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2024年、ことし読んだベスト本は3冊

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うえしん

 2024年は2月ころから本を書きはじめて、読書のほうには気合いを入れることはほとんどできませんでした。

 『言葉の世界は実在しない』という書くことがむずかしい本だったので、書いては捨て、書いては書き直し、一章まるまる捨てたりして、1日1ページ書くのがやっという困難な執筆になりました。

 書くのがむずかしかったのは、実在しないこと、「ない」ことを浮き上がらせるためにこの本を書いたからです。ついつい「ある」ことばかりに言葉がすべりがちになります。過去はもう実在しないものですが、その実在しないことの底なし感を実感できるでしょうか。この過去の底なし感をもって、言葉や心象をもながめてみたら、それらも実在しないことがわかるでしょうか。

 過去を言葉で話せば、過去があたかも目の前にあるかのように感情をもよおすことができます。しかし過去は底なし沼に呑み込まれて、地上のどこにも存在しなくなったものです。私たちが話したり、怒ったり、悲しんだりする過去はどのように実在しているというのでしょうか。それは底なしの無ではないでしょうか。過去は実在しなくなったのに、怒ったり、悲しんだりできます。私たちの認識というのはこのように実在しないものを、あたかも実在していると思う過ちに満ちているのではないでしょうか。

 言葉であらわすものは、実在しないものをあたかも現実に実在するかのように思わせる錯誤に満ちたものではないでしょうか。これを浮き彫りにしようとしたのが本書です。言葉の世界の非実在性を悟ったとき、私たちは苦しみや悲しみの幻想から抜け出せるのではないでしょうか。

 仏教や神秘思想は、この言葉の仮想現実が実在しないことを悟らせようとした教えだと、私は考えています。

 本書は11月に書き上がりましたが、自分が書いたことを忘れて他人の文章のように感じられるようにと一か月ほど塩づけにしました。いまは校正や、電子書籍化やペーパーバック化の作業に入っています。もうしばらくすれば成果をお届けできると思います。




 ■2024年ことしのベスト本3冊

 本の執筆にとりかかっていたので、ことしはあまり本が読めていません。図書館で借りて期限までに読み終わることが、執筆の優先のためにできませんでした。それ以外の期間に良い本に出会えました。ことしのベスト本は3冊になります。


■ニック・チェイター『心はこうして創られる』

 心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学 講談社選書メチエ ニック・チェイター ebook

心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学 講談社選書メチエ ニック・チェイター ebook



 心にはフロイトのいうような深層などない、いま即興にでっちあげられた表面しかないのだと宣言した本です。それを認知的実験で証明してみせる本ですが、ちょっと私にはこの理解がむずかしかったかな。

 心には何かを隠しておける奥などない、脳がその場で創り出しているフィクションしかないとニック・チェイターは断ずるわけです。これは急に出てきた話ではなくて、考えてみたら認知療法やポジティブ心理学というのは表面の解釈だけを書き直せば感情が癒されるという方法ですね。フロイトみたいに深層をさぐって解放しなければならないという説とは相容れない理論は、ずっと表面に躍り出ていたわけですね。

 元は自己啓発がポジティブに考えればポジティブな結果がもたらされ、ネガティブに考えればネガティブな現実が引き寄せられるといってきましたね。そういう自己啓発の背景に、深層などないでっちあげの表面だけの心は相ふさわしいわけです。客観的な世界があるのではなく、ただ主観的な考えや思いだけがある――自己啓発はそういった唯心論的な世界をずっとのべてきたわけです。

 このでっちあげの心だけあるのなら、私たちの悲しみも苦しみもただのでっちあげのフィクションということになりますね。ここから即興でつくられた表面的な考えや解釈はどうせウソっぱちなのだから、消してしまえ、なくしてまえば苦しむこともないという仏教的な教えにつながっていきますね。仏教はこのフィクションの思考を捨てさせようとしたものです。

