とう【×沓】
くつ【靴/▽履/×沓/×鞋/×舃】
靴(履・沓・鞋)
『オズの魔法使い』(ボーム) ドロシーは、オズの国から故郷カンサスへ帰るために、魔法使い(実はペテン師の老人)の気球に乗ろうとするが、愛犬トトを捜していて乗り遅れる。魔女グリンダが「銀の靴には、世界のどこへでも3歩で運んでくれる魔力がある」と教え、ドロシーは銀の靴をはいて空中を3歩あるき、カンサスの草原に帰り着く。靴は空中で脱げ落ちて、どこかへいってしまった。
『親指小僧』(ペロー) 人食い鬼が7里の長靴をはき山や川を次々に越えて、親指小僧たち7人兄弟を追いかけるが、そのうち疲れて眠りこむ。親指小僧は人食い鬼の長靴を脱がせ、それをはいて人食い鬼の女房の所へ行き、人食い鬼の全財産をだまし取る。
『影をなくした男』(シャミッソー) 影も恋も失った青年シュレミール(*→〔影〕2a)が市場で偶然手に入れた古靴は、1歩あるけば7里を行く魔法の靴だった。彼は世界中を歩き回り、自然の中で植物学と動物学の研究に、残る生涯を費やした〔*長い髭をはやしたシュレミールは、ある時病気になり、病院でかつての恋人ミーナと再会する。しかし彼は名乗らぬまま、また旅に出る〕。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章 セリポス島の王ポリュデクテスにゴルゴン退治を命ぜられたペルセウスは、ニムフたちの所を訪れ、翼のあるサンダルを得た。彼はサンダルを踵につけて空を飛び、ゴルゴン3姉妹の棲処へ行って末娘メドゥサの首を取った。
『土(ど)まんじゅう』(グリム)KHM195 悪魔が、死者の魂を取ろうと墓地へ来る。百姓と兵隊が土まんじゅうの夜番をしており、「長靴の片方いっぱいに金貨を詰めてくれるなら死体を渡そう」と言う。長靴は底が抜いてあり、しかも穴の上に置いてあったので、悪魔がいくら金貨を入れても筒抜けで、長靴は空っぽのままだった。悪魔は何度も金貨の袋を持って来るが、そのうちに夜が明け、悪魔は逃げて行った。
『水鏡』中巻 天智天皇10年(671)。9月、天皇は病み、譲位の意志を示した。12月3日、天皇は馬に乗って山科へ向かい、林の中に入って姿を消した。行方はわからず、ただ沓だけが落ちていたのを、陵(みささぎ)におさめた〔*『日本書紀』巻27天智天皇10年では、12月3日、天皇は近江宮で崩御された、と記す〕。
*天智天皇の死の伝承は、バハラーム王の死の物語を連想させる→〔死体消失〕5の『七王妃物語』(ニザーミー)第44章。
*若い娘が、木の下に草履を脱ぎ置いたまま行方知れずになる→〔神隠し〕の『遠野物語』(柳田国男)8。
『ラーマーヤナ』第2巻「アヨーディヤーの巻」 カイケーイー妃が継子ラーマを森に追放し、実子バラタを王にしようとはかる。バラタは王位につくことを拒否し、ラーマに帰国を願うが叶わなかった。バラタはラーマの履を請い受けて、それをラーマの身代わりに玉座に置いた。
『百姓女たよ』(木下順二) 封建時代は、妻から離婚を申し出ることはできず、縁切り寺に駆け込むしか方法がなかった。しかし途中でつかまったら、たいへんなことになる。追っ手が迫ったら、下駄を片方ぬいで、寺の門内へ投げ込めばよい。そうすれば寺がかくまってくれ、たとえ大名でも手出しはできない→〔縁切り〕3。
★3a.王が、靴の持ち主の女を捜して、妻とする。
『ギリシア奇談集』(アイリアノス)巻13-33 エジプトの美貌の遊女ロドピスが入浴中、鷲が降りて来て、彼女の靴の片方をつかんで飛び去った。鷲はメンピスまで飛び、プサンメティコス王の懐に靴を落とした。王は、「靴の持ち主である女を求めてエジプト全土を捜索せよ」と命令し、見つけ出すと妃にした。
『灰かぶり』(グリム)KHM21 真っ白な小鳥が、輝く衣裳と黄金の靴を「灰かぶり(=シンデレラ)」に与える。「灰かぶり」はお城の舞踏会へ行って、王子と踊る。日が暮れて「灰かぶり」は帰ろうとするが、王子は「灰かぶり」を逃がさないために、前もって階段にべたべたのチャン(=瀝青)を塗っておいた。左の靴がくっついて残り、王子は「この黄金の靴が合う娘を妻とする」と言う。「灰かぶり」の足が靴にぴったり合い、王子と結婚する。
*ガラスの靴が合う娘を捜す→〔ガラス〕1の『サンドリヨン』(ペロー)。
