ちゅう‐ごく【中国】
読み方:ちゅうごく
3 律令制で、人口・面積などによって諸国を大・上・中・下の四等級に分けたうちの第三位の国。安房(あわ)・若狭・能登など。
4 律令制で、都からの距離によって国を遠国(おんごく)・中国・近国に分類したうちの一。駿河(するが)・越前・出雲(いずも)・備後(びんご)など。
ちゅうごく【中国】
ちゅうごく 【中国】
中國
姓 | 読み方 |
---|---|
中國 | なかくに |
中國 | なかぐに |
中国
中国(宋・元時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)
「中国の近世は宋朝にはじまる」といわれるように、宋代以後、中国の歴史は新しい段階に入り、貴族に代わって士大夫が活躍した時代、政治的には武人政治が解体して皇帝独裁政治の時代であった。その武人と貴族の勢力を抑えるため、官吏の任用に科挙の制を用いて文治に力を注いだ結果、文学・芸術・宗教がすこぶる興隆発展することとなった。 書道 詳細は「中国の書道史#宋・遼・金」および「中国の書道史#元」を参照 書道においては、北宋のはじめ約半世紀ほどは中国の伝統的書法である晋唐の書の模倣が続き、王羲之の書風が流行した。やがて唐人が書法や型に束縛されて生気を失ったことの反省から、宋人は自由に自己を表現しようと考え、蘇軾・黄庭堅・米芾の三大家によって大きく書風が革新された。その新書風は南宋に及んでも流行し、大多数の書人はそれに属するものであった。しかし南宋中期から次第に晋唐へと復古する傾向が見られ、南宋の書道には、二王を宗とするものと、宋の三大家に学ぶものとの二つの潮流があった。やがて、それが元の趙孟頫の復古調の全盛時代という形で淘汰されていくが、晋唐の書へ復古するに至った理由は、宋人が自由と個性とを尊重して古法を軽んじ、粗放になったという反省からによるといわれている。以上が宋・元時代の書道の大勢である。 仏教 一方、宗教においては、宋・元の時期、禅仏教が盛況を呈した。宋朝は科挙によって官僚を登用する必要から儒教を重んじたが、同時に仏教や道教も保護し、この国家による保護政策によって仏教は隆盛に向かった。その中心は禅宗であり、宋代の禅宗は曹洞宗・法眼宗・雲門宗・潙仰宗・臨済宗の五家と、その臨済宗が楊岐派と黄龍派に分かれることから五家七宗と呼ばれる。宋の中期以後、楊岐派と黄龍派が次第に勢力を伸ばし、初めは黄龍派が盛んであったが、後には次第に楊岐派が優勢となった。そして南宋末の楊岐派の発展は目覚しく、殊に圜悟克勤の門下から出た大慧宗杲は多くの弟子を集めて一派をなした(大慧派)。その後、密庵咸傑の活躍により、同じく圜悟の門下の虎丘紹隆の系統(虎丘派)が盛んになり、その密庵門下では松源崇嶽・破庵祖先の2人が特に有名で、それぞれ一派をなした(松源派・破庵派)。南宋時代の禅文化に最も大きな影響を与えた無準師範は、その破庵派から出ている。 元朝は、南宋以来の漢民族の生活と文化をほぼそのまま容認したため、元代も仏教の中心は禅宗で、活躍した禅僧の多くは臨済宗であった。その中で特に重要な人として、破庵派の中峰明本、松源派の古林清茂や了庵清欲などをあげることができる。 宋代に禅宗は他宗を圧倒するほどの勢いを見せたが、その要因に居士仏教の流行と出版業の隆盛がある。居士の参禅は、禅宗が一つの完成した姿を現出した唐代に先例があったが、宋代以後、その比重は徐々に増していった。北宋の王安石・蘇軾・蘇轍・黄庭堅、南宋末の張即之、元の馮子振などの士大夫の参禅が知られる。科挙官僚の担い手となった士大夫に共通の教養は儒教であったが、当時の儒教は科挙に及第するための道具に過ぎず魅力がなかった。士大夫階級の哲学的欲求を満足させたのが禅宗であり、この新たな支持層を得たことにより、さらに名僧が輩出するという好循環を生んだ。また禅宗の権威の確立とともに、禅籍の刊行が行われるようになり、その出版による禅籍の流布は、禅宗が広く社会に浸透していった原動力の一つであったといえる。 士大夫が参禅した例として、蘇軾が黄龍派の東林常総から印可を受け、黄庭堅も同派の晦堂祖心の法を嗣いだ。張即之は禅に造詣が深く、大慧派の無文道璨らと交際した。馮子振も禅学に心を寄せ、元代禅林の巨頭・中峰明本や古林清茂らと親しく交わった。また趙孟頫も熱心な仏教信者で、中峰明本を師と仰いで親密な交流があり、松源派の独孤淳朋や馮子振とも親交が深かった。 墨跡の変化 このような詩・書・画を能くした文化人の参禅は、芸術重視という禅の世俗化をもたらした。士大夫の才能が僧侶においても尊敬されるべき対象となったのである。その影響は墨跡にも見られ、北宋末以後、蘇軾・黄庭堅・張即之の書風が禅僧の間に流行した。特に黄庭堅の書の影響は大きく、無学祖元など黄庭堅風のものが多くみられる。また竺仙梵僊は蘇軾の、蘭渓道隆は張即之の、了庵清欲は趙孟頫の影響を色濃く受けている。
※この「中国(宋・元時代)」の解説は、「禅林墨跡」の解説の一部です。
「中国(宋・元時代)」を含む「禅林墨跡」の記事については、「禅林墨跡」の概要を参照ください。
中国
出典:『Wiktionary』 (2021/06/14 14:42 UTC 版)
発音(?)
