすぎなかったが、54年1月時点では224点に達していた。しかし、生産モデルのA40がA50にモデルチェンジ、日本でも新モデルに切り替えたため、それまでの国産化部品は使えなくなってしまった。それでも55年8月には過半数の部品を国産化し、エンジン、ミッションなどの機能部品もほとんど試作を終え、順次、オースチン社の承認を得つつあった。9月にはボディの25%を国産化。11月にはエンジン、アクスルの生産をはじめ、56年5月にはA50完全国産車が完成した。もちろん、オースチン社の承認を受けたパーツ類で、エンジンは直列4気筒OHV・1489ccを搭載。サスペンションはA40と同じ前ダブルウイッシュボーン/コイル、後リジッド/リーフを採用した。58年11月、59年型にマイナーチェンジ、デュアルタイプのキャブレーターにより出力を57psに上げ、同時に前後ショックアブソーバーに改良を加え、乗り心地をよくした。リヤウインドウも左右110mm広げた。しかし、59年12月で生産を終えた。
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