『酉陽雑俎』続集巻1-875 継母にいじめられる娘・葉限(しょうげん)は、不思議な魚の骨に祈って、宝玉や衣裳など望みのものを得る。祭日に葉限は美しく着飾って出かけるが、継母に見とがめられて慌てて帰る時、金の履を片方落とす。隣国の王がそれを手に入れ、履に合う足の娘を捜して葉限を見いだす。葉限は美貌であったので、王の上婦となる。
*靴の持ち主の女を捜すと、豚だった→〔豚〕1aの『太平広記』巻439所引『集異記』。
★3b.靴の持ち主を捜されると困るので、他人の靴と取り替える。
『笑府』巻6⑪「認鞋」 夜、人妻が隣人と通じているところへ、夫が帰って来る。隣人は窓から逃げ、夫はその鞋をつかみ取る。夫は妻を罵り、「明日、鞋の主をつきとめる」と言う。妻は、夫が眠っている間に、隣人の鞋を夫の鞋と取り替えておく。翌朝、夫は鞋を見て驚き、妻に謝る。「私は勘違いしていた。昨夜、窓から逃げたのは私だったのだ」。
『白雪姫』(グリム)KHM53 白雪姫と王子の結婚式に、継母(妃)が招かれる。継母は、毒りんごで殺したはずの白雪姫が花嫁姿でいるのを見て、驚く。その場で継母は、炭火で真っ赤に焼けた鉄靴をはかされる。継母は踊り狂い、やがて息が絶えて倒れる。
『赤いくつ』(アンデルセン) カレンのはいた赤いくつは足にくっついてぬぐことができず、しかも彼女の意志にかかわりなく踊る。くつがカレンの身体を運び、カレンは畑をこえ草原をこえて、晴れた日も雨の日も、昼も夜も踊り続けなければならない。剣を持つ天使が「おまえは死ぬまで踊り続けるのだ」と、カレンに宣告する。
『日本書紀』巻24皇極天皇3年正月 中臣鎌子(なかとみのかまこ)は、逆臣蘇我入鹿を倒すために、中大兄(なかのおほえ)に近づきたいと考える。法興寺の槻の木の下で中大兄が打毬(ちょうきゅう)を行なった時、彼の皮鞋(みくつ)が脱げ落ちた。鎌子はそれを掌中に取り持ち、跪(ひざまづ)いて奉り、中大兄も跪いて受け取った。それ以来、2人は親密になり、ともに入鹿暗殺の計画を練った。
『義経記』巻5「吉野法師判官を追ひかけ奉る事」 昔、天竺波羅奈(はらない)国の王が戦争に負けた時、沓を前後逆さに履いて逃げた。不思議な足跡を見た敵軍は、「何か計略があるのか?」と疑い、追跡をやめた。雪の吉野を逃げる源義経主従が、この故事に倣って沓を逆に履く。しかし追手は、「これは波羅奈国王の先例に従ったものだ」と見破り、追撃の手をゆるめなかった。
『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「逆沓(さかぐつ)」 丹後の由良の湊に「逆沓」という故事がある。つし王丸が、三荘太夫の許(もと)から脱出して京へ上る時、沓を前後逆にはいて、雪中を逃げた。そのため、雪についた足跡は奥丹後へ向かうように見え、追手は奥丹後方面を捜したので、つし王丸は無事に京へ入ることができた(『譚海』巻2)。
『椿説弓張月』後篇巻之1第16回 鎮西八郎為朝が、三宅島沖の「女護の嶋」を訪れる。磯辺には、木の皮で編んだ草履がいくつも並び、「漂流して来た男がここで草履をはくと、草履の持ち主である女がその男を夫とする」との伝説を思わせる光景だった〔*後に嶋の娘・長女(にょこ)が、「草履を磯辺に置くのは『男(を)の嶋』に住む夫たちの無事を祈るためで、日本の陰膳(かげぜん)と同じです」と、為朝に説明する〕。
*飢えて靴を食べる→〔飢え〕2aの『黄金狂時代』(チャップリン)。
靴
くるぶし(踝)が見える程度の丈のものを短靴といい[1]、それよりも丈の長いものを長靴という。それぞれシューズ (shoes) とブーツ (boots)として分類されることもある。ただしアメリカでは、ブーツをシューズに含めることがある。その場合、短靴を特にローシューズ (low shoes) という。
また、室内で履かれるものは室内履きと呼ばれる[1]。「靴」は文脈によっては、それ以外の屋外でも使われる外履き一般(日本語で言う「土足」)を意味することもある(例:ここで靴を脱いでください/靴のままお上がりください)。
「アメリカの家は土足で上がる」というのは誤解であり、土足で上がれるかどうか許可を取るのが作法である[2]。
