1967年1月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:03 UTC 版)
「福島第一原子力発電所2号機の建設」の記事における「1967年1月」の解説
1967年1月、GEが受注量の急増から500、750、1000MWの3タイプの標準容量の炉を発表したことが報じられた。いわゆる1967年型と呼ばれるタイプであり、後にBWR-4と改称されたタイプである。 一方、通産省は国産化推進の他、当時から会社間連系による電力融通を活用した広域運営も推進しており電力各社に圧力を加えていた。『電気産業新聞』によると、通産省は電力9社で組織する中央電力協議会(なお、この年の会長は東京電力であった)が1967年1月25日発表した1975年度までの10ヶ年計画に広域運営の徹底が不十分として強い不満を示し、次のような再検討の要望を出していた。 原子力発電所の建設は、用地が局限される点が強いところからも各社の供給地域を超えた適地集中開発方式を考慮すべきである 原子力発電にあっては大型化による利益が大きい点を勘案して共同開発や輪番方式を取るべきである 1967年の中電協の計画では東京電力は原子力発電開発分を計220万kWとしており、これは当時の福島原子力地点での計画規模(1号機40万kW、2-4号機各60万kW)に相当していた。後述するように、通産省は1967年5月に独自の開発計画案を提示することとなる。
※この「1967年1月」の解説は、「福島第一原子力発電所2号機の建設」の解説の一部です。
「1967年1月」を含む「福島第一原子力発電所2号機の建設」の記事については、「福島第一原子力発電所2号機の建設」の概要を参照ください。
- 1967年1月のページへのリンク