京阪式アクセント
ちゅ↗ー↘ごく
固有名詞1
語源
中華思想に基づく、世界の中心の国との説が有力であるが、単に「わが国」を意味しているとの説もある。
関連語
翻訳
- アイヌ語: santan
- アラビア語: الصين (as-sīn)
- ベラルーシ語: Кітай
- ブルトン語: Sina
- チェコ語: Čína
- デンマーク語: Kina
- ドイツ語: China
- ギリシア語: Κίνα
- 英語: China, Cathay
- エスペラント: Ĉinio, Ĉinujo, Ĥinujo
- エストニア語: Hiina
- ペルシア語: چين (čīn)
- フィンランド語: Kiina
- フランス語: Chine 女性
- ヘブライ語: סין (sin) 女性
- ヒンディー語: चीन (cīn)
- ハンガリー語: Kína
- インターリングア: China
- インドネシア語: China, Cina, Tiongkok
- アイスランド語: Kína 中性
- イタリア語: Cina
- 朝鮮語: 중국 (ko) <中國> (chung.guk)
- ラテン語: Sinae
- ラトヴィア語: Ķīna
- リトアニア語: Kinija
- マレー語: Tiongkok, China
- モンゴル語: Хятад
- オランダ語: China
- パフラヴィー語: چینی (čīnī)
- ポーランド語: Chiny
- ポルトガル語: China 女性
- ケチュア語: Chunwa
- ルーマニア語: China 女性
- ロシア語: Китай (Kitay)
- サンスクリット: चीन
- スロヴァキア語: Čína
- スロヴェニア語: Kitajska 女性
- スペイン語: China
- セルビア語: キリル文字表記: Кина (sr) 女性、ラテン文字表記: Kina (sr) 女性
- スウェーデン語: Kina
- タガログ語: inchik
- タイ語: จีน
- ウルドゥー語: چين (čīn)
- ベトナム語: Trung Quốc
固有名詞2
語源
延喜式で、畿内からの距離による「近国」「中国」「遠国」の三区分のうち、「中国」に属していたため。異説ではヤマト王権と九州王朝の間に存在した地方であるため。
名詞
「中国」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は中国人です
- 中国人は友好的な国民です
- 中国と日本の文明
- 彼は中国の大学から博士号を授けられた
- 彼は中国史に没頭した
- 彼と話してはじめて彼が中国人だと分かった
- 中国と友好関係を樹立する
- 中国の主要な輸出品は何ですか
- 中国製品が市場にあふれた
- 彼女はとても伝統的な中国の家庭の出身だった
- 中国の人口増加
- パンダは中国固有の動物だ
- 私はその映画を観て中国文化に興味をもった
- 彼は中国にとても行きたがっている
- この文を中国語にしなさい
- 中国,日本,タイ,ベトナムなどのアジア諸国
- 中国語なら少しわかる
- 中国本土
- 彼は中国語に熟達している
- 中国との国交回復は日本にとってとても重要だった
Weblioカテゴリー/辞書と一致するものが見つかりました。
- 白水社 中国語辞典 - 白水社
- 中国の都市一覧 - 中国まるごと百科事典
- Wiktionary日本語版(中国語カテゴリ) - Wiktionary
- Tatoeba中国語例文辞書 - Tatoeba
- Weblio中国語翻訳辞書 - Weblio
- Wiktionary中国語版 - Wiktionary
中國と同じ種類の言葉
- >> 「中國」を含む用語の索引
- 中國のページへのリンク