日本では中世以降ほとんど「靴」という語が使われなかったため、現代では靴といえば西洋靴を意味することが多い。しかし日本の伝統的な靴もある。ただしその意味では履や沓と書いて区別することが通常。
かかと(踵)の部分が開放あるいはストラップのみのものはサンダルに分類され[1]、さらに室内用のものであればスリッパに分類される[1]。
靴は基本的に靴底を備えており、靴下、足袋のような、1枚布もしくはそれに似た構造のものは靴に含めない。地下足袋も、足袋の範疇に含め靴に含めないことが多い。
靴はそれ以外の履物に比べ覆う面が多いため、足を保護する効果が高い。他方、通気性や足の運動性は劣る。特に足指の運動がほとんどできないものが多い。
なお、日本では家庭用品品質表示法の適用対象となっており、雑貨工業品品質表示規程に定めがある[3]
歴史
古代
これまでに発見された世界最古の靴は1938年に米国オレゴン州のフォートロック洞窟にあったもので、紀元前7000年頃にヨモギの樹皮で作られたサンダルである[7][8]。世界最古の革靴は2008年にアルメニアのアレニ1複合洞窟で発見されたもので、1枚の牛革から作られ、前から後ろに革の紐で結んであり、紀元前3500年頃に作られたものと見られている[9][10][11]。アイスマンのエッツィが履いていた靴は紀元前3300年頃の物で、底は茶色い熊の革、縁は鹿の革でできており、足に固定するために樹皮の網が付いていた[9]。ヨトゥンヘイムの靴は2006年に発見されたもので、紀元前1800~1100年頃に作られたと見られており[12]、スカンジナビア半島で最も古い衣類とされている。
靴はさらにもっと古くから使われていたものと考えられているが、腐敗しやすい材料が使われていたため、最初期の靴に関する証拠を見つけることは困難である[13]。足の小指の骨は4万年から2万6千年頃から小さくなっていることが調査により観察できる。考古学者らは靴を履くことにより骨の成長が阻害され、つま先が短くて細くなる要因になったものと考えている[14]。初期の靴は非常にシンプルで、石や破片や寒さから足を守るための革でできた足用の袋に過ぎなかった。
北米の先住民の多くはモカシンと呼ばれる靴を履いていた。これらは柔らかい靴底のぴったりとした靴で、主にバイソンの革で作られていた。モカシンの多くはビーズなどにより装飾が施された。モカシンには防水性がなく、雨の日や暑い季節にはネイティブアメリカンの多くが裸足で行動していた[15]。
文明の発達と共に初期の紐サンダルが現れた。この習慣は紀元前4000年頃の古代エジプトの壁画に遡ることができる。パピルスで作られた紐サンダルがヨーロッパで発見されており、放射性炭素年代測定により1500年前に作られたものと見られている。またエルサレムでも1世紀頃に履いていた[16]。紐サンダルは様々な文明で様々な材料により作られた。古代エジプトではパピルスやヤシの木の葉でサンダルを作った。アフリカのマサイ族は生皮で制作した。インドでは木で制作した。中国や日本では藁で作られた。南米ではサイザルアサの葉で作られ、メキシコの先住民はユッカの葉で作った[17][18]。
日本では、正倉院御物として、奈良時代の室内用靴「繍線鞋」(ぬいのせんがい)が現存している[19]。
紐サンダルが広く普及していた時代、古代エジプト人、ヒンドゥー教徒、古代ギリシア人らは履物を必要とすることがあまりなく、ほとんどの場合において裸足が好まれた。一部の古代エジプト人やヒンドゥー教徒は、今日ではクレオパトラの俗称で知られる、底がなく足の保護に全くならないような装飾用の履物を使用した。古代ギリシャ人は履物を、甘えであり、格好悪く、不必要なものと考えていた。靴は主に劇場で役者が伸長を高く見せるために使われ、一般人の多くは裸足を好んだ[20] 。古代オリンピックでは選手らは裸足に全裸の姿で参加した[21]。神々や勇者らは主に裸足で描写され、重装歩兵は裸足で戦い、アレクサンドロス大王は裸足の兵士を従えて巨大な帝国を作り上げた。古代ギリシャのマラソンランナーは裸足で走ったと考えれている。世界で最初のマラソンランナーであるピリッピデスはアテネからスパルタまで36時間弱で走破した[22]。マラトンでの戦いに勝利したニュースを伝えるためにアテネまでまっすぐ走った[23]。
