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脱宗教化と個人化と、脱日本化――『現代スピリチュアリティ文化論』 伊藤雅之

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うえしん
        

 2021年に出た新しい宗教研究書であって、エックハルト・トールやネオ・アドヴァイタの潮流までふくんでいる。

 それだけではなく、ポジティブ心理学の章もあるし、マインドフルネスやヨーガといった医学や一般にうけいれられた動向もとりいれられた書である。

 現代のスピリチュアリティというのは、既成の宗教とちがって、個人で幸福や健康を追求するパーソナルなものに変わってきたと考察する書である。マインドフルネスやヨーガは宗教的なものをとりのぞいて、医学的・健康的なメソッドとして一般にうけいれられている。

 宗教研究者にとってオウム事件はどう考えるかという章もあって、宗教研究者は対象に肯定的に接近することが多く、その反省も求められている。中沢新一とか島田裕巳は肯定的に評価してしまったんだよね。

 この本もスピリチュアリティのポジティブな面をおもにとらえており、たとえば書店のスピリチュアル本なんてクソ詐欺本やゲテモノ本の氾濫でひどいものになっているし、新興宗教にとりこまれる危険性といった反省もとりあげていない。まあそれを取り上げる本でもないけど。一般人の多くは科学や無関心を土台にしたスピリチュアルとの距離をとっているのではないかな。

 私としてはネオ・アドヴァイタの潮流が――つまりシャンカラやラマナ・マハラシ、マハラジなどのヴェーダーンタの流れが西欧にどのように流れ着いたのかの概括にいちばん興味があったかな。ヒンドゥー教は西欧にどのようにうけいれられたか。エックハルト・トールもこの流れに入れられているのだけど、ヴェーダーンタだった? トールは見るものは見ることができないといっているわけで。ケン・ウィルバーもヴェーダーンタだ。

 欧米に影響をあたえたのは日本の禅や仏教であると思っていると、ヒンドゥー教やヴェーダーンタに影響をうけた西欧人もけっこう育っている潮流を見逃すことになる。ショーペンハウアーだって『ウパニシャッド』だ。

 いまのマインドフルネスの流行も禅の土台があったのもあるが、小乗仏教やテーラワーダ仏教、ベトナム亡命僧侶ティック・ナット・ハンの流れによるものだ。それをジョン・カバットジンが広めた。ジョン・カバッドジンは古くから翻訳されているが、ビジネス書出版社から発売されており、健康医学といった装いだった。日本の仏教は宗教の装いを解除できなかったのか。

 ヨーガの流れもくわしく説明されており、いまはフィットネス文化の中にとりこまれているが、60年代のヨーガブームでは沖正弘や佐保田鶴治らがけん引したとされる。オウム事件のときには危機的な風評被害をこうむったようだ。

 ポジティブ心理学は、この本のスピリチュアルとは関係のない心理学のジャンルと思われるのだが、マーティン・セリグマンはスピリチュアルまで志向したのだろうか。無心をめざす私は「三つのよいことエクササイズ」がうらやましく思えた。

 宗教というのは神秘思想を見る限り、私の解釈では言葉や思考の実在をとりはずす試みのことに思える。言葉はあまりにも近すぎて私たちにはそれをとりはずすことができない。その言葉をなくす仕掛けや装置が神という象徴であったと私は考える。

 現代のスピリチュアルも宗教色を外して、どんどん科学的・医学的な装いをとりいれて、一般にも浸透するようになっている。けれどスピリチュアルへの警戒や距離感もいぜん強いものだし、多くのものは詐欺やゲテモノの氾濫である。批判的選択眼やメディアリテラシーが必要になると思うのだが、宗教アレルギーで遠ざけている人は、ふれれば即感染すると思うほどの無防備な嫌悪感で遠ざけているだけである。いまさらわれわれは神や霊なんてかんたんに信じられない壁をもっていると思うのだが、感染する人はするのだなあ。





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Posted byうえしん

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