 ポジティブ心理学や認知療法が考えを書き替えさせようとしたのに対し、仏教は思考をまるごと捨てさせようとします。思考がなければ苦悩もなしということです。そういった思考はそもそも実在しないものだと仏教はいいます。マインドフルネスの流行はこういう考え方の延長にあるものではないでしょうか。


■茂牧人『ハイデガーと神学』

 ハイデガーと神学 茂 牧人

ハイデガーと神学 茂 牧人



 ハイデガーをエックハルトやベーメ、ルターの神秘主義の流れにおいた研究書で、ハイデガーは神秘主義者だったのかと著作に探りたくなる本ですが、ハイデガーの難解な言い回しに煙に巻かれそうで、私には検証の壁を感じます。

 ハイデガーはルターの「隠れたる神」を救い出そうとして、ギリシャ以後の固定化した世界観を壊そうとしたということをいっています。「隠れたる神」というのは、目で見ることも言葉にすることもできないものがほんとうの神だということです。ギリシャ以降の西欧は言語化によって神を証明しようとします。そもそもその見えない神に合一しようとしたのが神秘主義や原初のキリスト教にあったものだと思われます。言葉の放擲こそが東洋や禅に求められたものですが、西欧は言葉でどこまでもつかまえようとする困難な道に、ハイデガーも抗しないように思うのですが。

 禅はひたらす言葉を捨てて無になろうとします。しかし一般的な宗教となると神という偶像を崇拝し、言葉で神をつかみとろうとします。西欧は言葉の絶対性を手放そうとしません。キリスト教の神秘主義では「神は無である」といった言語での把握が不可能であることを告げるのですが、西欧の主流はどこまでいっても言語で捕まえることをあきらめません。ハイデガーも「隠れたる神」を救い出そうとするのですが、瞑想や祈りに没頭するということもないわけです。


■バーガー・ルックマン『現実の社会的構成』

 現実の社会的構成―知識社会学論考 ピーター・L バーガー

現実の社会的構成―知識社会学論考 ピーター・L バーガー



 この本が社会の共同幻想を真正面からこんなに語った本だとは知りませんでした。共同幻想というのは、社会の常識や世界観は幻想や恣意的なものでできているというメタな視点を与えるものですね。

 私たちは学者や偉い人がいう世界観を信じて、それが世界の枠組みを支えるものですが、共同幻想論というのはそういうものは人々の創作的で、人為的なものにすぎないと蹴飛ばします。国家とか科学、宇宙観も幻想にすぎないというわけですね。

 バーガー・ルックマンはそういう人為的な世界観が人々に「世界そのもの」「超常的なもの」と信じられてしまうことを「物象化」とよびましたが、人間の限界を知らない一般人たちは、人々が言い合った世界観を「絶対的なもの」「世界そのもの」と信じてしまいます。人が神や仏について想像でしか語ったものでしかなくても、神や仏は実在すると信じるようなものですね。

 このようなジャンルを「知識社会学」とよびますが、私たち一般人は世界観をどれだけメタ的に見れているのでしょうね。宗教の世界観というのは、メタ的な視点がもてない最たるものではないでしょうか。でも現代の私たちであっても科学的な世界観の絶対性や「世界そのもの」と思うようなカン違いは、見過ごされているのではないでしょうか。私たちはいつも時代の産物や絶対性からは逃れられなく、自分の背中が見えないような過ちをかならず背負うのでしょうね。


 以上がことしのベスト本3冊になります。近々、私のKindle本を出すことになりますので、読んでいただければありがたいです。


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京都一周トレイルの歩き方

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うえしん

 京都一周トレイルを歩いてきました。全長84㎞におよぶロングトレイルです。
 2、3年前にバイクを手放してから、休みの日はいぜん登っていた山登りをするようになりました。
 YouTubeでサイレント・ハイキングの動画にハマって、どうやら歩いているのはロング・トレイルというピークに登らないハイキングらしく、日本にもあるロング・トレイルである京都一周トレイルを歩くことになりました。