ギリシャを制覇したローマは様々な文化を吸収したが、ギリシャの靴や衣服は吸収しなかった。ローマの服は力の象徴であり、奴隷や貧民は裸足で生活していたが、履物は市民の必需品と考えられていた[20]。ローマ兵士にはchiralと呼ばれる左右の形が同じではない靴が支給された[24]。聖書には靴への言及がある[25]。
中世から近代まで
中世のピレネー山脈ではエスパドリーユがカジュアルな靴として一般に使われた。これは黄麻で編んだ靴底に布製のアッパーを被せたもので、足首を縛る布製の紐が付いていることが多かった。この名前はフランス語のエスパート草から来ている。この靴は13世紀初頭にスペインのカタルーニャ地方から広まり、この地区の農村で農民が主に着用していた[18]。
中世に作られた靴の多くは、革の内側を外に向けたアッパーを底に繋ぎ、端を縫って接続する回転靴製法で制作された。一部の靴は足の周りの革を絞めつけてうまくフィットさせるためにトグルのフラップやドローストリングを付ける形で制作された。現存する中世の靴の多くは左右対称で足にしっかりフィットする形になっていた[26]。1500年頃になると回転靴製法は、固い靴底へ縫い付けてアッパーが裏返らなくなったウェルテッド・ランド製法に置き換わった[27]。回転靴製法は現代でもダンス用など一部の特殊な靴に使われている。
15世紀になるとヨーロッパではパッテンが男女の間で流行した。これは現代のハイヒールの祖先[28]と見られている。一方で貧民や下級市民、新天地から連れてきた奴隷などは裸足だった[20]。15世紀中頃のヨーロッパでクラコーが流行した。この名前はポーランドの首都クラクフが起源だと考えられていたために付けられた。polaineと呼ばれる長いつま先があるのが特徴で、クジラのヒゲで支えられ、歩くのに邪魔になるため膝に結び付けていたとの説もある[29]。また15世紀のトルコで18~20cm程の高さのショパンが作られた。これらの靴はヴェネツィアをはじめとするヨーロッパ中で富や権力を示すステータスシンボルとして人気が高まった。16世紀中にカトリーヌ・ド・メディシスやメアリー1世といった王族が背を高く見せるためにヒールの高い靴を着用し始めた。1580年頃には男性たちも着用し、権力者や富裕層たちはこの靴をwell-heeled(裕福系)と呼んだ[28]。
最終的に底付け製法の近代的な靴が発明された。17世紀からはほとんどの革靴が底付け製法になった。この製法は今日でもフォーマルシューズの基本となっている。1800年頃までは左右を区別しない形でのウェルト・ランド製法が主流だった。このような靴は今日ではストレートと呼ばれる[30]。右用と左用の靴を区別する製法はあまり一般的にならなかった。
産業革命以降
18世紀中旬になると製靴業界は問屋制家内工業として広く商業化された。地域の小さな製靴企業によって製造された靴が大きな 倉庫に集められるようになった。
19世紀までは製靴は伝統工芸だったが、19世紀の末頃になると工程のほぼ全てが機械化され、大きな工場で生産されるようになった。大量生産による経済的効率性の高さにもかかわらず、工場で製造された靴は靴職人が製造した靴と見分けがつかなかった。
機械化への第1歩はナポレオン戦争中にエンジニアのマーク・イザムバード・ブルネルが踏み出した。彼はイギリス陸軍の兵士が使うブーツを大量に生産するために製造機を開発した。1812年にアッパーと靴底を金属のピンや釘で固定する装置を考案した[31]。ヨーク公爵の支援を受けて靴が製造され、その頑丈さと耐久性の高さと安さが評価されて陸軍で用いられた。同年にリチャード・ウッドマンがネジやステープラーを用いた手法の特許を取得した。バタシーにある工場を訪問したリチャード・フィリップス卿はブルネルの製造システムを次のように評している。
靴工場の別の建物に案内されると、この建物も同様にとても工夫が凝らされており、ピン工場のような高度なレベルでの分業が実現されていた。全ての工程が美しく正確に効率化されていた。靴は25個の工程に分けて作られ、丈夫で完成度の高い靴を1日に100足製造している。全ての工程は機械の巧妙な働きによって処理され、全てのパーツは高い精度で均一かつ正確に製作される。作業員は1つの工程に専念するため、勉強したり教えたりする必要がなく、本職の職人でなくてもよいため、数時間の研修を受けることが可能であれば負傷した兵士などでもよいという事を意味している。政府への納入品は1足当たり6シリング6ペンスの契約となっているが、これは過去に購入されていた、比べ物にもならない粗悪品より、少なくとも2シリング安い[32]。
