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IT企業に入りこむ瞑想――『マインドフル・ワーク』 デイヴィッド・ゲレス

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うえしん
  

 ひところネットでもアメリカのIT企業がつぎつぎとマインフルネス瞑想が導入されていると話題になっていた。その2015年版が本書である。

 仏教の瞑想が宗教色を排除して、医学や科学の検証にたえるものとしてアメリカの職場に受け入れられるようになってきている。その最大の貢献者は、ジョン・カバッド=ジンであり、日本でも早くから翻訳されていて、私も90年代には手にとっていたと思う。

 ほかにジョセフ・ゴールドスタインやジャック・コーンフィールド、シャロン・ザルツバーグといった人たちが著名である。マインドフルネスは脳科学のほうでもとりいれられていて、こちらの研究のほうでも脳開発法や勉強法、自己啓発としてひろがっているようだ。本書ではジャドソン・ブルアーやリチャード・デイヴィッドソンといった人がとりあげられている。

 私はケン・ウィルバーのトランスパーソナル心理学から、西洋の東洋宗教に興味をもつようになったが、ヒッピーやカウンターカルチャーのころから起こった流れは(もちろんエマーソンやソローの時代からであるが)、アメリカの企業や職場の中心にも浸透しようとしているようだ。あのアメリカの若者から起こったサイケデリックな反逆は、一般的な企業文化の中にも結実しようとしているのである。

 マインドフルネス瞑想というのは思考の遮断のことである。あちこちにさまよう思考=モンキーマインドが人々を不幸にする。

「…心のさまよい――が、私たちを不幸にする原因に他ならないということだ。…「何をしているかよりも、何を考えているかの方が、その人の幸福状態を正確に反映する」。 
…(幸福感に)関係するのは、未来を思ったり過去を反芻したりせず、そのときしていることに集中しているかどうかだけなのだ。
「人間の心はさまよう心で、さまよう心は不幸な心だ」。
「起こっていないことを考える能力は認識力のなせる業だが、そのために感情が犠牲になっている」」



 私たちは思考することがよいことだ、頭の良いことだといった信念をたっぷり浴びて育ち、頭の中をしじゅう思考に占領される。そのことが不幸や苦悩をつくりだしていることに、ようやく気づきだしたということになる。マインドフルネスというのはその思考のシャットダウンである。

 マインドフルネスの世界には有名な言葉があるそうだ。

「ストレスは起きるのではない。それはあなたの反応に過ぎない」



 この考え方は仏教から伝来されたとされているが、はるか二千年前のローマのストア哲学だって同じことをいっていた。西洋はそれを忘れていて、仏教に思い出せられただけなのだ。思考を過剰に信奉する西洋世界の解毒剤として、仏教やマインドフルネスは西洋に受け入れられたのである。

 そういった思考のシャットダウンをおこなっていた仏教の瞑想が、宗教色を排除して、科学や医学的検証にたえるものとして、ようやく西洋に受け入れられつつあるということである。言葉や思考を過剰に信奉するばかりに、西洋や私たち日本人は不幸な精神状態を背負わされてきたのである。

 この本は私には前半部のマインドフルネスの効用がたびたび言及された箇所には学びがあったと思うが、後半部の企業への導入や慈悲の心といったものはあまり興が乗れなかった。ビジネス書みたいなものをいま読みたいとは思わないためだろう。

 この本が出てからもう5年が立っているが、マインドフルネスはどこまで浸透したのだろうか。日本でもたくさんのマインドフルネス本が出ていた。おもに医学関係の本だと思うが。日本では仏教の伝統がたくさん残っており、医学・科学的とされるマインドフルネスはどのように入りこみ、あるいは分離し、社会に広がってゆくのだろうか。

 私はぜんぜん平気に宗教的なものであっても、そこに心理学的・セラピー要素のあるものを抜きだそうとしてきた。神とか虚構的な信仰なんかにはまれない現代的な免疫をわれわれはもっているのではないだろうか。





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Posted byうえしん

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