 ">kyototrail1.jpg ◀「そうだ 京都、行こう。」サイト

  京都一周トレイルとは

 京都一周トレイルとは、京都市街地のまわりをとり囲む山々を歩くロングトレイルです。
 四区間に分けられています。
 反時計回りに伏見稲荷駅からスタートして、ケーブル比叡駅までの東山コース。
 大原に下って二ノ瀬駅までの北山東部コース。
 清滝までの北山西部コース。
 嵐山を通って、上桂駅までの西山コースに分けられています。

 それぞれ20㎞前後の長い距離なので、自分の好みに合わせてセクション・ハイクを楽しむことができます。
 なにも決まり通りに歩く必要はなく、寄り道したり、自分の都合に合わせたコースを選ぶこともできます。
 途中で中断したり、エスケープするために、交通機関の有無やバスの時間を確かめることが大事になります。

  コースの選び方

 ほぼ山登りなので、観光地のような平坦な道を歩きたい人は、北山西部コースの清滝川の渓谷がすばらしいです。
 東山コースは伏見稲荷大社や清水寺などの神社仏閣のそばを通るので、こちらに寄ることもできます。
 ただ大文字山や比叡山はガチの山登りになるので、ハイキングをふだんからする人でないとちょっとしんどいかもしれません。ケーブルやロープウェイで比叡山に登ることもできます。
 北山東部の西側コースはのどかな山里をはさんだハイキングをしたい人向けかもしれません。
 こんかい記事を書いてみるまで、コース名の把握がぜんぜんいい加減で、気にせずに歩いていたことに気づきました。
 山道を歩くことが多いのですが、山道を歩くということは観光地みたいな目立った名所から外れるということです。

  私の逆回りの歩き方

 東山コースはいぜん歩いたことがあったので、次に魅力的な清滝川の北山西部コースから歩くことにしました。だから逆回りコースになりました。
 だいたいふだんの登山の経験から、10km超えの距離が自分の限界という区切りで計画しました。
 四日間連続で歩くつもりでしたが、さいごの予定日の雨予報を避けて、大原と比叡山のコースを歩くことにしました。
 二日目に二ノ瀬駅~大原まで歩いて、きのうの足の疲れが残っていたので、いったん退散しました。
 一週間後に大原から水井山や比叡山を登る北山東部コースに挑戦しました。
 つぎの日はケーブル比叡山駅から下り、哲学の道を通って、へとへとになりながら大文字山に登りました。

 季節は11月の半ばの紅葉がはじまったころで、大原までのバスはすし詰めで、私は避けたかった時期かもしれません。
 大阪の自宅には日帰りで帰れましたが、連続で歩く日にはGoogleマップを頼りにネットカフェに泊まりました。
 北山西部コースの一部はまだ歩いていませんが、紅葉の時期を避けたかったので、いつかリベンジするかもしれません。

  日数はどのくらい?

 私は全コースを歩いたわけではないですが、5日分歩きました。あと2日ほどで全コース歩けそうなので、全7日間かかることになります。
 私のふだんの登山の経験では、4時間で8㎞くらい、5時間で10km超えくらいかかります。
 10㎞を超えるあたりから、かなりしんどくなってきます。1日に20㎞を歩くなんて私には想像もできません。
 2日ほど15㎞くらい歩くことになりましたが、しんどさが楽しさを上回るとただの苦行になってしまいます。
 風景や自然を楽しむために山に登るのであって、自然に見向きもできない歩行になれば修行ですね。


 私の歩いたコースは紹介します。

  1日目 西山・北山西部コース逆回り

 嵐山駅から混雑した観光地を抜けて、清滝川の渓谷沿いを歩く清涼な道です。文句なしにすばらしい山間の清流を見ることができます。さいしょ100mほどの道を登って、清流沿いの自然の道を歩きます。このコースとちょっと山登りになる寺社のそばを通る東山コースが私のおすすめです。【4時間、10㎞】

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 人でいっぱいの嵐山を抜けて山道を登り切ると、これから歩くことになる清滝川の清流が見えます。