しかし1815年に戦争が終了すると労働力が余って賃金が安くなり、また軍需による靴の需要もなくなったため、工場で大量生産する意味が無くなってしまい事業を畳むことになった[31]。
クリミア戦争の時にも似たような現象が起こり、機械化による大量生産に対する需要が再び高まり、今回はそれが長く続いた[31]。レスターの靴職人であるトーマス・クリックが1853年に新しい製造機の設計で特許を取得した。この製造機では金属のリベットを靴底へ打ち込むのに金属の板を用いた。この工程は製造効率を大幅に高めた。1850年代中頃には皮をなめしたりカットするのに蒸気機関を導入した[33]。
1846年にミシンが発明され、製靴の新たな機械化手法として広まった。1850年代後半頃には主にアメリカとヨーロッパで製靴業界の近代化シフトが起きた。1856年にアメリカ人のライマン・ブレイクが靴用のミシンを発明し、1864年に完成形となった。McKayと提携し、McKayのミシンとして知られるようになり、ニューイングランド全体に瞬く間に広まった[34]。これらの発明により製造工程におけるボトルネックが解消され、さらにペグ打ちや仕上げなど多くの工程が次々に自動化されていった。
マサチューセッツ州ローウェルに住むハンフリー・オサリバンが1899年1月24日にゴム底のブーツや靴に関する特許を取得した[35]。
20世紀中頃までには素材がゴム、樹脂、合成布などへ進化し、また接着剤を用いた技術が向上したことにより、これまでの伝統とは全く異なる製法が可能になった。かつては主要な材料であった革は、高価でフォーマルな靴では現在も使われているものの、運動靴ではほとんど又は全く使われなくなった。手縫いで丁寧に仕上げられていた靴底は現在では機械で縫製されるか又は接着されるようになった。ゴムや合成樹脂などの新素材で作られている多くの靴は腐食せず、土に返りにくくなった。大量生産された靴は埋め立て処分場で土にかえるまで1000年を要すると見積もられている[36]。2000年後期にはナイキなどの一部の企業が問題を認識し、生分解性のある素材を用いた靴を製造するようになった[37][38]。
2007年の時点で世界の靴業界のマーケットシェアは1074億米ドルで、2012年末に1229億米ドルになると予想されている。63%が中国で製造されており、世界の靴の輸出の40.5%、売り上げ総額の55%を占めている。一方で高価格帯の市場はヨーロッパがほぼ独占している[39]。
靴の組成
履き口
足を差し入れる部分を履き口という。履き口には装飾付きのもある[1]。
履き口の高さ
- ローカット
- ローファーや紐無しの靴に多い
- オックスフォード
- 紐ありの靴に多い、正装に用いる。
- ハイライザー
- 紐ありの靴に多い、正装に用いる。
靴紐
- 丸紐(丸紐の方がやや改まった物になるが、紐が解けやすく靴に合うのが難しい)
- 平紐(平紐はややカジュアルになるが、紐が解けにくく靴に合いやすい)
- ガス引き(ガス紐)
- 石目(編み紐)
- スニーカーやワークブーツに使われることが多い。
- アグレット - 靴紐の両端についている小さな覆いの部品で、プラスチック製や金属製のものが存在する。
なお、靴紐の両端はアグレットに加工されていることが多い。
靴紐の結び方
- シングル
- フォーマルやビジネスに用いる結び方、片方だけを締め付ける。
- パラレル
- フォーマルやビジネスに用いる結び方、両側を締め付ける。
- オーバーラップ
- スニーカーなどに用いる結び方、締めにくいが緩みにくい。足高の人にも合いやすい。
- アンダーラップ
- スニーカーなどに用いる結び方、締めやすいが緩みやすい。靴と足が合いやすい。
鳩目(アイレット、小穴)
紐靴において紐靴を通すための穴で、一般的な既製品では5個が多い。
- 鳩目の数と靴紐の長さ
- 鳩目の数が2対 約50cm - 60cm
