甘南備と神籬
●カンナビとは、神の在ます山のこと まし である。漢字で、神隠、神奈備、甘南 備、神名備、神名火、珂牟奈備、賀武 奈備などと書かれるが、要するに純粋 なやまと言葉の神の火の音に、漢字を か ん な び 充てたものである。神の火が、火山を 連想させることは当然で、富士山のよ うな活火山はもちろん、日本列島の至 る所にある死火山、休火山の区別なく、 秀麗な山を崇敬する山岳信仰が縄文時 代からあったに違いない。社殿が造営 されるようになったのが弥生の時代か らにしても、社殿のない古い時代から の火山に対する畏怖・畏敬と信仰が今 に続いて、各地の一宮はもとより、大 きな神社が、神の居る山の麓に鎮まっ ている。社殿ができるようになったの はずっと後の時代であって、大和朝廷 の成立とも関係していると思われるの は、その縁起にわざわざ「坂上田村麻 呂が建立した」などと強調した記録が 残っているからである。 火山の噴火の記憶があれば、カンナ ビの山は、浅間(アソ+ヤマ)と呼ば あ さ ま れるようになったとの説がある。アソ とは日本の最も活発な火山活動をして いる阿蘇山として名前が残り、噴火を 伴う活火山を象徴する。富士山も本来 の山体の名前は「浅間山」ではなかろ
うか。であるからこそ、浅間神社本社 が富士山麓にあるのも、無理はない。 コノハナサクヤヒメの神話は、荒廃し きった火山の麓に新たに降臨して、大 地を開墾する姫君による大地の再生の 物語と考えれば納得がいく。 青森の三内丸山遺跡や鹿児島の錦江 湾の奧のカルデラのシラス台地の縁に ある上野原遺跡は縄文時代に大集落と して栄えたが、忽然としてある時代に 姿を消した。前者の場合には岩木山、 後者の場合には、霧島や桜島の活発な 火山活動による深刻な降灰等が原因と なる大被害が起きて、人口が離散した ことが想像される。その後、天孫降臨 が日向の地にあり、神武東征に至る建 国神話が形作られたのだ。 倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭しうるはし との歌は、古事記の景行記に倭建命が 詠んだとして、 「夜麻登波 久爾能麻 本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻 碁母禮流 夜麻登志宇流波斯」と記し、 日本書紀景行条では大足彦忍代別天皇 おほたらしひこおしろわけ (景行天皇)の御製として、 「夜麻苔 波 區珥能摩倍邏摩 多々儺豆久 阿 烏伽枳 夜麻許莽例屡 夜麻苔之于屡 破試」と記すが、いずれにしても火山 活動による降灰などの災害を克服して
山々の木々を繁茂させるべく、雄々し く起き上がる姿を詠んだ歌であろう。 ●さて、火山灰が降り積もった大地に 植えた植物はなんだろうか。大麻の学 名が、カンナビス・サティーバである ことが気になる。語源は、ラテン語で あり、ギリシア語であるが、縄文時代 からあると考えられるカンナビの言葉 が語源である可能性もあり得ないこと ではない。大麻は神と人とを媒介する おおぬさ 神道祭祀の根幹にあり、麻は絹よりも 上位にあったのは、救荒植物としての 麻を崇めてきた証左ではないだろうか。 敗戦後、麻は麻薬にされてしまったが、 全く別物で、麻薬は痲薬と書くべきも ので、日本語では字を違えて書いて毒 のある痲と有用植物としての麻とを区 別していたことを強調しておきたい。 全国に麻生の地名や姓が残るが、霧島 や桜島の大火山の麓にある薩摩とは、 さ つ ま 麻が生産される土地であることを漢字 で表現している地名であることを再度 明らかにしておきたい。 ●ヒモロギとは、神の 坐 す森のこと ましま である。神籬とも漢字で充てている。 伊勢神宮の別宮である滝 原 宮はヒモ たきはらのみや ロギの典型である。交通も便利となり 高速道路も近傍を通過しているが、鬱 蒼とした森は、縄文の森の典型で、皇 大神宮の遙 宮と呼ばれるだけの荘厳 とうのみや な森である。社殿は簡素で黒潮の民と の繋がりを体感できる荘厳な聖地であ
り、日本人ならば一度は訪れて欲しい 鎮守の森である。能登国の一宮である 気多大社の入らずの森、山城国の一宮 け た である京都の下賀茂神社の糺すの森も、 ただ 典型的なヒモロギである。昭和五八年 五月二二日、全国植樹祭で石川県に行 幸された昭和天皇は、入らずの森に踏 み入られ、御製を詠まれた。 斧入らぬみやしろの森めづらかに からたちばなの生ふるを見たり 奈良市街の東方に位置する春日山原始 林は、春日大社の神域として狩猟や伐 採が禁止されて人工的に原始性を保っ てきたヒモロギであり、明治神宮の森 が人工的に造られていることと本質的 に同じで、いずれも神が宿りおられる やど 場所である。お祓いをする道具の大麻 おおぬさ は、ヒモロギ、つまり神が降誕する依 り代の森を象徴化したものである。日 本の原始の森の霊気で祓い浄めている のである。道具となったヒモロギは、 生木の 榊 の枝に、木綿や麻苧などを さかき ゆ う あ さ お ぶら下げて森林を表現している。 ●最後に忘れないように、隼人のハヤ が南という意味で黒潮の民の証拠では ないかと仮説を呈して書き残したい。 マリアナの言葉でハヤは南の意味だ。 確かに沖縄に南風原があり徳之島にも は え ば る 南原がある。 「 南風の吹く夜は眠られ はいばる は え ぬ 」 と奄美新民謡「島育ち」の一節を 田端義夫が歌った。熊野速玉大社のハ はやたま ヤも南ではないか。 (つづく)
« Kuroshio 182 |
トップページ
| Kuroshio 184 »
« Kuroshio 182 |
トップページ
| Kuroshio 184 »
コメント