 
 山間部の清流の快さは、本能にくみこまれているのではないかと思うくらいです。

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 清流のそばを歩いていると、心が活き活きしてきます。

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 少し紅葉がはじまった清滝川の風景はボーナスでした。


  2日目 北山東部コース逆回り

 叡山電鉄二ノ瀬駅から鞍馬寺まで電車と並行して歩き、大原のバス停まで歩くちょっと平凡な道かもしれません。峠が二つほどあって、あとはのどかな山里を通るくらいです。ハイキングというのはこういう観光目玉がない山間部を歩くもので、なにもない風景に美しさを見出す営みかもしれません。2日目の足の疲れで、これ以上の山を登るのはムリだと敗退しました。【4時間ちょっと、9㎞】

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 北山東部の峠をこえた静原という集落で、のんびりベンチに座ります。私は川を中心にした風景が好きですね。

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 大原の里から左手にこれから登る比叡山系の山々が見えます。もう明日登るのはムリだとあきらめました。


  3日目 北山東部コース逆回り 

 大原から標高差500メートルを一気に登るガチの登山だと覚悟してましたが、一週間ほどの休養をへて復活しました。水井山が793mのトレイル中のいちばん高い標高で、琵琶湖がのぞめました。延暦寺をかすりますが、ケーブル比叡駅まで下りる山中に京都北部の並々とした山並みや、ケーブル駅からは京都市街の大パノラマが見下ろせます。【5時間半、11㎞】

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 トレイル中でいちばん高い水井山から琵琶湖がのぞめます。曇っていてわかりにくいですが、ひと山登ったところに琵琶湖が見えるのは感激ですね。

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 京都の市街にヤコブズ・ラダーがふりそそぎます。天使のはしごですね。

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 ずっと山道を歩いていて、延暦寺の建物があらわれるのは異物感がありますね。

 
 京都北部に連なる山並みの中に大原の里がのぞいています。山々に囲まれた里の郷愁感。

 
 比叡ケーブル駅からは京都市街の大展望がひろがります。ひと山登り切った後のたまものの景色。


  4日目 東山コース逆回り

 前日は比叡山まで登ったので、この日はケーブル比叡駅から下るだけのラクな道でしたが、3時間かかりました。その間、連休中だったこともあり、たくさんの登山者と会いました。一度市街地におりて哲学の道を歩いたりするのですが、大文字山に登るときはもう私の疲労度はかなり上がっていて、へろへろになりながら登りました。コースではないのですが、山頂からの京都の大展望がごほうびになりました。【8時間、15㎞】

 
 2023年の夏にトレイル上で女性がクマに襲われる被害がありました。もしかしてここが現場? 百均の鈴を鳴らして防備。

 
 哲学の道を歩きますが、もうここはどこの外国というくらい海外の観光客ばかりですね。

 
 4時間歩いた後の大文字山登りは、私の体力を超えていました。へろへろになりながら登った大文字山の大展望のごほうび。コース外です。

 
 レールのある蹴上インクラインってよく知らずに歩いたのですが、船を運んだレールだったんですね。


  0日目 東山コース

 ロングトレイルを意識する前のことしのはじめに、寺社も楽しめるハイキングとしてこのコースを歩いていました。私には山深さを感じられない物足りないコースに思えましたが、伏見稲荷大社の千本鳥居を通ることもできますし、泉湧寺や清水寺にも寄ることができる歴史を感じられるコースですね。コース外ですが。慣れない人には千本鳥居も十分にしんどい登山かもしれません。【4時間、11㎞】

 
 千本鳥居はけっこうしんどい坂登りになります。外国人の観光客に埋めつくされています。

 
 ちょっと低い山から京都市街をながめることができます。もっと山深さを味わいたいか、これでもじゅうぶんに人里離れたと思うかはそれぞれです。



 自然の景色が好きな方は歩いてみてはいかがでしょうか。京都の市街地とは違った面が見つかるかもしれません。



▼参考サイト
 京都観光Navi 京都一周トレイル
 そうだ 京都、行こう。 「京都一周トレイル®︎」とは
 京都一周トレイル 京都トレイルガイド協会

 京都一周トレイル マップ ガイドー全5コース・14ルートを楽しむ 京都一周トレイル会公認ガイドブック 京都トレイルガイド協会

 京都一周トレイル マップ ガイド 京都トレイルガイド協会




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隠れたる神を言語化する――『否定神学と〈形而上学の克服〉』 茂牧人