- 鳩目の数が3対 約55cm - 65cm
- 鳩目の数が4対 約60cm - 70cm
- 鳩目の数が5対 約65cm - 75cm
- 鳩目の数が6対 約70cm - 80cm
靴底
靴底は滑り止めとなっているものが多い。スパイク金具付きのものもある[1](スパイクシューズ)。
靴底の厚さ
- シングルソール
- 靴底を1枚で構成したもの。3mm - 6mm辺りの厚さ。
- ダブルソール
- 靴底を2枚で構成したもの。丈夫で水に強いが、重く馴染みが遅く爪先が減りやすい。
- ハーフミッドソール
- 前面(土踏まずより前)だけ2枚の革で構成したもの。
- トリプルソール
- 靴底を3枚で構成したもの。一番丈夫だが重い。
中敷き
中敷きとは、緩衝を目的とする靴の部品[1]。防臭等の機能を付加したものもある[1]。
踵
短靴にはヒールのあるものとないものがある[1]。
踵の高さ
- ハイヒール(高さが約6〜7cm以上のもの[1])
- ミディアムヒール (中ヒール、高さが約3〜7cm程度のもの[1])
- ローヒール(高さが約3cm以下のもの[1])
- カッターシューズ (特に1 - 2cm前後のもの)
踵の形状
縫い目
- 内縫い
- 縫い目が目立た無いので正装にも用いられる。
- 外縫い
- 縫い目が見えるのでビジネスからカジュアルに用いられる。
その他
- ブートストラップ - 靴のかかとにあって、何かに引っかける用のストラップ。
靴のサイズ
足は一日の中でも時間と共に大きさが変わる部位である。最も大きくなるのは15時頃で、起床直後と比べて体積が約19%大きくなる。
日本では、「靴は夕方に買った方が良い」と言われる。これは、むくんだ状態の足に合わせておけば、昼間買った靴が夜には小さくなっていた、という間違いを防ぐ事が出来ることを示している。しかし、逆の見方をすれば日中は靴が大き過ぎることになる。他国は靴文化の歴史が長いため、靴を夕方に購入する習慣はない。
靴のサイズについては国ごとに、また男女別で表示方式がかなり異なっている(たとえば日本では25cmの紳士靴に相当するサイズは米国では7、イギリスでは6 1/2、大陸欧州では39、オーストラリアでは6.5)。日本国外で靴を買ったり、個人輸入などの形で国外から靴を輸入する場合には、各国のサイズに注意する必要がある。
靴のサイズの単位に日本では昔、文(もん)があり、2.4cmを表す。詳しくは文 (通貨単位)#長さの単位を参照。
足囲と足高
日本において、靴のサイズの伝統的な決め方として「足囲」と「足高」という単位が用いられていた。
- 足囲
- AAA - A - E - EEE - Gまで、AはAの数が多いほど幅が狭くなる。EはEの数が多いほど、また、アルファベットの順番が遅くなるほど幅が広くなる。
- 足高
- 24や25など、0.5単位で大きくなるがまれに0.25単位で大きくなる物もある。
靴の種類
素材別の分類
他にも、パナマ草等が使われる。
用途別の分類
- 雨靴
- 長靴
- ガロッシュ:防水・防寒・防汚用 靴の上に履く靴
- 地下足袋
- 安全靴
- 静電靴、静電気帯電防止靴: JIS T 8103:2010準拠の靴[41]
- 半長靴
- スノーシュー
- かんじき
- 綱貫
- 雪沓
- マリンブーツ(マリンシューズ、ウォータースポーツブーツ、ヨットブーツ、セーリングブーツ、ダイビングブーツ、ジェットブーツ、ジェットシューズ)
- デッキシューズ:船上で水で滑らないよう工夫された靴
- 乗馬靴[40]
- ハンティングブーツ
- バイク用靴(ライディングブーツ、ライディングシューズ)
- 自動車用靴(ドライビングブーツ)
- 軍用:被服として短靴(たんか)や半長靴(はんちょうか)もある。
スポーツ専用靴
スポーツ用途の靴はスポーツ専用靴に分類される[40]。
- ヨット靴[40]
- ゲートボール靴[40]
- 体操靴[40]
- アイススケート靴[40]
- ローラースケート靴[40]
- スキー靴[40]
- 登山靴[40]
- チロリアンシューズ
- トレッキングシューズ
- 運動靴
- ダンス靴[40](ダンスシューズ)
- ジャズシューズ
- 女性用社交ダンス靴
- 男性用社交ダンス靴
