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Kuroshio 143

船は出て行く、想い出残る。

 暑い暑い夏が続いた。黒潮の流れを眺めながら夕涼みをする機会はないかと、大阪の南港からフェリーに乗って、南九州の志布志港まで往還することにした。東京から志布志を経由して沖縄とを結ぶ航路があったはずだが、トラックを運ぶことに専念するようになって、乗客だけを乗せることはしなくなったことも聞いていたので、わざわざ、東京から大阪まで出向いてフェリーに乗ることになった。新横浜から新幹線に乗り新大阪で下車して、大阪市内の地下鉄に乗り換え、南港近くの駅で降りて、またバスに延々と乗って、志布志行きのフェリーが接岸しているカモメ埠頭にたどりついた。「さつま」と「きりしま」の二隻が就航している。夕方五時に出帆して紀伊水道を南下して外洋に出る。外洋ではうねりがあるとのアナウンスがあったが、上天気で、室戸岬を回っても揺れなかった。スタビライザーもついているから、よっぽどの悪天候でない限り、ローリングやピッチングが激しいことはないのかもしれない。夜八時ころに甲板に出た。靄がかかっていたので満天の星空というわけにはいかなかったが、それでもうっすらと天の川が見えて、彦星(わし座の一等星アルタイル)と織姫星(こと座の一等星ベガ)がはっきりと区別できて天の川を挟んでいた。北極星の周りを大熊座の大きな柄杓とカシオペアのWの形の星が回っていることも確かめられた。八月の夜空を眺めるためには、船の甲板は最良の場所だ。船のエンジンがガンガンと音を立て、煙突から薄煙が風下に流れていくのを気にしなければ、夜空の星を眺めるには船旅が最良で、船会社もそれを心得て、ちゃんと星座教室を開いていた。大阪弁を話す子供たちが目をキラキラさせながら、講師の話に聞き入っていた。ちなみに、今年の七夕(旧暦の七月七日)は、新暦の八月二〇日にあたり、七夕の星が昇って上弦の月が南西の空に輝いた。今年は八月一三日が、ペルセウス流星群が夜空を飾る日でもあったから、午前三時ころに甲板に出て空を眺めれば、流れ星の天体ショーを眺められるはずだった、船室に横になって眼を醒ましたのは、室戸岬から一直線に足摺岬のはるかな沖を航行して、フェリーは野生の馬で有名な都井岬との距離をどんどん縮めている頃だった。二時間もすれば志布志に着く頃に起きて甲板に上がると、都井岬から飫肥、日南,油津と続く島が横たわっているように見えた。日南から車で右側に逸れ山側に入って、潮嶽神社に赴いたことは既に書いたが、海から眺めると、全体が横に平たい島のように見えて南方からの黒潮の旅の船着き場のように見えたのは不思議だった。その平たい島の真ん中あたりに、鵜戸神宮が位置している。鵜戸神宮はいわば黒潮文明の聖地で、社伝は、本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所で、崇神天皇の御代に「六所権現」と称して創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝えている。つまり、山幸彦(彦火火出見尊)が、兄の海幸彦の釣り針を探しに海神国に赴き、豊玉姫命と深い契りを結び、身重になった豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」と鵜戸の地に参られ、岩窟に産殿を造ったが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちにご祭神が誕生したために、「日子波瀲(ひこなぎさ)武(たけ)鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)」と名づけたという。ご祭神と玉依姫との間に生まれたのが神武天皇である。鵜戸神宮の社叢は亜熱帯の樹種が豊富な自然林で、本殿裏に黒潮の植物のヘゴの群落がある。奄美や沖縄の森には珍しくないが、鵜戸の群落は自生の北限として国指定の天然記念物となっている。

 志布志の港に大型のサイロが林立して、太平洋を横断して北米から運ばれてくる飼料が貯蔵されている。大型の飼料運搬船が接岸横付けしている。米国の穀物会社のカーギルと大書したサイロもある。先年宮崎県で口蹄疫の事件があって大騒ぎになったが、日本一の畜産県の飼料は北米に依存していることを如実に示す光景が志布志の港に展開している。港の待合所の庇には、「癒しの国大隅に歓迎」と大書した看板が取り付けられているから、ここは薩摩ではない。志布志は大隅隼人の故地で、列島に点在する河中の祈りの場所の源流の様相を呈している菱田川を訪ねる時間はなかった。バスに乗って、鹿児島市内に行って観光をした。桜島の月読神社に行き、『古事記』で木花之佐久夜毘売、『日本書紀』で木花開耶姫と表記される神様と活火山との関係について、富士山に木花咲耶姫が鎮まる話を思い出し、想像を逞しくした。鹿児島から志布志への帰りに、大隅国はこんなに山が深いのかと、改めて思ったことである。薩摩は火山灰の台地の連なりだが、大隅は植生の豊かな山また山の国だと実感した。

 志布志港の待合所で、志布志在住の飯山一郎氏と、天武天皇やタブノキ、郵政民営化の闇などについて話をはずませ、二時間余りが瞬く間に過ぎた。八月四日付の飯山氏のブログには、「船は出てゆく想い出のこる」と題し、フェリーの甲板で私が手をうち振る別れ出船の写真が載った。

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コメント

外洋航路フェリーの星空は、貴重な体験です。私は星座が覚えられず、山に囲まれた田舎の夜空、北極星、北斗七星、カシオペア座、夏の大三角形と白鳥座を探します。
浦添・前田からの北極星・北斗七星は、東シナ海の水平線上と錯覚しました。
飛行機で上京の機会は、富士山を眺め、帰路は、夕焼けを眺める楽しみもありました。昔、新聞写真で白砂が続く志布志湾見て、いつか訪ねる夢があります。大型サイロ林立は、下関港の風景に似てます。田舎から町に出た時、トイレといっぷくできる古書店があり、離島の四季<日本発見-波涛に刻まれた生活と自然-暁教育図書14>構成宮本常一を見つけました。今年9月で店を閉じられました。宮本常一さんは「離島性について」の中で、弥生文化が発達するまでの最も大きな(文化の)道すじの入り口は、樺太・北海道であったと思うと述べられています。黒潮文化論と比較しながら海上の道を想像しています。町内いろいろあり、旅も思い切り不足です。

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