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うえしん
   否定神学と〈形而上学の克服〉 シェリングからハイデガーへ 茂牧人

   否定神学と〈形而上学の克服〉 シェリングからハイデガーへ 茂牧人



 ハイデガーをルターやベーメなどのドイツ神秘主義の流れに位置づけた前著『ハイデガーと神学』に感銘をうけたので、この書も読まなければならないと思っていたが、たぶん理解がとどこおるだろうなと思っていたが、だいたいは予想どおりだった。

 この書は前著のつづきとしてシェリングやハイデガーの深化がおこなわれている。前著でも読解がいっぱいいっぱいだったので、今回はそれ以上に増して理解の困難さに見舞われた。とくにシェリングがわからない。神の創造論と自由と悪が出てくるところあたりが理解に苦しむところだ。

 この本は中央図書館で借りたが、哲学者の中でもハイデガー研究の興隆を見ることができる。だがドイツ神秘主義の流れの中にハイデガーをおくという説はどれくらい受け入れられているのだろう。

 この本はむずかしすぎて、専門的すぎ、神学も出てきて、よういに人を寄せつけないのではないだろうか。そもそもハイデガーもそうだったが、神秘主義は非合理やオカルトの極みだと思われている。拒絶と無理解があるうえに、専門的すぎたら、もうだれも寄りつかないだろう。

 かんたんにいうと、ハイデガーがルターから掘り起こそうとした「隠れたる神」というのは、言葉や人間の感覚では神はとらえられないということである。神は言語化できない。ギリシャ哲学からの形而上学はその言葉のワナにハマってしまったから、言語化されない神の次元をよみがえらせようとしたというのが、著者の考えである。

 神は偶像崇拝が禁止されることが多いが、言語化においても誤ったすがたを思い描かれる失敗を重ねてしまうということである。禅では言葉を捨ててしまえば、もうその世界にとどまろうとする。しかしハイデガーはあくまでも哲学者の矜持として、言葉の構築にとどまろうとする。言葉を立ててしまえば迷妄に陥ると禁じるのが仏教の考えである。ハイデガーはそれでも言葉でなにがしかを語ろうとした。

 ハイデガーの難解で奇妙な言い回しのうえに、さらに専門的な澱がつみ重なって、もうよういに人が近づけない。専門性のうえに専門性をつみ重ね、さらには神秘主義の拒絶も重なって、だれもとりつかない。

 ハイデガーに神秘主義の理解をたのもうとするのではなくて、カウンターカルチャーの流れの中の神秘主義は一般者向けに語られたものであるから、一度こちらでの理解をへたうえでハイデガーの神秘主義傾向に挑まないと、なにをいっているかさっぱりわからないだろう。ふつうの言葉で語られた神秘主義を読むと、ハイデガーやシェリングの語ったことはなんて複雑で近寄りがたい壁を打ち立てたのかと思うことだろう。

 たんじゅんにいえば、言葉で語られたものはどこにも実在しないものであるということである。言葉の幻想を手放そうということである。言葉の壁を打ち立てるなといったのである。ハイデガーはそれを警戒しながらも、言葉で語ることは可能だと思ったのだろうか。言葉で描いたものが実在するという思い込みから、抜け出す道を言葉を使って語ることができるものだろうか。



 ルターとドイツ神秘主義 ヨーロッパ的霊性の「根底」学説による研究 創文社オンデマンド叢書 金子晴勇 ebook

 ルターとドイツ神秘主義 ヨーロッパ的霊性の「根底」学説による研究   金子晴勇 ebook




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