その他の用途
- スニーカー
- 上履き
- シークレットシューズ
- 介護靴
- リハビリ靴
時代・民族特有の靴
- カンフー映画で見掛ける靴、表地は綿、靴底はゴムで出来ている。
- 老北京靴
- 上記と同じく男性用で紐が無くスリッポンの形をしている。
- 古典刺繍布靴
- 中国の女性靴。
- 蓮履:纏足した女性用の靴。
- チョピン - ベネチア高級娼婦の厚底靴。
- バスキン (靴) - 古代ローマの靴。
- ダックビル・シュー ‐ 多指症であったフランス王シャルル8世から始まった15‐16世紀に見られる指先が幅広の靴。
- エスパドリーユ
- Court shoe、ドレスブーツ ‐ ヨーロッパの上流階級が履く靴。
- 12世紀の西ヨーロッパ、東ローマ帝国で履かれていた。Pigache
- ダックビル・シュー
- イタリア北部の山間部・バルカン半島などで着用される靴。Ciocia
- 中世の男女関係なく履かれた先がとがった靴。プレーヌ
- メキシコのマテワラで2002年頃から履き始めた。Botas tribaleras
女性用の靴
靴と病気
革靴のような密閉性の高い靴はしばしば外反母趾や足白癬を引き起こす。また足指が動きにくくなることによって種々の疾患や病態の原因となる可能性が指摘されている[42]。
糖尿病では、足に病変がでることから、それに対応する糖尿病用シューズがある。
靴と文化
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パーティーの余興などでの目的で靴をコップ替わりとする行為が行われる。
風習
- 日本では、夜に新しい靴をおろすと、キツネになってしまうという言い伝えがある。
- 神仏に履物を奉納したり、何かの節目に住宅などの境目に履物を吊るす行為があり、神の領域などの異界とをつなぐ要素と見られていた[43]。
- 靴の製造が盛んだった浅草周辺にある玉姫稲荷神社では、使い古した靴を供養する祭りがある[44]。
- ヨーロッパでは教会などの建物に靴を隠す行為がみられる。
- 結婚と縁
- 婚姻関係や縁に関して靴(沓)が関わる伝承や儀式は多い。伝承では、秀吉が信長の草履を温めたエピソード、シンデレラの靴によって縁ができたり、寺に草履や履物を投げ入れ縁を切ったりなどがあり、このような説話はライフ・インデックスタイプに分類される。儀式では、平安時代の沓取りの儀という婿の履いてきた沓を嫁の両親が初夜から餅の祝いの日の三日間抱えて寝る儀式、男性から女性の家に求婚する意思を伝えるために女性の家に沓を送る気配具足などがある[45]。
- 死者との関係
- 葬式とも関係が見られ、野辺送りに近親者がはく草履はアッチ草履や金剛草履と呼ばれ、墓地や辻などに脱ぎすててくる習慣がある。また、墓や棺に旅装束として草履を供えたり、逆さ草履などの行為も見られる[43]。
- 北欧では、ヴァルハラに行けるよう死者の横にヘルスコールという靴が置かれる。
- ギリシアでは、靴を家の外に置くと誰かが亡くなったことを示した[46]。
- 日本で飛び降り自殺者が靴を揃えるというイメージは、テレビによる演出から始まったとされる[47]。
身分に関する考え
- エイブラハム・リンカーンの言葉「大統領でも靴磨きでも世のため人のために働く公僕だ。世の中に卑しい業などない」などにも見られる様に「靴磨き」を生業とする人々は底辺社会・貧困社会のステレオタイプ的な存在であった。これは主に貧しい少年達が露天商として営むことが多かったことに加え、靴磨き作業中は客から常に上から見下ろされる構図であることに起因する。これに転じて「自分の靴すら磨かない」(靴を他人に磨かせる)行為はブルジョワジーや権力者の象徴として表現されることがある。
- 日本語でも「足元を見る」(旅人の足袋や草履を見て宿泊客の経済力や地位を見る様子から転じた慣用句)と言われるように、世界各国で靴のグレードや種類は、使用者の富や権力の象徴とされることが多い。「安い靴でエレガントになろうとするのは到底不可能」「おしゃれは足元から」といった決まり文句が数多く存在するのはその為である。
侮辱行為
アラブ世界では、靴で人(その人を表す絵画や写真や銅像などでも同様)を踏みつける、靴を投げつける、靴で叩くことは、その人に対する最大の侮辱・屈辱行為に当たるので注意が必要である。
湾岸戦争の後、イラクのバグダッドにあるアル・ラシードホテルAl Rasheed Hotel入口にはジョージ・H・W・ブッシュ(父)のモザイク画が踏み絵となるように描かれていた(イラク戦争後は米軍によりサダム・フセインのモザイク画に置き換えられた)。
イラク人ジャーナリストのムンタゼル・アル=ザイディは、バグダッドで行なわれたジョージ・W・ブッシュ大統領の記者会見中、履いていた靴をブッシュに投げつけた。
靴を脱ぐ文化
日本では靴を脱いで入ることを前提とした家に、家人の同意を得ずに靴のまま入る事をしては絶対にしてはいけない(つまり靴を脱ぐべき事を意味する段差が設けられた家に「上がる」)。土足で家を汚すことは、家人に掃除の手間をかけさせるだけでなく、その家の尊厳に対する挑戦的な行為と看做される。
転じて「土足で(ふさわしくない場所に)上がる」という比喩は非常に攻撃的で敵対的なニュアンスをあらわしている。例えば「心に土足で上がり込む」というのは人の尊厳を否定するような意味になり、「土足で踏みにじった」となると実際に尊厳を傷つけたような意味になる。
逆に靴を脱がずに家に上がる文化圏の場合、いたずらに靴を脱ぐことはマナーとして好ましくない。なぜなら、そういった文化圏の場合、靴は服などと同様に身嗜みの一部であり、それを脱ぎ去ることは「乱れ」とされるからである。
家に靴を脱いで上がる文化圏の玄関扉は必ず「外開き」、脱がずに上がる文化圏の扉は必ず「内開き」である。ホテルは西洋の形式を踏襲しているため客室の扉は全て内開きであり、靴を履いたままベッドに寝転がってもシーツが汚れない用にフットスローが足元に掛けられている。
日本では客宅で脱いだ靴は玄関の端に寄せるのがマナーとされる。理由は玄関の真ん中の部分は家主が使用するスペースであり、他人(訪問者)がそのスペースを奪ってはならないから。
自衛隊では、靴を脱いだ状態及びそれを指示する言葉を脱靴(だっか)と言う。
靴投げ・靴とばし
靴投げで、電線や木にかけたりなどが行われる。
そのほか、靴をどれだけ遠くに飛ばせるかのスポーツ[48]や、天気占い(下駄占い)などが行われる[49]。
また、侮辱的な行動で靴投げ事件が起きる場合もある。
靴を使った遊び
靴隠し(下駄隠し、草履隠し)という鬼ごっこがある[50]。また、バリエーションとして、履物隠し歌を使った遊びなどもある[51]。
靴関連の職業
靴関連のアイテム
- 靴下
- 靴べら
- ブラシ
- 靴墨
- シューキーパー
- Shoe-fitting fluoroscopes ‐ 靴がフィットしているか確認するレントゲン装置。1920年代から1970年代まで、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、南アフリカ、ドイツ、スイスなどの靴屋に置かれていた[52]。研究でX線の危険性が判明するとともに規制が進み、最終的に導入していた国々で禁止されて姿を消すこととなった。
脚注
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関連項目
- 靴フェティシズム、スニーカーコレクター
- 靴と運動に関する研究
外部リンク
沓
沓
「沓」の例文・使い方・用例・文例
- 大都会の雑沓には田舎者が目をまわす
- ここは市中の雑沓を離れて閑静だ
- 馬に金沓を打つ
- 肩と肩と擦れ合うような雑沓だ
- 市街は雑沓している
- 雑沓せる巷
- 沓冠りという,和歌や俳諧の折句
- 沓冠りという,様々な形式をもつ遊戯的な俳諧文学の一つである雑俳
- 謡曲で,沓冠りという謡い方
- 古代建築で,沓形という屋根飾り
- 沓取りという,主人の靴をもって供をする役目
- 沓取りという,主人の靴をもって供をする役目の人
- 玄関に置く,沓脱ぎ石という石
- 矢の幹の部分としての沓巻き
- 沓巻きという,柱の下部の化粧金具
- 主人の沓を持って,供をする役目の人
- 毛皮製の乗馬用沓
- 沓の下に用いる履き物
- 下沓という履物
沓と同じ種類の言葉
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